第1章5話 傾国の宝玉

 夜が更けても村落地域の水は引かず、僕は領民達と一緒に洞窟で夜を明かした。

オートンの家臣達の多くは程々で館に戻って行ったが、僕の横にぴったり付いて離れないノワと、家宰だけは洞窟に残り、領民達と遅くまで語り合った。


 ババルさんが竈に火を入れたので、春の夜風が吹いても洞窟の中は暖かく、非常用の食料と水を使って村の女達が作ったスープは、四年ぶりの懐かしい味がして、こんな事になったのに、始めて故郷に帰ってきた実感が湧く。


 僕が離れていた四年の間に天に召された人の話、所帯を持った若夫婦の話、新しく授かった命の話。村人達はいつでも一つの家族のようで、僕もその家族の一人としてそれらの話を聞かせて貰う。


 現代日本で生きたときには味わったことのない温かい感覚に、僕は大きな歓びと、一抹の淋しさを覚える。ノワは僕の隣を離れない。


 家宰もまたよく食いよく笑う人で、領民達に厚く信頼されていることが分かった。


 毛布を皆で分かち合って眠り、岩の隙間から朝日が差し込む頃には、村を覆っていた水は粗方はけていた。


 僕は一番に村に下り、大水の後片付けを始める。

 領民の誰一人、僕を責めるようなことはなかったが、僕だけは絶対に自分の力量不足を許す訳には行かなかった。


 ノワは淡々と僕の傍で漂着物を持ち上げては広い場所に纏めている。領民達もそれぞれ、近所同士で助け合って片付けを始める。


 この時期に水浸しになった小麦は、売り物にはならないかも知れない。ワインの生産は年単位で復興出来ないだろう。


 こんな破滅的な魔法に頼らなくても、僕に魔力の蓄えがもっとあれば、水の攻撃魔法のバリエーションをもっと研究しておけば、籠城戦に備えた戦術研究をしておけば……、考えれば考える程、自分の力不足が情けなくなり、胸が苦しくなる。



 ◆◇◆◇◆



 昼少し前になって、帰ってきた使い魔があと六時間ほどで援軍が到着することを報せた。

昨夜の内に発たせた早馬と入れ違いになったのだろう。念のため、使い魔を折り返し飛び立たせて、危急の状況ではなくなったことを報せる。


 一日身体を動かし、館の寝室に横になったとき、ノワがまた僕を訪ねてきた。


 特には話をせず、同じベッドで眠った。彼女の体温は心地よく、作業の疲れもあり、一昨日よりは緊張せず寝ることが出来た。


 結局、父達が帰ってきたのは黄妖鬼こうようきの襲撃から三日目の朝だった。


 長兄は何も言わず、ただ眉をひそめて村の惨状を視察し、次兄はたかが黄妖鬼の討伐にこの有様は何だと大騒ぎした。父は小さく一言ご苦労だったと声をかけてきた。


 昼頃、父に呼び出されて館の執務室に入ると、手で指し示してソファに座らされた。隣には、家宰がいた。


 ミリアム=ドーデ=オートン。それが父の名前だ。

代々剣狼騎随伴魔導師を輩出する家系に生まれ、その当主として長らく職責を全うしてきた典型的な武人魔導師だ。


「領民と汗を流して復興作業をしていたか。お前らしいな。まだ小さな、言葉を発し始めた頃から、お前は余人とは異なる不思議な感覚を持っていると思っていた。それを詳しく聞く資格は、儂にはないのだが」


 生まれる前の長い夢のことを言っているのだろう。

父には前世の記憶はないという。僕にはある。

しかしそれは、父が望むような、この世界で生きるのに有用な記憶などではない。


「さて、この度のこと、子細は聞いた。お前は洪水の被害を気にしているようだが、儂は良くやったと言いたい。

 お前が察した通り、いま当家は国を揺るがしかねない大切な品物を預かっている。この度の黄妖鬼討伐隊の召集それ自体、その品物を狙う者の計略だったのだろう。儂は正直、そこまでは警戒していなかった。

