四五 太陽



 

可惜夜あたらよ――わざわいする夜桜よざくら

赫焉かくえん――づる汝鳥などり

 早の視界に光があふれた。脅威を感じて、一歩、二歩と退く。足りない。先の炎を上回る熱を感じ、さらに数歩下がる。。なおも下がる。さとる。近づこうというなら、火傷では済まない。。さらに一歩退き、あまりの眩しさに目を細める。

 早は推しはかる。触れることなど到底できない。触れようとするどこか、近づいていく過程のどこかで、焼け死ぬ。

 囁の来ていた服は、全て、瞬刻も保たずに焼けて散った。もはや、悖乱はいらんは必要なかった。なのだ。囁の立つ枯れた地が焦げつく、のみか、。囁が晒した身は、胸を中心として輝き、周囲を昼間より明るく照らし、そして、熱する。足下が溶けるので、囁は一歩、前に出る。胸からもっとも離れた足先で、それなのだ。

 早の胸中に、言い知れぬ感慨が湧く。

 六年前に抱いた印象の正しさゆえに。

 ――さやは、

 囁は今、小さな太陽になっていると、そう解釈しても、それは早の思い入れゆえではなく、妥当なものだった。適切な表現だった。あまりにも明るく、あまりにも熱する。太陽の他には、何にも例えられない。夜の山道は、今この時、白くまばゆい。

 輝きを放ちながら、囁は淡々と目的を告げた。

「これで、明かりも攻撃手段も一緒になった。僕はただ、きみに近づけばいい」

 えんの囁の奥の手――づる汝鳥などりは、囁自身に輝きをもたらし、そして、圧倒的な熱をもたらす。何よりの防御手段でありながら、決定打にもなる。

 囁の近く、枯れた山道にしぶとく生えていた雑草は、たわいなく燃えた。勝負が長引けば、崖の上の山林で火災が起きかねないと、早は危惧する。温度は上昇を続ける。

 早はさらに一歩下がる。さらに一歩。放射された熱にさらされた空気は、耐えがたい温度になっていく。

 早が装束に仕込んでいた陰手おんしゅの仕事道具は、金属製の物は首尾良く隠していたが、残りはまだ早の装束のうちにある。でなければ、服などとうに脱いでいたはずだ。

 陰手おんしゅの秘奥に値する用具を、みすみす燃やすわけにはいかない。服を着たまま、こらえられるぎりぎりで、早はもう一歩、二歩と下がる。

 それでも、勝ちの目がないではない。早はそれもはかる。だから言う。

、の話だ」

 は熱には反応しない。個体、あるいは液体と接触した時のみ、ぜる。そして、いかなる強風、気流にさらされても、ただ、ひらりと舞う。舞い落ちるための距離さえあれば、行き着いた先で夜桜は爆ぜてくれる。

 囁の頭上、ひらりと舞う、桜花の一片ひとひらがあった。どう考えても不自然だった。奥の手を言った囁、小さな太陽の頭上にあって、花片はなびらが燃え尽きないわけがない。まして、。その花片は光の白に紛れず、桜色のままにある。

 照らす咎言と色を持たぬ咎言が競り合い、結果、花片には本来の色が残った。

 囁の前方、その上方で、さらに三つ、花片がふわりと落下を始める。囁は後ろに下がるしかなかった。早の奥の手によるものだ、そう思えば、余ると思うほどに背進しなければならなかった。

 余裕を持たせて下がったつもりが、囁は、

 花片の一枚が地に達すると同時、爆裂した。地に穴を穿ち、周囲に衝撃が伝う。さらにそれが三つ連なる。であり、可惜夜あたらよなのであれば、。衝撃であり破壊、色を持たぬそれが、もうひとつ、ふたつ、さらにもうひとつと続く。四つ連なった爆風を不用意に浴びて、囁は不格好に後ろに倒れ、尻を打った。

