第29話 10代が終わりバカは踊りの意味を知る

 ひたすらに練習を続けていると9月も終わりに差し掛かってきた。舞野からはナレーション、柳からはセリフ、八木沼からは声の作り方。多田には「僕の声質に似てる声優を教えてくれ」と頼んだら、大量のドラマCDを持ってきてくれた。結局はやるしかない。やらなければ意味がない。どこまでも普通で、劣等生な自分を誤魔化してもしょうがない。やるべきことをやれるだけやるだけだ。


 河内は意識を取り戻し、少しずつ日常に戻っているらしい。僕は血反吐を吐いてやるしかない。朗読発表でエンジンがかかった時を思い出す。純粋な気持ちは多くのテクニックや知識を手に入れると簡単に鈍重になる。なぜ声優になりたいのかの思いはハッキリしていない。それを待っている時間もない。納得できる答えが見つかるまで迷うのは人生への傲慢だ。わからなくてもやらなければならない。あの時、一週間以上レッスンを無駄にした。基礎ばかりの入学当初ならすぐに追いつけたが、テクニカルな部分が増えてきた今では一度逃すだけでも大ダメージだった。腐っていた時のレッスンは講師の言葉を全てメモする直方に尋ねおぼろげながら取り戻した。


 今日は水堂先生のレッスン。題材はアニメのアフレコ。何をやってもクラスで一番上手い人間になんてなれない。うっとりするような美声も出ない。だからそのままやる。できないのならできないで良い。その代わり、できる限りの最大限をやる。余計なテクニックはいらない。多くを学んできたがそれは出さない。技術に頼ると言葉への思いが少なくなる。多くを噛み砕いて体に入れたのなら、何もしなくてもにじみ出る。


「ストレートに出してきたわね。紀川君はアニメをやりたい?」


「アフレコに参加させてもらってわかったのですが……やりたいけど向いてないと思います。僕がこのまま成長していけるなら、洋画で勝負したいです」


 水堂先生は普段は見せないとびきりの笑顔でゆっくり頷いた。言葉一つ一つに真実を乗せる。プライベートでもレッスンでも。それを続けていたら「相手がどんな答えを求めているか」を考えなくなり、自分はどうしたいのかがおぼろげながら見えてくるようになった。


「私もそれで良いと思うわ。そういう事務所を受けるんでしょ?」


 そのつもりだと答えたが、オーディションが目と鼻の先に行われることに恐ろしくなる。努力するしないに関わらず同じスピードで毎日は過ぎ審判の時が近づく。僕のあとには直方が発表。無理やりアニメっぽくやって失敗するが、この自分を貫き通す姿勢は大切だと感じ、尊敬すらしてしまう。


「ドンマイ」


「ほう? 偉くなったものだな?」


 前言撤回。尊敬はない。


 次の日は1年生の発表だった。あの時の僕らと同じように舞台の上に立つ1年生。最初に河内に助けて貰ったのもこの時期かと考えると、時間の密度が更に増す。必死で声を出し、創意工夫する後輩を見ていると、上手くやろうという思いが薄いのを感じる。1年生はテクニックなどを駆使しているつもりだが、溢れる何かが全てを覆い隠してしまう。抜群に上手い沢村もそうだった。アフレコの時とは数段上にいる。基本を学び、自分が持つ力を振りかざすことができる。だがそれをしない。できないのだ。舞台から照射されるエネルギー、僕ら2年生がこの舞台を見る意味がわかった。忘れかけていた思いに色彩が宿り、脳に直接流れ込んでくるが、上手く言葉にできない。


 発表を全て見終えた僕らは集まって感想を言い合う。誰々が良かった、どの班が良かったと言い合いながら、僕も他人の発表をしっかりと見ることができるまでに復活していることを実感した。


