第23話 生きてきた時間のすべてを叩きつけろ

 翌朝、ギターウルフのTシャツ、その上に先日購入した革ジャンを羽織り鏡の前に立つ。見た目はロックヒーローとは言い難いが、革のギシっとした感覚と程よい重みが緊張を胸の高鳴りに変えてくれる。服装に合うカバンが見つからないのでタワーレコードの袋に教材を入れて家を出ようとすると、母が「キャロルみたいやん!かっこえ~!」とドス黄色い声で送り出してくれた。

 電車に乗りながら色々と考える。自己紹介もするのだろうか。何を読むのだろうか。考えがまとまらないままに天王寺で乗り換えて御堂筋線に。中津を抜けて淀川河川敷が見えると自然と覚悟は決まる。


 教室に入ると20名程度の人。奥の空いたスペースに座ると、ドアの近くにいた沢村が僕に気付き話しかけてきてた。


「おはようございます。あの…舞野先輩は…?」

「呼ばれなかったよ。安心した?」

「いえ…がっかりしました…本気の舞野先輩見られるかと思っていたので…でも、本当は少し安心しています」

「僕は沢村さんが女性で安心してるよ。張り合いたくないな」


 沢村の肩越しに見える柳が氷のように冷たい視線を飛ばしてくる。会話を切り上げ柳に話しかけたが機嫌が悪くまったく取り合わない。


「私が落ちてあいつが受かったら学校辞めるわ」


 舞野は一体どうやってこの狂犬と仲良くしているのだろう。だが、この思いを持っている方が強い。


「アフレコ発表の借りを返すからな…」


 直方がガンギマった目で話しかけてくる。すでに役に入ったかのように一挙一投足がキレキレだ。どこで買ったかわからない紫のジャケットとスラックス。そして「びわ湖毎日マラソン大会」と書かれたTシャツ。


 間垣先生が入ってきて本日の説明。


「全員いるな? 今日は軽く自己紹介と台本にあるセリフをやってもらう。台本はブース内で渡す。公平にやるから荷物を持ってブースに入り終わったらそのまま帰れ。質問は?」


 全員が無言で頷いたのを確認して間垣先生は教室を出た。僕は目を閉じてつま先を使って小さくジャンプをする。手首、足首、色んな関節をほぐす。変わるんだ。ここで変わらなければいつ変わる。


「楽しみだな」


 八木沼が話しかけてくる。顔は真っ青で唇はナスと同じ色になっていた。


「大丈夫? かなり緊張してるみたいだけど」

「正直…してる。アニメって聞いたらするわ…こんなチャンスあるんだな」


 周りを見ると全員の顔つきが違う。僕は気負っているとはいえ意外なほどに冷静だった。気が抜けているのではない。その逆だ。体から漲る力を感じる。緊張の面持ちの仲間を見ていると、再度、間垣先生が教室に入ってきた。


「こちらが今回のオーディションを見てくださる鈴沢さんと三上さん」


 50代位の恰幅の良い男性が一歩前に出る。


「音響監督の鈴沢です。今日は皆さんの個性を見せていただけると嬉しいです」


 今度は「めんどくせー」を身に纏う40代の痩身男性が前にでる。


「プロデューサーの三上です。まあ、気楽にやってください」


 挨拶はほどほどに3人はオーディションを行う教室に向かい生徒だけが残った。振動を感じ横を見ると直方が震えている。井波が僕の目線を追い直方に声を掛ける。


「大丈夫!? 僕も緊張してるけど…頑張ろうよ!」

「鈴沢さん…鈴沢さんって…今期アニメのザ・ガーディアンズの音監だ」

「嘘ぉ!?」

「ええ!?」 


 酒巻と井波の声が注目を集め、驚きが教室中に伝播する。その作品や鈴沢さんのことを知らない僕がけがキョトンとしている。


「誰なの? 有名な人なの…?」

「紀川君! 本気!? 鈴沢さん、マイマイ・メルメってやってたでしょ!? 忍、子供の時おもちゃ買ってもらったよ!」

「柳は知ってる?」

「なんで紀川は知らないの?」


 皆が口々に「あのアニメやってたから演技のパターンは…」とか言いながら作戦を考える。1年生も一気に盛り上がり、教室が皆の練習の声で一杯になる。その声に押し出されるように僕は隅でアップを続ける。


