第四章 皇都クロリヴ
第4章1話 蓬の香り
オートン領は地図で見ると丸い形をしており、中心に領主居館のあるレヴィアト村、北の端にはポルトゥ村がある。
オートン家の新しい当主・マルタンと、リュミベート皇国第三皇女コルナ率いる一行は、ポルトゥ村に最初の宿を取ることにした。
マルタンが、領内で二番目に大きいポルトゥ村の村長に、当主交代の顛末を伝えたい意向があるというのだ。
決して、明るい雰囲気の旅ではない。
前当主ミリアムが戦死し、女皇に代替わりした報告をするための旅だ。
しかし、だからこそ、ノワはルヴァの落ち込みようが気になって仕方がなかった。彼はミリアムの葬儀以来、殆ど食事も喉を通らない程に憔悴している。
連戦や父の死で精神的に疲弊していることは分かるが、せめて食事は取らないと回復のきっかけも掴めない。ミリアムの死に、自分も関わっているだけに、ノワはルヴァの体調が気になって仕方なかった。
ルヴァが子供の頃、春先に風邪を引いて食欲がないようなときには、マランさんと蓬を摘んではあんこ入りの草餅を作って食べさせたりしたことを思い出す。
草餅は、オートン領近隣地域では郷土菓子として一般的である。レヴィアト川の岸では蓬が良く取れる。また、南方から運河で米や小豆代わりになる豆も運ばれてくるため、恐らく日本から生まれ変わった誰かがこの地に草餅を作ったのだろう。
「草餅?」
ノワは、自分の思いつきを凪やレナにも話すことにした。
リィエのときのように、ルヴァを独占しようという気持ちで後悔したくないからだ。
ルヴァは優しく、人のために強くなれる男だと思う。そういう人は、女性の心を引く。
ルヴァは嫌がるかも知れないが、今から複数の女性がルヴァに仕える前提で女性同士の関係を築いていきたかった。
ノワは一行が泊まっている村長宅の一室に二人を呼んで草餅のアイデアを話す。
「蓬を練り込んだ餅です。凪殿やレナ殿の時代にもありましたか?」
「うーん。どうだったかな」
「草餅はしっかり未来に受け継がれています」
「ルヴァ様はずっと食欲がありません。そんなときは、よく草餅を作って差し上げたのです。ルヴァ様好みの作り方を教えるので、一緒に作っていただけますか」
凪がもちろん、と言いかけたとき、レナが違う反応を示す。
「それじゃ、つまんないよ!」
「つまらない!?」
「折角だから、みんなそれぞれで作って、どれが一番おいしいかルヴァに食べ比べして貰おうよ。いいアピールの機会になるじゃん」
「そ、それではルヴァ様と長く一緒に過ごした私が有利に……」
「なにその余裕アピール! その、私はルヴァ様の傍にいて当然って感じ、腹立つんだよね」
「す、すみません」
「そこでサラッと謝っちゃうところとか、それが余裕こいてるっていうの!」
あわあわするノワを見たからか、凪が殊更楽しそうに話に割って入る。
「まあ、ちょっとしたゲームのノリにすれば、提督を励ますことに繋がるかも知れませんね」
「決まり! 早速材料集めよっと」
レナは一人で部屋を出て行く。
「この世界の草餅がどれだけのものかは分かりませんが、未来の洗練された味をお見せします」
凪も楽しそうに、しかし、その中に微妙な敵意を込めているかのようにノワを見ながら出て行った。
「はぁ、なぜ、こうなってしまったのか……」
ノワはため息をつき、まずは蓬を探しに野に出ることにした。
◆◇◆◇◆
春の川辺には色とりどり沢山の野の花が咲いている。
日差しは温かく、風は少しだけ冷やっとしている。過ごしやすい陽気だった。
この世界特有の花もあれば、タンポポのように、日本でよく見かけた花も咲いている。
その中から蓬を見つけ出し、柔らかい新芽を摘む。
産毛に包まれた新芽を集めると、特有の香りが鼻を優しく刺激する。
ルヴァはこの香りが好きで、草餅や草団子など、蓬を使った菓子が子供の頃から大好きだった。
子供の頃は、他の女の子は周りにいなかったから、ノワが丸めたものが一番美味しいと、形の不出来な餅を笑顔でかじってくれたものだ。本当の一番はララ婆ちゃんのものに決まっていたけど、ルヴァは四つ年下の幼かったノワを特別扱いしてくれた。
――ララ婆ちゃん……。
ルヴァと一緒に村で遊んでいるとき、いつでも笑顔で世話を焼いてくれた。
ルヴァの母の又従姉妹にあたる老婆は、彼にもノワにも変わらぬ愛情を示し、良く手作りの菓子をくれたものだ。
ルヴァが吸血鬼化したララ婆ちゃんを殺さなければならなかったとき、どれほど辛かっただろうか。
しかも、後から知ったこととはいえ、リィエの意思を受けてルヴァを守ろうとしていたのに、だ。
ルヴァは大切な人を立て続けに失った。
その哀しみは、きっと時間が解決してくれる。いや、時間しか解決できまい。
しかし、今、しっかり食事を摂ること、しっかり生きることがその前提条件になる。
そのために、美味しい草餅を作りたい。
「ノワさん? お花摘みですか?」
ノワが顔を上げると、ソムニが笑顔でこちらを見ている。
「ソムニ殿。実は、ルヴァ様に元気を出して貰うため、好物の草餅を作ろうと思って」
「この辺りの郷土菓子だよね。というか、日本のお菓子だね。一緒に作りたいな」
「は、はい! 是非」
ソムニは鼻歌を歌いながら蓬探しをする。小柄で華奢な割に、胸の辺りの膨らみがとても気になる。
しかも、ルヴァに聞いた限りでは、あの稲富流の開祖だとは。
「ソムニ殿は、鉄砲の扱いが上手なんですね」
「はい。夢の中の記憶で使った火縄銃より、魔導銃の方が大分扱いやすいですが。何せ、魔力を使えば土砂降りの雨でも使えるし、弾道も曲げることが出来ます。素晴らしい物が出来たものです」
充分な量の蓬を確保したノワは、ソムニと一緒に村長宅に戻ることにする。
「茹でて、あく抜きして、餅米と一緒につくんですよね」
「はい。お米も豆も村長が分けてくれるそうです」
「楽しみだなぁ」
「あの、ところで、つかぬ事をお聞きしますが、ソムニ殿はルヴァ様とどういう?」
ソムニが顔を赤らめる。眼鏡のせいで完全には表情を読み取れないが、照れていることはよく分かった。
「えーっと、片想いなんですよ。最近、ボクが女だと気づいたくらい、眼中にないというか。ただの大学の先輩後輩の間柄です」
やはり。
暫く恋の話に花を咲かせて、村長宅の台所を借りる。
餅米を蒸かし、蓬を煮て灰汁取りをする。
ここでも小声で恋の話をして盛り上がる。ルヴァに恋する女性のうち、今までで一番相性がよく、家柄の点でも問題ないソムニは、ルヴァの正妻になれる素質があると思う。
自分は前に出過ぎず、正妻と上手くやってルヴァに仕えたい、そんなことを夢想する。
蒸かした餅米を臼に入れ、蓬と一緒につく。やはりこの作業は、二人でやる方がいい。
仕上がった豆の餡子をもって、餅で包んでいく。
ルヴァは甘さを控えた餡を大量に入れ。豆の味が分かるようにするのが好きだった。
ソムニと一緒に夢中になって作っていると、沢山の草餅が出来上がっていく。
ララ婆さんにはまだまだ適わないけれど、成長を感じて貰えるかも知れない。
◆◇◆◇◆
ルヴァは借りている部屋の隅で考え事をしていた。
父のこと、ララ婆さんのこと、この手で止めを刺した幾人もの領民達のこと。
どうして自分はこんなにも弱いのか。小さな領土に住む僅かな人々を守ることも出来ないなんて。
おもむろに刀を持ち、鞘から抜く。ノワの真似をして、架空の立ち木を叩いてみる。しかしそれは、ノワとは似てもつかないへなちょこな剣閃だった。
どうすれば強くなれるのか、どうすればあの小さな領土に暮らす人々を守れるのか。
刀に問うても、答えはない。
暫く経った頃、廊下がバタバタ騒がしくなる。
扉を開けて様子を見ようとすると、扉の方から開いてきた。
「いっちばん乗り〜! お、お兄ちゃん、ご乱心!?」
レナは金色の髪の毛を微風で揺らしながら、微動だにしない。
「違う。修練をしていただけだ」
目を丸くしているレナを放置して、刀を鞘に納める。
「ところで、草餅、草餅作ったから食べて」
「へぇ。急にどうしたの?」
僕は籠の中にある草餅を手に取る。
「えへへ〜。私達は運命で結ばれた兄弟だから、お兄ちゃんの好物が分かっちゃったんだ〜」
「ノワか誰かから聞いたんじゃないか」
レナがわかりやすくギクッと気まずい表情になり、頭の耳が垂れる。
「まぁ、いいや。いただきます」
草餅を口に運ぶ間、レナが緑色の瞳を爛々と輝かせ、三角耳をピンと立てててこちらを見ている。
餅の歯ごたえはよし。
――ん!?
蓬感が凄い。舌がヒリヒリする程、蓬の苦味が口に広がる。
「お前、生の蓬を練り込んだな」
「えっ、間違ってた?」
「大間違いだよ。蓬は下茹でして、灰汁を充分取ってから使うんだよ」
「ごめんなさい」
耳も尻尾もシュンとして垂れ下がり、分かりやすく落ち込んでいる。
「あ、でも、餡子が甘めだから、悪くはないかな」
本当は悪い。下茹でしない蓬なんて、お菓子に合うわけがない。不味い。
「まぁ、悪くはないよ」
「良かったぁ」
「あーーー!!」
今度はなんだ!?
「レナさん、一人だけ抜け駆けしてる!」
凪?
「全く、これだから女狐は」
凪の先制攻撃に、レナもすかさず応戦する。
「そういうあんただって、ノワちゃん連れずに来てんじゃないの」
「提督。洗練された未来の草餅です。お召し上がり下さい」
凪の背後で眼光鋭いキツネ娘が牙を剥いているが、取りあえず無視することにして、綺麗な形の草餅をひとくち齧る。
「あっ、上手い上手い。日本のスーパーで売ってる奴だ。買ってきた?」
「て、提督!?」
凪の髪の毛が逆立ち、身体の周りに電流のような光が走り始める。
「あ、なんか悪いこと言った? て、手作りなんだね。手作りでスーパーの味を再現出来るなんて、流石は戦術運用補助人格だ」
「スーパーの、味?」
凪が更に険しい表情になる。
「あっ、二人とも。早速始めているんですね」
助け船だ〜。
僕は凪が怖かったよー、とノワにしがみつきたかったが、更に拗れそうなので止めておく。
「ルヴァ様、みんなルヴァ様に元気を出して欲しくて、コンクール形式で食べ比べ出来るようにしたんです」
「ボクもノワさんと作って見ました」
二人が持つ籠の中には、昔懐かしい草餅がいくつも並んでいる。
その一つを手に取り、齧り付く。
「うん、うまっ。これこれ」
僕は一つ目をあっという間に食べ終え、二個目を手に取る。
「ルヴァ様、そんなに慌てずに。喉に詰まらせては事です」
ノワがそう言いながら、一緒に持ってきた紅茶を渡してくれる。
「これで緑茶ならもっと最高なんだけど」
「いつか茶の産地に行ったら、現地に発酵の仕方を伝えましょう」
「そうだな」
「待って!」
レナが慌てたようにいう。
「そうなると、ノワちゃんと眼鏡ちゃんでどっちを勝ちにしていいか分からないよ」
「わ、私は、ルヴァ様が元気になってくださればそれでいいので」
「ボクも、競争のつもりで作った訳じゃないし」
「ならば……」
突然の声に皆が扉の方を向く。
「私のも食べてから、改めて決めてくれぬか」
「コルナ殿下!?」
青く長い髪をたなびかせコルナ殿下が部屋に入ってくる。
「いや、その、盗み聞きのようで申し訳なかったのだが、そなた達の声が聞こえてしまってな。私も菓子作りには拘りがあるので、参加して見たくなって」
殿下が何故か顔を真っ赤にして言う。両手は後ろに隠し、そこに籠があるらしい。
「こ、これだ。立場など気にせず、気軽に食べてみてくれ」
!?
一瞬凍り付いた後、僕は殿下手作りの草餅を手に取る。広げて食べてみると……。
「うんまっ。お、美味しいです、殿下!」
これは本当に旨い。間違いない。味の良さは一番だ。
ララ婆さん仕込みのノワの草餅も旨いが、これはそういうレベルじゃない。一流菓子職人の自慢の逸品レベルだ。
しかし、はて。
ま、まぁいいや。
「殿下のが、一番美味しかったです」
一同のざわめき、そして、更に顔を真っ赤にする殿下。
「ほ、本当か? 気に入ってくれたか?」
「はい。本当に美味しいです、殿下」
「でも、あれって、かしわも……」
レナの口をノワが塞ぐ。ナイスプレーだ、ノワ。
「殿下が一番では、誰も遺恨ないですね」
凪が冷静に言う。
レナ以外の皆が納得し、余った餅を村長の家族や家臣達に振る舞う。
今後、この地域では通常の草餅の他、白い餡子餅を柏の葉で包んだ物も草餅と呼ばれるようになるのだが、それは後日の話だ。
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