四一 奇策



 戦場で愚痴をこぼすなど、睦には初めての経験だった。罪悪感はちらとも湧かない。

「だったら、恋文こいぶみを千と一通書く気概でよろしく」

 行は気楽に言うが、結局、嫌なことには変わりない。行の明るい調子に、睦も。戦場で軽口を叩くこともまた、初めての経験としてあった。

「訂正します。目の前の舞台に上らなくて済むなら、何千通だろうと恋文を書きます」

 言ってから、睦は深く嘆息した。どうあれ、上るしかないことはわかっている。

「ま、ある意味、求愛行動には変わりないしさ」

 行はそう言って、舞台上に続く段に足をかけた。

 悪い冗談だ、と、睦はとっさに思ったものの、すぐに考えを改めた。何もかも本気であるから、別千千行の策であり、始末に負えないのだった。諦めて、行の後に続いた。

 行と睦、ふたりで舞台ステージに上ると、兵たちの視線がそこに集中する。舞台ステージの前半分を囲むようにして、全員を集合させていた。月垂りとの交戦で兵数は損なわれたが、まだ、ゆうに万は超えている。自ら立てる兵が多く残っていることは喜ばしい、しかし、ひとりにつきふたつ持つとして、二万以上の目玉がこちらに向いていると思えば、睦ははっきり寒気がする。

 腕を大きく振り上げ、小さな体で大きな身振りを交え、行はを始めた。

「諸君!」

 それは待機が終わることを意味し、また、戦勝請負の中心、別千千行の策が始まることを意味した。

「我々はこれより、新たな作戦行動に移る!」

 いくらか、兵たちがどよめいた。それは期待であり、不安でもあった。

軍神いくさがみ、別千千行は約束しよう! これは必勝の策であると!!」

 兵たちの期待の色が増す。生活のために兵をしていればこそ、勝ちたい。勝つほうが、無事に家に帰れる見込みが強まる。極論、いくさに出たなら、兵の目的は、生きて帰ることになる。

「これは、別千千行の策にして、後に語りぐさとなるであろう、未曽有みぞうの奇策である! ならばこそ、諸君の中に、疑う気も生じよう! 別千千行はこう考える、!!」

 そう叫んでから、行は自らが纏う陣羽織に指で触れた。

「さあ、んだ! 絶対に、決して!!」

 舞台ステージたるゆえん、それは、演説のために用意されたのではないからだ。見せるためにわざわざ造設したものであるからだ。

 行は陣羽織を掴み、。陣羽織だけではない。下に着ていた小袖こそでも、襦袢じゅばんも、ためらいなく脱いでいく。何もかもだ。下穿したばきにも手をかける。

 行のすぐ隣で、睦が、行にしか聞こえない声量で言った。

「あえて言います。私、医者と家族以外の男性に裸を見せたこと、ないですからね」

 睦もまた服に手をかけ、そして、迷いなく脱いでいく。小袖こそで襦袢じゅばん、睦がいざ下穿したばきに触れようとした時には、隣にいる行は、もう丸裸になっていた。今さら逃げられず、もとより逃げる気もない、睦の下穿したばきは脚を滑り、無造作に掴まれ、足先を抜けた。

 明々あかあかと照らされた舞台ステージ、そこにいる女ふたりが、服を全て脱いだ。晒された体を、手で隠そうともしない。あえて言うならば、これが、別千千行のいくさにおける正気であり、であるのだ。

 自然、兵はざわめく。兵の大半が男であるゆえに、自然、目が集まる。

 存分に見てもらわねば意味がない。行はいったん、演説を中途のままにした。ざわめきが波立ち、視線はこちらに強く集まる。だいたいの目は、大人の女の体つき、睦のほうに向いているようだが、行に全く向いてないではなかった。大将が全裸になった驚きゆえなのか、あるいは物好きなのか。

 演出として、本気をさらに示すため、行は脱いだ服をまとめて篝火かがりびのひとつに放った。金色の陣羽織が火に焼かれ、形を失っていく。無用なのだ。よろいのみならず、ということなのだ。

