第3章4話 旅立ちの涙
僕が目覚めたとき、僕の右手を握っていたノワが、ポロポロと涙をこぼしていた。
ノワから父が死んだと聞かされたとき、僕は父自身やオートン家のことより、父を守り切れなかったと自責の念に駆られているノワのことが一番心配だった。
僕はそのことを告げ、武人である以上、自分で納得する死に場所を得たならば不幸ではないはずだと彼女に伝えた。彼女には、薩摩隼人・桐野利秋にとっては、言うまでもないことなはずだが、僕も同じ考えで、彼女を責める気がないことを示したかったからだ。
その会話が一段落ついた頃、傭兵集団「地龍の牙」のメンバーが部屋に入ってきた。
彼に案内されて館の執務室に行くと、長兄マルタンと、「地龍の牙」幹部のソムニがソファで何かを協議しているようだった。
「ルヴァ。身体はもう平気か?」
兄からかけられた言葉に軽い違和感を覚えつつ、僕は平気ですと答える。
「そうか。隣に来い」
僕は、兄とソムニからオートン領の状況報告を受ける。
父の戦死、山から降りた仙鬼の殲滅完了、吸血鬼騒動が粗方収束したこと。そして、一連の事態が落ち着くまで、地龍の牙が治安維持目的で駐留すること。
そうか、父の死か。
なるほど。
マルタン兄さんが当主になったのだ。
だから、その役割に準じて、彼らしくない僕を気遣う言葉が出たのだ。冷徹だが、愚かな人ではない。人心掌握のために、本来の信条と異なる無駄な遣り取りも受け入れられる。マルタン兄さんはそういう人だ。
そういう人だからこそ、領民のことは少し心配であっても、オートン子爵家については、この人が上手くやってくれるのだろう。
「ルヴァさん、ボクがすぐ傍にいたのに、何も出来ませんでした。大変申し訳なく思います」
「いや、君や地龍の牙の力は素晴らしいのだろうけど、その力で対処できる種類の混乱じゃなかった。気にしないで欲しい」
「しかし、せめて、仙鬼討伐だけでもお手伝いしていれば、お父様が……」
「ソムニ殿。その件、当方が仙鬼の力を侮っていたことや、擦れ違いもあります。過ぎたことを悔やんでも仕方ありません。父は納得する死に場を得たと言っていたようです。それが、我々にとって全てと言って良いくらい大切なことです。どうか、その件、もう無かったことにしていただけませんか」
「そうですね。お父上の立派な最期に、我々との擦れ違いなどとつまらないケチをつけてはいけませんね」
「ところで、ソムニ殿。貴公等はいつまでオートンにいて下さるのですか」
「はい。プリュ伯爵からは、別命あるまでとしか聞いておりません。折角お邪魔しているのですから、我々の力になれることなら、なんでも仰って下さい」
「では、お言葉に甘えて、今回の騒動がなかった場合と同様に、貴公等の力が分かるような演習を行っていただけませんか。お差し支えなければ、領民にもそれを見せて、気晴らしにさせたいのですが」
「オートン家の喪に関わることですが、それは当然マルタン殿の決めること。我々としては構いません」
「ありがたい」
その他にも駐留に関わる細かな調整を済ませると、ソムニは部屋を出て行った。
「ルヴァ。もう少し、いいか」
「はい」
「父上と家宰から、オートンの家宰を継がないかという話をされていただろう」
「はい」
「その話、無かったことにしてくれないか」
僕は小さく溜息をつく。
別に、こちらからなりたいと言ったわけでもないことを、この兄は改めて断るつもりらしい。この人は正妻の子で、僕は愛人の子だ。父が同じでも、その差は大きい。
「構いません」
「お前には、俺に跡継ぎになる子供が出来て育つまで、後継でいて欲しいのだ」
何!?
