第27話 ティーンレネゲイド
いつもは非常階段を降りて学校を出るが、今日はエレベーターを使う。階段を駆け下りるエネルギーがない。息苦しい学校と忙しない外界を隔てる自動ドアを抜けて駅に向かうと、暑くなってきたのに長袖を着てコンビニのレジ袋をグルグル回して歩く柳と鉢合わせた。
「今日も帰んの?」
軽く手を上げるのを挨拶代わりに、すれ違おうとすると脇腹に鈍痛。柳が僕を殴りつけていた。
「まだ凹んでるん?」
話す気も無いのでそのまま駅に向かおうとすると僕の手首を掴んで引っ張る。
「また、入学当初に戻るの?」
心を抉る一言だ。何も言い返せない僕は無視して駅に向かう。僕の手首を掴み、後ろに体重を掛けた柳を引っ張りながら歩く姿は、イチャ付いてるカップルにも見えたかもしれない。あの収録で上手くいき、鈴沢さんにも絶賛された柳には何を言っても伝わらないだろう。そう考えるたびに友達が死にかけているのに自分の恥を隠すことを優先するのが嫌になる。
「帰るんやから手え離してくれへんか?」
「河内になんかあったんでしょ」
完全に顔に出てしまった。人前であまり表情を強く出す方ではないし、嘘を吐くのは慣れていたはずなのに。何も言えない僕を見て柳が微笑えむ。体も小さく、いつもは年下にも見えるのに、今日は年相応なお姉さんに見えた。
「じゃあ収録のミスと河内のことは関係ないんだね?」
収録で失敗で落ち込んで復活できないこと、そして河内のことも隠さず話した。話す必要は無かったかもしれないが、1人で抱えるには限界になっていた。そして返ってきた言葉は予想もしない形だった。
「河内のことは心配だけどさ、それを理由にできなかった自分から逃げてるのは気に入らない」
こいつ、人かよ。あまりの冷淡さに衝撃を受けた。クラスメイトが意識不明で、大学を出たとか働いていたとか嘘を吐きながら無理して頑張っていた。そして僕が余計なことをして大変なことになった。その全てを話してこの言葉が出るのか?
「紀川はここに何しにきたのよ。声優になるために来たんでしょ?アフレコで揉めた時さ、絶対に声優になるって思ってたでしょ?あれは嘘だったの?私はね、何があっても声優になる。ひどいこと言うけど……河内に何があっても関係ない」
「じゃあどうすれば良いんや?」
心からの疑問をぶつけた。本当に何をどうすれば良いかわからない。多少なりとも変われたと思っていたが何の変化もない。1年以上やってきて何もできてない。変わった部分は空回りしてやらなくても良いことをやることだけだ。
「声優になれば良い。紀川は甘えてるよ。私や河内には時間がないの。私は卒業する時には27歳だよ? 他のみんなみたいにさ、就職しようにも厳しい年齢になってるよ。それでもさ……私や河内はやりたくてここに来た。辛いのはわかってるし、毎日プレッシャー感じてるよ。将来を燃やしながら今を戦ってるんだから。私には河内の気持ちは痛いくらい分かる。嘘を吐いてやり直そうとしてるのも分かる。だから言える。河内のことは河内の責任で、紀川には関係ないよ」
「なんで柳には分かるんや?」
無言で左袖をまくりあげると、白く細い腕には多くの物語が刻み込まれていた。
「誰だって色々あるよ。でも、それを乗り越えられるのは本人だけだよ」
僕は自分の甘さ、そして弱さを再度実感し自然と涙が溢れていた。できない自分と隠していた不安と河内への思いの全てが混ざり言いようのない感情が体内で炸裂していた。そして衝動的にその場から駆け出してしまった。未来に向かってじゃない。考えたくなくて逃げたんだ。
次の日、僕は入学してから初めて学校を休んだ。学校に欠席の連絡を入れると、間垣先生からも色んな意味を感じられる「ゆっくり休め」の言葉を貰った。僕は乗り越えられるのか、プレッシャーに負け、仲間も助けられず、柳みたいな思いもない。考えるのも辛く、ただ布団の中で時間が過ぎるのを待ち望んでいた。河内のことも心配だがどうすることもできない。今日、布団の中にいる内に周りの人間は今より少し上手くなる。収録が終わってほぼ一週間、僕はあと数ヶ月しかないレッスンを無駄にしてしまった。
河内もこんな気持ちだったのだろうか。敵わないと、叶わないと感じてしまっている。どうやればプロに太刀打ちできるのか。どうやればあのプレッシャーの中で演技なんてできるのか、考えないつもりでもやはり考えてしまう。どんな形であれ河内と知り合い、仲良くなり、人生に影響してしまった。自分の行動がこんなに大きな輪を描いて返ってくるなんて思っていなかった。それだけ人生を舐めていた。ヒロイックな感情に酔っていた部分もあるだろう。ぶつかり合うこと自体を目的にしていた部分もある。
