四六 明々



 早が止まるのを見て、そこで決着をつけるつもりなのだろうと感じて、囁は。聞かせようというのではなく、ただ自然と言葉が漏れた。

 早と戦いたいゆえでは、ない。

 赫焉かくえんという言葉に、

 赫焉かくえんという語には、そういう意味しかない。焼くついでに光るのではない、光が熱を伴うだけ、奥の手を言えばこそ、本来の意味に沿う。

 輝き、照らす。それは外側だけではない。

 囁の内側で、燦然さんぜんと、灼々しゃくしゃくと輝くものがある。

 乱のさやの相方が抱えていた思い――

 ――

 だんだんと、囁の意識が試合から逸れていく。もはや勝ちも負けも意味はなく、試合の緊張感をも見失う。それでなお花片をかわしながら、独り言は続く。

「奥の手を言わないと感じられないなんて」

 それも当然だと、囁は納得しなければならない。

 ふっと、囁の心によぎる。

 乱のさやがどうして、ひとりからふたりになったのか。



 ―――――――――――



 ――哭日女さや、窃盗罪、と。いい加減、盗みはやめてくれないかな。

 ――の仕事を増やさないでくれる?


 ――食うものがないんだから、仕方ないだろ。それに、むしろ職務怠慢だろ。こんなの。

 ――なんで、捕まえても、すぐにを逃がすのさ。普通、檻の中に入れられるもんだろ。官憲かんけんのくせに。


 ――乱のさやを閉じ込めたって、咎言を言ってすぐに出てくる。税金の無駄だよ。他に使うべきところはたくさんある。


 ――口を塞げばいいじゃないか。そうしたら、咎言は言えないだろ。


 ――残念ながら、どんな罪人でも、喋る自由を奪っていい正義なんて、どこにもないからね。



 ―――――――――――



 ――哭日女さや、窃盗罪、と。おめでとう。これで僕に捕まるのは最後だ。

 ――なにせ僕は、今日でこの仕事をやめるからね。


 ――やめる? なんでさ。正義のために官憲になったんだろ?


 ――正義を志そうにも、こう収賄しゅうわいばかりの組織じゃ、なかなかうまくいかない。だから、自分で勝手にやることにしたんだ。

 ――で、きみに大事な相談がある。ちゃんと聞いてくれ。


 ――なんだよ。いきなり、改まって。


 ――乱のさやを、二人組にしてくれないか? 

 ――そして、僕と一緒に、正義の味方をやってくれないか?



 ―――――――――――



 そういえば、と、早は思った。一騎打ちの最中、ふさわしくないことを。

 かつて早は、自分のことをと言っていた。そして囁は、六年前は、自分のことをと言っていた。早はよく覚えている。

 今は違う。

 早は自らのことをと言い、囁は自らのことをと言う。

 ――理由があるのだろうか。

 早が私と言わず、わぬと言うのは、それが天聳あまそそりの国、その北部の方言だからだ。国言葉を喋れば、里に染まれるような気がするからだ。では、というのは?

 ――そして、あの涙は?

 早はふっと、自らに照らして考える。

 ――何かを奪われているのか? 

 早が奥の手を言って、罪を思い知らされるのだとすれば、それは正しい言い表し方と言えない。奪われているのだ。罪から逃れようとした早は――

 ――

 奥の手を言うたびに、罪の意識を刻みつけられる。言えば言うほどに、忘れようとしても忘れられなくなる。うなされて起きる夜が多くなる。咎言を言わずとも、白日夢のように浮かぶ回数が増える。

 ――そうならば、さやは何を奪われている?

