第1章4話 妖鬼の襲撃

 日がやや傾いても、奇妙な静けさが続いていた。黄妖鬼こうようきの一群は、幾らかの家捜しで掠奪品を外に運び出した後は、建物の陰に隠れたまま何の動きも見せない。

 妖鬼は、現代日本の知識を持つ僕の認識では、蜂や蟻のように集団意識で行動する傾向を持ち、実に合目的的な行動原理を持っているように思われる。

 そんな彼等が、若い女の誘拐や物資の略奪を目的として、今回のような襲撃方法を採るとは思えなかった。


 オートンの家宰は何かを隠している様子だが、もし黄妖鬼の目的がオートン家の者から何かしら一つのアイテムを奪うことであるなら、入念な包囲も、襲撃のタイミングも、納得できる。

 父と兄達、オートン家の主力が館を離れ、かつ、黄妖鬼討伐隊が本格的に活動する前を狙っての襲撃。そして、戦闘力の低い領民相手ではなく、戦い慣れたオートンの家臣を倒すための戦術。

 更には、特定のアイテムを毀損しないための、放火を伴わない戦法。

 恐らく、黄妖鬼の目的は家宰だけが知っている様子のアイテム。


 その予想が当たっているなら、奴等は結界が消えるなりこの洞窟を全力で攻撃してくるだろう。

 幸いなことは、相手の目的が火で毀損しうる物だということ。洞窟を火攻めされたら、全滅も免れない厳しい戦いになるが、今回それは恐らくない。

 消耗戦になるかも知れないが、数時間耐えれば、父達が討伐隊の一部を借りて援軍に駆けつけるだろう。


 僕は自分達の目標を、被害を最小に抑えながら時間稼ぎをすることに設定する。

 そうと決めれば、戦闘員全員で意思統一した方が都合がいい。家宰も問題ないだろう。


 僕は家宰に指示をして、洞窟の入り口付近にオートン家中の者と、ババルさんを集めた。

 洞窟の入り口は、ババルさんに頼んで岩を積み、狭めて貰っている。人二人通るのがやっとの幅。僕は黄妖鬼相手に、数人以上の規模の集団戦を挑む気はない。

「奴等は恐らく、結界が消滅すると同時にこの洞窟を落としにくる。迎撃の前衛はノワだけだ」


 家臣達がざわつく。ノワの腕を認めていても、いくら何でも一人ではという意見があがる。

「妖鬼相手に乱戦は分が悪い。あいつらの統制のとれた集団戦法は、百戦錬磨の猛将でも無事で済むか分からない程だ。大学時代、請われて従軍した部隊が壊滅しかかったことがある。奴等を嘗めると痛い目に合う。その点、ノワの剣術は一対一で非常に強く、あの入り口の幅はノワが一番戦い易い幅になっている」

「しかし、嬢ちゃんだって、体力がいつまでも続くわけじゃ……」

 ババルさんが心配そうにノワを見ている。

「僕が後衛になり、水魔法で治療と回復に努める。ノワが対応出来ないような攻撃があったときは、結界や水弾で支援する。ここは幸いにも僕の契約精霊のお膝元だ。魔力はまだまだ余裕がある」

 ここまで話すと、家中の意思が纏まってくる。


 引き続き、万が一ノワが戦闘不能かそれに準ずる怪我をしたときのため、レイピアを得意とする剣士を岩陰に待機させる。

 そして、僕の魔力が尽きたときに備えた予備の魔法要員も入り口付近に配置する。

 領民達には、父達の援軍が来るまでの持久戦であることを伝えておくよう指示する。出口の見えない不安で混乱を起こしたくない。

 外を見ると、結界が薄くなり、妖鬼の一部が結界の破壊を試し始めている。

「ノワ。僕達が民の盾だ。絶対に負けてはいけない戦いだ」

「はい」

 ノワは短い返事しか寄越さないが、固い決意が双眸に表れている。

「オートンの名にかけて、我等が必ず民を守る。いいな!」

『応!』

 力強い掛け声に、僕は笑顔を向ける。


 こちらの掛け声に呼応したように、結界の解れた隙間から甲高い声を上げて黄妖鬼が続々と丘を登り始めている。

 僕は深呼吸をして震えを鎮めながら、抜刀したまま微動だにしないノワの背中を見る。

 前世で泰平の世を生きた僕とは違い、彼女は剣林弾雨を潜り抜けた維新志士の魂を持っている。

 その背中に縋っている自分が情けないが、万が一にもこんな所で彼女を死なせる訳にはいかない。彼女を支援出来るのは、今、僕しかいないのだと気を引き締める。

 結界を展開する余力を残すと、一度に形成出来る水弾は四つが限界だ。右手で四つ用意して第一陣に備える。


 風切り音が聞こえ、それに対して最小限の結界を張る。おそらく、相手からは見えていないはずだ。

 想定内のことだが、改めて妖鬼は侮れないと思う。一度矢の雨を降らせてから斥候を送り込んでくるのだろう。

 ノワは、変わらず微動だにしない。


 第一陣は、静かに侵入してきた。ノワが緩やかな動作で刀を上段に構える。

 こちらの出方を窺うようにゆっくり入ってきた妖鬼は、恐らく自分が斬られたことに気づきもしなかっただろう。袈裟切りに真っ二つにされ、ゴロンとノワの足元に転がる。僕はそれが邪魔にならないよう後ろにずらす。

 至近距離で風切り音が聞こえ、一矢をノワが弾き、一矢は僕の頭をかすめて洞窟の地面に刺さる。ノワが弾かなければ、もう一矢は僕の額を捉えていたかも知れない。

 僕はノワと視線を合わせ、互いに反対の岩陰に隠れる。


 冷や汗が首元に流れて襟を濡らす。想定以上の神経戦になりそうだ。黄妖鬼の戦い方は賢い。

 無数の気配が動き、叫声と共に幾つかの足音が侵入してくる。


 最初の一匹はノワが横から頭部を両断する。それを飛び越して侵入してきた一匹を僕が水弾で打ち抜く。

 引き続き、跳躍して侵入してきた妖鬼は、ノワに上半身と下半身を切り離される。その足元に滑り込むように入ってきた一匹も、ノワが返す刀で首を落とす。

 その首のない死体を後ろから来た妖鬼が掴み、盾にしてノワに向ける。しかし、そいつは盾にした仲間の死体ごと真っ二つに斬り捨てられる。

 その隙を突いて侵入する二つの気配に、僕が水弾をコントロールしてぶち込む。

 また無数の風切り音。

 僕は最小限の結界を張る。


「ノワ、給水しておけ」

 そう言いつつ、僕も傍に控えている予備戦闘員から水筒を受け取る。

 矢を弾く目的の結界では、刃を使った攻撃で切り裂かれる可能性はある。それでも、小休止を入れるくらいの時間稼ぎは出来る。

 水筒で口を濡らすノワは、全く平然としている。それに引き換え、僕は予想以上に精神を削られている。魔力は精神力と関連が深いので、想定より早く僕がバテるかも知れない。


 考える間もなく、結界が切り裂かれ決死隊が連携して飛び込んでくる。

 僕とノワが、味方の犠牲を考慮しない不意の毒矢に警戒しながら、それを撃退する。

 毒矢と決死隊の突撃が何度となく不定期に繰り返される。その都度、黄妖鬼の死骸が洞窟の入り口付近に積み上がっていく。

 流れ矢で予備戦闘員が一人負傷したが、毒の治療も済ませ、大きな破綻は今のところない。しかし、僕の精神力と魔力は、確実に、想定より早く削られていく。

 前世で自作シミュレーションゲームを作ったとき、武将個人の能力に依存した戦術は、そこに不慮のトラブルが発生したとき総崩れになるゲームバランスに調整していた。今、僕が直面している戦局は正にそれで、ノワか僕、どちらかにトラブルが起きれば総崩れになりかねない。


 僕は攻撃の合間を見て、家宰を傍に呼ぶ。

「どうして使い魔が帰って来ないと思いますか? 危険があって降りられないときは、発煙玉を落とす決まりでしたよね」

「恐らく、援軍の編成や派遣について、何か支障が出ているのかと」

「援軍の到着予想時間を、まだ報せられないだけ、ですね?」

 家宰は、苦しそうに頷く。


「あいつらを、皆殺しにする必要はないですね?」

 発煙玉で援軍到着時間を報せないもう一つの理由があるとすれば。それは相手を全滅させたい場合だろう。援軍の気配をさせず静かに包囲して殲滅するのだ。

 知性に癖がある妖鬼相手に、口封じのため皆殺しまでする必要はないだろうが、家宰が預かっているのだろうアイテムが相当にヤバい物なら、それもあり得ると気になったのだ。

「はい。退却させられるなら、それでも構わないかと」


「では、もう一つ。今、レヴィアト村周辺の農作物が全て駄目になったとして、領民の生活や家政は何とかなりますか?」

 家宰は、とても苦しそうな顔をする。少し考えて、絞り出すように答える。

「他の村の収穫と、蔵にある蓄え、いざとなれば王室や商人からの借財も出来ましょう。なんとか、なるかと」


 僕は何も言えず、ただ家宰を睨みつける。領民が一年間汗水たらして働いた成果である作物よりも、そのアイテムを優先したいというのだ。僕は家宰の考えに腹を立て、自分の不甲斐なさにも怒りを覚える。

 いつ来るか分からない援軍を待っているのでは、僕の魔力残量が不安になってきている。僕の魔力が切れれば、そう長い時間もかからず、この洞窟は歴史に残る惨劇の舞台になるだろう。

 子爵領の中心村落の領民が全滅。考えたくもない。


 そんなリスクを負うよりは、今残っている魔力を攻撃に回して敵を撃退する方が、領民の命を護るためにはリスクが少ない。

 ただしそれは、この土地で洪水クラスの水魔法を発動することに他ならない。領民達の一年の努力は、妖鬼共と一緒に奔流に飲まれてしまうだろう。

 援軍はいつ来るのか、僕の魔力がどれだけ長期戦に耐えられるか。


 また数回の静かな襲撃。黄妖鬼は自分の命が無くなることを全く恐れていない。彼等は個で生きているのではなく、群れで生きている。群れの目的を達するためなら、個が何匹犠牲になっても顧みない。

 しかし、人間はそうではない。たった一人の領民も、家臣も死なせたくない。その違いが、僕の精神を激しく削り、魔力を消耗させる。


 決断に迫られる僕の意識を遮るように、洞窟の外から無数の打突音と甲高い叫声が聞こえてくる。

 音楽と言えるほど洗練されたものではないが、妖鬼は日暮れ時に武器や道具で音を鳴らし、歌うように叫びを上げることがある。

 きっと奴等は、洞窟に籠もる僕達を威圧するためにそれをしているのだろう。


 薄暗い洞窟に、外を包囲する無数の子鬼達が刻む旋律が不気味に響く。

 カッ、カッ、カッ、カカッ、カッ、カッ、カッ、カカッ……。

 洞窟の奥から子供の泣き声が聞こえてくる。

 入り口付近に待機する予備戦闘員の顔色も悪い。


 ――負けた。

 これは、始めから神経戦だったのだ。

 黄妖鬼は、始めから僕達の精神力を削るための戦いを続け、今この洞窟にいる誰もが、いつまで続くか分からない生温い恐怖との戦いに疲れ果てている。

 僕は、負けた。


「ルヴァ様」

 ノワが、決断を促すように僕を直視する。そうか、彼女だけは冷静に、僕が疲弊していく様子を見守っていたのだ。そして、今、僕を促している。

 僕は家宰を見る。普段したことのない厳しい表情で睨みつける。

「絶対に、民を、飢えさせるなよ」

 身を縮めるように僕の傍に控えていた家宰が、強い表情で頷く。


「ノワ、外の警戒は任せる」

 僕は胸の前に両手を組み、神と崇められる契約精霊に心を通じる。心の中に精霊への祈りを連ねる。

 僕のイメージにどこまでも続く水面が現れ、それが妖鬼共の威圧的な旋律に合わせて波立つ。僕は波立つ水面のもっと向こうを見据え、祈り続けるうちに、妖鬼の旋律が届かない静かな水面の上に立つ人影を見出す。

 良いのだな。

 僕は頷きを返す。


河龍かりゅうレヴィアよ、汝の安息の地を穢す浅ましき妖鬼の群れを払う力を、我にお与え下さい。汝の圧倒的な力を。汝の偉大な浄めの力を。河龍の怒りを、彼の者等に」

 大きな水滴が落ちる音が聞こえた。次には、妖鬼の旋律を掻き消す無数の水音が絶え間なく世界を覆い尽くすように聞こえてくる。

 僕は岩の隙間から外に出る。ノワだけが、それに続いて僕の隣に立つ。


 黄妖鬼達の視線は、僕とノワには向いていない。彼等の背後に現れた天を衝く大きさの水の龍に向けられている。

 龍の頭がこちらに傾く。次の瞬間には大きく口を開けた水龍が地を這い、非力な子鬼達が為す術もなく飲み込まれていく。

 水龍の頭は一度天まで登ると、また目にも止まらぬ速さで強烈な水飛沫を上げながら妖鬼達を飲み込む。妖鬼達は我に返ったように隊列を崩し、散り散りになって逃げ始める。

 水龍はそれを追い、飲み込むと、また天まで登り次の狙いを定める。


 猛烈な雨と、水龍の放つ水飛沫が、確実に大地を浸していく。

 僕は祈る。一度解き放たれた怒りが、少しでも早く収まるように。

 水龍は何度も地を這い、天に登り、彼女の神聖な土地を穢した妖鬼達を容赦なく飲み込んだ。圧倒的な破壊と殺戮が繰り返され、その度に大地は水に浸されていく。


 愚かな子鬼達が粗方姿を消したときには、収穫間近だった小麦畑は水浸しになり、トマト畑の畝は崩れ、葡萄畑があった斜面は跡形なく崩れ落ちていた。

「負けた」

 そう呟いた僕の手を、同じように冷えた手が力強く包んだ。


 水龍が川の流れに同化して姿を消し、空を真っ黒に覆い尽くしていた雷雲が見る間に消えていく。

 嵐が去った空には、僅かに太陽の名残があった。

「ルヴァ様が、民を守ったのです」

 遠い空はまだ赤い色を保っていたが、僕達の上には二つの月が輝いている。月明かりに照らされた故郷は痛々しく荒れ果てていたが、洞窟の奥からは歓声が聞こえてきた。

 続々と外に出てくる同郷の人達の顔に、疲れや失望よりも、何よりも生きていることへの歓びを見出したとき、僕の視界が歪んだ。全身の力が抜ける。


 その僕の身体を、無骨な両腕ががっしり掴んでいた。

「マランさん、ごめんなさい」

「なんで謝るんですか。皆、生きてるのに」

 レヴィア〜ト川の水面には〜、と、ララ婆さんが、いきなり嗄れた声を張り上げた。

 ふ〜たつ〜のつ〜きが〜ゆ〜れて〜いる〜、と、周りの人達が声を合わせる。

 は〜はな〜るか〜わの〜め〜ぐみなる〜、声はどんどん大きく重なっていく。

 レ〜ヴィア〜ト村の〜のーどけ〜さよ〜。

 月がより輝きを増し、夜が更けても、領民達の歌声はなかなか止まなかった。

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