第4章6話 長兄の覚悟

 僕が目を覚ましたとき、凪が心配そうにこちらをのぞき込んでいた。

「……ノワは?」

「一言目がノワさんなんですね」

「いや、大抵ノワが僕を殴った後は、ノワ自身で膝枕をしてるから」


 凪の膝枕から身体を起こす。

 見回してみると、ミトレさんの部屋にいるのは僕と凪だけだった。

「みんなは?」


「それが……皇宮が強化されたクルシエルに襲撃されて……」

「え!?」

「応援に行ったんですが……」

「それで?」

「クルシエルの撃退は成功して、ノワさんもレナもソムニさんも教授お二人もコルナ殿下も無事なんですが……」


「兄さんは?」

「……瀕死の重傷で……」

 僕は慌てて立ち上がる。

「兄さんは、今どこに?」

「皇宮の一室を借りて治療中らしいです」


 僕は走り出す。

 父に次いでマルタン兄さんにまで万が一のことがあっては、オートン家が揺れる。下手をすれば、ウリエン兄さんが無茶をしかねない。


 ◆◇◆◇◆


 魔導大学の入口にはほぼいつも馬車が待機しており、皇宮までさほど時間はかからなかった。

 門前でも予め話がついていたらしく、スムーズに兄さんのいる部屋まで案内された。


 兄さんは気を失っており、ミトレさんが心臓や肺など重要な臓器に回復魔法をかけてくれており、ノワとレナで肘の下でちぎれた右腕の出血を抑え、ソムニとクラーラ先生が腿の半ばまでちぎれた右足の止血と回復魔法を行っている。


「兄さん! 容態は?」

 ミトレさんが顔を上げる。

「一進一退の状況なの。お兄さんとの血の相性は分かる?」

「適合しています」

 この世界なりの血液型は、武門に生まれた者として事前に検査をしてある。

「ソムニさん、輸血の準備を」

「はい」


 ソムニが慣れた手つきで注射を扱い、僕から血を抜き取る。それを点滴用の機材にかけ、兄さんに血を送り始める。


「ところで、兄の右腕は……?」

 右脚はすでに繋げるための魔法をクラーラ先生がやってくれている。


「どうやら、クルシエルに食べられてしまったようです」

 ソムニが申し訳なさそうに言う。

「そんな……」

 どんな回復魔法も、切断された手足を繋げることは出来ても、生やすことは出来ない。

 兄は右手を失ったのだ。


「足の方も、損傷が酷い。ワシの力なら繋げることは繋げるが、どこまで使い物になるかは分からん」

 プライドの高いマルタン兄さんは、意識が戻った後、どう感じるだろうか。


 僕はマルタン兄さんの右腕に回復魔法をかける。癒しの水が切断面を覆い、出血はすぐに止む。しばらくすると、皮膚や肉が生成されて、骨の断面を覆っていく。


 輸血と治療が進み、峠を越したところで、交代で体力回復の魔法をかけ続け、夜になり、深夜を過ぎ、翌朝になって、マルタン兄さんの意識が戻った。


「地獄から舞い戻して貰ったか……」

 マルタン兄さんは、自分が生きていることに驚いているようだった。

「右手を失っても、今俺が死ぬより何倍もいい。ルヴァ、助かった」


 マルタン兄さんの一番の気がかりは、自分が死んだ後のお家騒動だったそうだ。ウリエン兄さんの知らないところで僕が後継者に指定されている現状では、当然心配されることだった。


