第6話
何度も何度も小さい時に読んだ作品をまた読み続ける。今までは読むために読んでいた。今は【聞かせる】ために読んでいる。読んで中にどんな意味があるのかを【呼んで】いる。
入学してから読む事と聞かせる事の違いを叩き込まれていた。今まで言葉は自分のためだけにあった。でもこの学校に入ってから言葉は自分だけの物では無くなった。鏡の前に座るチームの面々、僕1人が立ち上がり朗読台本を呼んでいた。
「寒い冬が北方から、狐きつねの親子の棲すんでいる森へもやって来ました」
「紀川、普通すぎない?句点の位置とかもう少し変えて良いと思うわよ」
「俺もそう思うな」
「河内さんどういう風に読む?」
「『寒い冬が』のあとに、句点半分くらいの『切りきらずの間』を置くかな」
「紀川! 単純に声が良くないわ! 個性無いと思う!」
「多田く~ん! 言い過ぎ~!」
たった一文読むだけでここまで言われる。皆と同じ時間学んできて、皆以上に練習をしてきたつもりではあったが、この言われようだった。なぜかと言えば僕は下手だったからだ。自分の実力を知る。それはどんな苦痛よりも痛く、どんな恥辱よりも耐えられない。まるでグレムリンを光の下に引きずり出すような物だ。全身がボコボコと泡立ち溶けていく。溶けられるならまだマシだ。人生は続いていく。
自分をどれだけ嘘で包み隠しても能力は隠せない。ドラマとかで奇跡のように上手くいく瞬間があるが、それは嘘だと思う。まだ入学して4ヶ月の僕にも分かる。【やった事しかできない】のが分かる。僕はやってこれなかった。入学してからの4ヶ月、声優に憧れたまま時間だけ過ぎていってしまった。
直方が文章を読む。上手いとは感じないが確実に僕より上手い。河内が読む。落ち着いた声でサラサラ読んでいく。味気ない感じはあるが、ナレーションとしては上出来だ。舞野も読む。流石の一言だった。情感豊かに、そして聞く人間の頭には風景が浮かび、物語の中にいるキャラクターが自由自在に動く。酒巻が読む。特徴的アニメ声、だけどもだからこそ飛び跳ねるように、頭の中では一本のアニメが再現されるように聞こえる。多田が読む。アクセントも関西弁混じりだけど聞ける。自信がある。自分ができる事を精一杯やる。やりきっている。南が読む。少女の様な体からは想像できない安定した読みだ。まるでお母さんが子供に聞かせるように読む。
妙に冷静だった。僕以外の人間はやるべき事をやってきていた。正直にやってきていた。僕との違いは失敗を恐れない部分だろう。僕はこの4ヶ月失敗を恐れていた。講師が皆の前でダメ出しをする。最初のダメ出しで僕は怖くなってしまった。それからずっとだ。「注意されない方法」を選択して本質的なことから逃げ続けてきた。
「周りの皆を聞いて練習している」そんな嘘を吐いて過ごしてきた。
「紀川さあ、もっとちゃんと基本をやった方が良いわよ」
「わかってるよ」
「なんか、形だけって感じなのよね。何だろう…面白くないって部分は河内さんもそうだけどさ。何か一枚あるのよね。表現になってない」
「じゃあ…どうすれば良いのかな…」
「表現の手前にさ、【表出】ってのがあるのよ。私はそう習ったんだけど」
他人に興味を示さない舞野が静かに語る。驚きがあるが、言い換えればそれだけダメなのだ。
表出
「思ってる事とか感じてる事とかさ、表に出すのよ。レッスンでもやったじゃない。大きな声で笑ったり、無理やり泣いたりとかしたでしょ?」
確かにそんなレッスンはあった。僕はそのレッスンが何よりも苦手だった。感情を、自分の本心を人に見せるなんてやってこなかった。それは恥ずかしいことだと教えられていた。少しの恥ずかしいことから逃げていたらそのツケが回ってきた。皆が驚いている。僕はレッスン終わりにも学校に残って練習していた。練習量で言えばクラスでも上位に入っていた。僕は知っていた。それは練習を人に見せる為の練習だった。
いつだってそうだ。何をしてもだ。戦うべき場所、リングに立たずに生きてきた、戦わなければ行けない時は決まって適当な冗談とつまらない嘘で逃げてきた。僕はやはり島田だったのかもしれない。またはそれ以下。
「紀川、言葉は悪いけど…カッコつけるの止めようよ」
