一七 禍神
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もともとは
外から村に来る者はごく
村のしきたりのひとつが、行の運命の全てを変えた。
最後の数字が五になる年の、その大晦日に生まれた子は、禍神の子とされる。百年以上、村では条件に合う子が生まれていなかったが、その決まりごとが忘れられたわけではなかった。まさにその条件のもとに、行は生まれた。
村の女たちは、逆算し、その前後に子が生まれぬように努める。行の母も例外ではなかったが、早産は防げなかった。新たな年、最後の数字が六になる年が始まる直前のことだった。村人たちが懸命に手を尽くし、行は命をつないだ。
もともと村の伝承は、なめした動物の皮に書かれたものとして伝わっていたが、後にそれを岩に彫って、周知を徹底していた。禍神の子についての記述もそこにあった。
その日に生まれた子をすぐに殺し、地獄へ帰すと、親である禍神の怒りを招く。ゆえに、
ただし、決して人の言葉を覚えさせてはならない。人の言葉を知ってから帰せば、言葉が地獄で広まり、利用され、人の世に大いなる災厄を招く。そう信じられていた。
幼い行はずっと、蔵の中で暮らしてきた。
村の外れに、持ち主がわからなくなり使われていない蔵があった。村人はその蔵に少し手を加えてから、そこに行を押し込めた。蔵の近くでは、誰も口を利こうとしなかった。行に人の言葉を知られるのを恐れてのことだった。
服は着ていなかった。行はずっと裸で過ごしてきた。村人は行に服を与えず、そも、服を用意されても、その価値も着方も、行は知らなかった。秋になると、蔵の中に掛け布団が二枚ほど放り込まれる。それは噛みちぎるべきではなく、
蔵の中には何もない。もともとあった物は全て、行を入れる前に村人が持っていった。板張りの床、白塗りの壁。
唯一、便器だけはあった。村人が急ごしらえで取りつけたものだった。気づかぬうちに行は使い方を心得ていた。後始末の手間を省くために、村人はその作法については叩き込んだ。決してひと言も発さぬままに。
耕地のための水を、蔵にも引いてあった。壁に空いた穴を通ってきた水は、蔵の隅、床板がひとつ外された部分にたまるようになっていて、必要以上の水位になると、別な穴から外に流れていく。時々はそれを飲まないと乾くのだと、それはわかっていた。
明かり取りの小さな窓から、日の光が注ぐ。窓は狭く、子供であっても到底くぐり抜けられない。壁にあったひびを補修した跡が目についた。
行は腹が空いていた。村人は一日に一回、日が沈んだ後にここを訪れて、一日ぶんの食料を置いていく。そのための窓が、蔵の入り口に
一日の食料を、調子に乗って昨夜のうちに食べきってしまっていた。空腹に耐えかねた行は、草を食べようと思った。
この蔵に、巧妙に隠された隠し扉があることを、行だけが知っている。人が来るのは月に数回、おおよそにおいては行は蔵の中を好んでいる。そのことが幸いして、村人には知られぬままだった。
床板の一枚が、ぱかりと、上に開くようになっている。開けるにはこつがいる。縦長の板の一方に体重を預けないと、もう一方に指がひっかけられない。指をかけてから、奥に少し押し込む必要がある。そうしてやっと、片側を縦に持ち上げられる。それを見つけたのは、全くの偶然とも言えたし、持て余した時間と行の好奇心ゆえだったとも言える。
床板を持ち上げた後もこつがいる。支えていないと勝手に閉まるのだ。そのつくりを、行は不思議に思わなかった。そういうものだと思っていた。それは、かつての持ち主が、間違っても奥にあるものが知られぬよう工夫したものだった。
うまく床板を上げると、大人がひとり、どうにか通れる程度の入り口が生まれる。上げた床板の下に潜り込み、その先にある階段を、行は慣れた足取りで降りていった。長いうえに曲がり角があり、灯りがないために暗い。転ぶと痛いことはすっかりわかっていた。曲がり角がなければ、骨折していたかもしれなかった。