欺いていた自分自身が群れを成して襲いかかってきた。河内はこれの数倍の軍勢に取り囲まれたのだろう。中々過ぎない時間と格闘するために昼飯をできる限り時間を掛けて食べる。また布団に戻り、時間よ過ぎろと念じ続けている内に眠ってしまった。
電気が点いた。母親が起こしに来たってことは晩飯か。力を入れることすら拒否する体を起こし、ベッドから出ようとすると自宅に存在するはずがない人間がいた。佐倉だ。現実か夢かの判断がつかずに凝視していると、佐倉が小さく声を出した。
「大丈夫かなって思って……連絡網の住所を見て……来たの……」
あの日の河内も同じ気持ちだったのだろうか。合わす顔の無さで何も言うことができない。だけど嬉しかった。自分の心が温度を取り戻しそうになっている。座らせようにも僕の部屋には座椅子しかない。冬場はコタツにもなる机に座椅子をセットし、座るように促す。向き合うように座りしばらく経ったがお互いに言葉は出ない。確か佐倉の家は千里中央だ。駅までの徒歩を入れると90分以上かかる所まで来てくれたのだから少しでも話さないといけない。
「今日は、どうだった?」
「ダンスだったから、ちょっと疲れたよ」
佐倉がここにいる。それだけで元気を取り戻してきているが前向きな気持ちにはなれない。佐倉は少しずつ成長し、いつしか僕がいる場所から去ってしまうだろう。
「収録のことは聞いたけど……それだけじゃない気がして……本当のことを教えて欲しい」
本当のこととはなんだろうか。僕には本当のことがない。本当を作らずにここまで来てしまった。変わろう変わろうと思って進んだが、変わるというのは自分自身から離れ、自然とは言えない行動を続けることだと感じはじめている。そして何の結果も出ていない。
「紀川君は……失敗しても頑張るやん。私……そういう所が好きやねん。紀川君が頑張ってるから……私も頑張ろうって思えてん。せやから……何があったか聞きたくて……」
「オーディションがはじまるまであと少しやん? それやのに、成長できたのかも、自分が変われたのかもわからんねん」
河内のことは黙っておく方が良い。そう思い現状を一部分だけ話した。歯切れが悪い言葉だったので、全てを言えていないのはバレている。
「いくら頑張っても、結果が出ないと意味ないしな」
「そんなことないよ。結果なんて最後にあるだけやん」
佐倉が鋭く言い返す。少し怒った顔をして僕を見ている。結果は全てだ。結果に向かうために暗闇の中を歩いている。何度も転び、ぶつかり、刺され、傷だらけになって転がりながら進む。それを耐えられるのは結果が存在するからだ。そう思わないと終わりが見えない道中で発狂してしまう。
「私は後悔しないために頑張ってる。失敗しても、失敗した自分が好きでいられるように、声優になれなくても声優が好きでいられるように頑張ってる。だからずっと頑張れると思う」
いつもは佐倉が弱音を吐き、僕が強い言葉を飛ばしてきた。いや、強い言葉じゃない。自分にもある弱い心を隠すための言葉を広げていた。調子の良い時には気が付かないが、一つ躓くとそれが穴だらけのボロ布というのが良く見える。独りよがりで、弱い自分を裏切るためだけに細かな嘘を重ねてきた。それは変化ではなく誤魔化しだ。いつも人の後ろで心細そうにしていた佐倉が、僕を救うために行動している本当の変化を見て、自分のやってきたことが間違っていたと気が付いた。
弱さを隠すために行動しても変化なんてない。佐倉は弱い自分を自覚して毎日を歩き、今ここにきた。舞野も自分を肯定して変わったと言っていた。では河内は?河内は溢れ出してしまった。そして最後に注いだのは僕かもしれない。もしかしたら違うかもしれないが、違うと言い切れない。
僕はただ生きてきた、生きてきただけだった。それが何故声優を目指したのだろうか。最初はあった。それを忘れてしまっている。激烈に進む毎日、不安に纏わりつかれる毎日、その中で削られる純な気持ちを隠してしまっている。
「私の好きな紀川君は、今の紀川君じゃないよ」
佐倉が帰ってからずっと考えていた。答えは出ない。だが、言い訳を潰し、少しでも視界をクリアにしたい。まだ、間に合うかもしれないから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます