四五 太陽
同時に言った。
「
「
早の視界に光があふれた。脅威を感じて、一歩、二歩と
早は推し
囁の来ていた服は、全て、瞬刻も保たずに焼けて散った。もはや、
早の胸中に、言い知れぬ感慨が湧く。
六年前に抱いた印象の正しさゆえに。
――
囁は今、小さな太陽になっていると、そう解釈しても、それは早の思い入れゆえではなく、妥当なものだった。適切な表現だった。あまりにも明るく、あまりにも熱する。太陽の他には、何にも例えられない。夜の山道は、今この時、白く
輝きを放ちながら、囁は淡々と目的を告げた。
「これで、明かりも攻撃手段も一緒になった。僕はただ、きみに近づけばいい」
囁の近く、枯れた山道にしぶとく生えていた雑草は、たわいなく燃えた。勝負が長引けば、崖の上の山林で火災が起きかねないと、早は危惧する。温度は上昇を続ける。
早はさらに一歩下がる。さらに一歩。放射された熱にさらされた空気は、耐えがたい温度になっていく。
早が装束に仕込んでいた
それでも、勝ちの目がないではない。早はそれも
「もし近づければ、の話だ」
夜桜は熱には反応しない。個体、あるいは液体と接触した時のみ、
囁の頭上、ひらりと舞う、桜花の
照らす咎言と色を持たぬ咎言が競り合い、結果、花片には本来の色が残った。
囁の前方、その上方で、さらに三つ、花片がふわりと落下を始める。囁は後ろに下がるしかなかった。早の奥の手によるものだ、そう思えば、余ると思うほどに背進しなければならなかった。
余裕を持たせて下がったつもりが、囁は、立っていられなかった。
花片の一枚が地に達すると同時、爆裂した。地に穴を穿ち、周囲に衝撃が伝う。さらにそれが三つ連なる。夜桜であり、
「なるほどね、危ないなぁ」
呑気に言いつつ、立ち上がりつつ、囁も
地を溶かしつつ、一歩一歩歩きながら、囁はもとの位置、夜桜が地を穿った隣まで戻った。早はどうにか
――これじゃあ本当に、まるっきり子供の遊びだ。
囁はそんなふうに感じる。鬼ごっこのようなものだと。近づくことができれば囁の勝ち、できなければ負け、そういう遊びだと。
「ところで――」
囁の視界、明るく照らし出された早の姿、その顔に、気になる変化があった。囁の目が良いのは確かだが、手で
「――どうして泣いてるの?」
囁は問う。早の頬を涙が伝い、流れを成している。あふれて、一滴も抑えられない。こぼれる。早は涙を手で拭い、さらにあふれて、また拭う。
早の視界が泣くことで
「試合が終わった後、ゆっくり聞かせてやる。そう言うお前こそ――」
早の視界、
「――なぜ泣いているんだ?」
囁の瞳からこぼれる涙だけ、さらに鮮烈に輝く。頬を涙の
だから、囁の奥の手は残酷なのだと、いつだったか、改に言われたことがある。抗おうと思えるだけ、自分の奥の手のほうがまだいいと。沈や行なら、そういう比べ方は難しいだろう。夫がいた改だから、それが言える。
「試合が終わった後、ゆっくり聞かせてあげるよ」
囁の心に満ちる。乱の
「ならば、さっさと終わらせてしまおう」
早が落とせる花片の数は、千と限られている。本当なら、何の色もない闇の中を舞う桜は、今この時、小さな太陽の前に降り注ぎ、その姿を
勝ちたいのなら、とても千は出せない。当たりを引けば戦えなくなる。早はわかりやすく、二分の一とした。すでに四を出したので、新たに四九六枚を出した。
囁の周囲を取り囲み、桜花の
早の後方にも桜花は舞っている、まだ頭上にあるうち、早は逃げる。囁が花片の行方を気にしながら、一気に前へ駆ける。
それもわずかのこと、囁はすぐに、落ちる花片を、そして地での爆裂をかわして、かつ、爆風に耐えて進まなければならなくなる。
