第一幕 凍罪の島

〇七 軍人



 長方体の石材を巧みに積み上げて作る列椿つらつばきの国の伝統建築の中でも、その極みと称えられるのが列椿の王城だ。その高さは城下に連なる桜木さくらぎを三つつなげても足りず、王の威をあふれるほどに示し、また美しくもある。

 その王城の上階、城下を一望できる一室に、四人組はいた。

「あっちゃん、その苺、全部僕にくれたら、ここ一週間の負け分、帳消しにしてもいいよ。好きなんだよね、苺」

 ささやが、あらたの目前にある、木製の器に盛られた苺を指して言った。改に頷く気はなかったが、一週間どころか、一ヶ月に渡る花札の負け分を帳消しにしてもらう必要があった。

「素敵なお洗濯日和びよりが続いていて、助かりますね。今年の夏はそろって浴衣が着れますし、なんだか楽しみです」

 しずは自らがまとう浴衣の柄、薄群青うすぐんじょうの朝顔に目を落として言う。改のものは桜花、ゆくは赤地に白の金魚、囁は黒地に白の水玉、四人はそれぞれ、紫紺六魂組しこんりくたまぐみの根城で人質を助け出した時と同じ浴衣を着ている。唯一違うのは、借り物の雪駄せったが麻の草履ぞうりに変わっていることだ。

「よくもまあ、あれだけ見事に醤油をぶちまけられるもんだよ」

 行は呆れ混じりに言った。飲食の際の不注意までは、いくら行だって読みきれない。六魂りくたまの頭目から花札の勝ち方を教わる際、夢中になっていた囁は醤油を浴衣にこぼしてしまって、買い取るはめになった。醤油まみれでも、囁のものだけ浴衣を買うとなると改が不平を口にする。安っぽい品ではなかったので、いっそ普段着にしてしまえと、結局は四着とも買った。醤油の染みは沈が丹念に抜き、今では見分けがつかない。

 部屋の窓には何もはめこまれておらず、初夏の清風は遠慮なく室内に入り込み、特に、沈の長く真っ直ぐな髪を揺らした。まだ乾期の半ばにあり、今日の風はとりわけ涼やかだった。

 美意識を優先して窓に硝子ガラスをはめないことで、床に敷かれる最高級の絨毯じゅうたんや舶来品の家具、飾りものは、風にさらされて傷みが早くなる。もともと、絨毯を敷くことを想定した建築様式ではない。

 先日ここに来た時は、黒の大理石でつくられた円卓があり、調度品や飾りは銀で統一され、絨毯は紺青こんじょうだった。沈の記憶に頼らずとも、行は自然にそれを思い出せる。

 今はどうかと言えば、まず絨毯が濃緑こみどりだ。些少な傷みに反応して交換してしまったのだろう。その上に置くものも合わせて変えたらしく、円卓は紫檀ローズウッド、食器類は砂糖楓ハードメープル、飾りものも含め、家具類は木材でつくられたものに限るというていなのだ。国費の無駄遣いであると同時に、これでは、美意識の面から言っても節操がない。

「さすが行殿、感服いたしました。あの砦は渡河とかの困難さゆえに、長らく攻めあぐねていましたが、まさか川の流れを変えてしまうとは。私などには、百年待とうと思いつかぬことでございます」

 お世辞でなく、むしろ賞賛の意が表しきれないでいるというように、行の隣に立つ軍籍にある女性は、いまだ十二分に若さの艶を残す頬を、高ぶりによってほの赤く染めていた。

 その女性の服装は、動きやすいように仕立てた緋色の半着はんぎに、黒のはかまを合わせたもの。袴は中仕切りを持ち、二股に分かれたそれぞれに足を入れる馬乗袴うまのりばかま。着ているのは男物だが、列椿の国軍が採用する正式な軍衣がそれなのであるから、黙って着るしかない。左胸には、椿を模した紋がある。今は平時であり、左の耳たぶには紫水晶アメジストで飾られた耳飾りイヤリングがあった。海を渡って留学している従兄弟いとこから贈られたものだ。

 行は眼前にある器から、すでにの取られた苺をふたつまとめてつまみ、用意された砂糖水に浸すことなく、口に放った。

「水源がこっちの領内だったからね」

 川に阻まれて侵入の難しい砦に対し、行は川そのものを干してしまった。その流れは今や、敵方の領内に流れ込むことなく、自領に発して自領のみを巡るようになっている。

「ま、敵方にわざわざ水をくれてやる理由もないし、砦は奪っても利用価値なかったし。思わぬ公共事業で地元の偉い人も万々歳。六魂を叩いた一件もなあなあで済んだし。上出来でしょ」

 さらに苺を三つまとめて掴んだ行を、沈は隣から覗き込み、すぐに視線を軍の女性に向けてから尋ねた。

「えっと、こちらの方は、どなたなのでしょうか」

 自分以外の三人とは初対面であると知っていたが、面倒がった行は紹介をしなかった。ぶつかる視線のみで火花を散らしている囁と改には、もとから関心がなかった。遠慮がちな沈が尋ねることで、ようやく名乗る機会を得た女性は、いくらか緊張を滲ませた様子で口を開いた。

「列椿国軍、従七位じゅしちい乙気吹おといぶきむつであります。先日より、行殿付きの任を命じられております。お見知りおきくだされば、幸甚こうじんのうえに幸甚を重ねる思いとなりましょう」

 囁ほどではないが、灰色の髪は短く切られ、軍衣と共にあれば、いかにも軍人いくさびとというありようだった。深藍ふかあいの色をした瞳には、溌剌はつらつとした意力が宿る。よわいは二十六、その数字より幼く見える。成人なりに上背があることが救いだが、それでも年齢以上に見られることは少ない。

「この若さで従七位となると、いわゆる選良エリートってやつだよ。つまりは」

 位階のことに疎い三人に向けて、行が補足を加えた。行は歳を知っていたが、睦を持ち上げる意味で、あえて言わなかった。睦には、ことさらに自分をよく見せるつもりはなかったが、行が補ったことは誤りとは言えず、何か差し挟むことは控えた。

 視線のぶつけ合いに飽きた改が、諦めをどこか含む気配でようやく苺を手に取り、小鉢の中の砂糖水に浸けた。

「思ったより早く済んだわね。あれだけの大がかりな工事、もっとかかるものと思っていたのだけれど」

 工事の間は、田舎で過ごす退屈な日々だった。川が干上がり、いざ改の出番となっても、それは半日足らずのことで、砦はすぐに落ちた。

「ああ、それね、人足集めは紫紺六魂組の全面協力だったんだよ。あの頭領、顔が広くてさ。その土地のことは地元の連中に任せとくのが一番って話」

「頭領、ねえ。本当に余計なことをしてくれたものよ」

 囁が六魂りくたまの頭目から花札の勝ち方を教わったことは、とうに知れていた。その実態がいかようにあったのか、改の思考がふと、もっと早くに至るべきであったところに達し、苺を口へ運ぼうとした手が止まる。

「さっちゃん、あなたまさか、六魂のおかしらのやり方まで教わっていないでしょうね」

 今度は囁が静止する番だった。苺を手に取ろうとした体勢のまま、鶏がたっぷり二回は鳴けるほどの間、じっと硬直してから、何も聞かなかったというふうに、無言で苺をひとつ取った。

「あーあ。完全に自白だったね。今の」

 行は呆れ返って言うが、どうとも判じかねた。お粗末な話には違いなくとも、調子に乗って不正を続けた囁に呆れるべきなのか、それとも、今の今まで気づかなかった改に向かうべきか、あるいは両方か。




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