「なるほどね、危ないなぁ」

 呑気に言いつつ、立ち上がりつつ、囁もはかる。燃やせない、そのうえ、花片の一枚だけでも、触れれば命取りになる。

 地を溶かしつつ、一歩一歩歩きながら、囁はもとの位置、夜桜が地を穿った隣まで戻った。早はどうにかこらえて、もとの位置のままでいる。命のやり合いではなく試合なのだと、自らの振るまいで示すように。

 ――これじゃあ本当に、まるっきり子供の遊びだ。

 囁はそんなふうに感じる。鬼ごっこのようなものだと。近づくことができれば囁の勝ち、できなければ負け、そういう遊びだと。

「ところで――」

 囁の視界、明るく照らし出された早の姿、その顔に、気になる変化があった。囁の目が良いのは確かだが、手でぬぐうほどであれば、距離を置いても見当がつく。

「――どうして泣いてるの?」

 囁は問う。早の頬を涙が伝い、流れを成している。あふれて、一滴も抑えられない。こぼれる。早は涙を手で拭い、さらにあふれて、また拭う。

 早の視界が泣くことでにじむ。それは仕方のないこととしてある。問題は、、だ。最初の四枚は、幸いにもだった。だからこうして、涙するだけで済んでいる。

「試合が終わった後、ゆっくり聞かせてやる。そう言うお前こそ――」

 早の視界、燦然さんぜんと光り輝く囁の姿、その顔にも、無視できない変化が生まれていた。囁もまた、手で拭う。見当がつくのみならず、不思議と、その雫だけが一際ひときわ輝く。囁より目の良い早が、涙を拭った目でそれを見る。

「――なぜ泣いているんだ?」

 囁の瞳からこぼれる涙だけ、さらに鮮烈に輝く。頬を涙のしずくが滑る。囁の視界も滲む。あふれてこぼれる。囁はどうしても止められない。。むしろ、とさえ思う。

 だから、囁の奥の手はなのだと、いつだったか、改に言われたことがある。抗おうと思えるだけ、自分の奥の手のほうがまだいいと。沈や行なら、そういう比べ方は難しいだろう。夫がいた改だから、それが言える。

「試合が終わった後、ゆっくり聞かせてあげるよ」

 囁の心に満ちる。乱のさやの相方のことが。満ちて、満ちて、試合のことを忘れそうにさえなる。

「ならば、さっさと終わらせてしまおう」

 早が落とせる花片の数は、千と限られている。本当なら、何の色もない闇の中を舞う桜は、今この時、小さな太陽の前に降り注ぎ、その姿をあらわにする。

 勝ちたいのなら、とても千は出せない。を引けば戦えなくなる。早はわかりやすく、二分の一とした。すでに四を出したので、新たに四九六枚を出した。丁半博打ちょうはんばくちのようなものと考えた。千のうち五〇〇を残した。

 囁の周囲を取り囲み、桜花のひらが舞い落ちる。後ろには下がれないよう厚く落とし、留まることもできぬよう頭上も満たし、前は誘うように隙間を用意した。勝つためにも囁は前に進む。焦点となるのは、囁がかいくぐれるかどうか、早が逃げ切れるかどうか、そして、逃げる間、早が戦えるままでいられるかどうか。

 早の後方にも桜花は舞っている、まだ頭上にあるうち、早は逃げる。囁が花片の行方を気にしながら、一気に前へ駆ける。

 それもわずかのこと、囁はすぐに、落ちる花片を、そして地での爆裂をかわして、かつ、爆風に耐えて進まなければならなくなる。

 早のほうは、こみ上げて満ちるに耐えなければならない。

 花片が爆裂する時、早の心中で閃いているものがある。一枚ずつ、その都度つど

 一枚ごとに、早は見ている。

 味わっている。

 千の花片のうち九九九は、早が大倭やまとにいた頃、咎持ちになるべくしてあやめた命に基づく。一枚に対してひとりが宛てがわれている。そのひとりが宿る一片ひとひらが、舞い落ちる。

