第五章 魔導大学の最奥
第5章1話 温もりと涙
「わーい! お兄ちゃん、早くおいでよぉ。早くシよぉ」
満面の笑みを浮かべたレナが僕の手をとって、自室に連れ込もうと踏ん張っている。
兄の要望に応じて、レナを騎乗獣にして僕が剣狼騎に参加していいと陛下は仰った。
そのことを伝えると、レナが満面の笑みを浮かべながら、八狼騎の習いに従って性的な関係を持つべきだと僕を部屋に連れ込もうとするのだ。
「いや、そもそも例外を認めていただいたんだから、必要ないよ」
「ダメ-! 伝統は大事だよ、お兄ちゃん。ほら、早くシよぉよー」
「女狐、早くその穢らわしい手を離しなさい!」
凪が僕の左腕をつかんで離さない。ノワ、ミトレさん、ソムニもそれぞれ好き勝手なことを言って騒いでいる。
「る、ルヴァ様が必要ないと仰るのなら、無理して伝統に従わなくても……」
「でも、ルヴァ君に何かあったら厭じゃない。伝統的な験担ぎなら、1回くらい抱いてあげたら?」
「ぼ、ボクは験担ぎとかいらないかと……」
「ダメー! ソムニちゃんまだ婚約した訳じゃないんだから、口出し禁止! 戦場でお兄ちゃんを命懸けで守るのは私なんだから、私が決めるの」
「レナさん、それを言うなら私だって物心つく前からルヴァ様の従士になることが決まっていたんです」
「あら、じゃあ二人纏めてヤッちゃえばいいじゃない」
……ミトレさん、一番清楚な見た目でそういうこという……。
「ふ、不潔な。婚約者候補のボクはそんなこと認めません!」
「なんなら、儂も混ざって全員でヤるか!?」
「ギャーーー! ボクはそんなの嫌ですー!」
クラーラ先生、火に油を注がないで下さい……。
小一時間もそんなやり取りをした後、レナがようやくごねるのを止めたので、今後の方針について話し合いを始める。
暫くして、クラーラ先生の執事がコルナ殿下の来訪を告げる。皇宮にクルシエルが放たれた事件の調査状況を教えて欲しいとお願いしていた件で、わざわざ来て下さったのだという。
「あのクルシエルは、黒仮面の男が白妖鬼の巣から連れ去ったもので間違いないかと思う。しかし、私を狙って放ったというよりは、貴族達を集めた場に混乱をもたらす目的のように思えるのだ」
「それは僕も同感です。しかし、結果だけ見れば、貴族が十数名亡くなり、魔導銃の接近戦の弱さが浮き彫りにされた。八狼騎を構成する貴族にとっても、魔導銃を導入しようと目論む常備兵や皇室にとっても、決していい結果ではない。誰も得をしないんです」
「混乱に紛れて、皇宮から何かを盗み出す目的じゃないかしら」
ミトレさんが冷静な意見を言う。
「ミトレ教授、宝物殿に被害はなく、誘拐にしても、行方不明者は一人もいないのです」
「じゃあ、皇玉はどうかしら? ルヴァ君に本物を預けた状態でも、代わりに大きめの石くらいおいて誤魔化してるんでしょ」
「確かに……。そこは盲点でした」
腰を浮かせ駆けたコルナ殿下を見て、僕も立ち上がる。
「殿下、陛下に上申されるつもりなら、僕も連れて行っていただけないでしょうか」
「ルヴァ殿。承知した。陛下に掛け合ってみる」
コルナ殿下と共に立ち上がり、クラーラ先生の邸を出る。日はまだ高い。殿下が待たせていた馬車に乗り、二人で皇宮に向かう。
◆◇◆◇◆
「なかなかに大胆な手口でやられたものよ。余しか立ち入れぬ皇玉の間に侵入されていたとは」
陛下が苦虫をかみつぶしたような表情で仰った。
「これは魔導大学のミトレ教授がお気づきになったことです。幸い、本物はここにいるオートン家のルヴァ殿が預かっているのです。大事にならず何よりでした」
「ふんっ」
陛下が鼻で笑う。
「コルナよ。そなた、仮にも皇族の一人であれば、生温い考えは捨てよ。ルヴァには悪いが、それは偽物だ」
