8-2

「そうです。それまではいろいろと手を尽くしたのですが……」

「ありがとうございます」

 史江はこらえ切れずに嗚咽を洩らし、ハンカチで顔を覆った。

 ヒロシは口をきつく結び、母親を黙って見上げていた。

 江端の葬儀も無事に済み、三十五日の法要が過ぎた頃には江端工業所はいままで通りの活気が戻っていた。

 弔慰の意味もあったが、これまでの実績がものをいって、多少は仕事量が減ったものの江端工業所は結構忙しかった。

 しかし、所詮専業主婦でしかなかった史江は経営の才覚を持ち合わせていず、どうしても弘蔵のちからを借りなければならなかった。

 要請されて、一旦は辞退をした弘蔵だったが、見兼ねて助言を与えているうちに、いつの間にか経営に片足を踏み入れる結果になってしまった。

 工員たちにしてみれば働き場所がなくなって路頭に迷うよりも、素人経営者ではあるがここで協力したほうが得策と踏んだのか、不平を洩らすこともなく以前にも増して一生懸命に働いた。

 ある日のことだった。――

 仕事を終えた弘蔵は簡単に晩飯を済まし、そそくさと社宅を出た。

 きょうは市が立つ日である。

 弘蔵は、右手で左の手首を掴むようにしながら歩いた。

 この時季になると、夏と違ってすっかり帳が速くなっている。弘蔵は闇に溶け込むようにしながら市へ急いだ。

 季節がそうさせるのか、市の客足もいまいちで、どことなく精彩を欠いているように見えた。

 弘蔵は目的の店に足を向ける。二十年前に左腕を買った店だ。いまだに同じ場所で同じ店主が商いをしている。

 弘蔵が店を覗いたとき、店主は弘蔵を憶えていた。

「おう、久しぶりじゃない。どう腕の調子は? うちの品物は間違いないだろ?」

 店主は弘蔵を憶えていて、常連客に対するような口の利き方で声をかけた。

「いや、最近どうも具合がよくないんだ」

 弘蔵は眉を寄せて相談をするように言った。

「具合がよくない? そんなはずないんだけどなァ。ひょっとして向こうの取り付けがまずかったんじゃないのか?」

 店主は責任を逃れるように、小屋のほうに顎を向けた。

「この前までは別に何てことなかった。ここにきて思うように動かなくなってしまったんだよ」

 弘蔵は訴えるように店主に伝えた。

「そういわれても、いまさらどうしようもないね。

そうそう、だったらこれなんかどうだい? きょう届いたばかりの物だけど、これは間違いないと保証するね」

 店主は店の右端に並べてあった腕を指差した。

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