第一章 武士マニア、帰郷する

第1章1話 武士マニア、帰郷する。

 真っ青な空に浮かぶ白い雲は、大地に小さな影を作りながらゆったり西に流れていく。

 目の前に広がるのはどこまでも続く平原。幾つかの轍が作り出す自然発生的な道は、長く緩やかな坂を登り切るまで、僕に他の景色を見せてはくれないだろう。


 四年ぶりの故郷。

 決して、足が捗る旅ではない。


 皇都からの街道を離れて小一時間、そろそろレヴィアト川の水音も聞こえてくる。緩やかに登る道が下りに変わる辺りから、僕の父の領地になる。


 オートン子爵家。リュミベート皇国が誇る八狼騎はちろうきの中でも名門中の名門、剣狼騎に随伴する魔導師の一族だ。

 騎士達と共に剣狼を駆り、時に前線で、時に帷幕の内にあって騎士達を支える戦闘支援職の家柄だ。


 ――悪くはない。

 生まれてきたとき、僕はそう思った。


 僕は、生まれる前に長い夢を見た者だ。前世の記憶を持って生まれた者のことを、この世界ではそう呼ぶ。

 それは誰にでも口にしていいことではなく、同じ境遇の人にしか話してはいけない習わしになっている。幼少の頃、父の居館に来た吟遊詩人が教えてくれたことだ。


 僕は平和な日本で生まれた、ゲーム好きの平凡な男だった。中でも武士を扱ったゲームが特に好きで、シミュレーションゲームも格闘ゲームもキャラクター押しのものも、全てやり尽くした自信がある。

 だから、なんとなく武士に似たイメージの騎士という存在にはいくらか関心があったし、その騎士を間近に見られる随伴魔導師という稼業も悪くないと思った。魔法ってのも、面白そうだったし。

 しかし、世の中そう甘い物でもなく。


◆◇◆◇◆


 気づけば、視界が大きく広がり、領境の拠点であるポルトゥ村を覆う柵が目に入る。その周囲には、地平の向こうまで続く広大な小麦畑。それを縫うように走るレヴィアト川の水面。


 真正面には、二頭立ての馬車がこちらに向かっている。見知った顔が、遠目で分かるくらい明るい表情になる。

「坊ちゃーん!」

 御者台で立ち上がり、片手をちぎれんばかりに振る男に、僕は小さく手を振って返す。

 父からの書状では、出迎えは寄越さないと明記してあったから、この人は勝手に来たのだろう。少し迷惑なようで、それでもやはり嬉しいものだ。


「マランさん、元気だった?」

 満面を喜色に染めた農夫は、そりゃもう、と野太い声を上げる。

 父の妾だった僕の母の遠縁にあたる人で、館で冷遇される僕を、よく外に連れ出してくれた人だ。


 大声で互いの無事を確かめ合っているうち、馬車はすぐ目の前に近づいてくる。幌の中から、黒髪で色白な少女がこちらを覗いていることに気づく。

「ノワ? 君もいたの?」

 声をかけられたノワは大慌てで馬車から飛び降り、僕の前に跪く。

 青い上衣に、白いタイトなパンツ。茶色い革のブーツはよく履き慣らされているが、手入れが行き届いており泥はね一つ付いていない。紺色のリボンで後ろに束ねられた黒く長い髪は、前世の記憶にある日本人女性を思わせる。


「ご挨拶が遅れましたこと、平にご容赦下さい。ノワ=スルス=エペー、ルヴァ様のお迎えに参りました」

「堅苦しい挨拶はいいから。ノワ、大きくなったね」

 生まれたときから僕の従士になることが決まっていた少女。四年前に別れたときはまだ背が小さかった。確か、もう十五歳だ。この世界では成人として扱われる。


 僕が手を伸ばすと、その手をとって、端正な顔が僕に向けられる。真っ直ぐな眉。知性的な額から鼻筋が通る。固く結ばれた唇。漆黒の瞳には、昔通り、強い意志が漲っている。

「父上は迎えを出さないと書状を寄越したのに、勝手に来たなら、怒られるんじゃないか」

「坊ちゃん、それなら心配いらないよ。干しトマトをポルトゥまで運ぶから護衛を付けてくれってことで、うまくやったから」

「ご心配をおかけしてしまい、申し訳ありません」

「いや、それならいいんだ。迎えに来てくれて嬉しいよ」

 ノワが顔を伏せる。

「ノワ様は、なんだかんだこの日を楽しみにして、随分とそわそわしてたんですよ」

「主との再会だから……。ルヴァ様、どうぞ、お乗りください」


 僕を乗せた馬車は、器用に向きを変えて父の居館への道を走り始める。

 道の両脇に広がる畑では、冬を越して豊かな実を蓄えた小麦の穂がそよ風に揺れていた。今年は豊作になりそうだと、マランさんが上機嫌に言う。


 ポルトゥの村に入ると、道に多くの轍が交錯しておりよく揺れる。

 カチャリと音をたてるノワの剣と鞘を見て、僕はこの子もまた、生まれる前に長い夢を見た者なのだろうと、改めて確信する。そのつかの形、反りのある鞘。間違いなくこれは、日本刀だ。