「やっぱり……沢村は別格だね……私の方がうまいし負けないけどさ」


 皆が無意識に避けていた話題を口にしたのは柳自身だった。

 成長のスピードはそれぞれだ。急速に伸びた柳や井波、積み重ねてきた佐倉、行っては戻りを繰り返す僕。最初から能力だけはブチ抜けていた舞野も、こういう場に参加して皆と話すようになっている。これも成長の形なのだろう。


「ふむう? 甘い所も多かったが? ま、それ以上に大切な物は見せて貰えたね」


 何を?の問いを待つ直方。いつもなら完全に無視するが、何となく答えを聞いてみる。


「ほう? 気になるか? そうだな…誰もが、そこに存在したいって思っていたんだろうな」


 誰もが…の辺りから芝居がかったように目線を上げたのは完全にどうかしてると思ったが腑に落ちた。そうだ、この世界に存在したいのだ。そんな純な願いからだった。声優を目指すのもこの世界に存在したいから目指すのだ。芝居はお互いのエゴをぶつけ合う行為だと感じている。そのエゴの中で一番大きくて大切なのは「この世界に存在したい」だ。これをいつしか忘れてしまう。そして、思い出した時にはその大切さに涙しそうになる。


「はじめて直方が良いこと言ったと思ったよ」


「ま、便利屋って呼ばれてやらなくもないが?」


 左中指を眉間に当て、斜に構えてうつむきながら僕を指差す直方、それを見た舞野が超速で荷物をまとめて教室を出た。


 一応は平穏を取り戻した日常の先に、進路という最大の敵が現れた。


「直方君…やりたいことは分かるけどねえ…君はアニメでやっていきたいのかな?」


「無論です。ああ、まあ別の仕事が来るっていうなら拒む理由はありませんが?」


 講師が説得しようとするが直方はアニメにこだわっている。入学前からアニメを狙っていると聞いていたが、経験を積むと適性という言葉の残酷さもわかってくる。

 僕らは来年には商品になる。音声を求めている作品にマッチするかしないかの商品。やりたいジャンルとやれるジャンルが同じとは限らない。僕は学校でのレッスンや東京での収録を経て、アニメを狙うには厳しいと感じ洋画の吹き替えの仕事が多い事務所に狙いを定めた。

 そして進路のために必要な物がある。金だ。皆と声優や進路談義をしていると、結局はその話になる。能力は努力でなんとかできる部分はあるが、金についてはなんとかできない部分もある。卒業までに入れるバイトの時間を計算し、上京のための費用はもちろん、賃貸契約費・養成所合格の場合の学費・バイトが決まるまでの生活費なども用意しておかないといけない。

 実家が太い舞野に尋ねると「親が全部出してくれる」との答えが返ってきた。僕は小学校の頃から親がほぼ全額を親に預けていたお年玉とバイト代でなんとかする。


「柳はどうするの?」

「あんたも親が出してくれるんだっけ?家ではお母さんにめぐたんって呼ばれてたし溺愛されてるもんね?」

「あんたなに言っとう!?」


 逃げる舞野を真っ赤な顔で追いかける柳。対照的に真っ青な顔の八木沼が口を開く。


「ぶっちゃけヤバイ。どう考えても足りない。先週も服買っちゃったし……早めに進路決まったら学校休んでバイトしまくらないと……忍とも最近ケンカ多いし……疲れるよ……」


 練習を重ね、レベルアップし続けないと東京の事務所に行くことはできない。しかバイトを怠ると東京には行けない。クラスメイトの中には上京先でルームシェアを考えている人もいる。毎日が慌ただしくなってきた。もう、声優専門学校の学生としての最終段階に入ってきているのだ。


 時間は多くを与えてくれるが、それと同時に奪っていく。バイト、練習、恋愛、仲間、自尊心、甘え、本心…たった1年半で多くが変わった。それは良し悪しでは決められない。ただ、その場に留まり腐るに任せるよりはマシだ。もう腐る時間もない。夢に押しつぶされた仲間を成仏させるためには、自分が夢を叶えるしかない。この世に恨みを残して転生できないのは、理由が自分にあると考えるだからだ。だったら僕が叶えることで理由の一部分になりたい。