 しかし、お前から連絡を受けて援軍の準備をする際に度重なる横槍が入ったことで、これが策略であったと確信したのだ。

 今回、お前がほとんど独力で黄妖鬼を撃退し、預かっている品を守ったことは、皇国の安寧のために必要な大きな功績だ。的確な判断で、素晴らしい働きであった」


 父は淡々と自分の考えを伝えてくる。

無骨な人なのだ。こちらの感情に合わせて表現や口調を工夫するような芸当は出来ない。それは分かっているが、それでも腹が立つ。


 唇を噛んで怒りに耐える僕の表情を一瞬目に収めて、それでも父は朴訥に話し続ける。


「水魔法というのは、近くに水場があるかどうかで大きく効果が変わる故、儂は侮っていた。しかし、地の利を得ればこの絶大な力だ。恐ろしいものだな。剣狼騎としては向かなくとも、お前が偉大な魔導師であることに違いはない。魔導大学四年間の修練の成果を、確かに見させて貰った」


 褒めているつもりなのだろう。僕は水の精霊魔導師として、もっと出来ることや選択肢があったはずだと思っている。今回の村の惨状は、僕の力不足が原因であることは間違いない。

 父は、今自分が僕の傷を抉っているなどとは、夢にも思っていないだろう。


「ルヴァよ。お前の隣に座る男が、重臣の家督を継がせたとはいえ、元はオートン家の者で、お前の大叔父に当たることは知っておろう。

 これも剣狼の扱いに馴染めず、随伴魔導師にはなれなかったのだが、民からの信望が厚く、この家になくてはならない存在となった。

 ルヴァよ。前から考えていたのだが、お前がノワの婿としてエペー家を継ぎ、次期家宰としてオートンを支えるというのが、当家にとって一番の選択だと思うのだ」


 僕は実直を徳と考え、それ以外の選択肢を持たない昔気質の武人を見る。


この人にとってこの提案は、妾腹の三男坊で、稼業の随伴魔導師の適性を持たない僕がオートン家中で生き延びて行くための最良の選択肢に見えるのだろう。


 実際、僕にとっては悪くない提案かも知れない。契約精霊である河龍レヴィアのお膝元で、幼少期を家族のように過ごした領民達に囲まれて過ごし、家臣の立場に下りることで兄達からの風当たりも弱くなるかも知れない。僕を慕ってくれている様子のノワと平凡な家庭を築けるかも知れない。


 しかし、しかしだ。

「父上、その件については考えさせて下さい。僕一人だけの話ではないので」


 実直な武人が急に下卑た顔になり、にやけながら僕を嘗めるように見る。


「お前が帰って来た日から、ノワと実に仲睦まじい様子だと聞いたのだが、あれか、都にも女を作っていたのか」


「違います」


「いや、田舎育ちの家臣の娘では物足りんという気持ちは、それは儂にも心当たりがあるからな。そういうことなら、他の道を考えねばならんが」


「だから、違います」


 ノワは寧ろ、僕には勿体ない相手だ。彼女はきっと、高い志のためにこの田舎から旅立つだろう、いや、そうすべき人だ。


 ただ、父にそれを言っても理解出来ないだろう。


「それより父上、村にこれだけの被害をもたらしてでも守らなければならなかった品とは何ですか。私は、オートンの家風には合わなくても、魔導学士です。もし事前にそのことを聞かされていたなら、もっと違う対応が出来たかも知れません」


 父の表情は固くなる。

「うむ。お前の力を侮っていた訳ではないが……、いや、まだ若いお前には話さない方が良いと思っていた。すまん。ただ、これはマルタンとウリエンにも話していないことだ。お前だけを除け者にした訳ではない」


 この人は、僕が自尊心のためにこの話題を切り出したと思っているのか。


 若いからとか、兄二人も知らないことだとか、そんなどうでもいいことを口走る父を、僕は少し軽蔑する。


 留守を預かる中で一番の戦力である僕が詳細を知らなかったことが、領民の生活を破壊することに繋がったのだ。

責任を父に擦り付けるつもりは毛頭ないが、この人には領民を守るという視点が欠けている。


 少なくとも、その品物を守るために領民を犠牲にしても良いという意識が透けて見える。


 この人は、信用出来ない。


 領民のために、僕は真実を、いまオートン領に押し付けられているリスクの正体を知っておきたい。

 そのために、寧ろ、武人特有の勘違いを利用するか。


「今回のことで、私は改めて、父上に軽んじられていることを実感して、非常に無念に思います。オートン伝統の随伴魔導師にはなれずとも、武人魔導師としての誇りと覚悟だけは、兄上達にも負けないつもりでいました。それなのに、留守を預かる仕事でさえも、一人前と認められないとは!」


 言っている内に、段々と自分が本当に腹を立てているような錯覚に陥る。実際には、この人に見下されることには慣れきって、何も感じていないのに。


「うむ。お前には、この件を話そう。儂は決してお前の力を信じていなかったわけではないぞ。それは忘れるな」


 馬鹿馬鹿しい。今回、成り行きで黄妖鬼を撃退することにならなければ、僕のことなど歯牙にもかけなかっただろうに。


「儂が預かっているのは、大型の魔導石だ。詳しいことまでは聞いていないが、手にする者次第では皇国の存亡にも関わってくる非常に重要な物らしい。あるお方から、時が来るまで預かっていてくれと頼まれた」


「それは、村外れの洞窟にあるんですか」

 黄妖鬼の襲撃を受けたとき、家宰が館から何かを持ち出した様子はなかった。


その後も、村や館が相手の自由にされても動じなかったのだから、当然、その品物は洞窟にあるのだと当たりはついている。


「お、うむ。分かっていたか。ババルに貸している洞窟の奥が備蓄倉庫になっていることは知っているかと思うが、隠し扉を設けて更に奥の空間がある。そこにしまっている」


 僕は父の話に眉を顰める。

 洞窟の奥の隠し部屋に家宝級の物資を隠しているという噂は僕ならずとも、オートン家中の者なら大抵知っている話だ。


預かっている品物が大切な物だという割には、隠す場所に工夫も捻りもない。


 密偵が家中に入り込んでいたら、一週間も立たずに場所を特定されるだろう。


「因みに、それを預かったのはいつですか」

「二カ月程前か」

 隣の家宰が頷いている。


「その間、確認はしましたか」

 父も家宰も顔を見合わせている。


「あの洞窟、噂ではかなり広がりがあり、他の出入り口もあるという話ではないですか? 確認していないんですね」


「いや、その」

 間抜けな話だ。


 噂では、と濁したが、他の出入口は確実にある。そこから誰かが侵入している可能性がある。


 家宝の隠し場所としても微妙な場所に、国の存亡に関わる預かり物を置くとは。

僕は、下手したら既にコソ泥に盗まれた宝を守るために、村の収穫を駄目にしてしまったのかも知れない。


「今すぐ確認することを進言します」

 慌てて部屋を出る父と家宰に、僕も早足で従う。

 無事でいて欲しい。そうでないと、領民がこれから経験する苦労が浮かばれない。



 ◆◇◆◇◆



 ババルさんに挨拶だけして洞窟の奥に進み、倉庫の鍵を開ける。

 そこには今回の襲撃に伴う炊き出しに使われている非常用の食糧や、保存用の魔法器に入れられた水が並べられている。


 その他に、塩や布の生地、予備の武器や農具等も並んでいる。


 そのうち、予備の槍が並ぶ棚に、ただの装飾に混じって描かれた魔法陣がある。手を伸ばそうとした家宰を遮り、僕がそれに触れる。


 棚が自動で動き、中に幾何学模様が描かれた鉄の壁がある。僕がまた模様に紛れた魔法陣に触れると、壁の一部が扉となり、向こう側に開いていく。


「ぼ、坊ちゃん」


「僕は七歳の時には魔法陣を解読して、ノワや村の子供を連れて冒険ごっこに出入りしてました。それから一度も書き換えしていませんね」


「ルヴァ、お前……」


 自分の言い方が刺々しくなっていることを自覚するが、父や家宰には事の重大性を理解して欲しい場面だ。


 ババルさんがここを離れているとき、少し腕の立つ鍵師と魔導師が侵入すれば、簡単に正面突破できるようなセキュリティだ。お話にならないといっていい。


 僕が先頭に立って隠し部屋に入る。光の魔法石が設置されているので、薄暗いが足元が危うくない程度には見える。


 子供の頃に見たときと同じ、大型の据え置き金庫が置いてある。

これは流石に、子供の僕では開けるのに足かけ数ヶ月前かかったセキュリティの高さだ。

当時、中にあった物は、子供が心躍るような伝説の剣や金銀財宝ではなく、意味の分からない巻物や骨董品ばかりだった。


 中を確かめるよう父と家宰に視線をやると、二人とも真っ青になって固まっている。


「な、無い!」

「は!?」

「金庫の空きが少なくて、そのうち整理すれば良いと隣に置いたのに……」


 僕は頭が真っ白になる。

 僕と父と家宰は、しばらく薄暗い地下室に立ち尽くす。


 ある程度時間が経つと、僕は子供の頃に冒険なごっこに出た壁の穴を思い出す。子供数人でようやくずらせる重さの小岩があり、それを退かすと洞窟の奥に進めるのだ。


 僕は記憶に従い小岩を探す。

 部屋の暗がりになる隅にそれはあったが……。


「ずれてる……」

「どういうことだ!?」

 父は興奮して大きな声を出す。今になって慌てても仕方が無いのに、本当に単純な人だ。


「お館様、これは万が一に備えて作られていた抜け道です。私は先々代からそのことを聞かされていました」


「これがずれたままになっているんですから、外から誰かが入り込んだ可能性があります。その魔導石は、人間が抱えてこの穴から出られるような物ですか」


「うむ」

 僕はため息をつく。興奮したり、青い顔をしたり、思考停止したり。何が良くてこの人に傾国の宝を預けたのだ。


「何か手がかりがないか、少し見てきます」

 僕はそれ程大柄ではないので、なんとか出入り出来るだろう。


 入ろうとして、小岩と穴の隙間がことのほか小さいことに気づく。力を入れて岩をずらし、穴に入る。腰の刀が引っかかり、それをずらして入っていく。


 ひんやりと湿った空気。完全な闇。


 魔法で小さな光の玉を作る。光魔法は人間の魔力そのもので発動するため、精霊の加護は必要ない。因みに、ソユル教の思想では、魔力ではなく神聖力と言い換える。


 ぼんやりと照らされた天然の洞窟には、無数の鍾乳石が連なっている。人の気配に驚いた蜘蛛が数匹逃げていく。


「今のところ、足跡のようなものはありません。別れ道があるところまで見てみます」


 子供の頃に探検した記憶に従い、いくつかの分岐がある大きな空洞に向かう。何かしら痕跡がないか注意しながら、ゆっくりと進む。


 次第に、地下水の揺らめきが小さな灯りを返すのが見える。

 僕ははっとして、自分の光源を消す。


 目指していた大きな空洞に、確かに灯りがある。


 僕は目を閉じて、水の精霊に人の気配を訊ねる。精霊は少しして、人でない物の気配を僕に伝える。


 その気配は、人や魔物ではなく、精霊のようなもの。しかしそれは、地水火風の代表的な精霊のものとは異なる。人や魔物の霊体にも似ているが、やはり、感じたことのない気配だ。


 迷っていても仕方ない。


 相手に気取られないよう出来るだけ気配を消し、少しずつ近づく。

 一歩、また一歩と慎重に進んでいく。


 大きな空洞まであと数歩。やはり、実戦経験の少なさがこういうときの過剰な力みになっていると自覚する。緊張感に胸が潰れそうになる。


「動的霊体を確認。敵性確認、シロ。所属確認、シロ。認証を開始します」


 突然の声に、僕は息を飲む。

 目の前に、少女の姿があった。

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