早のほうは、こみ上げて満ちる罪悪感に耐えなければならない。
花片が爆裂する時、早の心中で閃いているものがある。一枚ずつ、その
一枚ごとに、早は見ている。
味わっている。
千の花片のうち九九九は、早が
感じさせられる。思い知らされる。一枚が爆裂するごとに。
早が殺した誰かが、もし死んでいなければ、どんな幸せを得ていたのか。
脳裏に閃く。仕事を終えて帰宅した後の
花片が散って爆ぜる。
散る。爆ぜる。散って散って、爆ぜる。なお爆ぜる。都度、閃く、幾重にも閃く。幸せがあった、喜びがあった、満ちて、分かちあったはずだった。早がいなければ。
早の
幸せというものは、繋がっている。
否応なく心は戻る。六年前の意識に、罪を知った夜、無防備な
――自分が断ち切った未来。
泣いて済まされるわけがない。けれど早は、花片の散るごとに、涙を深めるしかできない。許されるはずがない。取り返しなどつくものか。何かの益を生むでもなく、無根拠に、不条理に奪った。死んでさえ償えず、死んで逃げることも叶わなかった。早はただ、ひたすらに、心奥で繰り返す。ただひたすら、ひたすらに。
――ごめんなさい。
――ごめんなさい、ごめんなさい。
涙は満ちる。許されるとも、許されようとも思わない。しかし、奪ったものを目の当たりに感じさせられては、他の言葉が浮かばない。あの日、
ひたすらに。
余計に無様なだけ。自分はまた斬る。矛盾に過ぎる。
けれど、ひと言しか、残らない。
――ごめんなさい。
涙は
それでも、千のうち九九九ならば、早は立っていられる。走れる。涙をこぼしながらも戦える。残りの一は違う。
千の花片は、出す数は選べても、誰を出すかまでは選べない。
一枚、潜んでいる――
――
小夜が殺されていなければ、そこにどんな幸せがあったのか、爆裂した時、それを早に思い知らせる花片がある。
早は走る。罪を知ってなお、斬ることを続けると、決意したゆえにここにいる。里のために斬る。里の望みを果たすべく、奥の手を言っても囁と戦う。それが願いであり、意志だ。
小夜の花片が爆ぜた時、その意志が折れる。
散って爆ぜれば、閃く。浮かぶ。
小夜を抱きしめて、幸せそうにしている早がいる。
早の腕の中、幸せに満ちる小夜がいる。
その時こそ、本当に、早は自分が奪ったものの重みを知る。どれだけのものが奪われたのかがよくわかる。そして自分は、それを九九九も奪ったのだと。早は泣くことも忘れ、震えるしかできなくなる。
小夜の花片は、早を立ち止まらせ、願いを奪い、決意を失わせる。奥の手を言うほどの重大な局面でこそ、それは起きる。
まだ小夜の花片は引いていない、次第次第、早と囁の距離が離れた。身のこなしからして早に分があるうえ、早は自分の逃げ道を考慮して花片を散らしている。早の方が先に行くのは当然だった。
早は立ち止まり、そして振り返った。
花片の散る逃げ道を通り抜けた。
囁は爆風で体勢を崩しながら、しかし花片の爆裂を巧みにかわし、こちらに近づいて来る。早は待つつもりだった。もう一歩も、逃げようと思わなかった。
――これは殺し合いではない。技量を競うだけの試合ならば。
桜花の舞い散るのをくぐり、囁が早のもとまで辿り着けるか、そうでないか。勝敗はその一点に委ねようと思った。その道の途中に、小夜の花片が紛れていないことを祈りながら。
奇妙な相似であり、続きだ。早はそう思った。平泉にいた日々の続きだと。
――
――
あふれる涙に導かれ、気持ちが暴かれる。無論、もっとも欲しいものは証だ。
――いつまでも待っていたい。
――きっと来てくれる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます