三四 相伴



 噛みしめると、はやの口内に肉の旨みが満ちる。なにせ、ついさっきまで生きていたものだ。野戦のための携行食とは何もかもが違う。加えて言えば、陰手おんしゅが仕事の際に用意する食料はまずい。つい食べ過ぎてしまわぬよう、兵糧を節約できるよう、わざとそうしてある。うまいものが食いたければ現地で採れということだ。

 早は負った役目ゆえ、山道を離れられない。たまたま野兎が迷い込んできたのは幸いだった。瞬く間に仕留め、鮮やかな手際でさばいた。血の臭いが漂うのを嫌って、少し離れたところに穴を掘り、野兎の血を注いでから埋めた。乾いた土が勢いよく血を吸った。陰手おんしゅの仕事では、何かにつけて穴を掘ることを求められる。専用の道具も持ってきていたので、さしたる手間ではなかった。

 焼くことができたのもまた、幸いと言えた。

 肉を焼くのに貢献した囁も、相伴しょうばんあずかる形で、肉を頬張っている。干し肉を食わずにいられたのは何よりだが、どうしても気が抜けてしまう。抜け過ぎた結果、せっかくの野兎を炭にせずに済んだのだが。

 頬張った肉を味わい尽くし、腹に納め、余った骨を野に放れば、囁の手は自然と次のひとつに伸びる。装束の内側で早の腹部を守っていたはずの金属板は、肉を置く鉄板となり、さらに今は大皿にもなっていた。今さらなのは重々承知であれど、囁は言った。

「あのさぁ、僕たち、敵同士なんだからさ、こうして仲良く食事してるの、どうかと思うんだよね」

 早もまた、次のひとつへ手を伸ばしながら、意に介さず、事を事と思わず、あっさりと言った。

「仲良くなどと、人聞きの悪い。わぬが食おうとしていたものを、敵であるお前が勝手に奪って食った。そういうことだ」

「これ焼いたの、僕だろ。どう考えても協力してるだろ」

 潤の言うことほどではないが、これはこれで、十二分にひどい言い草だ。囁は納得できない。

「敵と協力などできるものか。お前は咎言で出す炎、その火力を調節する練習をしていた。覚えてないか?」

「全く覚えてないね」

 覚えているはずがない。その事実がない。囁は早からの要望に応えて、困惑混じりに野兎を焼いたのだ。

「記憶は確かなようだ。わぬはお前の目を盗み、お前の出す炎を利用して肉を焼いた。気づかなかったか?」

「だから、これ焼いたの僕だし、その時きみは目の前にいたし、そもそも、ちゃんと会話する気ないよね」

 囁はそれきり諦めることにした。誰にどう言われようと、早は協力の事実はないと言い切り、それを押し通すつもりなのだ。

「そんな些事さじはいい。ただ、わぬわぬで心配になるんだがな。つまり、お前に肉を焼かせてしまったわけだろう」

「ねえ、きみさ、ついさっき自分で言ってたこと覚えてる?」

 囁は思い直した。早は、言い草を押し通すつもりさえない。

「戦勝請負の面々は、別千千行の許可がなければ咎言を言ってはならないのだと聞いている。よかったのか?」

 やはり囁は気が抜ける。協力について開き直られ、こちらの内情に気を配られている。いざ何か命令があれば別だろうが、少なくともその時までは、馴れ合いが最優先であるらしい。

