第1章2話 困惑の夜

 オートンの館では薪で風呂を沸かす。レヴィアト川の水はいつも澄んでおり、火で温められるといい肌触りのお湯になる。僕は風呂釜に肩までつかり、日本とは違う石造りの天井を見上げる。


 魔導大学では、下着を着たまま入る共同浴場しかなかったから、全裸になって一人きりで入れる風呂はとても懐かしく、心が休まる。

 日本で引き籠もっていた頃は、風呂なんて家族が寝静まった後のシャワーでいいと思っていたのに、生まれ変わって異世界に生を受けてみると、どうしてか湯船につかりたくなる。不思議なものだと思う。


 このような、前世の記憶を持って生まれたりすると、そのことに何かしらの意味があるのではないかと考えたくなるのが人の性だ。

 前世に得た知識なり、経験なりが、この世界で必要とされるのではないかと。

 しかし、僕はただの武士ゲームオタクだった。シミュレーション、格ゲー、恋愛もの、パズルもの、武士が登場するゲームならありとあらゆるものに手を出したが、それだけだ。


 今になってあれが人生の集大成だったかと思うのは、平安中期から西南戦争終結まで、つまり、武士の時代の黎明期から終わりまでを全て網羅した自作パソコンゲームを作ったことくらいか。

 無料配信だったのに、あまりにマニアックな内容とシビアなゲームバランスゆえに、ごく一部のマニアにしか受け入れられなかった。


 その間口の狭いゲームに、格好いいグラフィックをつけて、姫武将を登場させてと、商業化の話を持ってきてくれたゲーム配信会社があり、商業版の発売日が決定した日、配信会社の社長を接待するためレセプション会場に向かう途中、路線バスの運転手が居眠りして大事故を起こし、僕は死んだ。


 だから、僕にスキルがあるとすれば、時代を超えて網羅された武士に関する知識と、アリゲーターというプログラミング言語の知識くらいか。

 どう考えても、近世ヨーロッパ風の剣と魔法の世界で役に立ちそうもない知識だ。


 平民ではなく子爵家に生まれたこともあり、何かしら前世の縁が僕の今回の人生を面白くしてくれるのではないかと期待もしていたのだが、現実は、妾腹の三男として厄介者扱い。日本で引き籠もっていたときと、それほど変わり映えのない人生だ。

 こんなことなら、いっそのこと前世の記憶なんてない方が、まだマシな気がする。


 そんなことを考えているうち、のぼせてきて、湯船から上がる。

 湯殿の外では、ノワが控えており、当然のように全裸の僕にタオルを渡す。僕は彼女から局部を隠しながら、身体を拭き、冷ます。

 彼女は後で僕の部屋に来るだろうか。恐らく、来るだろう。どうすべきか、何を言うべきか。考えてもうまい答えは出ないので、僕はローブを羽織り、部屋に帰ることにした。


 ◆◇◆◇◆


 夕食を終え寝室に入ると、僕は蝋燭の灯りでオートン家の家政報告書に目を通す。

 リュミベート皇国は女皇じょこうが率いる純人族の大国で、八狼騎はちろうきと呼ばれる機動兵団を主力に、ルクス大陸平野部の三分の一程度を支配下に治めている。


 八狼騎は軍事的集団であると共に、氏族的な纏まりを持っているため、国政から利益を引き出そうとする利益集団・政治派閥としての傾向も強い。

 約八十年前の王朝交代以降、現在の女皇の血統は、剣狼騎将軍を歴代務めるラーム公爵家との繋がりが深く、剣狼騎に所属する貴族は総じて羽振りが良い。


 剣狼騎随伴魔導師の家系であるオートン家も、子爵という家格の割には領地も広く、家臣の数も多い。また、聖獣騎軍せいじゅうきぐん遠征で海西かいざいの魔境から持ち帰ったトマトの種子が土地に根付き、干しトマトを特産品として輸出出来ることも財政的余裕を生み出している。

