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 左のほうに目を遣ると、夕方の買い物ついでに長々と立ち話をする主婦の姿や、汗まみれになって走り廻る日に灼けた子供の姿があった。

 弘蔵が踵を返して戻ろうとしたとき、社長が外廻りから戻って来た。

 ライトバンから降りて弘蔵の姿を見ると、

「お疲れさん、こうさん、どうだい一杯行かないか」と大きく声をかけた。

「かずさ屋、ですか」

「ああ、ちょっと弘さんに話したいこともあるんでね、付き合ってくれないか? かずさ屋にでも行って軽くやろう」

「わかりました。ちょっと待ってもらってもいいですか? 急いで支度してきますから」

「じゃあ、事務所にいるから声をかけてくれ」

「わかりました」

 

 二十分ほどして江端と弘蔵は「かずさ屋」に向かった。

「かずさ屋」は江端社長の行きつけの居酒屋だ。

 暖簾をくぐって中に入ると、薄汚れたカウンターに三人ほど先客があった。

この店も以前は仕事帰りの工員で結構繁盛していたが、いまでは近所のオヤジの溜まり場に成り下がってしまい、三十人ほどある席が埋まることは滅多にない。

 江端は顔見知りのカウンターの客に軽く頭を下げると、テーブル席を取った。

 注文を聞きに来た主人のかみさんに、とりあえず生ビールと枝豆を頼んだ。そのついでに、かみさんに〝カツオの刺身〟があるかを訊ねる。

 材料の仕込みに携わってないかみさんは、調理場にいる亭主に、「あんた、きょうカツオがあるかって、社長が」と大きな声で訊く。

 主人は右手に持った包丁を左右に振った。

 それを受け取ったかみさんは、申し訳なさそうな顔ひとつせずにそのままを伝えた。

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