〇九 団子



 市中を貫く大通りのはたに置かれた、竹の長椅子に腰を下ろし、あらたは餡団子を食べていた。ゆっくりと時間をかけ、ひと口ずつ丁寧に味わうさまは、初夏の日差しに満ちた穏やかな午後を愛でているように見える。内実は全く違うと、隣に腰かけ、同じく餡団子をかじるささやにはわかっていた。

 囁としては、これはおいしい餡団子だと、舌鼓したつづみを打ちたいくらいのものだったが、改はうまいともまずいとも言わなかった。いい天気だとも退屈だとも言わず、花札のいかさまの件を責める発言もなかった。ただひと言、団子が食べたい、と、城中で漏らしただけだ。それ以降、囁は改の声を聞いていない。

 怒りが頂点に達するほどに、改は口数が減る。ゆくは軍議へ出て、しずむつとともに君王苑へ向かった。ふたり残されてしまえば、改の怒りはどうしてもいや増す。

「だから、悪かったって」

 囁は団子を片手に謝罪を口にした。もう何度目になるか、だんだんと声音がおざなりになってきていることを自覚する。それでも、他に言うことがない。城中からここまで、幾度も重ねたげんに、やっと返る声があった。

「この団子、いくらだったの?」

 話が噛み合わないと思いつつ、囁は買った時のことを浮かべた。

「一本で三もんめ。十本で二十八匁にまけてもらった」

「ここ一ヶ月で生じた、私の負け分、どれくらいかわかるかしら?」

 囁の顔がひきつった。団子の値段と比べられてしまうと、その重みが実際以上に映る。加えて囁は、半月もした頃から、自分がいくら勝っているか数えるのをやめていた。勝者の怠慢が、こんな形で報いられるとは思っていなかった。

「えっと、六〇〇〇匁、いや、七〇〇〇匁はいってたね。たぶんね」

 改は、団子のひとつを咀嚼し終えてから、「一〇八七五匁」と、そっけなく言った。囁の体の髄に戦慄が走った。いくらなんでも勝ちすぎている。年上の囁と改は、小遣いを多めに与えられているが、それだって、ひとつきに二七五〇匁だ。

 謝意よりも恐怖が上回りつつあった囁にいとまを与えようとするように、目前に停まった一台の人力車の影が、ふたりに被さった。そこからゆるりと降りた若い女のことは、主に苦いものとして、ふたりの脳裏によく焼きついている。

「あはっ。あっちゃんとさっちゃんだぁ。向こうから見えたから、来ちゃったぁ。会えて嬉しいよぉ」

 囁も改も、いかさまの件などすっかり頭から吹き飛んだ。会えて嬉しいなどとは微塵も思えない。特に改は、団子を置いてすぐさま逃げ出したいほどだった。

 眼前に立つのは、仕事のうえでは先輩にあたり、かつて戦場で相対した時は、戦そのものは勝ちながらも、結局は傷のひとつもつけられなかった手練てだれ。通称、うるつわものとして、必勝不敗の戦勝請負と並び称される神幡姫かむはたひめうるだ。

 褐色の肌と、銀の瞳、純白の髪は、潤の両親がともに北方の生まれだからだという。それでさえ、ひと目見れば忘れようがないものを、量の多い髪は膝にかかるほどに長々と伸ばされ、黒地に梅の振袖をいつも着ているわりに、結うことをしない。振袖の裾を膝より上で切りながらも、足袋は履いている、それもまた、潤の印象を強くする。

おどもねぇ、会いたいって、ずっと言ってたんだよねえ」

 そして何より、。右肩から左の脇腹へ、まるでたすきでもかけるかのように、長い体を二周も三周もさせて、潤の愛蛇、おどはさも定位置とばかりに巻きつき、潤の右肩の上で、からかうようにちらと舌を出す。十七のよわいに比べてずいぶん小柄な潤の胴にそれがあれば、異質さがさらに増すというもの。戯は長さのわりに細身ではあるが、他ならぬ潤が好んで連れ歩く一匹であれば、国軍兵の三、四人くらい、瞬く間に蹴散らし、絞めてしまう。

 改が右肘で、囁の脇腹を小突いた。潤の相手をしろという意図だった。囁には花札のことで負い目がある。それに、かつて潤と相対した時、もっとも痛い目を見たのが改であったことも知っている。潤の居場所を掴むため、改はずいぶんな無茶をさせられた。気にするなとは言えない。

 潤が人力車に代金を払った後、囁は自分の隣、空いている側を右手で勧めながら、「何で首府にいるのさ、仕事?」と尋ねた。潤は素直に勧めに従い、囁の隣に腰かける。戯の重さもそこに載ったために、長椅子が軋んだ。すぐ隣に潤が座らなかったことで、改は密かに安堵の吐息を漏らした。

「ううん。休暇。戯がねぇ、列椿つらつばき名物の、八天饅頭はってんまんじゅうが食べたいって言うから、連れてきたの」

「あのさ、何度も言うようだけど、戯は蛇なんだから、饅頭は食えないだろ」

 似たようなことを何度言ったのか、囁はもうわからなかった。

 潤の言うことをそのまま受けとれば、戯は饅頭も大福も食べたがるし、琴の演奏も好んで聞くし、あげく、和歌を嗜むというのである。蛇としては格別に頭のいい特異な種で、戯はさらにそこから選り抜かれた一匹だとは聞くが、いくらなんでも和歌はない。普通の蛇なら、芸のひとつさえ絶対に覚えない。

「饅頭なんて食べられないよお、蛇だもん。だからねぇ、潤が代わりに食べてあげるの。潤と戯は一心同体だから、どっちが食べても同じだよねえ」

 相手にするだけ馬鹿をみるとは承知でも、やはり、囁には腑に落ちない。喉元さえ通らない。

「だからそれ、潤が食べたいだけだろ」

「違うよぉ。五代目戯は甘党なんだよ。鶏や蟇蛙ひきがえるばっかりじゃ、飽きるって言うんだもん」

 五代目、なのである。いかに強靭でも蛇は蛇だ。潤とともに数多の戦場を駆ければ、咎持ちである潤が無事でも、ただの蛇が命を落とす機会はいくらでもある。

「四代目まで死んでるんだろ。どうして一心同体の潤がまだ生きてるのさ」

「……あなたたち」改のうちにある厭悪えんおは満ち満ちていても、今は興味が先に立った。「いつも会うたび、そのじゃれ合いを欠かさずやっているけれど、本当は仲がいいの?」

 囁と潤の両者は、全く同じ瞬間に口を開き、喋ってから、全く同じ瞬間に口を閉じた。

「ちっとも。全っ然」「だよぉ。まぶだち」

 認識はたがえども、少なくとも、息はぴったりあっている。改としては、それでどこか納得するところがあった。

「ところでさぁ、耳よりな話があるんだけどねぇ」

 潤が、囁の腿の上に乗っていた餡団子の包みに手を伸ばし、一本を手に取った。自分のぶんが減ったのか、改のぶんが減ったのか、囁にはどちらとも定められなかった。

「神幡姫潤に手傷を負わせた咎持ちがいるって話、聞きたい? 潤に奥の手まで使わせておいて、それでも、その子はまだこの世に生きてるって言ったら、もっと聞きたいかなぁ?」

 改は団子を喉につまらせそうになった。潤のしたたかさが自らに刻まれているからこそ。

 そして、咎持ちが奥の手を使うこと、その意味を、正しく知っているからこそ。




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