「な!」
コルナ殿下の表情が凍りつく。
「ルヴァよ。そなたは薄々気づいていたようだな」
「……」
何も言えず、ただ平伏する。なぜ愚直だけが取り柄の父に傾国の宝玉を預けたのだろうか、その疑問の答えが出た。
そう、権力の上に立つ皇族とはこういうものなのだろう。憲法の下、国民統合の象徴だった日本の皇室とは違うのだ。
コルナ殿下がこの中で異質なだけだ。
人としての誠実さを持っている。
父は囮にされたのだ。
そう考えてしまうと、女皇陛下に対する不満や怒りを感じない訳ではない。
しかし、あの父ならば、始めから自分が囮だと分かっていたとしても、甘んじてその任務を果たすだろう。
そして、父が囮なら、父が持つ偽の皇玉を受け取るよう命じられたコルナ殿下もまた、囮にされていたのだ。
「ルヴァよ。そなたの父、兄、そしてそなた自身の忠義、誠に感謝しておる。その忠義を見込んで、新たに頼みたいことがある」
「はっ、なんなりと命じて下さいませ」
「今、魔導大学に預けているものが、本物の皇玉である。その皇玉を守り、かつ、コルナの命と皇玉を狙う黒い仮面姿の逆賊を捕らえて欲しい。状況により、殺しても構わない。やってくれるか」
「喜んで拝命します」
「そなたにコルナを貸す。取り柄のない娘であるが、武人としてはいくらか役に立とう。また、魔導大学学長ロドル=ハドゥムにそなたへの全面的な協力を頼んでおこう」
「ありがとうございます」
陛下は満足そうに何度も頷いた。
◆◇◆◇◆
クラーラ先生の邸に着くなり、早速陛下の命令を皆に伝えた。
魔導大学にある本物の皇玉を守り、黒仮面の捕縛か討伐をする、という命令だ。
「その黒仮面とやらの力を見たわけではないが、なかなかに難しそうな命令じゃのう」
「そうね。かなりの使い手のようだものね。ただ、殺してしまっても構わないのだから、少しはやりやすそうね」
ミトレさんがそういうと、見た目が清楚で可愛らしいだけに、余計に空恐ろしさを感じる。
「あの、地竜の牙も、陛下から別命がないときは協力させて下さい。ボク達の力不足が原因で、足を引っ張ってしまっているので、大学の守りに使って欲しいんです」
「ソムニ、ありがとう。相手は神出鬼没で全く手がかりがないから、魔導大学の守りを固めて、相手の出方を待つしかないかと考えているんだ」
「妥当なやり方だと思うよ。流石はルヴァ君。私の夫なだけあるわ」
「ふぇ? お、夫、ルヴァさんが……ミトレ先生の!?」
「おー、ソムニはさっきいなかったかの」
クラーラ先生がソムニに久麗族の風習を伝える。因みに、ソムニもクラーラ先生が指導教授だったので、元々面識がある。
「も、元カノなだけなんですね……」
ホッとしたようにソムニが大きく息を吐く。
「それにしても、ルヴァさん、いつの間にミトレ先生と……教授と、学生で……はうっ!」
何を考えているのか、ソムニは顔を真っ赤にして頭を抱えている。
「まずは、かなり探知の難しい敵のようじゃし、儂の秘蔵コレクションから使えそうなものを馬車に積んで、大学へ戻ろうかの」
ピアノ線のようなものや、ねずみ取りのような罠、フルートに見える笛を持ち出して、皆で大学へ向かうことにする。
ミトレさんとクラーラ先生の研究室だけでもかなりの人数が泊まり込み出来るはずなので、宿泊のための準備もして持ち出す。
一通り馬車への積載が済んだところで、凪だけを一人人影のないところに連れて行く。
「凪、わるいんだけど、君だけは朝凪で待機してくれないか」
凪が粘着性のある視線でこちらを見る。
「ナノドローンや霊体ソナーを使えるのは君だけなんだ。頼むよ」
「では、今、ギューッてして下さい。朝凪待機なら、何日も会えないかもしれないんですから」
「わ、分かった」
凪が僕の胸元に顔を当てて、身体を押し付けてくる。
「早く、ギューッと!」
僕は凪の身体に手を回し、力を込めて抱き締める。頼りない程の華奢さに、あちこちの柔らかさ。髪の毛からは、甘い匂いがする。
「提督、愛しています。だから、レナちゃんを抱いて上げて」
僕と凪は声の主を探す。
あかんべぇをしたレナが、こちらを向いて機嫌悪そうにしている。
「お兄ちゃんのばかー。後で夜這いしてやる!」
「悪趣味な女狐!」
レナと凪が暫く追いかけっこをして、それが済んだところで馬車で魔導大学に戻る。
もうかなり遅い時間だ。
◆◇◆◇◆
実験棟の脇にある学生用の仮眠室で横になっているうち、少しずつ眠気が襲ってくるようになった。
絶対に夜這いしてやると息巻いていたレナは、ベッドに横になるなり爆睡したとのノワからの連絡で分かっている。
皇都に到着して、僅か二日の間に、目まぐるしい経験をしたからだろうか、僕はなかなか眠れないでいた。それが、やっと、時々意識が飛ぶようになってきたのだ。
きっとまた眠っていたのだろう、気付くと僕の胸に白く細い腕が乗せられている。
大学で何度も吸い込んだことのある、優しい匂い。
ミトレさんだ。
「ミトレさん、僕達はもう……」
ミトレさんは、翡翠色の瞳をじっとこちらに向けて、静かに微笑んでいる。
「なかなか眠れないんでしょ。いいじゃない、ここにいるときくらい、甘えてくれたって」
「僕は弱いから。ミトレさんの傍にいると、どんどん貴女にもたれかかってしまいます」
「そんなこと言って、すっかりお兄さんや女皇さんの信頼を勝ち得ている癖に」
ミトレさんの手が少しずつ僕の身体を下りてくる。胸からみぞおち、へそ、更にその下に。
「どうしても気になるなら、せめて私の手がおいたすることだけ見逃してちょうだい」
「駄目ですよ、ミトレさん。僕が止まらなくなるのを知ってて、そんなこと言う」
ガタッという音がして、僕は起き上がる。
「用事ですか?」
カーテンを開けると、コルナ殿下が不自然な体勢で床に座っている。
「殿下?」
薄暗い中でも、明らかに動揺しているのがわかる。
「す、済まなかった。そ、その。済まない」
コルナ殿下が気まずそうに仮眠室を出て行こうとする。
僕は立ち上がり、殿下の後を追って仮眠室の外に出る。
「殿下、ご用事でしたら、伺います」
「いや、その、大層なことではないのだ」
「オートンでお預かりした皇玉が偽物だった件ですか」
「う、うん。それもある。ルヴァ殿にも申し訳ないことであるし、私自身も改めて……。いや、しかし、こんな夜中に訪ねるべきではなかった」
「いついらして下さっても大丈夫です。その、殿下の立ち位置というか、殿下のせいではないのに苦しいことがおありなのは、生意気かも知れませんが、分かっているつもりです」
そう言ったとき、殿下の二つの目から零れ落ちるものがあった。
「あっ、こ、これは……、目が疲れているのだ」
「ご自分のために泣いていいんですよ、殿下。少なくとも僕は、ご自身のために涙を流す殿下も、人間らしくてとても素敵な方だと思っています」
「ルヴァ殿、その言いようは……卑怯だ」
殿下の青い髪の毛が僕の胸に寄り添う。時折揺れる殿下の肩に、そっと僕の手を置く。味わったことのない、気高い香水の匂いがする。
「困った。涙が、止まらない。余程目が疲れているのか。面目ない」
「いいんですよ。いつまでだって付き合います」
僕の胸を濡らす殿下の涙は、とても温かかった。
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