 睦にだけ聞こえる声で、行は返した。

だったんだ。睦なら、誘いはありそうだけど」

 睦も同様、衣服を手近な篝火かがりびに放ってから、行との話を続けた。

「ありましたよ。誘いは。列椿国軍の選抜試験は難関です。勉強と鍛錬で、それどころではなかったんです。選り抜きとなってからは、いつも、仕事が山と積まれてましたし」

 兵たちは騒いでいる。化かされたか、夢でも見ているのか、そんなふうだ。実際に頬をつねっている者の姿が、行の目に映った。

「じゃあ、ふたり一緒に、あっちゃんに習おうか。男の扱い方ってやつ」

 睦は眉をひそめた。知りたくないことのように思える。しかし結局は尋ねてしまう。

「ひょっとしなくても、私、彼女に先を越されてるんですか?」

 行は半ばまで呆れ顔を浮かべ、あっさりと答えた。

「先を越されるどころか。だよ。だって、天栲湍って、あっちゃんが嫁いだ先の名字だからね」

 行の呆れ混じりに対して、睦は諦め混じりで応じた。

「愚問でした。よくよく考えれば、私より遅れをとっている女は、この世のどこにもいません」

「睦もさすがに焦る時期でしょ。あたしもちょっと思うところあるし、あっちゃんにこうべを垂れるの、決定ってことで」

 行にだって、教わるべきことはある。そして、経験に勝る知識はないだろうと考える。左手の中指、そこにある金の指輪に触れながら、行は話を足す。思うところとは何であるのか。

「よくよく考えれば、ひどい話だよ。女に指輪を贈っておいて、薬指にだけははめてくれるな、ってのはさ」

 言ってから、行は気持ちを切り替える。もう十分に見たはずだ。行は兵に向けて声を張る。裸のままで、大げさに身振りを交える。

「諸君! 見ただろう! 見ていないとは言わせない!!」

 見たならば、行は策を進められる。

 で争うことが隠のもくろみだった。将の力でやり合うのだと。では、それはとしてのみ争えるものか、だ。今、ここに別の活路がある。軍神いくさがみがいればこその活路だ。将ではない、軍師でもない、、約束の活路だ。

 ――必ず、勝つ。

 ――この身をもって示さなければ。

 行は自らで体現することを求められた。戦勝請負の意味するところを。確信を。これは常軌のそとにある別千千行の策であり、ゆえに理解が及ばず、しかし、今まで――

 ――そのいずれもが勝利に行き着いたものだ。

 行は考えたのだ。必ず勝つ博打ばくちがこの世にはあると、どうやったら納得してくれるのか。どうすれば、これも神話のひとつだと、ことができるのか。

 真に見せつけたものは、服を焼き捨てたことではない。

 将たるものが、常軌なき戦勝請負のいくさを、ことだ。

「まず諸君に求めることは、ごく簡単だ! 見たからには脱いでもらう! ひとり残らず、全員が!!」

 女ふたり、それも大将と副将が、万を超える兵の前で裸を晒せば、服を焼いたともなれば、疑うことが困難になる。行の思惑は、まずそこにあった。

 将への不信感はもう生じているだろう。戦場で武具を脱ぐのはあまりにも危険と、当然、兵は思う。しかし、ためらってもらっては困る。それでは策が成らない。

 