直方が僕を見据えて言う。カッコつけてるんじゃない。怖いだけだ。声優専門学校に入ってしまった。という事はもう声優になるしかない。それかドロップアウト。どっちも修羅道だ。まだ、まだ覚悟が決められていない。まだこの状態なら一般の生活に戻れるんじゃないかと考えてしまう。皆は不安じゃないのか?この不安を抱えているのは僕だけなのか?聞いてもわからない事は無いって事だ。
笑ってしまうような偏ったチーム編成。間垣先生は適当に決めたと言っていたが何か大いなる意思が働いている。直方渡、河内泰、多田幸太郎、舞野紗英、南涼子、酒巻忍…上手いか個性的か。僕はどちらにも属する事ができていない。そして佐倉巴もそうだった。佐倉はニコニコしながら皆からのダメ出しを受け止め、それなりに活かそうとしているが中々どうにもなっていなかった。
「普通」それが僕と佐倉が持つ最大の弱点だった。普通なのだ。上手い下手はもちろんだが、声優的な、役者としての教育を受ける中で最大の足かせが「普通」だった。もちろん普通を分かっていないと特異な事をしてもわからない。しかし、普通に生きていたらある程度の「普通」は養われている。一つの起点からどうやって飛び抜けた状態になるのか?入学してから今までそんな練習ばかりだった。
演技をは普通の事をやらないと講師が言っていた。「誰かになって誰かを演じるのはそれだけで異常事態です」と言って、どんな異常事態にも耐えられるように表出を体に覚えさせる。多少文章を読む事ができたとしても、それは体から湧き上がった物じゃない。上っ面の声となって誰にも届かず響かない。
「もー! 紀川君も巴ちゃんもさあ! もっと必死でやったら!?」
南が普段とは違う厳しさを見せる。演技の事になると真剣になる。それは南だけではなく、僕のチーム全員、厳密には僕以外がそうだった。能力的にも気持ちの面でもチームの足を引っ張ってしまっている。そして、足を引っ張ってしまっても立ち止まらない。できなかったら置いていかれる。専門学校と名乗ってはいるが、出来ない人間を育てる所じゃない。出来る人間を業界に輸出していく港のような場所だ。僕は不良品としてベルトコンベアーからゴミ箱に送り込まれるジャガイモかもしれない。薄笑いを浮かべて「がんばるがんばる」としか言えなくなった僕を助けたのは河内の声だった。
「じゃあ今日はこれで終わろうか。明日はまた配役変えてやってみよう」
「おつかれ~! 忍もっともっと練習する~!」
「俺も付き合うわ! 忍ちゃん大好きだから!」
「嬉しくな~い!」
多田と酒巻がキャッキャしながら教室を出ていくのを目で追う。皆、本当に楽しそうに毎日頑張っている。僕は頑張れているのだろうか。どうすればこのダメサイクルから抜け出せるのか。アニメとかをもっと見れば良いのか?こんな人達の中でどうやって行けば良いのかまだわからずにいる。どこまで進めば良いのか。基準が無い。何をどこまでやれば良いのかの基準が全く無い。わからないなりに多くのレッスンを受けて多少はレベルアップしているかもしれない。でも、どこまで高めれば良いのか。「今」の段階で「どこ」までできていないとダメなのかが見えない。
「ご飯でも行く?」
「え……えっと……うん!」
僕はチームの落ちこぼれ同士で学校を出た。適当なチェーン系定食屋で落ちこぼれにお似合いなジャンボメンチカツ+焼きそば定食(サービス品)を食べる。適当な話をして今日のダメさ加減を見ない事にした。佐倉は意外とよく喋った。そして周りを見ている。多くの人の多くの言葉から多くを分析していた。
「なんだか…皆がすごくて私なんにもでけへん感じなんが辛いな」
「わかるわ。なんて言うたらええかわからんけど、皆ちょっと普通と違うよね」
お互いに学校を出たので関西弁に戻っている。僕は定食をたいらげ、佐倉は親子丼を半分ほど食べ、なんとなく学校の近くにある河川敷に向かうことにした。年に一度、大阪でもかなりの規模を誇る花火大会が行われる。今はランニングをしている人や犬の散歩をしている人がいるだけの静かな場所だった。ベンチに腰掛け、川を隔てて南側、中津方面の看板や梅田のHEPにある観覧車を眺めている。ビルの中にはまだ明かりが灯っている所もあり、その明かりの数だけ誰かの生活があるんだなと感じた。ビルも少ない北側は暗く、僕の生活と同じ色をしていることに少し笑ってしまった。
特に話すことも無く、ぼんやりとしている。ちらりと佐倉を見ると少し震えていた。
「寒い?」
「え…?」
