二八 大倭



 早が生まれたのは間違いなく天聳あまそそりの国だ。数多あまたある陰手おんしゅの里、そのうちのひとつで生まれたのだ。各地に散らばる里で生まれた子らは、よわい三つを迎えたのち、ひとつどころに集められ、ともに陰手おんしゅとしての訓練を受ける。兵器として、道具としての訓練を。

「島国……その国の名は、大倭やまとという」

 国を統べる女王が住まう、世界でもっとも堅固な城、その天守閣が見下ろす城下町、小田原おだわら。その外れに陰手おんしゅの訓練場がある。早はそこで三年の月日を過ごした。さらにつきの後に、生まれ故郷に帰ってきたのだ。よわい七から、村を出るまで五年近くを過ごせば、すっかり国言葉が染みついていた。

 国の名を出されても、囁にはわからない。思い出せない。

「ふうん。ゆっちなら知ってるかもしれないけど、僕は全然」

わぬがお前と会ったのは、その島国でのこと。覚えていないのはもったいない」

 自分のことはさておいても、やはり早は残念に思う。不思議な国だ。あちらにしたら、やはりこの地は不思議なのだろう。

大倭やまとは、興味深いことの多い国だ。例えば、この地とはなんだ。桜が咲くのは三の月から四の月にかけて。年末年始はすっかり冬だぞ」

 嘘をいて騙そうというならば、こんなに荒唐無稽なことは言わないだろう、囁はそのまま受けとめた。

「へえ。じゃ、浴衣を着て、かき氷片手に花火を見ながら年越しとか、できないの? 初詣に行って、お参りそっちのけで、虫を何匹捕まえられるか競争するとかさ。誰かがありを捕まえだして、収拾つかなくなる。最初から蟻は禁止にしといたほうがいいよ」

 そう言いつつ、真っ先に蟻の行列をさらっていったのは囁だった。その後で蜂の巣を見つけてしまい、行が六〇〇匹はいると言ったので、散々なことになった。

「禁止しなくとも、蟻など到底見つからん。越冬の真っ最中だ。大倭やまとではな。大晦日は皆そろって炬燵ごたつの中、蜜柑みかんの奪い合いならしたことがあるぞ。初詣は厚着をして出かけ、熱い甘酒を飲む」

 囁は苦い顔をした。甘酒は熱くとも冷たくとも口に合わない。元日からあんなものを飲むなんて、どんな責め苦なのかと思ってしまう。

 そもそもがおかしな話なのだ、と、本題ではないので早は言わなかったが、季節が逆だとして、こうして過ごし方を比べられること自体、あり得ない。初詣に行くということは、この地にも大倭やまとにもということだ。鳥居もあれば賽銭箱もある。どちらにもだ。文化が伝わるには離れすぎているうえ、間にある国々には一切それがない。あるとしたら礼拝堂だ。

「ちっとも想像つかないや。当然、元日に海水浴とかもないんだよね。何やるの? 冬だから、炬燵ごたつの上で双六すごろく?」

「そんなところだな」

 炬燵ごたつの上ではなかったが、早は実際にやったことがある。双六すごろくも福笑いも、羽根突きも、たこ揚げも、独楽こま回しも。それら全て、哭日女さやに遊び方を教えてもらって、さやと一緒にやったのだ。年を跨ぎ、三日間だけの遊び相手になってくれた。

 陰手おんしゅとして学んだこと――諜報の技術、剣術や体術、あるいは土塁を築くすべ、火薬の知識や暗殺の心得、そんなことしか知らなかった早に、ひとときの安らぎを与えてくれた。

 お姉ちゃん、と慕った。さやお姉ちゃん、と。名の通りに明るくて、まぶしくて、心から憧れた。だから早は、、そう思った。

 思い出話ができないのは残念であるが、早のうちでは、申し訳なさが強かった。囁は、さやは、本当に、何ひとつ覚えていないのだ。

「ひとつ、詫びをしたい。記憶を失っているのに、わぬとの再会に何かを思えというのは無理がある。先の嫌がらせは、筋違いだったことになる。だから、戦勝請負にとって有益な情報をひとつやりたい」

「いいけど、そんなことして怒られないわけ?」

 心配する義理はないのだが、堂々としていても早の見た目は子供でしかなく、囁は年長者としてどうにも気になってしまう。普段なら気にしなかったかもしれない。乱のさやという響きを久々に聞いたからかもしれない。

「個人的な失態への個人的な詫びで、このいくさとは関係のない話だ。かまわないだろう。世間話をするなという命令は受けていない」

 やはり早は堂々としている。潤に単騎で挑めるほどの胆力があるとなれば、あるいは囁よりよっぽど豪胆なのかもしれなかった。

わぬが話すのは、、それを説明する、ひとつの仮説だ。聞いてみて損はない。興味はあるだろう?」

 囁は表情を消し、黙って頷いたので、早は話を続けた。

「お前は――さやは、西国さいごくや北方で咎持ちが現れたという話を聞いたことがあるか?」

「ないね。全くない」

 悩まず、囁はすぐに答えた。一切聞かない。この地が文明としては西国や北方に遅れながら自治を保っているのも、侵攻してきた諸外国の軍を咎持ちが跳ね返してしまうから。諸外国にはそれに抗する咎持ちがいないから。

「そう。現れない。ゆえに、咎を与えられるというのは、この地に特有の現象だと思っているだろう。それは違う」

 実際に囁はそう思っていた。咎持ちが現れるのは、この諸国連合を中心として、その周辺の国までの地域に限られると。

わぬは、大倭やまとという国があると言ったな? その国では、」こうも言えば、早は大倭やまとでの出来事を思い返さずにはいられない。「それは間違いのないことだ。わぬがその証。わぬが咎を負ったのは、その国でのことなのだから」

 早の咎言――可惜夜あたらよ、辞書には載っていないが、早はその意味を理解している。この世で唯一、早だけが。咎言を与えられると同時、咎持ちには、その言葉が持つ意味も刻み込まれる。可惜夜あたらよとは、明けるのが惜しい夜のことだ。

 惜しいのか、そんなものははっきりしている。禍祓早を永久に終わらない夜の中に置いて、永遠に哀しみに沈んでいてほしいと、そのは願っている。だから、。だから、ずっとずっと、禍祓早は哭日女に辿り着けない。天とやらは、よく知っている。さやという光に憧れたゆえの咎であると。

 詫びは詫び。心中に痛みが走ろうと、早はここで黙るわけにはいかない。

「奇妙なことに、はるか北東の最果てにある大倭やまとと、はるか南西の最果てにあるこの地は、なんだ」

 文化だけではないのだ。

 言葉さえ同じくするのだ。

 どう考えても、理屈では説明がつかない。

 仮に同じ言語を持つ集団が分かれて、それぞれの国を形作ったとして、時が過ぎれば言葉は変化していく。かつての言葉は古語になり、容易に意味が掴めなくなる。

わぬがそうであるように、地方によっては方言が存在する」

 つながりのある諸国連合内でさえ、少し離れれば差異は生まれてしまう。少なくとも千年以上、この地と大倭やまとはほぼ没交渉、陰手おんしゅは例外中の例外、それで言語が一致するわけがない。それぞれの国で別な変化をして、別な言語になっていなければおかしい。にもかかわらず、なのだ。

「方言はある。だが、根幹となるところは完全に一致している。いや、違うな。調べてみた限り、一致し続けている」

 はるかな距離を隔て、ふたつの地域で話される言葉が、。そう解釈すべきだと、それが早の導き出した結論だった。諸国連合で〈る〉という古語が、今日こんにち言う〈ほどける〉に変わった時、大倭やまとでも同じく変わっているのだと。

「なぜ同一の言語を持ち続けているのか、わぬにはわからん。だが、思うに、わぬらに咎を与えたというものは、天、ではなく、天なのではないか? この地にいるから咎を負うのではない、この言語を知るから咎を負うのだと」

「それ言ったら、ゆっちは誰よりも話し上手なんだけど」

 囁は納得できない様子で、片側の眉根だけを少し寄せた。早はまだ結論を言っていないのだから、当然の反応ではあった。

「言語の習熟度は、おそらく関係がない。神幡姫潤は拙い会話で六葉帝を油断させたのだと、巷間こうかん、よく語られている。逆に言えば、拙くとも、和語を理解していた。

 自分とて囁とて、全ての和語を知るわけではない、全て知らずとも咎は負える、早はそう判じている。そもそもが、咎言もなのだ。そして、他の咎持ちの咎言は決して知ることはできない。全て知るなど、最初からできない。

「別千千行は、洋語理解していると聞く」

「そうだね。すらすら書けるし、ぺらぺら喋るよ」

 凍罪いてつみの島を買う交渉のため、四人組は海を渡った。当初、行は筆談で交渉していたが、終わり間際にはすっかり洋語の発音を覚えていて、自分の口で喋って話を進め、硬筆ペンを必要としなかった。

 そも、行はにいながらにして、洋語を理解し、洋語を用いてを成し遂げている。村を滅ぼしたのは、なのだ。

 早はふっと空を見上げた。天というものが本当にそこにあるのか、判然とはしないが、人を見下すのだとすれば、やはりその位置が妥当だろう、そう思いもする。

わぬらの言葉の天にしてみれば、別千千行はのように映るのかもしれん」

 結局、この仮説にしても、天から愛されないために咎を持てない、と、その解釈に至ることに変わりはない。なぜ愛されないか、その理由を説明するものだ。

 この言語を知るから咎を負う、それでは不十分で、追加の条件がある。。別千千行はもう知ってしまった。おそらくはこの先ずっと、生涯、どんな罪を犯したとしても、咎を負うことはできないのだろう。

「いくら天とて、浮気者にはそう惚れまい。いや、むしろ許さない。あるいは、な」




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