「ま、緊急時はって指示書に書いてあったから、平気でしょ。腹が減ってはいくさができない。いくさができないなんて、立派に緊急。つまり、お腹が空いたら言っていい」

 囁は囁なりに、早に気を遣おうとしたのだが、全く伝わる気配なく、逆に早から冷ややかな視線を浴びせられた。

「お前は阿呆あほうか。そんな言い草、通るわけがないだろう」

「……その言葉、僕が最初からきみに言っておけばよかったよ」

 もう何も言うまい、囁は努めてそう思おうとする。たぶん無理だろうと自分で思う。どうして、腑に落ちないと、こうしてつっかかってしまうのか。

「つまり、わぬたちが協力した事実は、肉と一緒に腹に納めるのが賢明ということだ」

「うまいこと言えてるんだか、言えてないんだか」

 洒落はともかく、この件は互いになかったことにしておこうと、そういうことだった。

「子供の洒落を、いちいち真面目に評価しようとするな。先のやりとりといい、しばらく会わないうちに、お前は性格がねじくれたようだ。いつからだ?」

 洒落はいいにしても、では子供の無礼はどうなのか。取り合わないのか諫めるのか、囁はすぐに解を導けない。きっと、あの頃なら違った。

「ねじくれって、どうしてそういう言い方するかなぁ。いつからって、もとからだけど。あえて言うなら、、かな。昔の僕って、そんなにいい子だったの?」

 一瞬だけ、早が肉を噛む動きが止まる。正義の味方をやめた、その言葉に引っかかるものを感じたからだ。それは、不自然に聞こえたというのではない、逆で、そのほうが自然に思えてならなかった。哭日女なきひるめさやは、必勝を請け負う傭兵よりも、正義の味方でいるほうが似合う、ふさわしい、と。

 いつ、どうして、正義の味方をやめたのか、早は聞きたかった。しかし、踏み込んだことまで尋ねるのは馴れ合いを逸脱している。そう判じて、囁からの問いに答えることを先とした。

「すでに咎を負っていたのだから、いい子というのは正しくないだろうな。だが、明るかった。まっすぐで、まぶしくて、わぬにとっては太陽だったよ」

 囁は早の言葉を否定しようとは思わず、また、驚くこともなかった。

 囁の心中に思いが湧く。性格の根っこのところは、ひどく変わったわけではないだろう。あの頃も、素直とはとても言えなかった。けれど、明るいということならば、誰かを照らすという意味であれば、であった頃の自分は、そう思われていた。たくさんの人たちから。

 自分よりもっと幼い子供たちから。

 あるいは、背負うもののある大人たちから。

 そして、誰より大切な、乱のさやから。

 囁が乱のさやを名乗れないのは、乱のさやというものが、自分ひとりで成り立つものではないと知っているからだ。

「僕と一緒にいたのは三日間だけ、って、確かそう言ってたね」

 こうして話を掘り下げようとするなど、らしくない、囁はそう思う。自分がそれを知りたいわけではないと、自分でわかる。少しばかり、思い出しただけ。自分より幼い子供と接する時、どんなふうにしていたかを。

 囁に導かれ、甘えていると感じながら、早は話を続けた。話したくて仕方なかった。

「もともと、行くところがあるという話だった。今から考えれば、三日も割いてくれたと思うのが適切だったろう。別れの挨拶くらいしてほしいものだったが、わぬがどうするかを思えば、黙って出て行って正解だったろうな」

 結局これでは、話の内容が違うだけで、馴れ合いを逸脱している、早としては、そう判ずるしかない。世間話では済まない。情でほだして、情にほだされて、戦場においては、味方同士であっても認められないものを、あろうことか敵同士で。

 それを理解していてなお、早は話し続けた。

 許されないこと、けれど、あまりにさやらしい、そう思えば、つぐめなかった。

さやが行ってしまったと気づいて、わぬはすぐに里を飛び出した。さやを探し、一緒に旅をさせてくれと頼むつもりだった。まだ年端はいかなくとも、陰手おんしゅとして鍛えられた身ならば、きっとさやの役に立てる、力になれると、そう思って」

 すでに話は本来のところから逸れている。問われたのは、共に過ごした三日という期間についてだった。それは、囁と早、どちらともがわかっていた。

「それから、きみはどうしたの? 一緒にいたのは三日間だけ、なら、僕とは会えずじまいってことだよね」

 そうも言われれば、早はなおさらに黙れない。囁が聞きたいのではない、早が話したいと思っていることを言わせてやりたい、そう願うゆえの問いだとわかる。

「その問いに答える前に、前置きをしたい。陰手おんしゅとして鍛えられた身、わぬはそれで十分、さやの力になれると思っていた。だから、お前の力になるべくして、というのではなく、純粋に、哭日女さやに憧れて、わぬは咎持ちになりたいと思った」

 これから話す全てに、何ひとつさやが責任を負うべきものはない、早は、それを言外に含ませた。それだけは断っておきたかった。

陰手おんしゅというのは、人のやりたがらない物騒な仕事を何でも請け負う集団でな、そんなところで育てば、罪とは何であるか、知りようがない。知れば仕事にならない。わぬは、罪悪感というものを知らなかった」

 これではまるで懺悔ざんげだ、早は思う。大倭やまとでの出来事を子細に話すとなれば、形としてはそうなってしまう。馬鹿げていると思う。今さら何かを許されようとも思わない。けれど、早の口はつぐまれない。言葉は続く。ひとつ、確かな思いを抱くゆえに。

 ――形など、かまうものか。

 ――さやが隣にいて、自分の話を聞いてくれる。ずっと、夢見ていた。

「問いの答えに戻ろう。わぬは咎持ちになりたくて、さやを探しながら、人を殺してまわった。もはや日課だったな。何人殺したか、数えながら進んだ。、根拠もなく、そんなふうに思っていたよ」



 ―――――――――――



 気づけば、唐梅からうめ椿つばきを見かけるようになっていた。

 早が陰手おんしゅの里を出たのは年明け早々、それからひとつき余りが経っている。北上したからなのか、小田原と比べ、寒さは厳しいものとなっていた。もういくらかすれば、巡る季節が追い越して、暖かくなっていくだろう。春は目の前だ。

 さやは北に向かうと言っていた。奥州おうしゅうに行くのだと。事実、道中、さやらしき人物を見たという証言も得られている。情報収集もまた、陰手おんしゅの仕事のひとつだった。さやは旅慣れている様子だった、わらべの足では追いつけまい、早はそう判じて、さやの足取りを正確に追うことを優先し、細かに情報を拾っていった。

 急がずとも、追っ手が来ないことはわかっていた。身内への報復は陰手おんしゅの流儀にない。

 里をもってひとつの生命とする、ならば、里の者たちは互いに同一の生命。誰かが早を追い、早を始末することは、自らを追い、自らを始末することと同じ。明らかな敵対行為があるではない。里を抜け出した程度で、自死にも等しい命令は下せない。

 小田原のある相模さがみを出て、武蔵むさし下総しもうさを抜けて、常陸ひたちを過ぎ、早はついに奥州の地に足を踏み入れている。とはいえ、ひと口に奥州と言っても広い。さや津軽つがるまで行ってしまうかもしれない。あるいは、あくまで奥州は中継点に過ぎず、蝦夷えぞまで行ってしまうのかもしれない。

 それでも、仮にもしさやがもっと先、樺太からふとまで行ってしまうのだとしても、あるいはそのずっと先でも、絶対に探し出そう、早は心に決めていた。一緒に旅をしたいことは、心を尽くして頼み込もう、でも断られるのかもしれない、それは仕方ない、さやの迷惑になってしまうのなら考えものだ。

 とにかく、もう一度会いたい、そんな気持ちが強かった。

 海沿いの道は静かで、波音の合間に鳥が散発的に鳴くばかりだった。おそらくさやはこの道を通っている、その時の景色はどんなものだっただろう、やはり、こんなふうに静けさに満ちていたのだろうか。道々、さやの抱いたかもしれない旅情に思いを向けながら、早はその歩みを進めた。情報を集め、推考のうえで、さやの旅路をなぞっていくのは、憧れの強さゆえでもあった。

 歩みを進めると、早は商人らしき一行と行き違った。恰幅かっぷくも身なりもいい壮年の男と、それに従い、荷車を引くふたりの若い男と、武装したひとりの若い男がいる。荷はどうやら西洋菓子のようである。国交をほぼ閉ざしている大倭やまとでのこと、物珍しくて売れるのだろう。菓子の包みにあったのは漢字だったが、国人が作ったものなのか、輸入品を包み直したものなのかは、判断がつかない。

 そのまま行き過ぎようと思ったのだが、よわい六の童女のひとり旅を訝しく思ったらしく、壮年の男が「嬢ちゃん、ひとりでどこに行くんだい?」と声をかけてきた。悪意ゆえではないのだろう、そう判じて、早は立ち止まり、しかし丁寧に接する義理もなかったので、「心配は無用です。人に会いに行くだけです」と、さらりと答えた。

 早の答えを聞き、武装した男が大げさに驚いてみせて、言ってしまった。

「おいおい、こんな小さな子にこんな道を歩かせるなんて、そいつ、ろくなやつじゃねえぞ」

 そう言われれば、悪意のあるなしは、もはや関係なかった。

 ろくなやつではない、それは、早が会おうと思っている人、つまりはさやを指して言われたことになる。

 ――さやお姉ちゃんが? 私の太陽がろくなものではない?

 ――陰手おんしゅとして育ち、光を知らなかった私を照らしてくれた存在が?




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