  審査員は百戦錬磨の声優を相手にしている2人、僕らを見て何を感じるのだろうか。『どこにでもいる声優志望者だな』そう思われるのだろうか。最高と思われたいし、使いたいと思って欲しい。そのためにここにいる。だが相手がほしい物を提供するだけで良いのだろうか。僕は凡人でアニメは普通に好きなだけ。業界に関しての知識も無い。だからこそ、異質でいればいい。勝負前の緊張が良い感じに感覚を逆転させてくれる。順番が回ってきて名前が呼ばれても不安は僕を包まなかった。1年かかったが僕はこの足で立っている。ブースに入ると自己紹介をするよう促された。


「紀川修です! ただ、もう思いっきりやります! 本日はよろしくお願いします!」


 ブースの外には資料を見ているのか、下を向いている鈴沢さんと目をつむって背もたれに体を預けている三上さん。鈴沢さんがゆっくりと顔を上げて柔和な表情で僕を見る。


「好きな声優さんはいるの? 憧れている人とか」

「樋浦勉さんが好きです」

「シブいね」


 問いの答えを考えてはダメだ。相手がほしい答えを推測するな。目の前の2人は紀川修に会いに来た。時間を割いてここに来た。ならば嘘は無しだ。僕を見に来てくれた人に嘘は吐きたくない。鈴沢さんの次は三上さんが僕を指差し口を開く。


「ギターウルフ好きなの? Tシャツ、そうだよね?」

「え!? はい……高校の時に狼惑星ってアルバム聞いてから好きです」

「ふうん」


 どう答えれば良かった?マジでなんなんだ。この質問にも正解が存在するのか?


「じゃあはじめるね。向かって右側の紙を取ってください」


 切り替えろ。台本に手を伸ばし、セリフを見る。


 ■キザな感じで女の子をナンパしてください

 ■お腹が空いている太った人を演じてください

 ■元気いっぱいのサッカー少年です。明日の試合の意気込みを語ってください

 ■子供に昔話を聞かせてください


 セリフじゃない。どういうことだ。帰らせてもらおうか?違う。なるほど、そういうやつね。わかるわかる。


「上から1つ30秒以内でやってください。いつでも大丈夫です」


 はじまった。いや、最初からはじまっている。だからまっすぐにやる。ただ届けるように。僕らはそれだけやってきた。軽くジャンプする。声を出せ。誰かと話すのと同じだ。佐倉と話すみたいに自然に話せば良い。対象を決めろ、距離を決定しろ、立ち位置を想定しろ。


「ねえ彼女…」


 思ったよりも声が低く出てしまった。だが失敗と考えるな。こいつはまだナンパが成功する確信を得られていない。バクチとして声をかけた。声をかけたらどうなる?女は止まるか無視だ。止まったと仮定しよう。止まった。嬉しい。じゃあ自然と声は高くなる。どう声を高くする?まず音を頭で鳴らす。イメージでやるだけだが不思議と声は高くなる。そしてその音を加工する。キザな感じでだ。なるほど。口角はこういう時に使うのか。


「俺とお茶しない? 大丈夫大丈夫。ごちそうするし、帰りは車で送るからさ。何笑ってるの~? 顔に何か付いてる? う~ん? 何も付いてないなあ?ほら!良い店知ってるんだ!」


 【う~ん】からは鏡を見ているようにじっくりとやる。独り言のようなニュアンスを入れて声の距離感を変える。【ほら】で眼の前にある鏡から50cm離れた場所にいる女に対象を切り替えろ。何秒やった?15秒あったか?いや、30秒以内って指示だ。短くても問題ない。堂々とやりきれ。


 ブースの外をチラリと見ると全員が下を向いたまま無反応。音のない空間にいると耳の中からキーンと音がする。心臓の音も聞こえる。負けてたまるか。次は太った人か。デブは何を食べる?焼き肉?ハンバーガー?そう言えば三宮でホットケーキを食べた時、舞野と柳に「すっごい太りそう」って言われたな。ホットケーキ、バターとシロップの香り。完全にデブの食べ物だ。


「僕はママが作ったホットケーキが一番好きだよ! た~っぷりとバターをかけて……トロトロのシロップ……大丈夫だよ! 飲み物はダイエットコーラだよ!でも…隠し味に…シロップ入れて良い?」


