(3)

 弘蔵はおずおずと市場に足を踏み入れた。

 自然と惹き込まれたと言ったほうが正しいかもしれない。

 これまで忘れていた左手が、白い布を敷き詰めた台の上にいくつも並べられてあった。

 弘蔵は店の前で足を停め、凝っと欲しそうな目で眺めた。

「お兄さん、左手が欲しいんじゃないかい? これなんかどうだい? 値段は三年だよ、けして高くはないだろ?」

 店主であろう、髪を後ろにひっ詰めた中年の男が笑みを浮かべて言った。

 弘蔵は、その左腕を眺めながら、これがあったらどれほど明日からの生活が変わるだろうかと思った。

 弘蔵は思わず真剣に品物を吟味しはじめた。

 ―――

 それからの弘蔵は、見違えるように明るくなった。

 弘蔵を知っている人間は、だらりとした長袖しか見たことがなかったが、いまではその先から掌が出て、ちゃんと普通に動いていた。

 最初の頃はなかなか気づかなかったが、徐々に視線が集まるようになり、一時弘蔵の話題で持ち切りだったが、それも一過性のもので、次の時にはみんなそんなこと忘れてしまっていた。


 弘蔵はこれまでと違って、足が地に着かないほど毎日が愉しかった。

 しかし、左手が戻ったものの、所詮は借り物だった。

 永久に自分の躰の一部として同化したわけではないので、定期的に調整をしなければならなかったが、なくて不自由な思いをするよりはそのほうが余程よかった。


― ★★ ―

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