第4章2話 金色の大狐
レヴィアト村を出て一週間、安全確認を優先しながらの旅だったが、漸くレヴィアト川とドラガン河が合流するドゥーリヴという都市に到着した。
南の湖水地帯から運河とレヴィアト川を経由した無数の荷物が、ここで大型船に積み替えられる。オランジュと似た倉庫街が広がる物流都市だ。
この地の領主は、風狼将軍フェリクス=ヴァム=ウラガン侯爵である。若くして風狼騎を率いる猛将として知られ、領土が近いためにオートン家とも友好的な関係を続けてきた。
オートンの新しい当主であるマルタンは、コルナ殿下、ルヴァと共にウラガン侯爵の居館に招待されている。
そのウラガン侯爵が手配してくれた高級宿に、オートンの家臣、ノワ、レナが泊まっている。凪は、万が一に備えて潜空艦「朝凪」に乗艦し、ナノドローンと霊体パッシブソナーでの哨戒を続けている。
宿の裏庭でノワと稽古をしているルナは、ノワの独特な剣術に感心していた。
ノワの剣は、上段に構える攻撃的なもので、相手に反撃される前に致命傷を負わせるための鋭い剣閃を持ち味にしている。
レナの生まれる前の夢――源九郎義経――が生きた時代よりも遥かに多様な剣術が生まれたというが、ノワの剣は、恐らくその中でも特別に強いのではないか。
最初の一撃をまともに喰らえば、木刀であっても即死を免れないだろう。
レナは、自分の身軽さや風刃によるリーチの長さなどを考えて、小太刀二刀流を研究している。レヴィアト村の鍛冶師ババルにも小太刀を所望し、二本譲って貰った。
ノワの動きに無駄はなく、一太刀目を躱してもすぐに二太刀目が襲ってくる。風刃を使える実戦なら兎も角、木刀稽古では防ぐのがやっとで勝つことが出来ない。
「あー、もー疲れた!」
レナは木刀二本を投げ出すと、地べたに胡坐をかく。
自分は息が上がっているのに、レナは規則正しい呼吸を続けている。
「ノワちゃん、攻撃が早すぎだよ。こっちから手が出ない」
「すみません、レナ殿。夢中になってしまって。稽古にならないですね」
「もー、そのレナ殿っての止めてって言ってんでしょ。敬語も」
「すみ……ごめん。年上の人にタメ口って、なんだか落ち着かなくて」
「私は十四歳だよ。私が年下なの」
「でも、源九郎義経殿なんですよね……あっ」
「だーかーらー! 敬語はなしっ」
「う、うん」
ノワは十五歳、凪は十七歳だと言った。因みにコルナ殿下は二十二歳、ソムニは十八歳らしい。レナが一番年下なのに、ノワはいつも堅苦しい。
ルヴァにとって、幼馴染み以上の特別な存在であるだけでも腹が立つのに、おまけにその立場を有効利用せずにルヴァを共有物にしようとする謙虚さが更にむかついて仕方ない。
欲しい物は奪ってでも手に入れろ、というのが金狐族の考え方だ。
自ら進んで側室の立場に甘んじようとする意味が分からない。
「ノワちゃんはさ、お兄ちゃんのこと、本当に好きなの」
途端に、ノワの顔が真っ赤になる。
わたわたして何も話せないノワに代わり、レナは続ける。
「好きなんでしょ。なら、どうして自分の物にしないの」
「私は、ルヴァ様を支えたいだけです……なの。あんなに素敵な主を、独占なんて……」
「あー、もう。マジで分かんない。やっぱり、あんたムカつくわ」
レナは素早く立ち上がると、塀を超えて宿を飛び出す。ノワの堅苦しさに付き合っていると、こちらまで肩が凝ってしまう。
◆◇◆◇◆
どれくらい歩いただろうか。太陽の位置からして、目の前の壁は西側の城壁なのだろう。街の外を見たくなって、レナは思い切り飛び跳ねる。
男性の背丈の三倍はありそうな城壁も、レナにとっては余裕で上れる台に過ぎない。
街の繁栄は城外にも拡がり、沢山の人々が盛んに商いをしているようだ。
壁外の街の様子を見るうち、レナの目は地平の向こうからやってくる、獣の群れを発見する。
「あれは、白妖鬼!?」
