三四 相伴
噛みしめると、
早は負った役目ゆえ、山道を離れられない。たまたま野兎が迷い込んできたのは幸いだった。瞬く間に仕留め、鮮やかな手際で
焼くことができたのもまた、幸いと言えた。
肉を焼くのに貢献した囁も、
頬張った肉を味わい尽くし、腹に納め、余った骨を野に放れば、囁の手は自然と次のひとつに伸びる。装束の内側で早の腹部を守っていたはずの金属板は、肉を置く鉄板となり、さらに今は大皿にもなっていた。今さらなのは重々承知であれど、囁は言った。
「あのさぁ、僕たち、敵同士なんだからさ、こうして仲良く食事してるの、どうかと思うんだよね」
早もまた、次のひとつへ手を伸ばしながら、意に介さず、事を事と思わず、あっさりと言った。
「仲良くなどと、人聞きの悪い。
「これ焼いたの、僕だろ。どう考えても協力してるだろ」
潤の言うことほどではないが、これはこれで、十二分にひどい言い草だ。囁は納得できない。
「敵と協力などできるものか。お前は咎言で出す炎、その火力を調節する練習をしていた。覚えてないか?」
「全く覚えてないね」
覚えているはずがない。その事実がない。囁は早からの要望に応えて、困惑混じりに野兎を焼いたのだ。
「記憶は確かなようだ。
「だから、これ焼いたの僕だし、その時きみは目の前にいたし、そもそも、ちゃんと会話する気ないよね」
囁はそれきり諦めることにした。誰にどう言われようと、早は協力の事実はないと言い切り、それを押し通すつもりなのだ。
「そんな
「ねえ、きみさ、ついさっき自分で言ってたこと覚えてる?」
囁は思い直した。早は、言い草を押し通すつもりさえない。
「戦勝請負の面々は、別千千行の許可がなければ咎言を言ってはならないのだと聞いている。よかったのか?」
やはり囁は気が抜ける。協力について開き直られ、こちらの内情に気を配られている。いざ何か命令があれば別だろうが、少なくともその時までは、馴れ合いが最優先であるらしい。
「ま、緊急時は言っていいって指示書に書いてあったから、平気でしょ。腹が減っては
囁は囁なりに、早に気を遣おうとしたのだが、全く伝わる気配なく、逆に早から冷ややかな視線を浴びせられた。
「お前は
「……その言葉、僕が最初からきみに言っておけばよかったよ」
もう何も言うまい、囁は努めてそう思おうとする。たぶん無理だろうと自分で思う。どうして、腑に落ちないと、こうしてつっかかってしまうのか。
「つまり、
「うまいこと言えてるんだか、言えてないんだか」
洒落はともかく、この件は互いになかったことにしておこうと、そういうことだった。
「子供の洒落を、いちいち真面目に評価しようとするな。先のやりとりといい、しばらく会わないうちに、お前は性格がねじくれたようだ。いつからだ?」
洒落はいいにしても、では子供の無礼はどうなのか。取り合わないのか諫めるのか、囁はすぐに解を導けない。きっと、あの頃なら違った。
「ねじくれって、どうしてそういう言い方するかなぁ。いつからって、もとからだけど。あえて言うなら、正義の味方をやめた時、かな。昔の僕って、そんなにいい子だったの?」
一瞬だけ、早が肉を噛む動きが止まる。正義の味方をやめた、その言葉に引っかかるものを感じたからだ。それは、不自然に聞こえたというのではない、逆で、そのほうが自然に思えてならなかった。
いつ、どうして、正義の味方をやめたのか、早は聞きたかった。しかし、踏み込んだことまで尋ねるのは馴れ合いを逸脱している。そう判じて、囁からの問いに答えることを先とした。
「すでに咎を負っていたのだから、いい子というのは正しくないだろうな。だが、明るかった。まっすぐで、まぶしくて、
囁は早の言葉を否定しようとは思わず、また、驚くこともなかった。
囁の心中に思いが湧く。性格の根っこのところは、ひどく変わったわけではないだろう。あの頃も、素直とはとても言えなかった。けれど、明るいということならば、誰かを照らすという意味であれば、乱の明であった頃の自分は、そう思われていた。たくさんの人たちから。
自分よりもっと幼い子供たちから。
あるいは、背負うもののある大人たちから。
そして、誰より大切な、乱の
囁が乱の
「僕と一緒にいたのは三日間だけ、って、確かそう言ってたね」
こうして話を掘り下げようとするなど、らしくない、囁はそう思う。自分がそれを知りたいわけではないと、自分でわかる。少しばかり、思い出しただけ。自分より幼い子供と接する時、どんなふうにしていたかを。
囁に導かれ、甘えていると感じながら、早は話を続けた。話したくて仕方なかった。
「もともと、行くところがあるという話だった。今から考えれば、三日も割いてくれたと思うのが適切だったろう。別れの挨拶くらいしてほしいものだったが、
結局これでは、話の内容が違うだけで、馴れ合いを逸脱している、早としては、そう判ずるしかない。世間話では済まない。情で
それを理解していてなお、早は話し続けた。
許されないこと、けれど、あまりに
「
すでに話は本来のところから逸れている。問われたのは、共に過ごした三日という期間についてだった。それは、囁と早、どちらともがわかっていた。
「それから、きみはどうしたの? 一緒にいたのは三日間だけ、なら、僕とは会えずじまいってことだよね」
そうも言われれば、早はなおさらに黙れない。囁が聞きたいのではない、早が話したいと思っていることを言わせてやりたい、そう願うゆえの問いだとわかる。
「その問いに答える前に、前置きをしたい。
これから話す全てに、何ひとつ
「
これではまるで
――形など、かまうものか。
――
「問いの答えに戻ろう。
―――――――――――
気づけば、
早が
急がずとも、追っ手が来ないことはわかっていた。身内への報復は
里をもってひとつの生命とする、ならば、里の者たちは互いに同一の生命。誰かが早を追い、早を始末することは、自らを追い、自らを始末することと同じ。明らかな敵対行為があるではない。里を抜け出した程度で、自死にも等しい命令は下せない。
小田原のある
それでも、仮にもし
とにかく、もう一度会いたい、そんな気持ちが強かった。
海沿いの道は静かで、波音の合間に鳥が散発的に鳴くばかりだった。おそらく
歩みを進めると、早は商人らしき一行と行き違った。
そのまま行き過ぎようと思ったのだが、
早の答えを聞き、武装した男が大げさに驚いてみせて、言ってしまった。
「おいおい、こんな小さな子にこんな道を歩かせるなんて、そいつ、ろくなやつじゃねえぞ」
そう言われれば、悪意のあるなしは、もはや関係なかった。
ろくなやつではない、それは、早が会おうと思っている人、つまりは
――
――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます