一〇 凍罪



 君王苑くんのうえんをひと通り巡り、入り口そばのみやげ物屋の中で、しずは目を輝かせることと落胆することを、交互に繰り返していた。立派な蔵造りの店で、沈はここに入る前、黒の漆喰しっくいで美しく仕上げられた壁に目を奪われ、そのまましばらく熟視してしまった。

 かみかたのみが入れる場所とあって、みやげとは言いながら、ちゃちな品は何ひとつ置いていない。精緻極まる木工細工、金細工、あるいは見事な蘭の鉢植え、あるいは海を渡ってきた虎の毛皮。沈の小遣いはひとつきに二二五〇もんめ。いずれかを買おうとしても、けたがひとつ、ともすればふたつ違う。

 名品珍品を眺めては胸を躍らせ、値札を見ては、手が届かないと肩を落とすのだった。そして、実家である双思ならびおもい家の屋敷に、こういった品々、ないしはこれに優る品々が市を開けそうなほど並んでいることを思い、自らの生育環境について、またひとつ認識を正す。

 がっかりする気持ちは本当でも、沈は心中の端で喜びを感じた。家族との関係は良好なままでも、はっきりと家を出てきたのだ。みやげひとつ買えないことが、自分が四人組の一員であることの、ささやかな証明に思える。

「あの、」沈の様子は、むつの目には不可解に映った。「何か、品に問題でも? みやげ物屋ではありますが、選りすぐりの逸品が並ぶと、そう聞いているのですが……」

 睦には、申し分のない品ばかりに見える。天下の戦勝請負の一員ともなれば、これだけのものでもなお不満なのだろうかと、そう思ったゆえの問いだった。

「いえ、すばらしいものばかりです。ただ、その、買えないんです。お金が足りなくて」

「足りないとは、その、意味が、」

 睦にはわからなかった。戦ひとついくらで請け負っているのか、はっきりとは知らないが、並の傭兵の何千倍、それも四人分を稼いでいるはずである。必勝を請け負うとは、そういうことだ。たとえ数万の兵を雇っても、それで勝利を買ったことにはならない。

「見る限り、せいぜいが一〇万匁ちょっとのようですが……」

 怪訝そうに言う睦に対して、沈は首を横に振った。

「一〇万匁ですと、わたくしのお小遣い、四十四つきぶんでも、まだ足りません」

「は?」

 言ってしまってから、睦は無礼な反応だったと気づいた。しかし、唖然としたまま、謝罪する機を失した。自分の俸禄ほうろくの額を頭に浮かべる。指折り数えるまでもない。つきぶんあれば買えてしまう。


 市中を貫く大通りのはたに置かれた、竹の長椅子に腰を下ろし、沈と睦はみたらし団子を食べていた。そろそろ日が暮れつつあり、団子にかかった葛餡くずあんの色が、晩照によって曖昧になる。一本で三匁、三本で九匁、ふたり分だと十八匁。ささいな出費だが、先の話を聞いた後となると、睦は沈の分も出さなければいけない気がして、全額を払った。幸いと言うべきか、位階は睦のほうが上となっていたから、上官の顔を立ててくれと言えば、それで筋は通った。

 一刻ほど前、同じ場所で団子を食べていたあらたよりも時間をかけ、沈はゆっくりと団子を食していく。睦は至味しみに満ちた団子だと手を打ちたいところだったが、沈はいずこか遠くを思っている様子だったので、それを控えた。

「島を買ったんです」

 沈は、仄かな寂しさを帯びた声音を発した。四人組は、豪勢な暮らしをしているわけでも、また、そっくり貯めこんでいるわけでもない。稼いだ金は端から消えていった。

「南の果ての、さらに南の果てにある島です。氷に閉ざされ、凍てつくことしか知らない島です。それより南に行けば、もう人は生きていけなくなる、そんなところにあります」

 この地からは、南に行けば行くほどに寒くなる。北に行けば逆に暑くなるが、さらに北上するとまた寒くなっていくのだと、いつだったか、睦は聞いたことがある。

「そんな島、いくつもありませんから、ずいぶん足元を見られてしまって。割賦かっぷでの払い、まだ半分も済んでないんですよ」

 睦は血の気が引くのを感じた。

 戦勝請負が、今までの稼ぎのほぼ全額を投じて、なお半分に満たない高値。交渉の席についたのは行だったはずで、行だったからこそ買えたというのが、適切な認識なのではないか。ない話ではないだろう。取り引き相手が国家だとすれば? 本来、金で済むものでなかったとすれば?

「わたくしたちはその島を、凍罪いてつみの島と、そう名づけました」

 朗らかな命名であれば、睦はその由来を尋ねただろう。しかしそこにはいてがある。罪がある。祝福をこめた名だとはとても思えない。知りたいとは思った。聞けなかった。四人組以外の誰かが、その名の意味するところを知ってはいけないと思った。

「なぜ、その島を?」

 それでも、睦からみて十とちょっと年少の沈を前にして、理由だけは尋ねようと思った。成人になるかならないかの少女たちが、命を危険にさらし、若年にある日々を戦場で過ごし、それでなお手に入れるべき価値が、本当にあるのだろうか。

つい棲家すみかなんです」

 その島に骨をうずめるつもりなのだと、睦にはそう聞こえた。その島でこそ死ぬのだと。その地を墓とするのだと。睦には何も言えなかった。

 戦勝請負が仕事に困らないこの地は、戦乱の絶えない地だ。ここに墓をつくれと、そう言えるのか? その墓が戦火に焼かれるかもしれないと承知で?

「お金を払い終わったら……」

 いつの間にか、沈から、滲む寂しさは消え去っていた。

 代わりに、そこには安堵の気配があった。未来を思う色合いがあった。それゆえ、睦は思い違いに気づいた。として買ったのではない、死ぬまでの間をとして買ったのだ。おそらくは、できる限りの長い間を、そこで。

 遠く果てを見るような沈の目線は、遙か長い日々に向くようで。迷いのない表情から、揺れぬ意志が透けて見えて。睦は覚悟を感じる。思わされる。

 ――生きてそこに入ったが最後、一歩も出るつもりがないと?

 望まぬ場所で死ぬことがいかに多いか、戦勝請負はよく知っている。他ならぬ彼女たちが殺めてきた。必ずそこで死ぬつもりなら、外には出られない。

 ――金を払い終えるとはいつを指す?

 ――五年後か、十年後か。その先、死ぬまでを、その島で過ごそうというのか。

 憶測に過ぎない。しかし睦には、確かにそうであるように思えてならない。誰が言っているのか。誰が決めたことであるのか。そうでなければ釣り合わない。

 ――戦勝請負が言う、とは、それほどに重いのではないか?

 睦の考えを裏付けるような、なお強い意志を伴う声音で、沈ははっきりと言った。

「わたくしたち四人は、凍罪いてつみの島に移り住み、そしてそこで、四人だけで暮らすんです」

 睦には何も言えないままだった。何も思わなかったわけではない。強く心中に渦巻いたものがある。どうしても口にはできなかった。若輩でも国軍の選り抜き、咎言とがごとを得るために必要なものは何か知っている。。天が惹かれるほどの――

 その思いを努めて消そうとしても、繰り返し浮かび、刻まれてしまう。まるで、あたかも、まるで――

 ――その島は、監獄だ。




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