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「――僕は、二十年ぶりにここに来ました。とても懐かしい気がします。こうやって高いところから見ると、東京の街も随分と変わりましたね」
弘蔵はやっと言葉を探りあてたように口を開いた、それも独り言のように。
「私も高校生のときに昇ったきりだから、ほんと久しぶり」
紀子は目を細めながら遠くを見て言った。
走り廻る子供たちを避けるようにふたりはゆっくりと歩き出した。
弘蔵は数少ない会話の中ではあったが、その中に紀子の人柄を窺わせるものを感じ取った。
彼女にだったらすんなりと思ったままを口に出すことができそうな気がした。
真下に増上寺の鬱蒼とした森が黒い塊りとなっていた。
ここから見る限りでは、ビル群の狭間に時間を忘れて存在を誇示するように映った。
弘蔵は、この景色だったら目の前の幻想的な光彩に惑わされることもなく、自分の思いを話せそうに思えた。
「――じつは、紀子さん」
弘蔵は思い切って話しはじめた。
「何でしょう?」
紀子は弘蔵に首を廻すと、涼やかな目で訊ねる。 弘蔵は紀子のその目を見たとき、一瞬気持がひるんだ。
「紀子さん、きょうの見合いのことなんですけど……」
「ええ、みなまで聞かなくてもわかってます」
「はっ?」
「仮屋さんがその気のないことは、お会いしたときからわかってました」
「すいません、別に紀子さんのことが気に入らないって言うことじゃないんです」
弘蔵は、すべてを話すことのできないまどろっこしい気持で言い訳をした。
弘蔵が別の世界に住む存在になってしまっていることを知ってる人間はほとんどいない。
一度踏み入れてしまった以上、もうもとに戻ることができなくなってしまった。
もうどう足掻いても元の人間にはなれない。
――それはあの「人市場」というものを知ったからだ。
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