第2章6話 ミアーナ夜戦

 凪の計算によるとおよそ四万五千。純人族の認識が正しければ、ほぼ全ての黄妖鬼こうようきがこの夜の街を包囲している計算だった。


 対するは、サーク大教会配置の僧兵が二百程、屯田兵の子孫である獣人達の自警組織の戦闘員が約二千。

他に領庁所属の兵が千程いるが、こちらは自分の身を守ることしか考えておらず、展開によっては敵になりかねない有様だ。


 実際、壁外からの避難民を受け入れようとする獣人自警団と、さっさと門を閉じようとする領庁兵との小競り合いもあった。


 最終的には、押し寄せてくる黄妖鬼を避難民と獣人自警団が連携して押し止め、領庁兵はさっさと街の奥へ逃げ出す始末だった。


「黄妖鬼に統一政権が出来たなんて話は聞いてねぇ。そうなると、奴等は誰かにけしかけられてここに来ていることになる」


 スパーダさんが、大聖堂の礼拝室に僧兵と獣人自警団の主だった人達を集めて作戦会議を開いている。僕は会議に参加し、凪は姿を消して潜空艦に向かい、レナは激戦が予想される東門に支援に行かせている。


「黄妖鬼討伐隊は何をやっているんでしょうか」


 僧兵の一人がもっともなことを言う。しかし、今回、その討伐隊に諸悪の根源が潜んでいる可能性がある。


「数日前、オートン領が数百の黄妖鬼に襲われたとき、父は何かと横槍を入れられて援軍に来られなかったそうです。討伐隊の中に、裏で黄妖鬼を操っている輩がいるかも知れません」


 僕の発言に場がざわめく。籠城を続けても、援軍が来る保障がないのだ。


「でだ、水の大魔導師。お前の水結界はあとどれくらい持ちそうなんだ」


「この街の魔導師にも力を借りて展開しているので、あと二時間くらいは持つかと。僕の力も温存出来ているので、水浸しになったり、荒れ地になってもいい方面があれば、そこの敵は壊滅させて見せます」


「西と南だな。殆ど畑も人家もない。そっちは任せる」


 僕は周りの人達を安心させるために大言壮語したものの、その計算の中には凪の潜空艦からの攻撃が含まれている。凪は破壊を気にしなければ一方面くらいは壊滅できると豪語していたが、果たしてどれだけのものか。


「出来れば荒れ地にはしたくない北と東の対応が肝だな」


「街の全ての住民に呼びかけて火消しの対応は万全です。城壁の上にアーチャーを並べて反撃する手配も出来ています」


「王や女王を攻撃出来れば、敵の統制が乱れるのですが」


 獣人自警団の一人、猫男の獣人が言うことはもっともだ。群れ毎に一糸乱れぬ連携を保たれていたら堪らない。出来ることなら、王や女王の位置を掴んで、そこを重点攻撃したい。


 スパーダさんが僕に目を向ける。


 凪の索敵能力の高さは伝えてある。潜空艦やナノドローンなど、未来技術については秘密にしているが、彼女もまた大魔導師だと伝えている。この世界では、それで充分だ。


「王はともかく、女王については前線にいない可能性もあります。どこまで検知出来るかはやってみないと分かりません」

「そうか」


 スパーダさんの表情は厳しい。援軍が来るかも分からないのに、二十倍以上の敵と戦うのだ。負ければ、街は焼け野原になり、女は捉えられ、繁殖に利用される。


「大変です!」

 情報収集に向かっていた僧兵が一人戻ってくる。かなり慌てた様子だ。


「領代以下、領庁の官僚達は、公金と奴隷の女獣人を差し出して自分達だけ助かろうという交渉を始めています」


 なんと愚かな行動だろう。黄妖鬼の一つの群れと話をつけても、別の群れがそれに従う保障などないのに。


 ざわつく礼拝室の人々を尻目に、スパーダさんは冷静な判断をする。


「交渉をするなら、王クラスがいるはずだが」

「はい。確かに妖鬼王が北門付近に」

「一匹殺してみるか」


 スパーダさんが立ち上がり、僕を含め数人に声を掛ける。

「レナは呼べるか」

「呼べます」


 妖鬼王を殺したとき、通常その群れは退却する。もしいつも通りの反応があれば相手の戦力を幾らか削げるし、今回もし違う反応ならば、それが次の作戦の糧になる。スパーダさんの判断は見事だ。


 僕は凪がくれたイヤリングに多少の魔力を込め、通信機能を起動する。通常はEL充電池とやらで動くそうだが、充電出来ていないときは魔力で代替するらしい。


〈レナ、こちらルヴァ。聞こえるか〉

 思考を送る方式だそうで、話す必要はない。


〈お兄ちゃん! 何?〉

 大好き、とか、ぎゅっとしたいとか、雑音が多い。


〈そっちが問題なければ、北門に移動してくれ〉

〈了解!〉

 ラッキー、お兄ちゃんと合流、と雑音。


 レナには向いてない通信方式かも知れない。


「じゃ、妖鬼の王殺しに行ってくる。留守は頼んだ」

 格好良く礼拝室を出るスパーダさんに、僕も着いていく。

 本当に格好良いな、この人。



 ◆◇◆◇◆



 妖鬼王と領代の特使は、二つの月明かりの下、北門からすぐ見下ろせる場所で交渉を行っていた。


 妖鬼王は、通常の妖鬼の四倍程の大きさ、人間の倍程の大きさで、大型獣人からうばったのだろう、鎧や大刀を装備している。

スパーダさんが言うには、見た目に反して通常の妖鬼よりも素早く、脚捌きやフェイントが得意らしい。


「構わない。奇襲で行く」

 スパーダさんの決断は早い。


 僕が泥濘の水魔法で妖鬼王の足許の自由を奪い、レナの風刃の風魔法で敵の右腕を奪う。そこまでやれば、後はスパーダさんがとどめを刺すという作戦だ。


 僕はレナと呼吸を合わせ、無詠唱で泥濘を作り出す。同時に、レナが風刃を五つ同時に放つ。


 妖鬼王は、突然両足の自由を奪われこちらに視線を向けるが、そのときには右腕と一緒に大刀を失っていた。

続いて、目の前に太陽が現れたかのように辺り一面を白く染める光が、その場にいる者達の視界を覆い尽くす。


 夜の闇が戻り、目が暗さに慣れる頃には、妖鬼王の身体はバラバラになり、地面に転がっていた。


 スパーダさんは既に城壁の上におり、じっと目を凝らして妖鬼達の様子を窺っている。


「同士討ちを始めた……、だけじゃねぇな」


 見ると、周囲の黄妖鬼達が無差別に同士討ちを始めている。それだけでなく、戦闘の合間を見ては倒れている仲間の身体に食い付き、それを噛み千切っては飲み下している。


 仲間のはらわたを裂いて貪る妖鬼を、後ろから近づいた別の妖鬼が殺し、その腕に食らい付く。


「共食いかぁ。これで次の王を決めんのかね。エグいなぁ、おい」


 生き残っている妖鬼は、先程までより明らかに身体が大きくなっている。今喰らったばかりの仲間の身体を、早くも吸収しているようだ。


「まぁ、いいや。とにかく、王を殺せば相手の戦力が激減することは分かった。次は西門行くぞ」


「西門、ですか」

「領代殿はそっちでも交渉してたようだ。纏まったらしいぞ」


「そんな呑気な。いいんですか!?」

「ギリギリの籠城戦で、自分達だけ助かりたいような奴が城内にいるよりマシだろう」


 僕は先程まで妖鬼王と交渉していた領代の特使を見る。恐らく、混乱が始まるなり真っ先に殺されていたのだろう。頭部と右腕が半分しか残っていなかった。


 素早く城壁から降りて馬に乗るスパーダさんに続き、僕とレナも騎乗する。


 スパーダさんは乗馬に伴うリズムのいい呼吸に乗せて、僕達に領代達についての考えを述べる。


「妖鬼との交渉事の常套手段で、相手に渡す物は最後の最後に渡すはずだ。そうなると、獣人の娘達は隊列の最後尾に着いていく形になる。その子等は何とかして俺達で助けたい」


「領代達や家族は?」


 自分達だけ助かろうとする人間であっても、見殺しにするのは僕の主義に合わない。いや、主義なんて立派な物は持ち合わせていないけれど、なんとなく気持ち悪い。


「お前さんで上手くやれるなら、やるなとは言わねぇ。だが、俺に手伝う余裕はないぞ」


「充分です。ありがとうございます」

 とは言ったものの、どうすべきか。


〈提督。浅深度潜航、及び、大目標の捕捉、終了しました〉


 助けの神か。

〈はい。超有能超絶神的美少女な凪ちゃんが、提督の願いを何でも叶えちゃいますよ。あんなことこんなこと一杯しましょうね〉


〈この通信方式、何気に嫌だな。王と女王の捕捉が出来たんだな〉


〈はい。近傍に女王と呼ばれる個体は存在しません。王と呼ばれる個体は二十五体確認しています。先程提督達が攻撃した群れの王は、未だ未定ですが〉


〈つまりは、王を潰せばそれだけ長い時間混乱するってことだな。同時に全部攻撃出来ちゃったりしないのか〉


〈はい、提督。凪ちゃんは同時に最大一万六千百九十二の動的目標を把握し、優先順位をつけて最大百二十八目標を同時攻撃しつつ、最大六十三の味方の回避行動サポートが出来ちゃったりするんですよ〉


〈いま要らない情報が多い。合図したら、王だけを同時攻撃してくれ。なるべく、周囲に延焼とかしない方法で。特に、北門と東門方面は〉


〈了解しました。欲しがりな提督のご要望を全て叶えて差し上げます〉


 助かる。これなら、なんとか。

〈愛する提督のためですから! 状況終了したら、ぎゅっとして下さいね〉

 マジでこの通信方式いやだ。


 凪との通信の間に、領庁を出て西門に向かう行列を視認出来た。スパーダさんの読み通り、最後尾に取引材料である獣人の娘と領庁の金品、その前に兵士が歩き、その前に文官や家族達。先頭に領代率いる軍勢がいる。


 その軍勢の最後尾に、身分の高そうな女騎士がいて、目を引く。険しい表情。これから起こることを予想しているような。


 僕は彼女の眼差しから、協力を得るなら彼女だろうと決め、スパーダさんに一言告げて領庁兵の列に近づく。


「済みません。私は剣狼騎随伴魔導師ミリアム=ドーデ=オートン子爵の三男で、ルヴァ=レヴィアト=オートンと申します。訳あって同道したいのですが、構わないでしょうか」


「ご丁寧に。オートン様。私はサーク領代の娘、イリス=ラフラ=ファムと申します。ご同道いただけるとは本来光栄なのですが、恐らく険しい旅路になります。城内で時を待たれることをお勧めしますわ」


 やはり彼女は、この行軍が計画通りには行かないことを分かっている。


「だからこそ、助太刀したく。こう見えて、水の魔導学士です。きっとお役に立てるかと」


「それは尚更いけません。これは父とその部下達の愚かな考えによるもの。魔導学士様を巻き込むなど、畏れ多いことです」


「強情な女! お兄ちゃんが助けてやるって言ってるんだから、従えばいいの」

 突然不躾なことを口走るレナを、僕は睨む。


 しかし、意外なことにレナの一言が効いたらしく、イリスさんは微笑んだ。


「死出の旅路かと思っておりましたが、思い掛けず希望が見えて来ました。お言葉に甘えさせて下さい」

「ええ。お任せ下さい」


 僕は精一杯に余裕の笑顔を作る。生きる希望を持つことは、厳しい戦いを切り抜けるために大切なことだ。


 西門を通過するとき、壁上にいるスパーダさんと目を合わす。手伝って貰える余裕はないかも知れないが、それでも戦況によって柔軟に連携することはあり得るだろう。


 僕とミアーナの魔導師達で張った結界は、既に薄れて消えかかっている。


 門外には、地を埋め尽くす黄妖鬼の群れ。闇夜の向こうの更にその先までこの不気味な生き物が犇めいているのだと思うと、血の気が引く思いがする。


 休戦協定らしきものが、どこまで浸透しているのか。


 いずれにせよ、統一政権が成立しているわけでもないのに、全ての群れがそれに従うことなどあり得ない。


 どこかで、攻撃に合う。


 それが、出来ればミアーナの城門から離れすぎないのが望ましい。


 暗闇に妖鬼の無数の目が光る。

 正に、彼等に取り囲まれている。籠の鳥と言って良い。


 僕は心の中で詠唱を始める。

 河龍レヴィアもまた、僕の心の暗がりで目を光らせている。


 先頭で異変があった。

 数え切れないほどの火矢が、空を埋め尽くす。


「イリスさん、勝った、勝ったと勝ち鬨を上げて下さい!」


「え!?」


「勝った! 勝った!」

 レナが勝ち鬨を上げる。


〈凪、撃て〉

〈撃ちーかた始めー〉

 ミアーナ上空から青い光が幾筋か地面に突き刺さる。


 勝った、勝った、勝った!

 よく分からずとも力強い勝ち鬨が広がっていく。


 それに合わせるように、妖鬼達の混乱が始まり、レヴィアが吠え、水の結界が広がっていく。


 結界の内側は、混戦になる。


 レナが、勝った、勝ったと叫びながら次々に妖鬼を切り刻んでいく。


 それに釣られた領庁兵達が、勝った、勝ったと強気で妖鬼を攻撃し始める。


 目を血走らせた妖鬼が飛びかかって来たのを、日本刀の鞘で受け止め、払い落とす。抜刀して斬りつけると、頭が割れて血飛沫が上がる。


「イリスさん、勝ち鬨を上げながら、西門に戻ります!」

「はい。勝った! 勝った!」

 これで士気を保ちながらミアーナに帰れる。


 そう思った瞬間、少し大きくなっている妖鬼に右腿を斬りつけられる。


 始めての痛み。

 第二撃は、なんとか刀で受ける。


 馬を狙われたと思った時には、レナの風刃が妖鬼の首を飛ばした。

「お兄ちゃん! 大丈夫?」


 僕は答えるより先に、派手な見た目の水の回復魔法を使う。


「問題ない! 勝った! 勝った!」

 西門では、結界の内側の戦闘はほぼ終わっており、獣人自警団が生け贄にされるはずだった娘達を解放している。


 そこから一騎、圧倒的な迫力で向かってくる僧兵がいる。スパーダさんだ。


 彼が一振りすると、周辺の妖鬼が十は肉片に変わる。

「面白ぇ! 勝った! 勝っただ!」


 スパーダさんは僕に一瞬笑みを見せると、未だ混戦が続く先遣隊の方へ駆け抜けていく。


 レナ、イリスさん、僕を中心に領庁官僚と家族達を護衛し、なんとか門の内側へ帰す。

 そこで水の結界を解く。


 手ぐすねを引いてその時を待っていた獣人自警団の戦闘員達が、混乱して共食いをし数を減らしている妖鬼に襲いかかる。


 勝った! 勝った! 勝った!

 勝った! 勝った! 勝った!

 勝った! 勝った! 勝った!


 戦闘は、夜明け頃に粗方終わっていた。

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