四四 御前



 試合を始める――当たり前のように囁に言われて、早は当惑してしまう。いくさが終わった直後の私闘など、体裁も何もあったものではない。早には何ら信じられない。

「正気か? 聞いたはずだろう。いくさは終わったと。命令違反では済まない。独断で他の勢力と敵対するなど――」

 微笑みを浮かべ、囁は早の言葉を遮った。

「あれ? 潤が言ってたよね? 、羽撃ちは交戦中だ、って。助けに行かなくていいの? それとも、僕のかな?」

 自分の言うことを疑う気配は、囁にはまるでない。なるほど、と、早は思った。納得してしまう。思わされてしまう。

 ――乱、だ。さやは、乱なのだ。

 早の憧れた哭日女さやとは、こういう人間であるのだ。

 ――陰にこそ生きる陰手おんしゅに、正月の遊びを教えようなどと。よくも。

 あるべきことをねじ曲げ、あってはならないことを正しくする。そして――

 ――人を照らす。

 そう称えられることを囁が望まずとも、その光は太陽のそれだと、いったい何人が思ってきたか。早も同じくだ、そう思わずにいられない。

 ――よくも。よくも。こんなに明々あかあかと。

 早自身の気持ちのみが照らされて浮かび上がる。。それこそが、

 ――さやが太陽であるならば、わぬは月になろう。

 ――せめて、照らされた光を返せる存在になろう。

 早は秘めた決意と共に、潤に問いを発した。

「おい、神幡姫潤、答えろ。いくさは終わったか?」

「えぇ、敵さんに情報は教えられないよぉ。あれ、でも、いくさは終わったんだから、ただの同業者なのかなぁ?」潤の問いに対して、戯が一回だけ舌を出して応じた。肯定だった。「そういうものなのかなぁ」

 疑問混じりに、潤は早の問いに答えた。

いくさは終わったよぉ」

 答えを聞いて、早はひとつ満足する。そして、戦いを見据え、炯眼けいがんをもって囁を見つめた。これで本気を出さねば、無礼極まるというものだと。もはや、早から惑いは消えていた。太陽に応えること、月であろうとする気持ちばかりが満ちた。

