〇二 雪駄
一二五〇
「何だ、お前ら。さっきからぐちぐちと後ろで。言いたいことがあるなら、遠回りしてねぇで、俺に向かってはっきり言えよ」
乱暴に腰を上げる音がした。ついに男は立ち上がり、囁たちへ振り向いたのだが、誰と目線が合うでもなかった。何ら意に介さず、四人組の食事は続く。男の苛立ちは募る様子だった。
焼きそばをかき込む途中、水を飲むついで、やっと行が反応した。
「あんたみたいなのに用はないよ。そっちのお嬢さんに話があるんだよ」
男の腹立ちは見当違いのものでしかない。結局、囁たちの誰も男を見ようとはしない。相手にする理由、その可能性も、もはや見出だせない。
「え、その、私に……?」
少女は戸惑いを顔に浮かべ、大きくひとつまばたきをした。自分に用があると言われても心当たりはない。見ず知らずの、たまたま隣に居合わせた客のはずだった。
「そこの男、
行は箸の一本を槍に見立てて、突く仕草をしてから言った。
「その他諸々含め、手っとり早い方法として、あっちゃん、言ってくんないかな」
言うなり、行の箸はすぐさま皿に向く。焼きそばは平らげる寸前だった。行は取りこぼした
「お断りよ。食事中だもの。さっちゃん、代わってくれたら、
好きに使えるお金が多いに越したことはない。とは言え、いつまでも囁に恨まれたままでいるというのも面倒な話だった。それに、心身が休まるとは言いがたい野営で、
「僕だって嫌だ。それに今夜、昨日の負けより多く勝つ予定だから、帳消しも要らない」
魅力的な交換条件ではあったが、囁にも通したい意地がある。加えて、とうもろこしの芳醇な甘味が、囁を席から立たせようとしない。
今度こそ本当に呆れ顔になった行が、「雨四光三回、四光三回、五光六回?」昨日の負け分より勝つとはどういうことか、具体的に数えた。
「無理があるなぁ」
自分が睨みつけるばかり、囁たちは一顧だにしない、男が腹に据えかねるのも道理で、囁たちのもとへ寄り、特に改を見下しながら、卓の天板に左手をついて怒鳴った。
「ああだこうだ言ってねえで、喧嘩売る気なら殴ってみせろ。特にてめぇ、眼鏡かけて三つ編み下げてよ。どういうつもりだ、何の勘違いをしてんだ」
行の考え通りだった。これは小物だ。弱そうな、虚勢に屈しそうに思える者をまず狙う。見た目からすれば、それは
それができないというのは、男の慢心か、臆病か、無知か。何にせよ、良い目のほうを引いた。この男は、改から脅すつもりだ。
ではあるが、遠回りか近道かの違いに過ぎない。最初に我慢できなくなるのが誰かは知れている――
――改だ。
「ははっ、本じゃ喧嘩のやり方は学べねえだろ。こんな文学少女のどこに、俺を殴る力が――」
全てを言い終わらぬうち、顎の骨が折れる音とともに、男は撥ね飛ばされていた。
隣の卓にひとり残っていた少女は目を疑ったが、その墨色の瞳に映る現実はひとつきり。改が、
男は無様に転がり、椅子のひとつを引っかけて倒し、土壁に激突して止まってから呻いた。どうにか声が出せた、そのような、細く低い響きだった。
「食事中だって言ってるでしょう。殴ったりしたら手が汚れるじゃない」
席についたままの三人はこの結果を予期し、自分たちの食器を押さえたが、改の使っていた
「あの、これは……」
隣の卓、椅子からは立ち上がるも、戸惑いを重ねるばかりの少女に対して、行は柔らかな表情を浮かべ、「これ、ただの私憤だから、気にしないで」そう言ってなだめた。
「あっちゃん、こう見えて、あたしたち四人の中で一番の武闘派なんだよね。見た目で侮られると怒るんだよ。すごく」
借り物の
「ゆっち、言っていいのね? 何をどこまで壊してもいいの?」
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