 下を向いている鈴沢さんが何度か頷いた。間違いじゃない。いや、間違いとか正解とかはどうでも良い。人間としての礼を尽くせ。生きてきた時間のすべてを叩きつけろ。人生を今見せずにいつ見せる。


 次、サッカー少年。できないぞ。一番苦手だ。レッスンで少年をやると「首を絞められた時の声」と井波に爆笑された。井波もサッカーが好きで理由を聞いたら「わかんないけど好き!」と言っていた。そうか。ただ純粋にサッカーが好きなんだ。細かいことは良い。サッカーが好きと伝えろ。でも少年声だけはマジで出ない。何秒止まってる?30秒も経ってない。

 考えろ。時間を稼げ。嘘の咳を入れて喉を整えるフリをしろ。高い音は口角を使って…それじゃ1つめと声が似る。複数の役をやらせるってことは声色の種類と演じ分けをみたいのか?声のストックをしまいこんでいる心のタンスをひっくり返していると「なし」と書かれた紙が出てきた。ないか。ないな。ないんだな。うるせえ。それでも役者はやるんだ。


「サッカー大好き!!」


 全力で、ただ全力で、一番大きな声を本能で出した。少年がはじめてボールに触れたように、親から教えられた「サッカー」が楽しかった。それだけの思い。純粋な思いを全力で出した。

 4つめは記憶にない。サッカー少年に引きずられて年配男性は徘徊老人になりお菓子の国へ旅立った。僕は完全に力を出し切り学校を出た。天王寺から阪和線乗り、椅子に座ると失神するように眠ってしまい、気が付いたら堺を超えて日根野で目を覚ますほどに消耗していた。


 月曜日学校に行くと「どういうことをやった?」と、皆が井波や八木沼に聞いている。僕に聞かないのは受かる算段に入っていないからだろう。最初はもしかしたらと考えていた。しかし、相手の出すオーダーにちゃんと答えられたのかは謎だ。八木沼は自信があると言っている。井波も少年が良くできたと喜んでいる。柳は「絶対に受かってるわ」と震える声を絞り出す。

 そして今、声優学科全員の前で結果が発表される。


「受かった人は東京で収録な。じゃあ早速発表するか。5人受かったぞ」


 全員が張り詰める。全生徒の前で発表される。やる気に繋がる人間もいるだろうが、受けた身としては辛い。僕は舞野、柳、佐倉と一緒に一番後ろから緊張に包まれた教室を眺めている。間垣先生は紙を開き、確認するように目を動かす。左手に温かい感触。横目で見ると佐倉の手が僕の手に重なっていた。


「まず女からいくか。酒巻」


 悲鳴にも似た喜びの声が聞こえ、その後に拍手と酒巻を称える声が聞こえた。


「次は柳」

「うわあああああああおおおおおおおおおおおえあああ!!!!!!」


 KOF97の暴走庵の勝ちポーズ体勢で吠える柳。嬉しすぎて色んな部分がショートしたのか。両手を上げ宙を掴む。その手で、本当に掴み取ってしまった。数秒するとその状態で顔がくしゃくしゃになっていく。涙が流れると同時に座り、膝に顔を埋めて号泣しはじめた。舞野が柳の頭を撫でると、構うなと言わんばかりに手を払う。それでも舞野が続けていると、観念したように体ごともたれ掛かった。


「次、これはびっくりした。沢村」

「え!?」


 沢村が大きな声を出したのをはじめて聞いた。歓声は起きずに教室をざわつきが支配している。


「女はこれで終わり。次は男」


 前の方では八木沼が酒巻の肩を抱き、名前を呼ばれるのを待っている。井波は直方たちと真っ直ぐに背を伸ばして声を待つ。1年生達も『もしかしたら』があると感じて声を待っている。


「まずは井波」

「やったー!!!」


 子供のようにぴょんぴょん飛び跳ねる。みんなも拍手を送り、応えるようにガッツポーズ。選ばれるのはあと一人。神になんて祈らない。やるべきことをやった。


「最後は前原!」


 誰だよ?立ち上がった人を見ると違うクラスの人だった。左手を掴む力が強くなる。僕はその手から逃れ、冷たいフローリングに拳を押し付ける。


「じゃあ名前を呼ばれた奴らは職員室まで。諸々の説明をします。あと、紀川もちょっと来て」


 返事ができない僕の左手を再度温もりが包む。今度は、強く握りしめた。

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