河南地方の妖鬼は、白い物を好んで身につけるため、白妖鬼と呼ばれる。クルシエルという、狼によく似た魔物を使ってリュミベートの騎狼文化を取り入れており、機動的な戦術に長けた群れが多い。
「数はそれ程でもないけど」
レナは城外に飛び降りると、街の外側へ向けて走る。
金狐族は獣人の中でも数が限られている、人に似た姿と獣の姿を使い分けられる種族だ。
二本の足では遅いので、獣化することも考えるが、今そうしてしまうと、服が破れて元の姿に戻れなくなる。というか、戻したときに全裸になってしまう。
それは困るので、二本脚で頑張って走る。
しかし、走っても走っても、まだ街の外縁にたどり着かない。
街の外側で火の手が上がった。
白妖鬼の焼き討ちが始まったらしい。
「待ってて、助けて上げるから」
レナは必死で走りつつ、前の自分と今の自分の違いを自覚する。
ルヴァの影響だ。
困っている人がいれば、当たり前のように助ける。それが彼で、そんな彼に恋をするうち、自分もまた誰かのために力を使うようになりつつある。
漸く仔細が見える距離まで近づくと、数人の若い女が騎乗した白妖鬼達に攫われつつある。その周囲には、燃える家と、数人の男の死骸。
レナは右手で小太刀を抜くと、慎重に狙いを定めて風刃の精霊魔法を放つ。
妖鬼の一体が首を失い、女と共にクルシエルに振り落とされる。
他の白妖鬼も狙うが、距離が離れすぎて狙いが定まらない。
女を傷つけては元も子もないので、まずは振り落とされた女の元へ行く。
まだ乱暴はされていないようだが、振り落とされたときに出来たらしい擦り傷がある。
「大丈夫? 話せる?」
「はい……。あの、妹が……」
「妹さんも攫われてるのね。私が必ず助けるから、安心して」
「ありがとう……」
レナは後ろを振り返る。出来れば、誰かに援軍を呼んできて貰いたい。しかし、周囲にはまだ生きている人間の姿はない。
レナは女に肩を貸すと、延焼の心配がなさそうなところまで連れて行く。
「じゃあ、私はあいつらを追いかけるからね」
そう言って走り出したレナは、凪に通信を入れる。
〈壁外の街が妖鬼に襲撃されて、女が数人攫われた。私は追跡するから、お兄ちゃんに連絡して〉
〈了解しました。ナノドローンも追跡を開始させますから、無理はしないで下さいね〉
〈分かった〉
レナは目を閉じ、自分の野生に呼びかける。自然と前傾して、身体が大きくなっていく。誇り高い金色の狐が吠える。
小太刀二本を口で咥え、猛スピードで走り始めると、大切なことを思い出す。
〈服破れちゃったから、お兄ちゃんに着替え持ってきてくれるように頼んで!〉
〈了解しました。ビッチ狐の色仕掛けに注意するよう伝えます〉
〈冗談いってる場合じゃないってば〉
レナが暫く全力で走ると、草原を行く白妖鬼の群れが目に入る。そこで少しスピードを落とし、つかず離れずの距離を保つ。
妖鬼は単体では弱いが、集団になるととても手強い相手になる。ある意味、個体の死を恐れない分、純人族の軍隊よりたちが悪い。
それでも、もし女達が犯されそうになったときは、駆けつけて戦うつもりだ。
きっと、ルヴァも同じ状況になれば、そうするだろうから。
◆◇◆◇◆
凪からの連絡を受けた僕は、そのことをすぐにウラガン卿に伝えた。
「面目ない。最近空になった黄妖鬼の巣に白妖鬼が入ったのは知っていたのだが、充分な対策を立てていなかった。至急討伐に向かう」
「僕達を先に行かせて下さい! 連れが無茶をしないか心配で」
「協力ありがとう。準備出来次第すぐに追う」
僕はウラガン卿の屋敷を飛び出す。殿下と兄も後に続いて来ている。厩舎を借りて休ませていた双月に騎乗し、西側の城門を目指す。
「殿下と兄上は、ウラガン卿の本隊と来て下さい。まずはレナの安全確保だけしておきます」
「分かった」
マルタン兄さんは頷くと、コルナ殿下と共に見守ってくれている。
