第24話 いつか見た夢の場所で
「あ、富士山…」
6月、僕らは新幹線に乗って東京へ収録に向かっていた。台本にはこれ以上書き込めないほど書き込みをし、数え切れないほどの練習をし、水堂先生から覚えきれないほどのダメ出しをされた。そんな仲間たちに僕は奇縁としか言えない縁で同行している。
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「って事で今回のはOVA、オリジナルビデオアニメーションな。酒巻、柳、沢村、井波、前原は役があります。紀川はガヤで来いってさ」
「ガヤ…ですか?」
いわゆるモブ、場面を作るために色々と喋ったりする名前が無い役だ。
「三上さんが妙にお前を気に入っていたよ。なんだっけ…好きなバンド?」
「ギターウルフ?」
「そうそう、ギターウルフ好きの子も連れてきてくださいってさ。三上さんも好きらしいぞ」
決まり手:ギターウルフ
「簡単に鈴沢さんからの感想を伝える、酒巻は相手が欲しかった声とかとガチっとハマったらしい。柳は演技面でベタ褒めだった。次は沢村、沢村もハマったらしい。井波は1番目立っていたってさ。それに絵に描いたような少年声も良かった。前原は落ち着いた声で基本がちゃんとできるのが評価された。紀川は色々できそうってのと三上さんの好み」
「好みですか…」
「大抵の場合は好みで決まる。なんにしてもおめでとう」
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セリフの無い役をやるために東京に向かっている。「なんだなんだ!?」「うわ!バケモノ!」「火事だ!燃えてるぞ!」場面に合わせ、背景としてセリフを付ける。最初に作品のビデオテープを見た時は衝撃を受けた。ビックリするほどできてない。所々線画になっていて、ガヤの所は【ガヤ】と画面に出るだけだった。OVAだからこれでもまだ絵はできている方らしい。
小さな役とは言え、役付きの皆は大変そうだった。まず役の表情が読めない。動きが見えない。タイミングが取れない。土日も学校を開けてもらって練習の嵐。沢村は最初こそ戸惑っていたが、酒巻や井波が練習後にしっかりと教えることでその類まれな才能を作品に乗せることに成功していた。
すぐ近くでクラスメイトや下級生が役を手に入れ羽ばたいていく。そして学校の名誉のためにも間垣先生や水堂先生が徹底的に教える。スタジオマナー、新人の心得、マイク前に移動する時の動き方、余計な音が出ない服装など、新人に必要なスキルを一気に叩き込まれる。もちろん普通のレッスン並行して受けている。去年は舞野と南の二強だったのが、舞野と柳の二強になり、男は井波がずば抜けて良くなっている。クラスが違うので普段は会わない前原も特別レッスンのたびに良くなって来ている。積み重ねが増えると、自然と自分自身の立ち位置がわかってくる。そして周りとの距離をどこまでも残酷に指し示す。
東京駅は新大阪と全く違っていた。551がない。赤福もない。人が多い。本当に多い。大阪だって都会だぜなんて嘯いていたが圧倒されてしまった。少し時間があったのでファミレスに入り、間垣先生と最終確認をして今に至る。
「そろそろ行くか」
空気が張り詰める。間垣先生が立ち上がるが僕らは座ったままだ。
「めちゃくちゃ怖いだろ。今の気持ちを絶対に忘れるな。プロとしてやってこい」
その言葉をキッカケに柳が立ち、僕らも続く。スーツを着たビジネスマンの川を声優志望者が泳ぎ抜け戦場に向かう。
「情けない演技したら佐倉に言うからね?」
柳にしては珍しくケラケラと笑う。
「こんな毎日、憧れてたんだよね…そやけど…まだ足りへんわ。26年も待ってたんやもん」
「年上なの!?」
「高校卒業してからずっと引きこもってた」
「河内さんとそんなに離れてなかったんだな……」
「だから河内が来なくなったのもなんとなくわかる」