「ババルさんに頼んでいた剣、完成したみたいだね」

 幌の小窓から外を眺めていたノワは、少し嬉しそうに微笑む。


 ババルさんは、レヴィアト村の外れに済む隻眼巨人族の老人で、村の鍛治師として領民の信望を集めている。まだ子供だったノワが、どうしても特注の剣を作って欲しいとババルさんの洞窟に通い詰めていたことを思い出す。

「はい。二年程前に、一振り完成しました。その後は、ババル殿ご自身がこの剣の製法に魅入られたようで、新作を打っては私に切れ味を試させているくらいです」


「君の剣の腕も上がったんじゃないか」

 ノワは、照れ臭そうに首を横に振る。

 彼女は、誰に教わるともなく、独特の掛け声と共に重い木刀を何度も何度も立ち木に打ち込む稽古を昼夜問わず行っていた。その剣閃は幼いながらに鋭く、一撃必殺の気迫を乗せた打ち込みは、この世界の剣術武術の類いとは全く異なっていた。


「坊ちゃん、ノワ様は、そりゃあもうお強いですよ。オートンの家中でノワ様にかなう剣士はもういません。そのノワ様が一途に忠誠を誓ってくださるんですから、坊ちゃんも早く士官先を決めなくてはいけませんね」

 うん、と生返事だけして、僕は幌の小窓の外を見る。


 父や兄に従って、家業の随伴魔導師になるためには、僕には欠けているものがふたつある。ひとつは、騎乗獣。もうひとつは、適した精霊との契約だ。

 騎乗獣は、十五の成人の際に一度は宛がわれたのだが、僕の性格的な問題でそれを支配下に置くことが出来なかった、

 精霊との契約については、随伴魔導師に必須とされる火と土の精霊が、どうしても僕に寄り付いてくれないのだ。


 どちらも長く悩んだ問題だったが、既に兄二人、それも正妻から生まれた二人が随伴魔導師として立派に育っているため、僕が家業に就く必然性はもはやなかった。

 僕を随伴魔導師にすることを諦めた父は、皇都に隣接した魔導大学への進学を僕に勧め、そこで何かしらのコネクションを作って士官の道を探すよう命じた。


 僕は魔法の研究もそこそこに、正に就職活動をして四年間を過ごした。

 しかし、元々引きこもりゲーマーだった僕に、コネクション作りはあまりにも高いハードルだった。周りの学生魔導師たちがサークル活動やら、合コン(とは言わないけど、似たようなもの)でコネクションを作って士官先を見つけてくる中、僕だけは片手間の魔法研究で目指していなかった学士号だけ貰い、呆れた父に呼び戻されたという顛末だ。

 就職活動に失敗して実家に呼び戻される無職の青年。日本で言えば、僕はそんな立場になってしまっている。


 考えても仕方ない、そう思うと自然に眠気が襲ってきて、ついウトウトしてしまう。意識を失っては戻すことを繰り返すうち、緩やかな斜面に広がる葡萄畑も目に入るようになる。

 小麦畑の他に、トマト畑も見えてくる。こうなると、オートン子爵領の中心にあるレヴィアト村はすくそばだ。


 僕はレヴィアト川の河畔にある父の居館に目をやる。魔物除けの鉄柵に囲まれた広い練兵場に、数頭の獣化した剣狼の姿がある。その周りを、武装した従士達が、忙しなく動き回っている。

「ノワ、父上は出陣なの?」

「このところ、黄妖鬼こうようきの動きが活発なので、討伐隊に召集されるかも知れないとは仰っていました」

「黄妖鬼か……」


 妖鬼とは、女王を中心に群れで活動する子鬼のことだ。人間――純人族の周縁地域に棲息し、ときに盗賊のように町や村を襲い、ときに傭兵として利用され、ときに強力な連合群を形成して純人族を支配するほどの力を持ったりもする。