「どうやら、わぬだったようだ。神幡姫潤は確かに言っている。、と。急ぎ、加勢に向かわねばな」

「じゃあ僕は、移動しようとするきみを、力尽くでも止めないとね」

 囁と早は正面から向き合うまま、互いに数歩下がり、距離を取る。

 ふたりのやりとりを聞き、潤の心中に湧くのは疑問ばかりだった。殺し合う気はないようだ、それは直感でわかる。他は何もわからない。結局、的外れな疑問が口をついて出た。

「ねえ、戯、あのふたり、耳が悪いのかなぁ?」戯は一度だけ舌を出す。「だよねぇ。終わったって言ってるのにねぇ」

 囁は体裁のための口実をひとつ思いつき、潤に向けて言った。

「悪いけど、潤はそこで見ててよ。ほら、潤の仕事は高いから、ここで戦わせたら、払う金がなくて怒られるからね」

 ていがいいとも言えない、無理な理由に思え、囁は内心では案ずるところもあったが、他でもない潤のこと、全くの杞憂だった。

「潤、山の中に置きっぱなしの大福、取ってくるねぇ。三人いるから、手持ちの二個じゃ足りないよぉ。あ、咎言でここも時々見るから、大丈夫だよぉ」

 何がどう大丈夫であるのか、囁にはさっぱりわからない。どうやら邪魔が入るではないようだと、それはわかる。潤の認識のうえでは、もう早は敵ではないようだった。

 潤が戯と共に山林の奥へ歩んでから、早は不敵に、そして嬉しそうに言った。

「御前試合、というものか。つわものの頂点に上覧していただく試合だ」

 早の下がった数歩は、外した金属板のうち、ひとつを拾うためでもあった。

 試合の合図の代わりと、小さなものを選んで手に取り、早はそれを宙に高く放り上げた。金属板が地に落ちるまでの間で、付け加えた。

「互いに手は抜けんな。それに――」

 金属板が地に落ちる。耳障りな音で、鳴る。

「――天も見ている」

赫焉かくえん

 試合が始まるなり、即座、咎言を言ったのは囁だった。そして、即座に動きを見せたのは早だった。

 囁の右前方で炎がうねり、噴き上がる。早を狙ったものではなく、早ほどには夜目が利かない囁が、場を照らす灯火ともしびを必要としたためだった。直接に狙っては、早の姿は炎に紛れてしまう、ゆえに狙いはあえて外したのだが、早の姿、動きを捉えるための炎は、すぐに役を失うことになった。

 早は駆けた。身をかがめ、駆けた。陰手おんしゅの真髄を体現する身であれば、十歩余りの距離などないに近しく、また、敵の目が捉えにくいよう動くことにもけている。

 急に動いた試合の様相は、しかし直ちに静止した。

 激しい炎に照らされ、山道は十分に明るいが、囁の視界から早の姿は消えている。そこにいない。前にはいない。。囁はそれが感触でわかる。

 互いの背が接していた。早は囁の背後に回り込み、背中を預ける形で立っていた。身長差ゆえに、早の預ける背は、ほとんど肩であるとも言えた。

「どうして? 絶好機だったんじゃないの?」

 攻撃する機はあったはずだとして、前を向いたまま、背中合わせのままで囁は訊ねる。

「勘違いするな。手を抜こうというのではない。逆だ。未知を未知のままにしておいては、敵に反撃の機を与える。神幡姫潤との戦いで学んだことだ。決定機を掴む前に、知らないことはひとつでも減らしておきたい」

 早は体勢を変えようとせず、しかし、至極しごく真剣に答えた。囁としては納得がいかない。

「こうしてれば、僕が口を滑らせるって?」

 囁が自分から言うとは、当然、早も思っていない。だが、知れないとも思っていない。

「答えなくていい。しかし問おう。乱の囁は、?」

 背中、触れ合う接点に意識を集中させながら、早は続けた。

「乱の囁の咎言は、対象を選んで効果を発揮するものだろう。発射される弾丸に使えば、弾は後ろに飛び、焼かれる人間に使えば、その者は炎を涼しく感じる」

 このような発想が出るのは、早が早自身を対象に選べないからだった。自分自身を闇に落とすことはどうやってもできないと、かつて、納得のいくまで確かめた。

「体術ではわぬに分がある。こうしていれば、お前は自分もろともわぬを焼くしか攻め手がない。答えはすぐに知れる」

 加え、早には、個人的に興味を持つ事柄もあった。

「気になっていたんだがな、乱の囁が自分を対象に選べる場合、言えばどうなる? わぬたち、いや、特にお前、かさとがにとってもっともあってはならないことは、ではないのか?」

 そう言いつつ、早は背の感覚に集中を注いだ。動きがあった。囁の肺や横隔膜に動きがあり、反して、早は音として聞き取れない。囁は、それを瞬間的に察知した。

 囁は、

赫焉かくえん――悖乱はいらん

 早はとっさに飛び退き、距離を取ってから振り返る。

 囁の前方にあったはずの炎は消え、入れ代わりに、囁と早が背中合わせでいた場所に火柱が噴き上がっていた。暴慢に燃えさかり、遠慮を知らずに立ちのぼり、なお猛る。灯りのためではない、焼くための炎だった。

 煌々こうこうと辺りを照らす猛炎の渦中にいながら、囁はひとり、そこで涼しげに立っている。着ている服が焦げつくこともなく。実際、涼しくて仕方がないのだろう、早にはそう思われた。そして、飛び退かずにいたら、自分だけが焼かれていただろう、とも。