 父の方針で税率は安く、民は富んでいる。

 僕は満足して報告書を閉じる。


 それから暫くして、ノワが部屋に訪ねてきた。

 僕は部屋に入ることを許す。

 扉を閉めた彼女は、黒いローブを身に纏い、いつものように跪く。

「お側でお話させていただいても、よろしいでしょうか」

「うん」

 ノワはベッドの脇に来ると、刀を壁に立て掛け、黒いローブを脱ぎ捨てる。薄いネグリジェ越しに、引き締まって線が細い彼女の身体が透けて見える。

「お館様に夜伽をするよう命じられております。強引にでも、と命令されていますので、お隣失礼いたします」

 僕が毛布を持ち上げて迎え入れると、ノワは少し驚いた表情をした後、中に潜り込んでくる。

「まぁ、その格好じゃ、寒いしね」

 僕はベッドの端に避けたのだが、彼女はぐっと身体を寄せてくる。春とはいえ夜は冷え込むので、彼女の肌の冷えた感触が生々しい。

「それでさ、ノワ」

「はい、ルヴァ様」

「僕は主が男だからといって、女の従士が性的な奉仕をする必要はないと思っている」

「私は、ルヴァ様には必要だと思っています」

 いつも以上に真剣な表情で、僕を覗き込む。大きな漆黒の瞳が可愛らしくて、腕に当たる胸の弾力が心地良すぎて、僕は目を反らす。


「子爵家の男子たる者が、もう十九にもなられるのです。おなごの一人や二人、気負いなく抱けるようでなくては、いざ命の瀬戸際での思い切りが出ません。

 それに、いくら兄上様がお二人いるとはいえ、武門の習いなれば、いつ何があるかは分かりません。

 お家の為にも、おなごを抱き、子を為すのが武人の勤めにございます」

「いや、想像以上に武士だなぁ」


 ノワがハッとした表情を見せる。彼女とはまだ、生まれる前に見た長い夢の話はしていない。


「独特の叫び声を上げて立ち木を打つ稽古は、薩摩の示現流の系譜ですよね。

 言動から日新公いろは歌の影響や、朱子学の影響も見えるから江戸時代以降。志に忠実な性格からして、幕末、西郷隆盛さんや大久保利通さんと行動されたのではと推察していました」

「ル、ルヴァ様。あなたは……?」

「僕も、生まれる前に長い夢を見ました。日本という、武士が長く治めた国の子孫でした」

「子孫……。後の世の方、ですか」

「恐らく、あなたよりは。僕は、大政奉還から百五十年後を生きたので」

「なるほど、では、あの日の本は、日本は、どうような国になったのでしょうか」

「武士という制度が無くなった後も、国のため、民のために命をかける侍の魂を継いだ者達が頑張り、一度は欧米列強に肩を並べ、警戒され、手痛い敗戦を喫しましたが、それでも焼け野原から復興し、世界でも有数の平和で豊かな経済大国になりました」

「へえ、世界で有数の……」


「その新しい日本では、全ての人が平等で、男女もまた平等です。主従関係があるからといって、性的な関係を強要されることもありません」

 ノワの身体が僕から少し離れる。その隙間に、冷たい空気が入ってくる。

「その、ルヴァ様は、おなごがお嫌いなのですか」

「ち、違います! ロワに、女性としての魅力は感じています。ただ、父の命だから、お家のためだからという理由でロワを穢したくないんです。その、あなたが、いつか、恋をしたときに、その相手のために、あなたを大切にしたいんです」

「私を……、大切に?」


「ところで、と言うのも難ですが、あなたのお名前を伺えないでしょうか。その、長い夢の中でのお名前です。私は、佐藤優斗という、恐らくは農民の子孫でした」

「佐藤様……。私は夢の中で、一度は師と呼んだ人を殺め人斬りと呼ばれ、最期には朝敵として討たれたようです。後の世を生きたル、佐藤様がご存知とは思えないのですが……」

「あの、違ったらごめんなさい。桐野利秋少将ですか」

 ノワの元から大きい目が更に見開かれる。暫く続いた沈黙を、僕は肯定の返事と受け取った。僕は身体を起こし、彼女の顔をじっと見つめる。

「僕はずっと、あなたのファンです。あなたの生き方から、武士というものに興味を持ち、短い人生を武士を知るために捧げました」

「ル、ルヴァ様!? あ、佐藤様?」

 僕が身体を起こしたために、毛布が捲れ、ノワのたわわな膨らみがネグリジェ越しにはっきりと見てとれる。憧れの武士に会った僕は、目の前の半裸の美少女をまじまじと見つめ、顔が熱くなり、憧れの武士に背を向けて横になる。


 居たたまれない。

 憧れの桐野利秋に、痴情を抱くなんて!