 感じさせられる。思い知らされる。一枚が爆裂するごとに。

 早が殺した誰かが、

 脳裏に閃く。仕事を終えて帰宅した後の夕食ゆうげの温かさが。子供の成長を実感して微笑む一時ひとときが。真に愛する者を見つけた喜びが。あるいはからだを重ねる忘我。あるいは夢、かけがえのない望み。成し遂げて、また誰かの幸せを導くこと。あるいは、あるいは――

 花片が散って爆ぜる。

 散る。爆ぜる。散って散って、爆ぜる。なお爆ぜる。都度、閃く、幾重にも閃く。幸せがあった、喜びがあった、満ちて、分かちあったはずだった。早がいなければ。

 早の胸奥きょうおうで、早が殺した誰かが、大切な誰かと手を繋ぐ。

 幸せというものは、繋がっている。

 否応なく心は戻る。六年前の意識に、罪を知った夜、無防備なわらべの精神に立ち返る。涙を拭うことすら、もはやできない。

 ――自分が断ち切った未来。

 泣いて済まされるわけがない。けれど早は、花片の散るごとに、涙を深めるしかできない。許されるはずがない。取り返しなどつくものか。何かの益を生むでもなく、無根拠に、不条理に奪った。死んでさえ償えず、死んで逃げることも叶わなかった。早はただ、ひたすらに、心奥で繰り返す。ただひたすら、ひたすらに。

 ――

 ――

 涙は満ちる。許されるとも、許されようとも思わない。しかし、奪ったものを目の当たりに感じさせられては、他の言葉が浮かばない。あの日、平泉ひらいずみにいた早の心で、たったのひと言を繰り返すだけ。

 ひたすらに。

 余計に無様なだけ。自分はまた斬る。矛盾に過ぎる。

 けれど、ひと言しか、残らない。

 ――

 涙はない。

 それでも、千のうち九九九ならば、早は立っていられる。走れる。涙をこぼしながらも戦える。残りの一は違う。

 千の花片は、は選べても、までは選べない。

 一枚、潜んでいる――

 ――小夜さよの花片が。

 、爆裂した時、それを早に思い知らせる花片がある。

 早は走る。罪を知ってなお、斬ることを続けると、決意したゆえにここにいる。里のために斬る。里の望みを果たすべく、奥の手を言っても囁と戦う。それが願いであり、意志だ。

 小夜の花片が爆ぜた時、

 散って爆ぜれば、閃く。浮かぶ。

 小夜を抱きしめて、幸せそうにしている早がいる。

 早の腕の中、幸せに満ちる小夜がいる。

 その時こそ、本当に、早は自分が奪ったものの重みを知る。どれだけのものが奪われたのかがよくわかる。そして自分は、それを九九九も奪ったのだと。早は泣くことも忘れ、震えるしかできなくなる。

 小夜の花片は、早を立ち止まらせ、願いを奪い、決意を失わせる。奥の手を言うほどの重大な局面でこそ、それは起きる。

 まだ小夜の花片は引いていない、次第次第、早と囁の距離が離れた。身のこなしからして早に分があるうえ、早は自分の逃げ道を考慮して花片を散らしている。早の方が先に行くのは当然だった。

 早は立ち止まり、そして振り返った。

 花片の散る逃げ道を通り抜けた。

 囁は爆風で体勢を崩しながら、しかし花片の爆裂を巧みにかわし、こちらに近づいて来る。早は待つつもりだった。もう一歩も、逃げようと思わなかった。

 ――これは殺し合いではない。技量を競うだけの試合ならば。

 桜花の舞い散るのをくぐり、囁が早のもとまで辿り着けるか、そうでないか。勝敗はその一点に委ねようと思った。その道の途中に、小夜の花片が紛れていないことを祈りながら。

 奇妙な相似であり、続きだ。早はそう思った。平泉にいた日々の続きだと。

 ――わぬは待ち続けていられるか?

 ――さやはここに来てくれるか?

 あふれる涙に導かれ、気持ちが暴かれる。無論、もっとも欲しいものは証だ。死処しどころの姫の強さの証明だ。けれど、思いは違う。

 ――いつまでも待っていたい。

 ――




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