第1章3話 故郷の不穏

 ノワと同じベッドの上で一夜を過ごした次の日、僕達は村外れの洞窟に住む隻眼巨人族のババルさんを訪ねていた。

 朝からノワの距離感が明白に近くなっており、朝の食事や習練の際に手を握ったり腕を組んだりしてくるので、メイドや留守の従士からニヤニヤ意味深な笑みを向けられた。彼女なりに「身体の関係を持った風」の演技をしているつもりなのだろうが、僕の心境は昨夜に引き続き、複雑なままだ。


 今も彼女は僕の腕を取り、張りのある胸を押し付けながら、ババルさんが新調した日本刀の刃文に目を凝らしている。初めての彼氏に浮かれる少女のような姿勢ながら、その目つきはドスが利いている。正に人斬り半次郎の目だ。

「どうだ、なかなかのもんだろう」

 ババルさんがノワの顔と、絡められた僕達の腕を交互に見ながら、自慢気に自作の刀を掲げる。


 ババルさんは隻眼巨人族の老人で、長くレヴィアト村とオートン子爵家の金物を一手に扱ってきた鍜冶師だ。髪の毛のない丸頭に一つ目、青っぽい肌、大型獣の毛皮を縫い合わせただけの粗末な服など、見た目は子供を泣かせそうな恐ろしい風貌なのだが、実際には村の子供達に懐かれている好々爺だ。


「重さと、切れ味を」

 ノワが僕の腕から離れ、ババルさんから刀を受け取る。予め幾つか立てられていた麦藁の束のひとつを前に、深呼吸をする。そして、彼女には珍しく、両手で刀を持ち正面に構える正眼の型を取る。

 ノワが一歩前に踏み出し、その足を元に戻したとき、藁の束に斜めの線が入ったように、上半分がドサリと落ちた。その剣閃は、僕の目には見えなかった。


「やや軽め、短めで、扱い易い。ババル殿。ありがとうございます」

 ノワの表情が柔らかくなる。ババルさんが満足気に刀を受け取り、鞘に納める。

「坊ちゃん。あんたのもんだ」

 鞘に納まった刀が僕に差し出される。

「ノワの嬢ちゃんがさ、あんたには護身用の剣すら与えられてないからって、一振り頼まれてたんだ」

 ノワを見ると、懐から袋を取り出そうとしている。

「嬢ちゃん、いいって。受け取れねぇよ。まぁ、その、お祝いだ。坊ちゃんが魔導学士になったとか、二人が男女の仲になったこととかのさ」

 ノワがビクリと固まり、顔が真っ赤になる。朝から露骨に見せつけていたのに、今更になって恥ずかしくなったのだろうか。

「ほら、いいから受け取ってくれよ。嬢ちゃんの想いも籠もった刀だ。きっとあんたのお守りになる」

 僕は両手を伸ばし、それを受け取る。ずしりと、心強い重さを感じる。

「使い方っていうか、それで物を斬るコツは嬢ちゃんが専門家だから、まぁ、よろしくやってくれよ」

「ありがとう、ババルさん。ありがとう、ノワ」

 ノワは俯き加減のまま、小さく頷く。その仕草は人斬り半次郎と呼ばれた武士のものではなく、十五歳の少女のものだ。

「さ、俺は麦刈り用の鎌を研ぐ仕事がわんさかあるから、穴に籠もるわ。その辺の藁束、良かったら使ってくれ」


 ババルさんは片手を上げて、「んじゃなー」と、洞窟に戻っていく。

 僕は改めて刀の重みを確かめてから、それを腰帯に指してみる。

「正しい向きですね。さすが、侍の子孫です」

 ノワが小声で言う。

「僕は、あなたに憧れて武士のことを詳しく調べましたから」

 僕も小声で返す。

 二人だけの秘密に、不思議な連帯感が生まれる。


 ノワは僕のすぐ右横に立ち、刀の抜き方を説明し始める。息がかかる距離だ。僕の腰を抱くようにして、左手で鞘の持ち方を教えてくれるとき、胸の膨らみが僕の背中に押し付けられる。

「鯉口を切る」といわれる、左手親指で刀の鍔を押し出す準備動作を指示され、今度はノワの右手が僕の右手に重ねられ、柄のどこを持てばいいのか教えてくれる。彼女に導かれて刀を抜くと、刀身が日の光を受けてキラキラと輝く。