 僕は競争の中にいる。この学校だけではなく、多くの専門学校、おこがましいがプロも含めて。競争の中では生き残らないといけない。しかし、生存戦略としてまた自分を偽ることになるかもしれないが、できる限りそれは止め、正直に自分自身を曝け出そうと考えていた。残り少ない学生生活の中でどれだけできるかはわからない。だけど、それが本当の意味で変わるということだとは理解できる。変化とは、成長の総決算であり、新たなスタートラインを設定できる場なのだ。

 そして新たなスタートライン。10月に入って数日。誕生日がやってきた。ついに二十歳になってしまった。金に困っている八木沼がビールを買ってくれたり、舞野がとんでもなく大きな花束をくれたり、柳が人気漫画の男性キャラが大変なことになっている薄い本をくれたりと、トータルでは良い感じだった。ただ、佐倉からはおめでとうの言葉はなく、あれから話していないことを思い出した。


 学校からの帰り道、舞野から貰った花束を抱えて新大阪駅までフラフラと歩いていると後ろから声を掛けられた。体ごと反転すると、カスミ草の隙間から沢村が見える。


「お手伝いしましょうか……?」


 駅も近いが流石に持ち続けるのは厳しいので小さな荷物を預ける。沢村は鳳駅から数駅先の和泉府中に住んでいるらしく電車も同じだった。軽い地元トークなどをしていたが、話題はやはり学校のことになる。


「東京でのアフレコや朗読も本当に別格で良かったよ。もうプロでもイケる思うわ。僕とは器が違うね」

「私、1人だったら絶対に上手くできませんでした。アフレコ決まってから、柳先輩が教えてくれていたんです。つきっきりで指導するとかじゃなくて、私が練習していたら近くに来て、お芝居を見せることでどうしたら良いかを教えてくれました」

「最初は狂犬みたいだったよ。沢村さんをめちゃくちゃ意識していたしね。沢村さんがおらんかったら、多分柳はあかんかったやろな。ええライバル関係やんか」


 話の流れで僕ら二年生をどう思っているかも聞いた。舞野や酒巻、井波の名前を挙げてキラキラした目で「私もあそこまで上手くなりたい」と話してくれた。そして次の言葉には耳を疑った。


「紀川先輩も凄いと思います。自己紹介の後にも少し言いましたけど……信じていなかったですよね?」

「流石にお世辞くらいは分かるよ。アフレコでも分かった思うけど、僕はあんなもんやしね」

「そんなことないです。紀川先輩が一番……勇気があると思います。私、演じることはできても、自分を出すことなんてできないです。私たち1年は舞い上がっていて、声優として上手くなろうとしてしまっているんです。だけど、声優ってお芝居じゃないですか?紀川先輩は役を人間として見て、思いに応えようとしているのがわかって……凄く勉強になります」


 黙って聞き入ってしまった。芝居。声優は芝居をやっている。当たり前のことを忘れてしまいそうになる。良い声を出す、アクセントを正しく言う。それより大切なのは芝居をやることだ。口酸っぱく言われてきた。芝居を「やっているか」は自分では分からなかった。いつも不安だった。最後まで自信が持てなかった部分に力が宿りはじめてきた。


「紀川先輩はそのままでいてほしいです」


 佐倉の言葉とかぶる。そのままで良い。それは何もしないということではない。自分のまま、丸裸で走る。マイクの前で、丸裸で演じ、笑い、怒り、生きる。そんな舞台が、胸の中ではじまった。


「ほんま助かったよ。あとちょっとしか学校おらんけど頑張るわ」


 沢村は力一杯頷き電車から出る僕を見送ってくれた。悲しい気持ちで出ることが多い駅を堂々と出る。新しい目標ができた。佐倉に、このままの僕を見せる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る