「いや…震えてるからさ」
「うん…」
佐倉はそれっきり黙ってしまった。顔からは笑顔が消えてうつむいている。何か悪い事を聞いてしまった気になり、ごまかすために立ち上がって伸びをする。「帰ろうか」と口に出そうとした時に
「ごめんね、私…男の人苦手で…」
「…? ああ…うん…」
「紀川君嫌いとかそんなんちゃうねん! でも…小さい時、変な人に抱きつかれた事があって…それで…」
表情を伺い知ることは出来ないが、声は震えている。体の震えと同調して、機械的な声になっているが、なんとかそれを隠そうとゆっくり、一音一音丁寧に話している。少しして落ち着いたのか、顔を上げた佐倉はいつもと変わらない笑顔で少しだけ涙を溜めていた。
「皆と一緒やったら大丈夫やから、紀川君と2人でも大丈夫かなと思ったんやけど…まだちょっと緊張してしまって…紀川君はクラスメイトやし大丈夫やと思ったんやけど…」
「気にせんでええよ」
「でも…昔は皆とおっても…男の人ってだけで話されへんかってん…なんか失礼やんな…」
「ええよ。そういうの良く分からんけど…うん…」
「私な、声優なりたいっていうのは当たり前やけど、自分を変えられへんかなって思ってさ」
「…」
「それで入学した部分もあってさ、もう入学から3ヶ月経つのに…まだちょっと…」
「ええって」
「この学校入って良かったと思う。私、こんなんやけど…中学の時とかより、ちょっとずつ強く慣れてる気がする。皆、頑張ってるやん? だから私も頑張ろうって思っててさ」
「……」
「ほんまは…紀川君に誘ってもらって嬉しかったんやけど…まだちょっと…ごめんね…」
「ええからさ」
佐倉以外にも、「何かを変えよう」と思ってこの学校に入ってきた人間が多いと思う。あの狂乱の自己紹介でもそれが出ていた。特に河内なんて一度狂ってからここに入ってやり直そうとしている。酒巻は大学を出てから入学してるんだから覚悟を決めているのだろう。舞野も本命だった所がダメだったのもあるけど、何かを取り戻そうと、現状を変えようとして入学をしている。多分、直方も、多田も、南にも何かを変えたい衝動が心を突き動かしているんだろう。そんな事を考えると僕の気持ちは更に暗くなり、この風景に溶け込んで認識できない程に色を無くしてしまいそうになる。
「紀川君は…良いよね」
「何が?」
「何ていうんやろ…凄く…言い方は悪いけど、凄く普通でさ。こんな学校やんか? 私もアニメとかめっちゃ好きやし…皆何かしらそんな雰囲気やんか。でも…普通で、普通のまま声優を目指せるって…それは凄く良いことやと思う」
僕だけだ。僕だけが何も無く、信念や目的を持たずに学校に通っている。声優にはなりたい。でもそれは目的じゃなくて前提だ。声優になりたくなかったら声優専門学校になんて入ってない。両親を説得もしていない。毎日人にダメだダメだと言われて苦しみながらも通ったりしていない。僕は何をしたいのだろうか。多分、おもしろおかしく生きていきたいだけだ。でも、その覚悟がまだできてない。その覚悟をしなければいけない。それも今すぐにだ。
「朗読、上手くいったらええなあ」
佐倉の目が輝いているのは梅田の光が写っているからじゃない。僕もああならないとダメだ。今までの自分、逃げっぱなしの自分を変えなければダメだ。逃げて弱い自分なんて真実を隠すと決めたのだから。
特殊な場所で特殊な人と出会い、「自分は特別普通だ」と思っていた3ヶ月だった。一般的な場所ならばそれでも問題は無いだろう。でも、ここは違う。声優専門学校は違う。僕は悲しい事に普通だ。でも、そこから変化を付けて変わっていかなければならない。何がどう変わるのかはわからない。ただ、少しだけでも「やってみよう」と感じることができた。
「帰ろっか。明日からも頑張ろうや」
「うん! また…ご飯誘ってな!」
地下鉄の改札で分かれ僕は堺方面に戻る。むわっと暑い車内で僕の心も静かに熱を帯びだしていた。その熱は大国町を過ぎる頃には止められなくなり、阪和線に乗り換えて堺市駅で各駅停車を待つころには弱い僕を溶かしてあるべき場所に収まっている事に気がついた。変えるべきだ。何かを。十代独特の移り気な衝動が湧き上がる。移り気だからこそ強く胸に落とし込む。
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