☆ 弘蔵という男

― ★★ ―


 大都会の生活にも慣れた頃――二十歳を過ぎた時分だった。

やはりいまと同じように蒸し暑い真夏の日で、工事現場で働いていた弘蔵は、左腕を鉄骨に挟まれ、肱から下の切断を余儀なくされた。                                   

 命に別状はなかったものの、左腕がなくなってしまうと、それ以後なかなか思うように職に就くことができなくなってしまった。

 いっそのこと郷里に帰ろうかとも思ったが、余計に心が寂しくなるような気がして、なかなか踏ん切りがつかなかった。

 二十歳そこそこで将来の夢を絶たれてしまった弘蔵の悩みは、他人に話をしてすぐにわかってもらえるほど浅いものではなかった。

 毎晩布団の中に入って思うことは、明日の朝が来なければいい――ただそれだけだった。

 何度自ら命を絶とうと思ったかしれない。苦痛の日々を過ごすうちに少しずつ酒を憶え、いつしかそれで憂さを晴らすことを覚えてしまった。

ある夜のこと、弘蔵の人生が一変する出来事が起きた。

 いま思うと、この出会いさえなければ片腕ではあるがそのほうがよかったかもしれない、と後悔すること頻りだが、そのときは藁をも掴みたい心境であった。


 居酒屋で遅くまで飲んでの帰り道。

 ヒタ、ヒタ、ヒタ……

 ひとりの老人が弘蔵に近づいて来た。よく見ると、先ほどまで飲んでいた居酒屋にいた客のひとりで、何度も店に行ったことはあるが、これまでに見たことも話したこともない客だった。

「兄さん、若いのにたいへんだね。指の先にケガをしただけでも不自由だというのに……」

 老人は嗄れ声でのんびりと話しかけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る