第三章 暗闇と陰謀
第3章1話 フェリウスの末裔
レヴィアト川とプリュ湖を結ぶ運河を中心に整備されたオランジュの水路網は、この街の景観の大きな特徴になっている。
細かな石垣で固められた運河には緑がかった水が張られ、草食のピラニアに似た魚が優雅に泳ぐ。
運河の両脇には柳の並木が続き、並木の外には石で整備された道と白壁の倉庫が連なる。
僕とコルナ殿下は、リィエの棺を運んでくれる馬車を探そうと、運河沿いの道を歩いている。その間に、リィエの最期について、殿下をつけ狙う刺客について、僕が二度遭遇した黄妖鬼の襲撃について、魔導石は安全な方法で隠してあり、代わりが必要なことについて話した。
潜空艦そのものについてだけは、もう少し様子を見てから話すつもりだ。
話していて、とても強く感じることは、この姫君が所謂、殿上人といった類の人種ではなく、とても僕に近い感覚を持っていることだ。
コルナ殿下は、民のために政があるという感覚を持っている。
あまりに感覚が近すぎて、僕のように地球の現代社会の記憶でも持っているのではないかと感じたのだが、それは違うということだった。生まれる前に見た長い夢の話は、同じように長い夢を見た者に対して隠す必要がない文化なので、おそらく嘘ではないのだろう。
この人が、この時代の中で、自ら身につけた感覚なのだ。
一言で言ってしまえば苦労人ということなのかも知れないが、苦労をしたから人に優しくなれるとは限らないし、しかもその視点が身近な人に止まらずとても大きいのは、もうこの人の特性という他ないのではないか。
そもそもが、人狼の遺体を運ぶ馬車を探しに僕と歩いているのだ。いくら僕と情報交換をする必要があるとはいえ、普通の貴人なら、教会の応接室に僕を呼びつける。そうではなく、リィエをしっかり弔ってやりたい僕の気持ちを汲んで、それに共感し、一緒に探してくれているのだ。
結局、教会御用達の霊柩馬車屋が、夕刻には一台空くということだったので、それを待つことにした。
コルナ殿下は、それに合わせて一緒に出立してくださるという。
そのようなお言葉に甘えて良いのか。この世界の貴族社会に生きる端くれとして、理性では断るべきと思うのだが、コルナ殿下の持つ温かなオーラに触れていると、甘えないのが逆に失礼と感じられる。
不思議な人徳だと思う。
帰り道、僕は二つの疑問を殿下にぶつける。殿下ならば、誠実に答えてくれるだろうと感じたからだ。
「殿下をつけ狙う刺客にも関係してくるので、教えていただきたいことがあります」
「なんでも聞いて良い。答えられないこともあるかも知れないが、できる限りの答えを用意しよう」
「ありがとうございます。その、殿下の政治的な立ち位置というか。このようなことを伺うのは、大変恐縮ですが、宮中では異教徒の父君をお持ちであることが否定的に受け止められていると、伺っています」
「恐縮することはない。事実だ」
「一方では、異教と最も相容れない存在であるはずの教会が、殿下を支援しています。異教徒の父をお持ちであることが、教会にとってメリットになるということなのでしょうか」
「鋭いな、そなた。その通り。教会は、次の神聖獣騎軍遠征で私に流れるアセナの血を利用するつもりだ」
「スティフ帝国の継承権戦争をしようということですね」
「正に。現皇帝ガラスコは正嫡でなく、娘婿だ。そこに騎狼民族の王は女性であるべきという理屈を持ち出せば、継承権戦争に充分な大義名分が揃う」
「なるほど。殿下の異教の血をただ嫌う者と、利用しようとする者がいる。そういうことですね」
「そなたは、物事の本質を見る目があるな」
いえ、歴史オタクなだけです、といいそうになり慌てて止める。
「そうすると、殿下の血を毛嫌いする者か、継承権戦争を避けたい者に、刺客を放つ理由がありそうですね」
「うん。まだ、詳しくは何も掴めていないが、普通ならそうなるな」
「ありがとうございます。もう一つ、よろしいでしょうか」
「よい。なんでも聞いてくれ。そなたが黄妖鬼で苦労したのは、おそらく全て私絡みの事件に巻き込まれてのことだ。そなたには聞く権利がある」
「私がお預かりしている大型魔導石。あれは、本来、玉座の後ろで輝いているべき皇玉なのではありませんか」
「ふふ。見事だな」
「いえ。国の大事に関わる、あれ程大きな魔導石ですから、簡単に予想出来ます。そうなると、今、玉座の後ろにあるのは偽物ということですね」
「いかにも」
「殿下は、皇玉をどうしろと命じられていらっしゃるのですか」
「誰の手にも届かぬところへ隠せと」
「なるほど。逆に言えば、消せる物なら消していい、ということでしょうか」
「そうなるだろうか。その真意までは、私には分からなかった」
「殿下が護衛も付けずに一人旅をするのも、陛下の命令ですか?」
「いや。手練相手に無闇に逆らい殺される部下を見たくないだけだ」
殿下がどこか遠くを見るような目をする。母君のことを思っているのか。
「教会も近いな。ルヴァよ、リィエの葬儀と、オートン卿への魔導石保全任務解除のあとも、しばらくは魔法石のことで世話になると思う。そなた達を私の運命に巻き込んでしまうことになり、心苦しい。不肖の皇族で申し訳ないが、よろしく頼む」
「殿下。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
◆◇◆◇◆
予定の夕刻になっても馬車は到着せず、僕とノワは、様子を見に行くことにした。コルナ殿下には教会でお待ちいただき、リィエは殿下の護衛に残し、凪には潜空艦で哨戒待機させている。
殿下にも通信用のイヤリングを身につけて貰ったのだが、初めて見る術式であると大変に驚いていた。
リィエの棺が載るはずの馬車は、古い道の轍に乗り上げたときに車輪を車軸に固定する金具が破損したらしく、車輪が斜めに歪んで立ち往生していた。
馭者がいうには、そう簡単に調達できる部品ではないらしく、この馬車の復帰を待つより、他の霊柩馬車が空く翌朝を待った方が早いと言われた。
「困ったな。これじゃ、更に予定を繰り下げにするしかないな」
僕が溜息をつくと、十人ほどいたギャラリーの後ろから、聞き覚えのある声がした。
「ルヴァさん! ルヴァさん!」
確かに聞き覚えがあるのだが、それらしい人物が見当たらない。
「ルヴァさん、ボクですよ、ソムニです」
そうだ、ソムニ。魔導大学の後輩で、指導教授が一緒だったと思う。何回か、魔導実験の準備を手伝ってやった記憶がある。まだ男の子といっていいような若くて幼い印象だった。僕はギャラリーの後列を見渡して、それらしい青年に手を振ってみる。
「どこ見てるんですか!? ボクはここですよ!」
目の前に背が低く、華奢で髪の長い男の子がいた。そうそう、度の強そうな眼鏡をかけて紫色の髪の毛だった。
「おお。ソムニ。久しぶり。ちょっと痩せた?」
背も伸びてないし、成長するより寧ろ痩せている。しっかり食事が出来ていないのだろうか。
「はい! 頑張ってダイエットしたんです。オートン領の近くを通るから、ルヴァさんに会えるかも知れないって。やだ、ボク何言ってんだろ」
ソムニは恥ずかしそうにボクを優しく叩く。
こんな仕草が似合うような、綺麗な顔だけどイケメンというより可愛い系の魅力を持った子なので、僕の三枚目のひがみセンサーが発動せず、それなりに親しくできた後輩だ。
「ルヴァさん、お隣の、女性は……?」
ソムニがどこか警戒するような視線をノワに送る。
「ああ、彼女はノワ。僕の従士だ」
「家来の方ですか! ボクはソムニ=スクロトゥンと申します。よろしくお願いします」
「ノワと申します。主がお世話になっております」
ノワも、何故か警戒するようにソムニを見る。お互い、何か気になるのだろうか。
「いえいえ、ボクがお世話なんて。ところで、ルヴァさん、この馬車が動けないと困るんですか?」
「うん。出来るだけ早く、知り合いの遺体と一緒に出発したいんだ」
「ご不幸があったんですね」
「ああ。兄の家臣で、僕にも縁のあった子なんだ。出来るだけ早く故郷に帰してやりたくて」
「それはご愁傷様です。ボクにお手伝い出来ればいいんだけど」
ソムニは損傷箇所を中心に馬車の状態を確認する。
「これなら大丈夫! ボクに任せて下さい。十分も頂けば」
「十分!? そんなに早くですか」
ノワが目を丸くする。
「ソムニは、高等魔導技術の民、フェリウス族の血を引いているんだ。良いところに会えた」
「そう言っていただけると、ボクも嬉しいです!」
ソムニは外套から小さな工具箱を取り出して開けると、手際よく破損した部品を取り外す。その後、工具箱の中の鉄屑のような物を破損した部品に宛がう。
「我が眷属なる地の精霊、火の精霊よ。手を取り合い、人がイデアより造りし物を、イデアのあるままに戻せ」
破損部品と鉄が赤く熱し、周りの石が浮き上がってそれを叩く。
「これが複合精霊魔法……」
ノワが更に目を丸くする。簡単な光魔法しか使えず、剣の道に励んできた彼女にとって、複合精霊魔法を見るのは初めての経験らしい。
「成型終わり。後は冷ますだけ。ルヴァさん、合図したら、水魔法で冷やして貰えますか」
「もちろん」
ソムニの合図で冷やすと、見事に車軸と車輪を繋ぐ部品が完成していた。ソムニは工具を使ってそれを馬車に取り付ける。仕上げは周囲の男性に手伝って貰い、馬車を少し持ち上げて作業した。
「あはは。十分は大袈裟でしたね。でも、なんとか修理出来ました」
「魔導師様、ありがとうございます」
馭者がしきりにソムニに頭を下げる。
「ソムニ。ありがとう。腕を上げたね。おや、胸筋ががっしりしたな」
僕がソムニの胸板をガッと掴むと、ノワが驚愕の表情になり、ソムニは恥ずかしそうにしている。なんだか柔らかい物を付けているようで、中身の感触を確かめたくて指を動かしてみる。
「何これ?」
「な、何って、ボクのおっぱいです……」
ソムニが顔を真っ赤にしている。
「ルヴァ様、何をなさってるんですか、あなたは!?」
ノワの鉄拳が見えたと思ったときには、僕は意識を失っていた。
僕が目を覚ましたとき、ソムニはあたふたと僕の頬を濡れ布巾で冷やしてくれており、ノワは冷ややかにそれを見守っていた。
「すみません、ボクがルヴァさんを勘違いさせたままでいたから」
僕はソムニを見る。
度の強そうな眼鏡の奥には紫色の瞳がウルウル光っている。
紫色の髪の毛は癖っ毛ではあるが肩まで伸び、その細い肩や鎖骨の下に、ボリューム感のある膨らみが見えた。
「お、女!?」
「そうなんです」
「どこからどう見ても女性です!」
ノワが怒ったようにこちらを睨みつけている。
「あっ、あのでも、ボクは去年まで胸も小さかったし、髪もショートで櫛でとくことすらしてなかったから。だから、ルヴァさんに悪気は無かったと思うんです」
「済まなかった。レディに失礼なことを」
「いえいえ。全然、平気です」
「全然、平気!?」
ノワがキーッと叫びだしそうな勢いでこちらを睨む。
「それではルヴァさん、きっとオートン領でまたお会い出来ると思うのですが、ボクは地龍の牙のメンバーと皇都に向かう途中なんです」
「地龍の牙って、フェリウス族の末裔達が作った傭兵団だよね?」
「はい。実はボク、結構な幹部だったりしまして」
「じゃあ、魔導銃を持ってるの?」
「はい」
「凄ぇな。それ、見たい」
「ルヴァ様。馬車はもう教会に着いている頃ですよ。時間が勿体ないから気絶したルヴァ様を霊柩馬車で運ぼうとしたら馭者に流石にそれはと拒否されたので」
うん。流石にそれは酷いよ、ノワ。僕、生きてます。
「では、オランジュで数日、公開演習をしてから必ずオートン領に寄りますね」
「ありがとう。楽しみにしているよ」
僕とノワはソムニと別れ、教会へ急ぐ。
ソムニと再会した興奮が冷めるにつれ、少しずつ例の心配が頭をもたげてくる。
四年も離れて帰るときには、さして気がせくことも無かったのに、今は一刻も早く戻りたかった。
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