 この辺りの妖鬼は、黄色い旗や道具を好んで用いるため、黄妖鬼と呼ばれている。瞬発力を活かした徒歩集団戦術に優れ、特に山岳地帯や森林地帯でゲリラ戦を展開されると厄介な相手として知られている。


「マランさん、申し訳ないけど、館のそばまで行って貰えるかな」

「もちろんですよ。お館様も、俺を叱るほど暇じゃない。ノワ様は、ここらで降りておきますか」

「構いません」

 僕はいつでも固い意志を感じさせるノワの目を見る。彼女が父に叱責されるようなことは避けたいが、怒られないために降りろと言って聞くような性格でないことは、子供の頃から知っている。


 館に近づくと、戦の前の忙しさがより強く感じられる。父の従士の一人が、蔵から戦闘糧食をまとめた俵を担ぎ出している。

 僕は馬車から飛び降りると、父の従士から当たり前のように俵を受け取る。兄が二人もいる妾腹は、家臣と一緒に身体を動かすのが当たり前だと僕は思うし、父や兄の家臣達も同じように感じているようだ。

「帰りました。父上は、どちらにいらっしゃるでしょうか」

「剣狼の調子を見に行きました。もうひとつお願いしてもいいですか?」

「私が持ちます!」

 ノワが勧んで蔵に入っていく。

「ノワ、先に行ってるね」


 肩にずしりと重い俵を抱え、練兵場に向かう。魔導大学でも肉体錬成の授業は必ず出ていたから、これくらいの労働はなんということもない。実家に帰ればこうなることは予想できていたからだ。


 父は、長く連れ添っている剣狼の肉付きを確かめていた。随伴魔導師が乱戦に巻き込まれることはまずないが、陣を縦横に駆けるスタミナは、他の騎乗獣より高い水準が求められる。父の剣狼は、前に見たときより痩せているように感じられた。

「父上、ルヴァ=レヴィアト=オートン、ただ今戻りました。」

「うん。糧食はそこでいい。見ての通りだ。我々が戻るまで、大人しく館で待っていろ」

「畏まりました」


 親子の会話が一瞬で終わると、次兄の耳につく声が響く。僕は次兄のウリエンとは特に馬が合わない。正妻の子として優遇されていることを無闇に見せつけたがり、まともなコミュニケーションが取れないからだ。

「父上、予備の剣狼は連れて行きますか」

 ウリエン兄さんが強引に手を引き、剣狼人の少女を連れてくる。耳を折り、尻尾を股の間に隠すようにしている。剣狼用の独特な外套は、あちこち解れている。


 四年前、躾のために強姦しろと言われて拒否した少女だ。結局、その次の日にはウリエン兄さんが自分の予備にすると言って犯してしまった。今は十六歳くらいだろうか。ひどく痩せて、怯えている。


「こいつは肥立ちが悪いから、囮にすることもあるでしょうか」

「好きにしろ」

 父は関心なさそうに目もやらない。おそらく、僕への当てつけのためにわざとらしくここに連れてきただけだと分かっていて、相手にするのもくだらないのだろう。

 雌の人狼はいつでも獣化して剣狼になれる。予備がいるなら、獣化させずに馬に乗せて従軍させるのは常識で、聞くまでもない。


「ところで、ノワも留守番させるんですか? 勿体ない」

「ノワは、ルヴァの従士として役目を言いつけてある」

「へぇぇ」

 いかにも意地悪そうに顔を歪ませたウリエン兄さんが、大袈裟に僕の肩を叩く。

「今度はちゃんとやるんだぞ、坊や。まぁ、またお前が駄目なら、俺が喜んで貰うことにするけどな」


 ウリエン兄さんが卑猥なことを考えているのは明らかだった。

 戦闘糧食を置いたノワは、顔を伏せて館の中に向かっている。父に何を命じられているかは分からないが、異性の主に身体を捧げろと命じられれば従うのが当然という考え方は、僕には受け入れがたい。

 出来れば彼女には、彼女自身の意思をもって相手を選んで欲しい。


 父と兄二人の出陣準備は、一時間もかからないうちに完了した。

 そのどさくさに紛れて、ノワとマランさんが僕を出迎えたことを誰も気に留めていないことは幸いだった。


 獣化した剣狼三騎に父と兄二人が騎乗し、位の高い従士や予備の剣狼人達は騎馬でそれに続く。身分の低い従士は剣狼や馬のくつわをとり、長槍や予備の武器を担いで小走りする。


 随伴魔導師三人の黒い外套が春の風に揺れる。一行が見えなくなるまで戦勝の祈りを捧げると、辺りはもう暗くなりかけていた。


「あの様子だと、ノワが夜伽に来るのか。気が重いな」

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