誰にだって物語がある。僕にもある。あるはずだ。河内が戻ってくる時に、僕の物語を渡す。いつだって誰だって取り戻せる。
エレベーターから出ると声優雑誌で見たことがある景色が広がっていた。ソファに机、隅に灰皿、ドアが幾つかあり、それぞれがナンバリングされている。
「あれ…あの人…」
酒巻がソファに座って台本を広げている人を見る。声優雑誌で見たことがある。別の場所にはコーヒーを飲んでいる声優、タバコを吸ってる声優、雑談している声優。思い思いに過ごしているが、あのドアの向こうに入れば誰もが唯一無二の演技を叩きつける。ここは紛れもなく仕事の場だった。一切キラキラしていない。誰もがギラギラしている。夢ではなく現実の職業としての声優の姿がそこにあり、想像以上の美しさを放出している。僕らだって仕事だ。仕事をしにきた。間垣先生がドアを開けると学校のブースとほぼ同じ部屋が広がっている。音響スタッフたちがいる席に向かうと鈴沢さんと三上さんも座っていた。
「今日はよろしくお願いします。まだ皆さん揃ってないので中で待っていてください」
「がんばってください」
ニコニコした鈴沢さんと椅子に深く腰掛ける三上さん。三上さんを見ると。ジャケットの下にはギターウルフTシャツが輝いていた。Tシャツから目を離せずにいると三上さんの口角が少し上がり、左手でゆっくりとメロイックサインを作る。
ブースに入ると椅子が10程並んでいる。ドアに一番近い席に座る。どの椅子を座るかにもルールがある。マイクの前に位置していて1番移動しやすい場所にはメインやベテラン、新人はドアの開け閉めを行うためにドアの近く。全員が台本を出して最後の確認作業に入る。あの日見た夢まであと25分。
「おはよーございますー! 今日はよろしくお願いしますー!」
無音を切り裂く声が緊張のレベルを一つ上げた。入ってきたのはメインキャラの一つを務める和泉愛さん。日曜日、朝食後の流れで見るアニメにも出ているベテランだ。そんな第一線のプロと一緒にやる。
間垣先生に教えられた通り、学校名と名前を入れて元気よく挨拶を返す。1人ずつ次々に声を出していく様はドキュメンタリーで見た刑務所の点呼のようだ。一連の儀式が終わると和泉さんは一人ひとりにニコニコしながら小さく頭を下げて「よろしくね!」「元気いいね!」など一声掛けてくれる。
「あなただけ1年生なの? 入ったばかりなのに凄いわね~! 思いっきりやるのよ!」
「ひゃい!」
和泉さんの存在が渾身の右ストレートとなり沢村の脳を揺らした。いつも冷静な沢村が別人のように浮足立っている。
「私……和泉さんのファンで……」
「ありがとねー! でもね、ここじゃ対等だからさ。一緒に頑張りましょ!」
ありがたくも恐ろしい。ここでは学生もプロも関係ない。各々が声優として存在している。そんなことを考えているとまた誰かがブースに入ってきた。次々に到着する声優全員に学生全員が全力挨拶。空いている椅子が少なくなるごとに僕らの緊張が高まっていく。
「本日はよろしくお願いします。テストの前に別録りの場所をお伝えしますのでチェックをお願いします」
全員がペンを取る。音声が数人被る箇所などは後で1人ひとり録音していく。その箇所をチェックする。プロが毎回やる行為、それを学生である自分がやっている。現実感が全くない。文字を上手く書くことができない。まさか、緊張している?緊張しているのは全員だ。だけどここまで緊張するのは初めてだ。僕に役はない。それなのにここまで緊張するなんて。
緊張できるのは幸運だ。この時間、大阪に残ったクラスメイトは演技のレッスンを受けている。向こうも今頃は「あいつらは収録か」と思っているだろう。申し訳ないなんて思うな。完璧にやりきって「ありがとう」と伝えられるようにやれ。僕らの夢は、夢に殺された人間の上にある。
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