「ルヴァ様。あの……、私も夢の中では男性でしたので……、そ、そ、その、も、もし、だ、男性として、その、反応していらっしゃるなら、ぜ、是非この身を、だ、抱いて下さい。

 私も、その、長い夢の中で過ごした人生に憧れて下さる方に抱かれるのでしたら、より本望です。

 あ、いや、あの、そのようなこともお忘れ下さい。夢の中では男性でしたが、今は確かに、私、齢十五の娘なので!」

「で、出来ません。僕の中で理想の武士である桐野少将を、そんな。抱けません」


「ルヴァ様!?」

 ノワが涙声になっている。プライドを傷つけてしまったのかと不安になる。

「ルヴァ様……。あなたは優しさのつもりかも知れませんが、結果的におなごを守れていないんですよ!」

 ノワの鋭い声に、僕は少しだけ視線を彼女に向ける。真っ直ぐな瞳が、僕を刺している。

「あなたが四年前に抱くのを躊躇った剣狼人の娘。あの子は、三兄弟でも一番優しそうなあなたのものになることを、喜んでいました。

 まだ幼く初めてのことでしたから怯えもあったでしょうが、あの子はこの家中であなたが良かったのです。

 それを、あなたが優しさのつもりで手を出さなかったがために、ウリエン様に必要以上に乱暴に……」

 僕は、思わぬ話に呆然とする。あの娘が翌日には次兄に手籠めにされたと聞いたとき、自分の行動は偽善に過ぎなかったとは感じていた。しかし、まさか、あの剣狼の少女が本当は僕のものになるのを望んでいたとは。


「ルヴァ様、私は、あなたがいいです。でも、そうでなければ、マルタン様やウリエン様にお仕えすることになるかも知れません……」

 渡したくない。その気持ちが、僕にノワの肩を掴ませる。筋肉質ではあるが、真っ白な細い肩だ。蝋燭の灯りに、少女の身体が妖しく揺らめく。

 しかし。

 しかし、だ。

 この人は、志半ばで散った理想の武士なのだ。


 他のくだらない人間に汚させたくないからといって、僕が汚していいとは、どうしても、思えない。

 この人はこれからきっと沢山の人間に会い、志を見つけ、この世界に大きく羽ばたいていく。僕なんかとの関係が、この人の足手まといになるのは、絶対にいけない。

「じゃ、じゃあ、その、一晩ここに居なよ。そして、僕と関係を持ったことにするといい。マルタン兄さんや、ウリエン兄さんには、君を渡さない。君は、僕の手がついた、僕の専属の従士として振る舞えばいい」

 僕はまた、僕の憧れの武士であり、僕の従士でもある少女に背を向ける。これ以上、彼女の美しい姿を見ていると、理性を保てる自信がない。


「ルヴァ様?」

「何?」

「も、もし、もしルヴァ様が、男色の方が、その、ご趣味でしたら……、生まれる前の記憶とか、参考に、頑張ってみます!」

「違う! それは絶対に違う! やせ我慢してるの!! やせ我慢だけど、これが僕の男の意地なの!」

「そうですか……」


 全く、十五歳の麗しの美少女剣士にして、享年三十八で散った僕の憧れの武士ってどういうスペックだよ。

 男色対応しますとか、マジ止めて。いろいろ悲しくなる……。

 悶々と眠れない僕を尻目に、ノワは僕のうなじに顔を埋めてスヤスヤ眠り始める。まぁ、元々が豪胆な人なんだろうな。

 いろいろ柔らかかったり、張りがあったり、背中の方に当たる物が気になって仕方ない。理性を保つために、僕はノワの生まれる前の長い夢に想いを馳せる。


 1839年、鹿児島城下扱いの村に生まれる。西郷隆盛の信任厚く、土佐や長州の志士と広く交わりを持つ。

 1867年、自らも教えを受けた薩摩藩の軍学者・赤松小三郎を幕府の密偵と察知して斬殺。これを以て人斬り半次郎とも呼ばれる。

 戊辰戦争でも活躍し、新政府では陸軍少将に任じられる。

 西南の役では長らく苦楽を共にした西郷に準じ、戦場に散る。

 剣術に優れ、人望に厚く、常に武士らしく身嗜みを整えていたという。


 僕が武士に憧れるきっかけになった、偉大な男。

 桐野利秋が、半裸の美少女になり、僕の背中にくっついて寝ている。


 なんだろう、とても嬉しくて、非常に残念だ。


 眠れない夜を過ごしていると、近くにいた水の精霊たちが耳を澄ませているように感じる。何か異変でも? コソ泥でもいたかい?

 いずれにせよ、危険が間近に迫っている様子ではない。


 僕が眠りについた頃には、恐らく空が白み始めていただろう。


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