階段を降りきると空間が広がる。薄暗いながら光が漏れ入り、ここが地下室であると示していた。部屋にあるのは、図書館ができるのではないかと思わせるほどに積み上げられた書物。蔵よりもずっと広いが、山積みの本は押し寄せるようで、むしろ閉塞感がある。
書物は全て、かつての蔵の持ち主が
行は一冊を無造作に手に取った。いつもの作法だった。それにどんな価値があるかは知らない。ただ、ぺらぺらめくると何となく楽しい。それだけのもので、行にとっては
その部屋の先でまた階段を下る。大人が立てるだけの高さと、大人ひとり分の道幅しかない。もともとは、その出口にあたる場所に
通路を抜け、行は外に出た。陽がはっきりと差す。
しかし、そこからどこに行けるでもない。周囲は崖になっている。極端に高いものではないが、その絶壁は直角を超え、内側に倒れていた。登ろうとすれば指だけで体を支えることになり、行でなくとも困難を極める。ぽっかりと円形に切りとられた空は、
崖下には行が走り回れるだけの広さがあって、隅には青銅でできた机と椅子が置かれていた。最初に来た時は中央に鎮座していたが、邪魔だったので、行はそれを苦労して隅に押しやっていた。かつての持ち主が、陽のもとで読書をするために置いたものだったが、行にとってはぶつかると痛いものだった。
種子が舞い込んでくるために、草が伸び放題になっている。虫が住み着いてもいる。行はどちらも食べてみたが、草のほうが幾分か口に合った。
お気に入りの場所があり、そこに生える草は端から引き抜いていた。目についた芽を抜いてから、行はそこに
自分を囲むように伸びている草を、行は手に届いたものからちぎって口に運ぶ。本をぺらぺらとめくっていく。軽快だった指の動きは、すぐに緩慢になった。
だんだんと飽きてきている。めくる指が止まる。本の一
ふと、行は、致命的な勘違いをしていることに気づく。
もしそれを言語で表すとするなら、次のようになる。
――この模様は、一
――もっと小さい単位があるのではないか?
行は文字というものを知らない。一
勘違いを正してみると、全く別のものが見えてきた。切り離された小さな模様――一字を認識すると、同じ形をしたものがいくつもあることに気づく。こっちにもあっちにも〈あ〉がある。〈奇奇怪怪〉は同じ形が繰り返されている。じっくりと見てから、
行は
さらに見入る。文字の並びを熟視する。逆に〈諮〉という形は、一度見たきり出てこない。〈空〉は、多くはないが、たびたび目にする。いったいなぜなのか。これは何なのか。
生来のものとして、すでに観察眼と洞察力は頭抜けていた。そして何より、眠っていた知的好奇心が爆発した。行自身、何をどうともわからぬままに、知りたいと欲した。
この時の行はあらゆる概念を知らない。それでなお、やってのけた。ただ閃きだけに頼って、抽象的に過ぎる感覚の中で、疑問を持つということをやってのけた。
あえて言葉に起こすのならば、例えば次のようになる。
――〈鳥〉と〈烏〉、あるいは〈島〉は、よく似ているが、違う。これは別のものとして扱っていいのだろうか?
――〈は〉や〈が〉、あるいは〈と〉の上には、特定の形があることが多い。〈私〉がとても多く、〈君〉や〈方〉も繰り返し見かける。その時、〈方〉の上には〈貴〉がある。つまり、〈私は〉、〈君が〉、そして、〈貴方と〉だ。この偏りはなぜ生じる?
――そして、なぜ〈私は〉、〈君が〉、〈方と〉の順序になる? 例外もある。〈それは私なんだ。〉の中には、〈は私〉という逆の形がある。〈悪いが君にはやれない。〉の中には〈が君〉がある。〈やっと方針を決めた。〉には〈と方〉がある。逆にしてもいいものなのか? それならばなぜ、〈と方貴〉が存在しない?
行はまだ、言葉が意味を持つことを知らなかった。
どのくらい
文章が何かを示し、伝えようとしていることを知らぬまま。
行は意味よりも先に文法を見つけ、それだけを、法則を解き明かすことだけに、深くのめりこんでいった。
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