 早は判ずる。乱の囁は、自分を対象に選べるのだ。

 灯火ともしびの確保のためにも、身を守る壁の役割としても、囁は炎を燃えさかるままとした。これでうかつに近づくことはできない。

「隠し球だから、あまりやらないんだけどね、これ」

 ふたつの咎言を続けて言う、それだけならあるいは、紫紺六魂組しこんりくたまぐみから人質を取り返す際にやっていたことかもしれなかった。囁は、自身に対して悖乱はいらんを言うことは極力避けている。最後の最後、敵に詰め寄られた際、こうして不意打ちができると知られたくないゆえだ。早は、その不意打ちを防いだとは言えるが、望ましい答えが返ったわけでもなかった。これでは手が出せない。

「余談ね。乱の囁は自分を対象に取れる。けど、罪を許すことはできない。なぜかって、僕が、僕を含めて、誰かの罪を許そうとした時、そこにはのあってはならないことがあるんだよ」

 炎は傍若無人に猛り、辺りの空気は何ら抗えずに熱されていく。早は一歩下がった。されど熱く、早の肌で汗が噴く。囁は涼しげなまま話を続けた。

「ひとつは、咎人とがにんが許されること、もうひとつは、。僕が道理をねじ曲げられるのはひとつだけなんだ。いっぺんにふたつはできないんだよ。だから僕は、誰の罪も消すことはできない」

 興味深い話ではあったが、何かを理解しようとするより先、陰手おんしゅの本能が、早に口を開かせた。額の汗を手で拭う後、さりげなく口元を覆い、囁にそれと知られぬようにして、言った。

可惜夜あたらよ

 もうひとつ確認しなければならないことがある。

 言ってから、早は歩いた。囁から離れるでなく、近づくでもなく、周囲を巡るようにして、五歩ほど歩いた。それで十分だった。

 早が可惜夜あたらよを言ったならば、本来、囁は何の色も識別できない世界にいるはずである、それが――

 ――囁は、早の動きを見ていた。早に向かって

 早の歩みを不自然に感じ、さらに視線がぶつかっていることで、囁は勘づいた。早はどこかで、すでに自分の咎言を言ったのだ。自分の咎言がどこまで及ぶか確かめようとしている、もうここは、咎言による闇に落ちている、と。

「ああ、言ったんだ。僕も気になってたけど、太陽の光から色は奪えても、咎言の光から色は奪えないってことだね」

 早の咎言、可惜夜あたらよは確かに活きている。しかし及ばない。にまで介入できるものではない。月明かり、星明かりから色は奪えても、囁の咎言によって生じた炎、そこで発される光から、。潤を闇に落とせたのは、潤の咎言があくまで他からの光に頼ったものであったからだ。

 歩みを止めて、攻め手を欠きつつ、早が言った。

「咎言と咎言は、不干渉が原則なのだろう。知の沈とて、咎持ちが戦場にいることはわかっても、通常、咎の中身までは知れないのだろう? ならば、乱の囁が別格ということにもなるだろうが」

 自身の持つ咎ではあれど、乱の囁は咎言で咎言に干渉している。囁には納得するところがあった。いつもそうだった。悖乱はいらん赫焉かくえんに干渉することはあっても、赫焉かくえん悖乱はいらんに介入することはない。別格、確かにそうだろう、悖乱はいらんの奥の手など――

 囁はため息をいた。闇に落とされることはなくとも、まんまと不意打ちを引き出されてしまい、攻め手がない。

 複数の炎は出せない。早を焼こうとすれば囁自身が無防備になる。燃やす範囲を広げるにも限度がある。あっさり背中を取られたことからして、囁には、分のいい勝負と思えない。

「これじゃあ身を守るばかり。だいたい、攻撃手段を明かりにしてるようじゃ、きみに勝てるわけがないよ」

 囁は諦めるように言い、早は戦意を強めた面持ちで言った。

「このままでは勝てないというのは、わぬも同じことだ」

 の手合わせ、制限は何も決めていない。囁宛てに書かれた指示書にも、同じく制限はなかった。

 きちんと申し合わせたわけではない。言葉の端でほのめかせて、それでどちらともが納得した。両者共に覚悟を決めた。

 ふたりともが口を開いた。




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