 ――

 示す。行の勝利への確信、行の本気を。万を超す兵を動かすため。

 戦勝請負は、別千千行の策は、常に勝利を約束するのだと。

 必勝不敗の神話は、のだと。

 行は大きく手を振り、強く声を張り上げた。体を隠すそぶりは全くない。

「改めて言っておこう! これは別千千行の策、すなわちであると!! 恥じらいで戦に勝てるか、答えは否だ!!」

 語りぐさになると言ったからには、作戦名をつけてやろうと、行はそう考える。

「武器も用具も全て捨て置け! 泳ぎが苦手な者は浮き具となるものを探せ! これより奇襲作戦に移る! 全員、あたしの後に続け!!」

 大仰な伝説ではなく、ちまたで行き交う話題だ。格好をつける必要はないだろう。覚えやすいほうがいい。滑稽なくらいでかまわない。

「別千千行のとっておきの奇策は――」

 行は、これから成すこと、そのありのままを作戦名とした。

「――軍神いくさがみの川泳ぎだ!!!」



 水の尽きつつある川の向こうに、自らが成した策、煙焔えんえんの森があれば、辺りは炎の打つ光に照らされ、隠の立つ位置からでも肉眼で確認できる。

 ――

 そこにいるはずの列椿国軍、一万は超えるであろう兵の姿がない。

「このことも、お前の想定のうちか?」

 隠の隣に立つ裁も、無論、戦場のようが見えている。だから訊ねた。

「いいえ。

 隠はわずかだけ、首を横に振った。予定外であることは認めねばならない。しかし、不可解だ。手ぶらで敵の領土を進んで、どう益を得ようというのか。隠は苦い調子で言った。

「おそらくは、武器等々とうとうを捨てて川を泳いで下ったのでしょうが、しかし、なぜ?」

 兵だけがいない。武器や用具、甲冑に至るまで打ち捨てられている。さらには天幕、何らかのために造設したとみえる舞台、持ち主を失ったままでそこにある。隠は必死に考えを巡らせるが、答えを見出せない。何のために?

 裁は指揮の判断材料とするため、別なことを訊ねた。

「これは、列椿の軍を追えるのか?」

 それについてははっきりしている。隠は答えられる。言い逃れようもなく、目の前に事実が転がっている。

。少なくとも、相手に十分な時間を与えます。この時刻、川の水はほとんど

 羽撃ちの軍が到着する頃には、川が涸れているようにする。そのことは隠の予定通りに進んでいた。もう、ほとんど流れは尽きている。

「この川、渓谷けいこくとして山を抜け、月垂りの首府のほうへ通じてはいますが、滝がいくつもあるような、まあ、懸河けんがと言いますか。わけであって、歩いて行くなら、相当、手間取ると思いますよ」

 隠の中で答えは出ない。

 ――元来が険しい川であるうえ、夜だ。死傷者も出ただろう。それでも先生は川を下ることを決行した。どうして? 武具を捨ててまで、羽撃ちとの対面を忌避する理由は?

 しかし、およそ確実としてわかることもある。

「これは、。ただの時間稼ぎで、です。列椿の軍を、我々、羽撃ちの軍の手の届かないところに配置する、そのためだけの行動です」

 いくら数で勝ろうと、いくら行が城攻めを得意としていようとも、手ぶらでは月垂りの首府は落ちない。並の将ならどうか知れないが、そこには氷月弓ひつくゆみすみがいる。望むべくもない。勝てないいくさはしかけない、ならば、攻撃ではない。これはだ。別千千行はのだ。

「私には、うまく逃げおおせたところで、袋のねずみには変わりないように思える。お前はどう思う?」

 裁に問われたが、隠には返事ができなかった。わからない。問題はそこなのだ。手ぶらで敵の領内深くに入り込み、そして、どこにも。補給路さえ確保できていない。それが成立するならば? 何がどうあれば

「報告! 裁将軍に報告!」伝令の兵がふたりのもとまで駆け寄って来て、声を張った。「三点、お伝えすることが!」

 裁は頷き、伝令の兵はひざまずいて後、事柄を告げた。

「ひとつ、天幕のうちに敵兵の姿はなし!」

 それはそうだろう。隠は考える。そこに兵を配置したところで、人数が少なすぎるうえに、むしろ囲まれてしまう。裁に説明は不要と、隠は黙したままでいた。

「ひとつ、天栲湍改は、我々の包囲を抜け、戦線を離脱した模様!」

 隠は裁に視線を向け、何も言わずに頷いた。それは想定していた。広い草原くさはらでのこと、ねずみ一匹逃がさないというわけにはいかない。まして今は夜だ。敵の位置を知れる双思沈が隣にいるならば、馬一頭と人間ふたり、包囲の合間をすり抜けることは容易だろう。

「ひとつ、列椿国軍、一名を捕縛! 白旗を掲げ、無抵抗のため! その者は、副将、乙気吹睦を名乗り、裁将軍、並びに隠殿との面会、交渉を要求しています!」

 それを聞いて即、裁は太刀を抜いた。その切っ先を、ためらいなく伝令の兵の首元に突きつけた。兵は、ひぃ、と、ごく短く悲鳴を漏らした。

「羽撃ちの兵として、道に反することはするな。交渉の使者は丁重に扱え。縛るなど言語道断だ。ただちに縄を解き、私のもとまで連れてこい」




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