第2章7話 棺の中に

 僧兵や獣人自警団の分隊が次々に帰還し、その報告を受ける大聖堂前広場は、汗と血の臭いに満ち、同時に大きな高揚感に包まれてもいた。


 約四万五千の黄妖鬼の大群は、王をピンポイントに狙った攻撃によって内部分裂を起こし、それに僧兵と獣人、そして覚悟を決めた領庁兵達によって駆逐され、四散した。


 僕は怪我人の処置や隊の配置を指示するスパーダさんを見ながら、日本の河越夜戦かわごえよいくさの再現が出来たと夢見心地に呆けていた。

 河越夜戦は、戦国時代只中の1546年、西関東を抑えた氏康率いる後北条氏が、古河公方や関東管領両山内氏など関東の旧勢力を破って関東の覇者への道を歩み出した切っ掛けとなる戦いだ。

 河越城を守るは、北条家中随一の猛将北条綱成率いる三千。それを包囲するのは、古河公方両山内連合軍八万。援軍氏康の攻撃と、それに合わせ「勝った、勝った」と連呼しながら城を撃って出た綱成の猛攻により、古河公方連合軍は惨敗。結果、関東における後北条氏の優位が決定的となった。


 黄妖鬼との戦闘が始まったとき、僕は咄嗟に「勝った、勝った」の勝ち鬨を上げることを思いついた。王を狙い撃ちすることや、僕が大規模な結界を張ることによる戦局の変化を、兵達にとって肯定的な物だと強く認識させたかったからだ。


 その後の結界内での乱戦や、結界消滅後の追討戦で常にミアーナ軍が優勢に戦いを進められた一因になったと自負している。

 武士マニアの面目躍如と、自分で自分を褒めたい。


 そのように勝手に自惚れている僕の所へ、追討戦から帰還したイリスさんが疲れ切った様子で近づいてきた。

「オートン様。この度は、大変なご助力をいただき、ありがとうございました」

「いえ、僕に出来たことは僅かです。それよりも、お父上の件、ご愁傷様です」

 イリスさんの父であるサーク領代は、初撃の火矢をまともに食らって戦死したとの報告を受けている。


「父のことは、自業自得と思っています。領民を捨てて自分だけ助かろうとした上、あのように情けない死に様ですから、どのような罰が下っても、私達は受け容れざるをえません」


「ちょっと待った!」

 話に入ってきたのはスパーダさんだった。

「サーク領代殿は、領民の血路を開こうと、勇猛果敢に敵中に突撃し、見事な最期を遂げました。サーク大司教スパーダ=ザナルディの名にかけて、その真実を女皇陛下に確かにお伝えするつもりです」

「大司教様。それでは、領民達に示しが……」


 イリスさんの言葉に被せて、広場に待機する獣人自警団の中から声が挙がった。

「大司教様がそう言うんだから、それでいいんだよ」

 他の声が続く。

「あんただって、命懸けで戦った戦友じゃないか」

「そーだ、そーだ。そもそも、俺達は討伐隊に街ごと見捨てられた仲間じゃねえか。水臭いことは言うなよ」


 スパーダさんが満足そうに笑う。

「と、いうことです。獣人自警団の連中は、貴女の戦いぶりをしっかり見ていたようです」

「大司教様。皆さん……」


 そのやり取りを涙ぐんで見ていた僕の後ろで、レナが唐突に「勝った! 勝った!」と勝ち鬨を上げる。

 他の獣人達もそれに合わせて、広場を揺らすほどの「勝った!」の勝ち鬨が繰り返される。


 勝った! 勝った! 勝った!

 再び巻き起こった勝ったの勝ち鬨は、ミアーナ全体を揺らすかのような大きさと広がりを持っていた。


 ミアーナでの最後の心配事が無くなった僕は、急に父のことが気にかかる。

 忌み名の姫と、武骨で融通の聞かない下級貴族。父が何かの捨て駒にされるかも知れないとの心配が蘇ってくる。


〈提督。現在時刻のミアーナ西隣の森に投錨することが出来ました。現在の観測では、本日午前の内にオートン領南東部の森林地帯に浮上出来そうです〉

〈了解。ありがとう。スパーダさんに挨拶をしたら、すぐに向かうよ〉


 スパーダさんは、イリスさんの熱い眼差しを受けつつ獣人自警団の主だった人達と事後処理について話し合っている。イリスさんの視線は、相当に熱い。

 確かに、スパーダさんの鬼神の如き戦いぶりといい、イリスさんの父君を英雄に仕立てる男気といい、ぼくが女なら惚れてまうやろ、という格好良さである。


 とはいえ、最近、ノワ、凪、レナと立て続けに美少女に好意を寄せられる空前のモテ期を味わってしまっている僕は、イリスさんが僕でなくスパーダさんにあの眼差しを向けていることに少し嫉妬している。

 全く以て、調子に乗りすぎ。自戒せねば。

 前世では三十歳魔法使いコースまっしぐらだったくせに!


 少し頭を冷やしてから、レナに声をかけ、スパーダさんの元に向かう。

「スパーダさん、領庁官僚達の件、ありがとうございました」

「おお。この街のことを助けてくれたのはお前じゃねぇか。こちらこそ、助かった」

「では、父のことがいよいよ心配なので、オートン領に戻ります」


「そうか。オートン卿とお前の無事を祈っている。それから、あの方のこともよろしく頼む」

「分かりました」

「おい、レナ坊は、お兄ちゃんのいうことしっかり聞くんだぞ」

「うん。いいお嫁さんになるよ」

「ちょっと待て、方向性変わってるぞ」

「おお。いい嫁になって元気な子を産め」

「だから、そういう話ではないので!」

「おお。そうなのか? 女は何人抱いても皆いいもんだぞ」

「あなたのそのノリに付き合わせるの、勘弁して下さい」

「そうか。分かった」

 分かってないだろうな。この人。

 まぁ。いいや。


「では、スパーダさん、これで」

「おお。頼んだぞ!」

 僕は軽く手を挙げ、スパーダさんに背を向ける。目が合ったイリスさんにも、会釈と笑顔を送る。


 僕とレナは、一晩乗り続けた馬に跨がる。スパーダさんがミアーナ夜戦のお礼にくれるということなので、このまま潜空艦に載せるつもりでいる。

 タフな馬で、力強く西門に向かって走り始める。

「お兄ちゃん。この子の名前、スタンフィルなんとかかんとか長すぎて、覚え切れてないんだけど」

 そういえば、長い名前の馬だった。僕も覚えていない。


「じゃあ、ミアーナ夜戦で出会ったことだし、双月そうげつなんてのはどうかな」

「いいね、それ。渋くて」

「改めてよろしくな、双月」

 双月はその言葉の意味を理解したのか、より強い足取りで潜空艦朝凪との合流地点に向かう。

 そういえば、牝馬だ。僕のモテ期、まだ続いてるかも。


 ◆◇◆◇◆


 外は抜けるような青空だというのに、聖堂の中はステンドグラス越しに木漏れ日のような光が差すばかりだ。

 ノワは孤児院の子供達と摘みに行った野の花をリィエの棺に並べながら、幼い頃から体術や拳闘術の習練を共にしてきた一つ年上の少女の亡骸を眺めていた。


 リィエは、安らかな顔で眠っている。

 自分にもっと力があれば、あの時、黒仮面の男に不用意に挑まなければ、など、後悔し始めればきりがないほど、沢山の後悔が胸の奥で湧いては積もっていく。


 しかし、その感情に埋もれてしまうことが何も生み出さないことを、ノワは知っている。

 生まれる前に見た長い長い夢の中で、中村半次郎、桐野利秋と呼ばれた男は、維新の動乱の中、数え切れない程多くの仲間を見送ってきた。

 仲間の死に意味を持たせるためには、自分がより良く生き、より良く死ぬ他に方法などない。


 リィエは、ルヴァを広い世界に導けと言った。

 自分の主である少年の綺麗な瞳を、曇り無き眼を守りたいと漠然と考えていた自分の小ささに、ノワは嫌気が指す。


 ルヴァは家臣や領民を大切にする若者だった。ノワは、ルヴァが大切にする物を表面的に捉え、その浅い所にある小さな願いにしか目をやっていなかった。

 しかし、リィエは、ウリエンに飼い殺しにされ、狭い世界に囚われた身だったのに、ルヴァの瞳が見ている物が、実はもっと大きな物、家臣や領民を通して、ずっと広い世界を見ていることを見抜いていたのだ。


 いや、むしろ、自分は、本当は知っていたのかも知れない。

 長い夢の中で出会った幾人もの熱い魂を持つ若者達と、ルヴァの物の見方は同じなのだ。

 それなのに、自分で守り切れる小さなルヴァでいて欲しかっただけなのかも知れない。


 忌み名の姫と呼ばれるコルナも、子供達に混ざって棺に花を並べている。

 昨夜はノワの涙を受け止め、今朝は共に涙を流してくれた。

 この世界の皇族というものはもっと冷酷で、下々の者のために涙することなどないだろうと思っていたノワにとって、予想外に情に厚い、温かい人柄を感じさせる皇女だった。


 どことなく、この方も前世で会った男達に似ている。ノワはそう感じる。

 ルヴァを広い世界に導く鍵は、あるいはこの方なのかも知れないとノワは思う。


「ノワ殿」

 ノワが顔を上げると、この教会の司教が小さな紙切れを持って近寄ってくる。

「貴方がお捜しのルヴァ殿からの文です」

 ノワは慌てて立ち上がり、司教の元まで走る。


「サーク大教会から、伝書鳩を使って届きました」

「サーク大教会!?」

 リュミベート北東の領境にある教会ではないか。

 ノワは司教から文を受け取り、目を通す。


 サーク直轄領ミアーナにいること、大型魔導石も自分も無事であること、出来るだけ早く帰るつもりであることだけが簡単に書かれている。

「ご無事で!」

 ノワは文を抱き締めるようにして蹲る。リィエにも伝わるよう、強く、強く、何度も心の中で、ルヴァ様はご無事だと繰り返す。

「ノワ、良かったな。本当に」

 コルナの温かい声が響く。


 聖堂の大扉が音を立てて開く。

 その先には、たった今無事だと分かったばかりのルヴァの姿がある。

「ルヴァ、様?」

 ノワは足早に近づくと、ルヴァの目の前に跪く。

「ノワ? どうしてここに」

 ノワの両眼から大量の涙が溢れてくる、

「ルヴァ様!」

 ノワは愛しい人の胸に飛び付く。しっかりした腕に抱かれ、込み上げてくる感情をただその人にしがみつくだけで表現する。


「提督、この方は?」

「誰なの? お兄ちゃん」

 聞き慣れない声に嗚咽しながらも顔を上げると、水色の髪の色白の少女と、金髪の獣人の少女が不思議そうにこちらを見ている。

 主の客人がいるところで取り乱してしまったことに気づき、ノワは深呼吸をして息を整える。


「失礼しました。ルヴァ様、この方達は?」

 ルヴァがうっかりしていたようにノワの顔を見る。

「私は、提督の女房にして恋人の凪と申します」

「私はお兄ちゃんのお嫁さんで、レナだよ」


 ノワはルヴァの顔を見る。気まずそうに言い訳を考えているような顔を見ていると、自分の中でどうにもならない感情がこみ上げてきて。気づくと。

 ルヴァに頭突きしていた。


「はっ!? ルヴァ様? ルヴァ様?」

「なんなのよ、あんた、自分でやっといて」

「す、すみません! ルヴァ様ー!!」


 ◆◇◆◇◆


 目を開けたとき、一番傍で僕を見つめていたのはノワだった。

「ルヴァ様、申し訳ありませんでした」

 僕は軽く手を上げて大丈夫だと伝える。


「提督、幸い骨や神経系に異常は見られません。不問に付すのが妥当かと」

「ちょっと私達が誤解させる言い方しちゃったのもあるから、許して上げて、お兄ちゃん」

 いや、ちょっと誤解させたというより、わざと誤認させようとしてたよな。


「大丈夫だ、ノワ。待たせたな」

「ありがとうございます」

 ノワの笑顔。久々に見ると、とても愛しく思える。


「よい主従だな。リィエがノワに託した想いの一端が見えた」

「コルナ殿下」

 コルナ殿下? 僕は慌てて身体を起こそうとする。


「構わん。楽にしなさい。精霊魔導学士ルヴァ=レヴィアト=オートン。先程届いた、サーク大教会のスパーダ大司教殿の書状は読ませて貰った。色々聞きたいことはあるが、まずはここまでご苦労であった」


 僕はお言葉に甘えて、上半身だけを起こす。

「コルナ殿下、お初にお目にかかります。先程は見苦しいところをお見せして、失礼いたしました」

「そういうな、ルヴァよ。私は少ししか話を聞いていないが、ノワなりに感じるところがあったのだろう。実は、そなたもよく知るだろう剣狼、リィエが亡くなったのだ」


「剣狼のリィエが!?」

 聞き覚えがある名前に、僕は文字通り飛び起きる。

「今はあそこで眠っておる」

 僕はコルナ殿下が指し示す先に向けて、転がるように走る。


 聖堂の奥、その身を燃やすソユルの像の御許に、見覚えのある剣狼の少女が棺に納められ眠っていた。

「どうして?」

「ルヴァ様――」

 真っ先に答えようとしたノワの声を遮り、コルナ殿下の声が聞こえた。


「私が刺客に襲われたところを、ノワとリィエが助けてくれたのだ。不意打ちの毒矢を身体を張って止めてくれた」

 痩せ細った身体だった。ウリエン兄さんに飼い殺しにされ、ろくに館を出ることさえもなかった身の上なのに。


「誇り高き剣狼族の名に恥じない、立派な最期であった」

 立派な最期? 皇族の盾になったから立派な最期? それで彼女の人生がチャラになるとでも?


 俄に湧き上がる怒りの眼差しをぶつけたその先に、気丈な声とは裏腹にポロポロ涙を流す若い娘がいた。

 ぶつける先を無くした怒りは、そのまま、彼女の人生を引き受ける勇気を持てなかった臆病な自分に向けられる。


「ごめん、ごめんよ。ごめん。ごめん」

 四年前の夜、せめてと請われて繋いだ柔らかくて温かかった手は、骨ばって冷たく、硬くなっていた。






―――――――――――――――――――――

以上で、第2章が終了しました。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。初めて挑戦するジャンルで不安ばかりでしたが、読んでくださる皆様のおかけで、頑張ることが出来ています。

現時点でのご意見・ご感想・評価などをいただけたら、私のモチベーションになるだけではなく、今後の展開にも活かそうと考えています。


まだカクヨム様に慣れない私ですが、今後ともよろしくお願いします。

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