「兄上、それは……」
「ウリエンのことはなんとか説得する。お前にとって重荷になることは分かるが、オートンの家臣と領民をあの男に預けたいか?」
「……それは……」
「そうだろうな。万が一俺に何かあって、あの男が当主になるなら、下手をすればオートンは改易だ。そんなリスクを家臣や領民に負わせたくはないだろう」
この人は……。
想像を超えて、冷徹な……。
こんな考えを聞けば、ウリエン兄さんは裏切られたと考えるだろう。
「しかし、オートンの当主になってきたのは剣狼騎随伴魔導師のみです」
「今までは、な。それも考えがある。ウリエンにも、当面は黙っておく。しかし、遺言書と貴族院の登録は、お前を後継にする。断るな」
「……は、はい」
マルタン兄さんの強い意志に押されて、到底断れる状況ではない。
まあ、慎重な長兄に何かあるなど考えにくい。
更に少し話をして、僕は執務室を出る。
当たり前の状況ではあるが、気分が鬱々としている。父が死に、家臣と領民を多く亡くし、この手でリィエに止めを刺した。
落ち込まないよう、ババルさんの洞窟に行こうと館を出ようとしたとき、食堂で待っていた様子のソムニが話しかけてきた。
「ルヴァさん。実は、個人的な相談があるんですが」
「どんなこと」
「その、立派な得物のことです」
「ああ、これは日本刀というもので……」
僕達は無意識に、ババルさんの洞窟に向けて歩く。
「重々承知しています。実は、ボク、生まれる前に長い夢を見ていたんです。ルヴァさんもですよね」
「あ、ああ」
「ボクは、――西洋の暦、分かりますか? それでいうところの1500年代後半から1600年代初めまで生きていました。今と似たようなことをしていたんですが……」
「鉄砲?」
「当たりです」
「まさか、稲富祐直?」
「!!」
「まさか!? 本当に? 超有名人だよ?」
僕は興奮して、思わずソムニの手を握っていた。
「有名人? ルヴァさんも、徳川の世に生きた方ですか?」
「違うけど。稲富祐直と言えば、鉄砲使いの大家じゃないか」
稲富祐直。1552年生、1611年没。江戸時代を通して流行する稲富流砲術の祖。戦国時代後期、熟成してきた鉄砲の技術を極めた人と言っていいだろう。
「そ、そんな。ボク、徳川の世に生きた人以外には全然知られてないのかと……」
「ああ、知る人ぞ知るって感じかな。因みに僕は西暦2019年に死んだから、うんと後の世の人間です」
「因みに、ルヴァさんは、その後の世の大大名だったのですか?」
「とんでもない。平民というか、もう武士とか身分が物を言う世の中ではなかったよ。今度詳しく話すけど……」
「坊ちゃん、いらっしゃい」
気付けば、ババルさんの洞窟に着いていた。
◆◇◆◇◆
「いや、素晴らしいの一言に尽きる」
ソムニはババルさんの鍛冶の腕前を見て唸った。
「弟子にして下さい!」
「おいおい、あんた地龍の牙の部隊長さんなんだろ? 気軽に言うなよ」
「あっ、そうだった……」
ソムニは残念そうに俯く。
「まあまあ、そう悄げるなよ。試しに作ったので良けりゃ、一本くれてやるから」
「本当ですか?」
ソムニの目がキラキラ光り出す。
「いえ、しかし、そんな、頂くばかりというわけには……、いや勿論、魔導銃を一丁お渡しすればペイ出来るのでしょうが、それは機密維持の点で私の一存では、というところなのですが、やはりこんなに立派な日本刀を頂くとなると、まぁ、許可は後から着いてこさせればいいかという考えも……」
「おいおい、マルタン様から魔導銃を手に入れて真似てみるよう言われてはいるが、あんたがそんなリスクを冒さなくても……」
「いや、でも、しかし。この世界に日本刀の技術を蘇らせるとは素晴らしいこと。やはりそうであれば、どうぞ」
ソムニが肩に掛けていた魔導銃を外し、ババルさんに渡す。
「それはボクの私物の一丁ですから、まぁ、内密にしていただければ」
「いいのかい!?」
「なかなかいい子なので、分解するにしても、優しくして上げて下さい」
「とんでもない仕事を頼まれたと思ったら、こりゃ案外、上手く行きそうだ」
僕は職人肌の二人の会話に到底割って入ることが出来なかったが、取りあえず二人とも大満足な様子で良かった。
「ところで、演習って、どんなことをするの?」
「はい、個人技と集団戦術の両方をお見せするつもりです。個人技は、ボクが魔導集団戦術も極めればこんなことが出来るというのをお見せします。集団戦術は、魔導銃の大量運用の力を見せるのを目的としています。いずれにせよ、女皇陛下には魔導銃の威力を広く貴族領民に広めるようにと命じられています」
「なるほど……」
特定の戦役が予定されていない状況で地龍の牙が招聘されたから予想はしていたが、女皇陛下は八狼騎による騎狼戦術から、銃歩兵戦術への切替を考えているのかも知れない。だとすると、合わせて貴族への牽制の意味も持つのだろうか。
考えに更ける僕を尻目に、技術者二人は楽しそうに専門的な話を始めていた。
暫く待っても終わらなさそうなので、僕は一言だけ声を掛けて、一人で館に帰ることにした。
◆◇◆◇◆
その後の数日は、目が回るほど忙しく、何も考える暇がない程だった。
父の葬儀では、式の準備、来賓の接待、警備の確認と忙しかった。
その後に合わせて行われた地龍の牙による軍事演習では、的の確保や安全対策に追われ、その凄絶な威力に魅せられる暇はなく、僕はとにかく疲労した。
一通りのセレモニーと見送りを終え、ホッとした瞬間に、急激に悲しみが襲ってきて、僕は一人、館の隅で、止めどなく流れてくる涙に戸惑う。
僕は、さほど父を好きではなかった。
だから、この涙はマランさんのお母さんや、リィエのためのものだ。
そして、失われた多数の領民の命。
プリュ伯爵は吸血鬼の生態について過去に研究したそうで、彼等は宿主の願いに従い行動するのだという。
リィエを襲った矢には恐らく禁断の「吸血鬼化」の呪いがかけられており、それで宿主となったリィエの願いによって、吸血鬼達は僕を守ろうとしていたのではないかと言うのだ。
そうだったか、と納得いく想いと、とんでもない後悔が僕を襲ったが、兎に角感情を眠らせて堪えてきた。
どちらにせよ、彼等は殺してやるほか救われなかったのだから。
右手が震え出し、自分が殺めた領民達の首が跳ぶ感触や、心臓を突き刺したときの血の温もりを思い出す。
まさか、僕を守ろうとしていたなんて。
右手の震えはやがて全身の震えに変わる。
こんなところを、ノワや凪、レナには見せられない。
彼等を不安で苦しい気持ちにさせてしまうだけだ。
これは、僕の哀しみだ。
そう思っていた僕の元を訪れたのは、コルナ殿下だった。
殿下は黙って僕を抱きしめた。
殿下の胸に僕の顔が埋もれ、温められる。
「殿下、畏れ多いです」
「良い」
殿下の端的な返事を聞くなり、僕の中に幼い日の記憶が蘇る。
畏れ多いという母から幼い僕を受け取り、あやしたのは父だ。
愛人の子である僕を、父は正妻の子と変わらず抱き上げ、あやしていたのだ。
――そして、その後も、決してあの人は、兄達と比べて僕にだけ厳しく当たっていたわけではないのか。
分け隔てなく、厳しかっただけなのか。
愛されて、いたのか?
「あああぁぁぁぁぁぁぁ」
止まらなくなった涙が、殿下の胸に流れ落ちていく。そして、僕の首筋に、熱い雫が落ちる。
僕はただ、殿下の胸の中で泣き続けた。
◆◇◆◇◆
僕と、長兄マルタン、コルナ殿下は、地龍の牙に護衛されながら、皇都クロリヴに向かうこととなった。
兄は、貴族院への登録と子爵位叙任のため。殿下と僕は、魔導大学の大型魔導石を手に入れるため。
今回は、ノワも同行する。勿論、凪とレナもだ。
四年前、たった一人で旅立った皇都に、再び向かう。
決して楽しい旅行ではないが、僕は少しだけ孤独ではなくなっている。
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