「さすが、筋がいいです」

 刀を鞘から抜いただけなのに、ノワが満面の笑みで褒めてくれる。これなら、幾らでも剣の道に励めそうだ。憧れの武士が美少女というのも、悪くないと思えてくる。


 魔導師の家柄に生まれたけど、今から示現流の剣士を目指そうか、そんな夢想に囚われかけたとき、背筋に悪寒が走る。

 こういうときは大抵、水の精霊が僕に危険を報せていることが多い。

「ノワ、嫌な気配がする」

 僕は刀をたどたどしく鞘に納めると、両手を胸の前に組み、精霊の声に耳を傾ける。

 獣のように隙のない無数の足音。しかしそれは、四足歩行ではなく、二足歩行のものだ。かなりの数なのに、まるで一つの意思を持つかのように統制が取れている。

 アルバイトで従軍したときに経験のある気配だ。


 僕はノワに小声で話しかける。

「妖鬼の群れが村を囲んでいる」

 ノワの表情が一瞬で引き締まったものになる。

「目立たないよう、館の者に報せて領民をこの洞窟に避難させてくれ。メイドが一人使い魔を扱えるはずだから、父上に連絡を。奴等は奇襲に失敗したと分かれば闇雲に襲いかかってくるかも知れない。あくまでも、目立たないよう、平静を装って」

「分かりました」

 ノワが、ちょっと急ぎの用事程度の軽い駆け足で館に向かう。その背中を確認して、僕は洞窟のババルさんに事態を報せに行く。

 暗闇に小声で話しかけると、大きな一つ目がすぐに現れる。

 僕は事情を話し、幾つか頼み事をしてから村に向かう。


 既に館の者が手分けして村の各地に向かう様子だ。烏が一羽、一目散に上空へ向かう。恐らくは連絡の使い魔だ。

 僕は村の中心にある十字路を目指す。そこで全体の様子を見ながら、避難の遅れや戦闘発生に備えるつもりだ。


 日本で言うジョギング程度の走りで身体を温めつつ、水の精霊が報せる敵の気配を確認する。

 幸い、敵はレヴィアト川を挟んで洞窟の反対側にしかいないようだ。かなりの数のようだが、地の利はこちらにある。味方が川を渡ってさえくれれば、かなり時間稼ぎが出来る自信はある。


 次第に、不安そうに、それでも平静を装って洞窟に向かう領民達の姿が見え始める。

 僕は彼等に、口を結んで力強く頷いて見せる。父と兄達が出払っている今、彼等が縋れる存在は僕だ。剣狼騎随伴魔導師としては落ち零れでも、僕が得た魔導大学の学士号というのは一線級の魔導師の証として世間で通っているものだ。その僕が堂々としていれば、領民の不安を少しは和らげられるだろう。


 妖鬼の足音は、既に包囲を終え、その輪を狭める段階に来ているようだった。

 レヴィアト村に住む領民の顔は、大体が見知った顔だ。マランさんが僕をよく連れ出してくれたこともあり、領民達は皆、僕に親しみを持って接してくれる。顔馴染みが多いので、避難が順調に進んでいることが分かる。

 村外れの数家族を連れて来たオートンの家宰が、小走りに駆け寄ってくる。責任感に溢れた、情に厚い男だ。

「南方面の避難はこれで完了です。使い魔も無事に飛び立ちました。ルヴァ様も早く、避難を」

「ご苦労様です。まだ何人か気になる人がいるので、僕はそっちに向かいます。丸太橋は全て落として、そこの跳ね橋に戦える者を集めて置いて下さい」

「分かりました。ルヴァ様、頼もしくなられましたな」

 家宰が白い歯を見せ、早足で橋に向かう。


 僕はマランさんの家に向かう。マランさんと、母親のララ婆さんの避難を確認出来ていない。ノワもそこにいるのではないかと、予想している。

 しばらく走ると、マランさんにおんぶされたララ婆さんと、ノワの姿を見つける。

「坊ちゃん、申し訳ない。婆ァが家を離れたくないなんて、ごねたもので」

「仕方ないよ。愛着のある家なんだ……」

 命が助かったとしても、住み慣れた家や、収穫目前の小麦が無事である保証はない。領民達にとって、避難するのも辛い決断のはずだ。


「ノワ、跳ね橋で一戦することになると思う」

 そう言い終わった瞬間、風を切る音が無数に聞こえてくる。僕が水の結界を無詠唱で展開したとき、ノワは既に抜刀して飛来する矢に備えていた。

「ひぃぃ、坊ちゃん、申し訳ないです」

「大丈夫だから、落ち着いて川の向こうまで行くんだ」

 無詠唱の結界でも、充分な大きさと厚みで無数の矢を防げている。精霊魔法は、契約する精霊の地の利に大きく左右される。レヴィアト川が近いこの村でなら、かなり強力な水魔法を少ない魔力消費で使うことが出来る。


