跋 ある軍人の立身

終局 上下



 列椿の国の首府、王城の上階、西国さいごくで言うところの露台バルコニーに四人はいた。ただし、いつもの四人組、とは言えなかった。

 もう夜も遅い。石造りの床、銀の柵が、四隅よすみに置かれた篝火かがりびによって照らされていた。中央、銀の円卓の上には空いた皿が並ぶ。ゆくの誕生日を祝うために集まったのであるが、そのつどいは、結局、のまま終わろうとしていた。

「ねえ、本当に今さらなのだけれど、決して、嫌ではないのだけれど――」

 事の次第を承知している行は何も言わなかった。しずは歓迎するばかりで疑問を持たなかった。うる凍罪いてつみの島に誘おうと思っている手前、今の今まで我慢していたのだが、こらえきれず、あらたは疑問を口にした。

「――どうして潤がここにいるの?」

 露台バルコニーの円卓を囲む銀の椅子に座っているのは、普段着としての浴衣ゆかたを着た行、沈、改、そして、いつもの振袖ふりそでではなく、西国で仕立てられた黒の婦正装ドレスを着たなのである。潤はいつも通りにおどをそばに置き、当たり前のように座っている。気安い調子で、行は答えた。

「そりゃあ、いるよ。なんたって、明日、一緒に仕事をしようっていうんだから。親睦なしに連携を築くのは無理があるからね。ま、誕生日祝いの贈り物は、ひとつでも多いほうが、あたしも嬉しいし」

 今日は十二のつきの末日、行の誕生日で、改も贈り物を渡していた。小遣いに余裕があるではなく、むしろささやへの借金、一〇八七五もんめはうやむやのうちに据え置きになっており、改は木彫りの熊を自作するしかなかった。

 反して、潤は金に余裕がたっぷりとある。伊達につわものの頂点はやっていない。行への祝いの品は、音に聞く香木こうぼくに始まり、名高い茶器が続き、さらには西国で刷られた最新の書物が積み上げられた。むしろ贈り物目当てだったのではないかと、改はかんぐりたくなる。何せ今もまだ行は、囁がいないことに文句をつけていないのだ。

 これ以上、この話題を掘り下げても、改には自分が不利になるだけのように思われたので、切り口を変えることにした。

「潤と一緒に仕事を?」

「そ。明日の警備、潤と一緒にやるから」

 今となっては、改には不満があるではない。島に招くのに好都合であるし、周囲を見渡し、即座に攻撃に移れる潤がいることは、警備を万全なものとしよう。しかし気になることはあった。

「潤も一緒に、って、よくそんな予算がついたものね」

 戦勝請負に加えて、の潤も雇うのだと、改はてっきりそう思った。違った。行は呆れ混じりに否定するのだった。

「まさか。いくら列椿だってそんなお金はないよ。、潤はだから、よろしく」

 改は絶句するしかなく、沈は嬉しそうに聞いていて、行は饒舌に続けた。

「正式な一員として加わるんだから、潤には、戦勝請負の流儀に従ってもらう。ひとつきの小遣いは三〇〇〇もんめ

 当の潤は、沈よりもいっそう嬉しげでいた。喜色満面で口にする。

「あっちゃんとさっちゃんより多いんだよねぇ。そんなにもらっちゃっていいのかなぁ?」

 むしろ額が多いと疑問を持つのだった。潤のそば、露台バルコニーの床でとぐろを巻いているおどが、主人の問いかけを聞いて舌を二回出した。否定の意だった。戯は蛇で、問いの意味など理解できるはずもないのだが、きっと主人の疑問を根本から否定したいのだろうと、改には思われて仕方なかった。

「いいんだよ。潤は経歴も長いし、一番年上なんだから、それで」

 行はさらさらと言うが、どう考えても、。改にはそうとしか考えられない。正式な一員であるのは一日だけ、つまり行は、一日あたりの小遣い、たったの一〇〇もんめつわものの頂点をこき使うはらなのだろう。

 他方、改には当てつけにも思えてくる。

「まるで、君王苑くんのうえんを半周する必要なんてなかったと、そう言うかのようね?」

 改は行を睨む。行は面白そうに笑うだけで、否定する気を見せなかった。

「ま、実際、必要ないからね。君王苑半周なんて。団子だんごを三十四本我慢すればお釣りがくるよ」

 改は、結局は文句がつけられない。潤が孤独に過ごす日が一日減るというなら、それは望むところなのだ。

「ところで、さっちゃんはどこで何をしてるわけ?」

 行がやっと思い出したかのように言った。囁からの贈り物にはもとより期待していないと、改にはそのように聞こえる。

 沈が、少し言いにくそうに口を開いた。

「その、さっちゃんは、生理痛が重いということで、部屋で休んでいます」

「まあ、体調不良は仕方ないけど。でも珍しいね、しずっち、そういう時はさっちゃんの面倒見てるでしょ」

 どこか残念そうな、少し嬉しそうな、複雑な顔つきになって、沈は疑問に答える。

「わたくしとしては、そうしたかったのですが、先客がいましたので、遠慮してこっちに来たんです」

 言われて、行にはに思い当たるところがある。戦後処理をしていく中で、かくと世間話をする機会は数多くあった。行が調整や交渉に追われ、戦勝請負として働けない間を見計らい、先に囁のほうから訪ねたらしい。仕事が一段落したと知るや、列椿の国に帰ることなく羽撃ちの国に向かったのだと聞く。

「あたしの誕生祝いは欠席でいいけど、これから明日の作戦会議をするから、そっちはそうもいかない。潤、さっちゃんを無理にでも連れてきてくれる?」

「ええぇ、行ってもいいけど、潤の仕事、高いよぉ」

 困惑の浮かぶ潤に対して、行は親愛を込めた笑顔を向ける。表情は言葉に力を与える。欠かしてはならない。今や、全くの偽りというわけでもなかった。

「これは仕事の依頼じゃないよ。

 友達、その語に、潤はことさら強く反応し、びくりと、椅子の上でわずかに跳ねるようになった。そうもなるだろう、改は思う。友達らしい友達なんて、よわい十七を数える今まで、潤にはいたことがないのだから。

「大急ぎで絶対に、さっちゃんを引きずってでも連れてくるね!」

 潤はすっくと立ち上がり、意志の炎は瞳のうちに燃え上がるようで、戯を伴うこともせず、全力で駆けた。あまりにいたために、黒の婦正装ドレスすそが椅子に引っかかって破れたが、全く気にするそぶりなく、露台バルコニーから城内に入るのだった。

 これもやはり、改には当てつけに思えるばかりだ。

「君王苑を半周する必要なんてなかったと、そう言うかのようね?」

 行はまたも否定せず、面白がりながら、呆れてみせるだけなのだ。

「実際、必要ないからね。君王苑半周なんて。ちっとも」


 潤に連れてこられるなり、部屋着として着ている藍染めの浴衣のまま、囁はぐったりと床に倒れ込んだ。軽くうめき、相当に腹が痛む様子だ。ただ、面々の目は、囁ではなく共に来たに向いていた。

「いったいどういうつもりだ。腹痛で苦しんでいる者を、無理に起こして連れ出すなどと」

 その人物は怒りをあらわにして、今にも噛みつかんばかりである。

死処しどころの姫も一緒にいたんだけど、どうしてかなぁ」

 潤は不思議そうに言う。怒気を振りまいて立つのは、死処の姫として名を知らしめた、禍祓まがばらえはやに違いなかった。あくまで私用と、早は簡素な麻の服を着るのみだった。

「いくら陰手おんしゅと言えど、休暇くらいはある。たまの休みに友人を訪ねてきて何が悪い」

 機嫌をすこぶる損ねたまま、早はまくしたてる。

「そんなことは些事さじだ。いったいどういうつもりだ。だいたい、この国の医療はどうなっている。鎮痛剤をもらうべく城の医務部に行ったが、あるのはおよそ効果の期待できない生薬しょうやくばかり。治す気があるのか、あそこは」

 憤懣ふんまんやるかたないと、早は医務部とは無関係の行たちにまで食ってかかる。早の見方からすれば、列椿の医療は遅れていると断じる他なく、囁が割を食うとなれば許しがたい。

「まあまあ、の言いたいこともわかるけど」

 行は、一応は早をなだめ、場を収めようとした。疑問を呈したのは沈だ。

「あの、いくらあだ名とはいえ、はち公というのは……」

 早を指して言われた名であり、普通、はち公は犬への愛称である。人に使うのはいかがなものかと沈には思われた。しかし、早本人は一向に気にしない。気にするだけの余裕がない。そして、怒りの収まる気配がない。

「わかられてたまるか! さやをこれほど無体に扱う者たちに!」

 行はすぐに諦めて、膝元に置いていた巾着袋きんちゃくぶくろから自分の印を出した。それを早に向けて掲げ、そっけなく言う。

「これ、あたしの印。貸してあげるから、軍の医療班のところに行って、薬を分けてもらってきなよ。そこなら、西国から輸入した鎮痛剤があるから」

 聞くや否や、早は半ば引ったくるようにして行から印を受け取り、先の潤を上回る速度で露台バルコニーを駆け、城内へ入り、そのうえさらに速度を上げて城の廊下を駆ける。

 行は何とも言えない顔つきで、沈に答えた。

「ね、っていうのも、的外れじゃないでしょ。まるで忠犬だよ」

 沈はずいぶんと困り果てて、どうにか言った。

「その、わたくしとしては否定したいのですが……否定の言葉が見つかりません」


 下働きの者が三人、器に載ったかき氷を持って、露台バルコニーに入ってきた。その最後、追うように入ってきたのがむつだった。仕事が済んでから着替えることもなく来たらしく、緋色の半着に黒の袴という、列椿の軍衣のままだ。

「遅くなって申し訳ありません。雑務がなかなか片づかなくて。お詫びにと思って、かき氷を用意してもらいました」

 それぞれ、かけられた蜜の違う、六つのかき氷が銀の円卓に並べられる。潤は数に入っていたが、さすがに早の分はなかった。

 ちょうど下働きの者と入れ代わりに、薬を取りに行っていた早が駆け込んでくる。すっかり肩で息をしていた。ふっと顔を上げ、かき氷に目が留まるや、また怒りをこらえられなくなる。

「腹痛で苦しんでいる者に、かき氷を食べさせようというのか。いったいどういうつもり――」

 またもまくしたてられようとするところ、遮ったのは腹痛を抱えている本人、囁だった。

「早、僕、苺の蜜のやつね。溶けちゃうから、今、食べる。持ってきて」

 言われるなり、早は自分の言っていたことをすっかり忘れ、円卓の上から苺のかき氷とさじをひとつ奪い、身を起こそうとしている囁のもとへ急ぐのだった。

「やっぱり、だよ」

「その、えっと、否定したいのですが……ごめんなさい」

 行は納得し、頷きを繰り返し、沈は申し訳なさそうにうつむいてしまう。

 どうあれ関係は良好なようだとして、行は視線を移し、円卓のそばに立つ睦に向ける。言うことがあった。

「睦、出世おめでとう」

 行はいたずらめいた笑みで言う。睦には心当たりがない。何を指して出世と言われているのだろうか。訊ねるしかなかった。

「出世とは、いったいどういう?」

「正式な書類は明日だって言ってたから、まだ知らないか。軍の選り抜きは任命に対して拒否権がないから、どうしようもないけど」

 どうも睦には、穏やかならぬ事態に思える。問いが重なる。

「いったい私は、何に任じられるんですか?」

 ごくごく当たり前のことのように、自然な口ぶりで行は答えた。

「出世おめでとう。睦は明日から正二位しょうにいで、列椿国軍のだよ」

「は?」

 言ったまま、睦は開いた口が塞がらない。そして、思い出してしまう。先のいくさが終わった直後、隠から言われていたことを。別千千行の策はきっとこれで終わらないと、勝者はただひとり、乙気吹おといぶき睦なのではないか、と、そのことを。

 たっぷり唖然とした後、睦はどうにか気を取り直し、別なことを訊ねた。

「いったいどういうなら、私が総大将になれるというんです?」

 どう考えても、睦には、行の策略であるとしか思えなかった。

「心外だなぁ。あたしはただ、質問に正直に答えただけだよ。ほら、さすがに、爺ちゃん将軍をそのままにしておけないでしょ。戦勝請負としても困るし。信頼できない将のもとでは仕事ができないって、王に言ったわけ」

 そこまでは、睦にも当然の流れだと思える。軍の主力を、知っていて危険に晒したのであれば、どこかから罷免ひめん要求があってもおかしくはない。総大将の任命権は王が持つ。責任の一端は王にあるとも言える。話の筋道は合っている。

「で、王にさ、誰であれば信頼できるのか、って、そう聞かれたから、思うままを言っただけ」

 それは、、ではなく、、というほうが正しかったろうと、睦には思える。行は巧みな話術をもって、話を誘導したのだろう。

「聞かずとも答えはわかりましたが、どうぞ、続きを」

 睦は諦めの境地に至る。選り抜きとなるにあたって、任命に拒否権を持たないと、しっかり契約を交わしている。自宅の書類棚には契約書の控えがある。逃れられるものではない。それも含めての待遇なのだ。

 本来、地方へ赴任することを拒めないなど、そういう狙いのものであるが、まさか総大将の就任において活かされようとは。

 作った表情ではなく、ごく自然と、行の顔つきは嬉しげになった。行にとってもっとも望ましい人選が実現しようとしているのであるから。

「もちろん、答えは決まってる。戦勝請負にとって信頼に足る将は、乙気吹睦しかいない、ってね」

 ほとんど脅迫に近しいと、睦はげんなりしながら思う。乙気吹睦を総大将に据えなければ、戦勝請負は列椿の国から離れると、そう言っているに等しいからである。王としては、若手の抜擢ばってきひとつで話が済むというなら、呑むしかないだろう。

 勝者は乙気吹睦ただひとり、それはあるいは正しいのかもしれないが、睦は疑問にも思う。。別千千行の策、その裏の裏は、乙気吹睦が総大将に就くことであるのかもしれない。けれど、がないと、いったい誰に言えるのか。あの別千千行のやることなのだ。あっておかしくない。

「明日、元旦の祝賀の後、睦の総大将就任式典をするから。警備はあたしが指揮を執ってきっちりやるから、睦は堂々と祝われてくれればそれでいいよ」

 行は自信ありげに言う。実際、何の心配も要らないだろう。潤まで抱き込んで、万全に万全を期すような構えなのだ。睦は祝賀の警備と思い込んでいたが、万全を期したいのはその後に続く式典であるらしい。

 もう諦めに達していることもあり、睦はいっそ強がってみせるしかなかった。

「わかりました。出世するために選り抜きになったんですから。総大将になるのなら、上等です」

「いいね。そのきもの太さ。きっと出世するよ、っと、もうこれ以上はないか」

 睦にとってはそら恐ろしいことを、行はさらっと言うのである。よわい二十六にして頂点に立ち、これからいったいどうなるというのだろう。

 睦がうっすら寒気を覚えるのと同時、夜空で光が瞬いた。遅れて破裂音が響く。祝いの花火が上がったのだ。

 ついさっきまでは十二のつきの末日だった。今は違う。夜がけて、日付が変わり、一の月の一日になった。新年を祝う花火が、続けざまに打ち上げられる。

 集まった面々の目を奪う。それぞれの顔を鮮やかに照らし、さらに瞬く。城下で歓声が聞こえる。新しい年の始まりを喜んでいる。

 それぞれがそれぞれの思いを抱えて、花火に見惚みとれている隙に、行は椅子から立ち上がった。そして、睦の前に歩む。正面から向き合うようにして立つ。

 別千千行の策、その、それをために。

 自分でこれだけのお膳立てをしてなお、やはり行は、恥ずかしかった。

 睦を勝たせた、それには違いない。行はそのついでに、もうひとつの裏を足したのだった。本当なら必要のないはずのところ、が足りなかったために。

「さて、もうあたしの誕生日は終わり。だったら、睦はもう総大将。となると、あたしたちの雇い主だ」

 今もまだ、行はひどく遠回りをする。こんな時まで理屈を並べてしまうのかと、心中で苦笑することになった。

「それなら、はわきまえないとね」

 とりわけ大きな花火が咲いた。面々がそちらに気を取られる中、行と睦だけが、互いを見ていた。

 行は、困るようにしながら、恥ずかしげに、睦に向けて手を伸ばした。握手を求めた。頬を染めながら、行は言う。

 行なりので、睦のことを呼んだ。

 散々な遠回りの果てに、それは声になって、睦のもとへ届いた。

「今後ともよろしく。




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咎なることばの絡繰草子 香鳴裕人 @ayam4

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