今、万が一にも兄を亡くしてしまえば、オートン家は取り潰しになりかねない。兎に角、慎重に、安全に行動して欲しい。
〈提督。ノワさんも宿屋の馬を借りて出発しました〉
〈西門で合流と伝えてくれ〉
〈承知しました〉
◆◇◆◇◆
どれだけの時間、走っただろうか。
追跡していることを悟られないよう、一定の距離を保つことを意識していた。恐らくはまだ気づかれていない。
白妖鬼約二十騎程が入っていったのは、古代文明の遺跡だと思われる。
石造りの神殿らしき建物は、天井や屋根が殆ど崩れ落ちている。しかし、柱や石畳等はどこか他で見たことのある、ウィレケス帝国時代の物と同じだった。
レナは、イヤリング型の通信機を使い、頭の中で凪に呼びかける。
〈私の位置、把握してる? 遺跡みたいなのがあって、その中に入ってった〉
〈把握しています。ナノドローン数機を潜入させます〉
〈もし女の子達が襲われるようなことになったら教えて〉
〈まさか、一人で突っ込む気ですか?〉
〈暴れて時間稼ぎするくらいはやるから〉
〈やれやれ。分かりました。朝凪も近くに行って待機させます〉
レナは背の高い草の中に伏せをして、三角の耳を遺跡の中に集中させる。
今のところ、大きな変化は無さそうだった。
金狐族は戦闘部族と呼ばれるが、本来は蛮勇を良しとしない手堅い戦いをする。一方で、仲間や名誉を大切にするため、時には自らの命を顧みず戦うときはある。
暫く待機していると、遺跡の中で微かな気配の変化を感じる。
〈レナさん、神殿の裏口から、例の黒仮面が入っていったようです。絶対に無理をしてはいけませんよ〉
黒仮面? コルナ殿下を付け狙う、剣と黒魔法の使い手。
〈大丈夫。無理はしないよ。女の子達は無事?〉
〈今のところは〉
温かい日差しが草原を照らし、微風がレナの柔らかく金色の毛を揺らす。白妖鬼の襲撃さえなければ、いい散歩になっただろう。
しかし、そんな長閑な景色の片隅では、恐怖に震える女達がいるのだろう。
神殿の中の気配が変わる。
レナの眷属である風の精霊達も騒々しくなっていく。
いつでも戦えるよう、レナは獣化を解いて、白い肌を露わにする。少しは恥ずかしさもあるが、相手が妖鬼と黒仮面ならば、さして気にすることではない。
それより何より、自分と女達が無事に帰ることを優先したい。
小太刀二本は、帯すら無くなっているため、鞘は置いて中身だけ持っていくことにする。両手に小太刀を構え、改めて洞窟の中に注意を向ける。
何が起きているのかまでは分からないが、兎に角、中の気配は変わっている。
「何が来たって、やってやる」
レナは頭の中で戦闘をシミュレーションして、突入の機を待つことにする。
春の日差しが降り注いでいるとはいえ、全裸ではさすがに冷える。もし無事にルヴァと再会出来たなら、抱いて温めて貰おう。
太陽の傾きが殆ど変わらないうちに、中から女達の悲鳴が聞こえてくる。
レナは狙い澄まして、見張りとおぼしき入り口付近に隠れている白妖鬼達に風の刃を放つ。それはブーメランのように弧を描き、白妖鬼達をあっという間に切り刻んだ。
〈悲鳴が聞こえたから突っ込むよ! 中の状況は把握出来てるの?〉
ナノドローンでは状況確認出来ていないのか?
〈黒仮面が、白妖鬼を虐殺しているようです。今のところは女性に危害を加えていません〉
〈なにそれ。どういうこと?〉
起きていることを解釈しようとしても、全く何も理解できない。コルナ殿下を付け狙う黒仮面が、白妖鬼を殺しているとは。
いずれにせよ、もう引き返すことも出来ない。
見張りを殺されたことに気づいたらしく、数匹の白妖鬼がこちらに向かって来ているからだ。
もはや、戦って勝つ他ないのだ。小太刀二本を交差させ、風刃を作り出す。
「子鬼のくせに、生意気なんだよ!」
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