 マランさんの歩みに合わせ、結界を展開したまま少しずつ後退する。相手が火矢を使ってこないことに違和感を覚えるが、今はとにかく領民の避難が最優先だ。

 精霊の報せで、敵の一部が遮蔽物に隠れ前進してきたことを知る。

「ノワ、右から来る。マランさんを優先しろ」

「はい」


 妖鬼は敵の一番弱いところを突き、動揺や陣形の崩れを狙ってくる定石の戦術を採ることが非常に多い。狙うとしたらマラン母子が一番、僕が二番手の目標になるだろう。

 六つの敵影が建物の陰から飛び出してくる。人間から奪った衣類や武器を身につけた、子供ほどの大きさの子鬼。長い鼻と大きく先が尖った耳、黒い石のような目。黄色い物を身につけている。


 僕は結界の維持を左手だけで行い、右手で無詠唱の水の弾丸を四つ形成する。

 なんとか黄妖鬼二匹の頭部を撃ち抜くと、ノワが二匹を両断していた。

 それを見た残り二匹は、目標を僕に変える。一匹は水の弾丸で撃ち抜く。もう一匹は足捌きで躱して、陰からマランさん達を狙っていたアーチャーを撃つ。

 致命傷ではないが、弓を破壊出来た。

 僕の懐に入っている一匹が、僕の右膝辺りを狙って切りかかってくる。それをどうにか躱し、次の一撃は右手で鞘ごと帯から抜いた刀で受ける。扱いに慣れずもたついたので、間一髪だった。

 弓を失い突撃してきたアーチャーは、ノワに両断されている。

 僕が鞘で殴り飛ばした一匹も、ノワが上段からの一振りで両断する。

 先行部隊の気配はもうない。


 安心したところで、小麦畑に潜んでいた妖鬼の本隊が一斉に突撃をかけてくる。文字通り無数の黄妖鬼こうようきが村に溢れ、こちらに向かってくる。

 マラン親子が橋を渡りきるのを確認して、僕も橋を渡る。

「大型結界を張る。橋のこちら側で迎撃しろ。橋の上には出るなよ!」

『はい!』

 武を以て皇国に仕えてきたオートン家の家臣達は、黄妖鬼の襲撃に冷静な対応を見せている。

 妾腹の三男坊である僕を、自然に総大将と認めてくれているのは、なんだかんだで魔導大学学士の肩書き故だろう。かなり癖のある指導教授だったが、今となっては感謝の気持ちが湧いてくる。


 僕は戦況を確認しつつ、契約精霊レヴィアとその眷属達に祈りを捧げる。目の前の一筋の流れが、僕の魂を巻き込み川辺の生命と人々の暮らしの神秘を見せる。

 川は大地を潤し、生命の環を繋ぎ、人々の文明を育む。それは人の営みを支える、人を超える力。その力への畏怖と尊敬が、神という超常の存在を人々に知らしめる。

「河龍レヴィアよ、汝が育む人の子らを守る壁を!」

 レヴィアト川が青い光りを発する。その光が目を眩ます程強くなった後、天に届くほどの水色の結界が川の向こうとこちらを分ける。


「一時間は持つ。洞窟に撤退して休息」

 そう指示をして、戦闘員の人的被害を確認する。幸い、数人が軽症を負っただけだ。妖鬼の得物には毒が仕込まれていることも多いので、念のため負傷者全員が毒の治療を受けている。

 オートン家の者に、そんなことは指示するまでもないようだった。


 結界越しに黄妖鬼の様子を確認していると、家宰が声をかけてくる。

「焼き討ちでも、刈り働きでもない。奴等の狙いが分かりませんな」

 黄妖鬼の軍勢は千に満たない程度だろうか。一部は家捜しをして掠奪品を運び出しているが、大半が結界を見上げて静かに待機している。

 妖鬼が人里を襲撃する目的は幾つかあり、一番多いのは若い女を攫って女王で賄い切れない繁殖活動に利用するため。それ以外では、食糧や物資の略奪。

 黄妖鬼については、身分の高い人間を誘拐して身代金を要求した例も聞くが、それが目的というよりは、偶発的な事例だと聞く。

 若い女が目的なら、入念な包囲などせずに早めに放火して村を混乱させた方が都合がいいだろう。

 物資の略奪が目的なら、刈り入れが済んだ後の方が都合が良いだろうし、豊かに実った小麦を気にする素振りもない。

 そもそも、夜討ち朝駆けを常套手段とする妖鬼が、真っ昼間に人里を襲うことも珍しい。


「確かに、目的が分からない。しかし、家臣と領民さえ無事なら、いくらでもやり直すことは出来る……」

 僕はそこで家宰を直視する。

「何か貴重な物を守るよう指示は受けていますか?」

 家宰は眉一つ動かさずに首を横に振る。

 僕は頷き、負傷兵に肩を貸して洞窟に向かう。

 普段、表情豊かな男が眉一つ動かさないのだから、何かしら隠していることがあるのだろう。

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