 駆けて、囁は見る。舞う桜をかわし、爆裂を切り抜け、爆風に対して体勢をどうにか保ち、見る。向かうべき地点、早の姿を見る。距離が空いてしまい、涙までは判然としないが、おそらくはまだ瞳からこぼれているだろう。

 囁もまた、自らに照らして考える。

 ――やっぱり、何かを奪われているのかな。

 ――

 囁は刻みつけられている。

 愛情を。

 乱のさやの相方は、哭日女なきひるめさやだけを真に思い、愛した。最初は気にかけていただけだったものが、程なく好意に変わり、やがてついには、愛情として膨れあがり、あふれ、囁が成人することを待ち難いと悩むことにもなった。

「悩んでないで、もっと早く言ってくれてもよかったのに」

 独り言はなお重なる。かつて、はっきり知ることなく終わった愛が、何もかも鮮明に照らされ、意識はそちらにばかり向いてしまう。

 囁もまた、奪われている。

 を。

 言葉でも感触でもない。囁は、自身の心に直接、相方の心を押しつけられるかのようなのだ。

 この世にはいない相方からの愛情が、明々あかあかと照らし出される。余さず、全てを、一度に。外ではない、本当の光は、真に輝いているものは、囁の心の内側にある。

 ――ありのまま、心に直接、感じさせられちゃったらさ、ちっとも思えない。

 どれほどの深度で愛されていたか、かつて隣にあった、気持ちの全てを知る。感じる。

 囁の涙は、痛みゆえではない。悲しみではない。

 愛を知って、愛を感じるがための、なのだ。

 ――思えない。他の誰かと契ろうなんて。

 愛とは伝えるもので、直接に感じられる者はいない。囁の他には。

 直接に心と心を触れさせることができる者はいない。この世のどこにも。

 敵わない。他の誰が、どれほどに囁を想ったとしても、足りない。満たない。心のうちで照らされる。だから――

 ――他の誰から、どう愛されても、もう、

 それでいて、嫌とは、どうしても思えない。

 だから残酷なのだと、改は言う。



 ―――――――――――



 ――十三の誕生日、おめでとう。これは僕からの贈り物だ。

 ――ただ、下心が混じってるけどね。


 ――何だよ。下心って。意味深だなぁ。


 ――そう深い意味はないよ。これが婚約指輪だってだけで。


 ――婚約、って。本気で?


 ――そう。今から三年経ったら、きみが十六になったら、結婚してほしい。その約束のための指輪だ。

 ――きみがこれを受け取ったが最後、僕たちは、添い遂げるつもりのふたりになる。


 ――いきなり言われても、困るよ。


 ――困るというなら、別な贈り物を用意してもいい。

 ――あまり、望ましくはないけどね。


 ――……いらない。別な物なんて。

 ――少し、考えさせてよ。指輪を受け取るか、受け取らないか。

 ――ちゃんと、。ずっと一緒にいる、って。



 ―――――――――――



 言いたかった。

 囁は、言いたくて、そして――

 ――言えなかった。

 花片が舞う、一寸に満たない距離で避ける。後方で爆裂があり、爆風が囁を前のめりにさせる。眼前で花片が地に落ちようとする。二枚、三枚、四枚、もっと。今から踏みとどまってもかわせない、その判断で、囁は足を踏みしめ、跳ねる。落ちる桜花を飛び越える。越えてから、すぐ背後で爆裂が連続し、背で爆風を浴びる。半ば、吹き飛ばされるように、そのまま駆け、跳ねて、前進する。前へ、早のところへ。

 囁が踏みしめるたびに、地は焦げる。体勢を崩して転がれば、胸が地を溶かす。行路をしるすように、それはある。

 もう、程なくだ。

 道を抜ける。

 早に辿り着く。

 その時――

 ――すでに、が、囁の前方に舞っていた。

 囁は勝てない。

 体勢は崩れ、前へ急ぐようになり、もはやかわせない。ぶつかる以外に道がない。

 早も勝てない。

 仮にその花片が囁に触れることがあっても、その距離では近すぎる。

 爆裂する頃には、早は焼けている。

 だから、ふたりともが――

 ――同じことを

 、と。




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