第二幕 死処の姫
一一 暗殺
「
囁が尋ねる。並んで歩き、話を続ける囁と潤から後ろに二歩のところ、話が聞こえる範囲で改が離れて続く。改にとっては、もう近づけない距離だった。潤が苦手なのもさることながら、蛇も苦手なのだ。足がついていない生き物は、生理的に受けつけない。
「誰が言い出したかは知らないけどねぇ、だいたい、そう呼ばれてるかなぁ。
潤が山の上に向けて運ぶ足は、どことなくぎこちなかった。潤は歩くことが得意ではないが、だからといって鍛えないわけにもいかない。
「潤の縄張りって、だいたい
「
囁は思い出して渋い顔をする。国の海抜は平均で半里ほどだと行に聞かされて、
「北だから暖かいかと思えば、標高が高いからむしろ寒かったわね。それで、どういう由来でそう呼ばれているというの?」
改は話を受けながらも、すぐに本題に戻した。潤に傷をつけた者に、強く興味があった。
「仕事にこだわりがあるみたい。負けそうなほうの、しかも、一番形勢の悪い場所に決まって顔を出すの。わざと死地に赴いて、それでいて死なないの。
囁も改もそれで驚くことはなかったし、
「天聳りだと、圧勝してるほうが死処の姫を怖がって手を抜くとか、分が悪くなればなるほど期待するとか、そういう、ちょっと変なことになってるんだよねぇ」
潤の話を聞きながら改に湧いたのは、
「で、潤が暗殺のお仕事をしようとしたら、それ、潤のお仕事を邪魔に思った人の用意した偽の依頼だったの。潤の標的として待ち受けていたのが、死処の姫」
―――――――――――
潤が加勢した軍に勝つことはできる。事実、戦勝請負は戦のうえでは勝利した。
何がもっとも困難であるか、それは、潤に近づくことなのだ。
潤の愛蛇である
肉眼で見てずいぶん遠くに、
潤が得た情報によれば、館に標的がいるはずだった。
「ねぇ、戯、
潤は戯に問いかけた。蛇は耳がないから何も聞こえていないと誤解されがちだが、体のどこかしらでちゃんと音を聞いていると、潤は知っている。
不意に主人に問われ、戯はぴっと舌を出す。一回だけ出せば肯定で、二回繰り返して出せば否定と、潤はそう取り決めているが、戯にしてみれば、何かを問われた際、気まぐれで一回か二回舌を出すと主人が満足すると知っているだけだ。
戯は二回繰り返すことをしなかった。それによって、次の休暇の行き先が決まる。列椿の国の首府で饅頭を食べる。もしかすれば、列椿の国府との関係が濃い戦勝請負の四人に会う機会もあるかもしれない。そう思うと、潤の胸は躍った。
「じゃあ、お仕事、しっかりこなさないとねぇ」
潤の請け負う仕事は、暗殺が多くを占めている。それは、潤の持つ
どっちもどっちだと、潤は思う。
誰かがお金を払う。その誰かの代行をする。ただの仕事だ。
それに、戦争は国がやっていることで、戦勝請負の仕事の多くは、言わば国府のお墨つきがある。国が敗れない限り、罪には問われない。人を殺めたことで咎められるとしたら、それはむしろ潤のほうだった。
「
潤はそっと、自身の罪の証、咎言をつぶやく。
どうあれ、今さらだ。
善人ではなく、罪人として饅頭を食べる。生きていく限りはそうなる。善人として食べられる饅頭は、この世のどこにも、もはやない。それは、咎言を持たない行だって大差ないものがあるはずなのだ。
およそ二年半前、諸国連合の東南にあった小国、
――ゆっちじゃなかったら、誰にそれができるかなあ。
行の手際は鮮やかすぎるのか、天が好むものではないらしい。ゆえに咎言を持たない。この世に生きれば理不尽ばかりが目につく。人の尺度で世界を計れば当然だ。
「どこにいるのかなぁ、っと」
潤はまぶたを閉じ、そして、標的の姿を探した。咎言を発した今、肉眼に頼る必要はなかった。館の一室、おそらくは応接間であるだろうその部屋の景色が、鮮明に脳裏に浮かんでいた。暖炉、天板が硝子の机、安楽椅子が三脚、
潤の咎言――
その力は、半里まで先の景色を見通すことを可能にする。その間にある障害物は、何もかも無視することができる。海の向こうの単位で言えば、二
なぜ支配に及ぶか、それは
「あっ、見つけたぁ」
潤は、戯の他にもう一匹の蛇を飼っている。戯よりもひと回り大きい、黒の大蛇だ。
「
その蛇は、潤の咎言のうちにのみ、存在する。
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