 過去に、お家騒動が原因で爵位と領地が取り上げられた貴族の家は数知れない。それを知っても、人間の欲というのは短絡的に名誉や権力に手を伸ばしてしまうものなのだ。


 増して、ウリエン兄さんの性格を考えれば……。


 ◆◇◆◇◆


 皇宮に突如として現れたクルシエルは、通常よりも更に凶暴に、より殺傷能力を高められていたらしい。


 皇宮では、謀叛を警戒して入口で武器を置かなければならず、魔法を弱める結界も張られている。


 そのため、魔導銃のお披露目で多くの貴族が集まっていたにも関わらず、彼等は戦力になるどころかクルシエル達の餌食にされてしまった。


 混戦では魔導銃も狙いを定めるのが難しく、戦力になるのは近衛兵ばかりだった。


 その近衛兵から聞くに、隙をついて女皇陛下に襲いかかったクルシエルに気付き、マルタン兄さんはほとんど素手で戦ったという。

 力が弱まっている炎の魔法で自分の手を燃やし、それでクルシエルの目を焼き、喉奥を焼いて呼吸が出来ないようにした。


 一頭を倒したものの、次々飛びかかってくるクルシエルをことごとく足止めするべく奮闘し、出血多量で気を失うまで戦い続けたのだという。


 マルタン兄さんの右足の感覚が少しでも戻るように回復魔法をかけていると、扉の向こうで侍従が女皇陛下のいらしたことを告げる。


 魔法を中断しかけたが、そのままで良いというお声が聞こえ、陛下が部屋にお入りになる。

 みだらにご尊顔を拝するわけにもいかないので、視線を下げて治療を続ける。


「マルタン=バリエ=オートンよ、この度の戦いぶり、見事であった。そなたの勇猛さも、忠義の厚さも、八狼騎を支える随伴魔導師の鏡といって良いものだ。余はそなたに命を救われた。心から礼をいう」


「畏れ多いお言葉、ありがとうございます」


「そなたの父の話も聞いておる。武人の誇りとは、そなた達親子のためにある言葉だ。代が変わり、そなたも右腕を失ったとあれば困ることも多かろう。余に出来ることがあれば、なんでも申すがよい」


「ありがたいお言葉、恐悦至極でございます。恐れながら、二点、ご考慮をお願いしたいことがございます」


「うむ、申してみよ」


「まずひとつ、この通り、私が随伴魔導師として剣狼騎に従軍することが難しくなりました。

 そこで、ここにおりますルヴァが金狐を駆って従軍するお許しをいただけないでしょうか。

 ルヴァは水の大精霊を操る優秀な魔導師です。通常の随伴魔導師と異なる点もありますが、必ず剣狼騎の力になれる者です」


「良かろう。魔導師として優秀であれば、精霊の種類や騎乗獣が異なることなど気にすることもない。長い歴史の中で前例もある。その点、余の名において許可を与える」


「ありがとうございます」

 僕もマルタン兄さんの言葉に合わせて頭を下げる。


「畏れ多いのですが、もう一点、オートン家で魔導銃を生産し、部隊を作ることをお許しいただけないでしょうか」


「ほう。自ら申し出るとは。そなたは勘づいていると思うが、余は八狼騎に加え魔導銃の部隊を作ることを考えていた。信頼できて、財力もある子爵家や男爵家に頼もうと思っていたが、オートンは正に条件に適っておる。魔導銃部隊の編成、オートンにも頼ることとする」


「ありがとうございます。必ずや、陛下のご希望に適う精強な部隊を作ってお見せします」


「うむ。期待しておる。ただし、今は傷を癒やすことに専念してくれ」

「ありがたきお言葉、重ね重ねお礼を申し上げます」

「それでは、大事にするのだぞ」


 陛下が侍従を引き連れてお帰りになったあと、マルタン兄さんは安心したのか大きなため息をついた。


「しばらく皇都に滞在して根回しするつもりだったものが、こうもあっけなくご裁可いただけるとは。蛮勇を奮った甲斐があった」


「兄上……」

 いつも無口で、冷徹な印象だった長兄が、ここまでオートン家のことを真剣に考えていたとは。


「ルヴァ、俺が片腕を失い、片足が不自由になった以上、領主代行を頼むことが出てくるかと思う。それは、ウリエンには任せられん。あれはその器でない」


「兄上、しかし、ウリエン兄さんがそれで納得するでしょうか」


「あれの頭にあるのは、単純な権力への憧れや見栄だけだ。あんなのでも受け入れてくれそうな婿入り先が幾つか、心当たりがある。オートンと同等かより格上の家に婿入り出来るなら、あいつはそれを選ぶと思う。なるべく早くその手配をするつもりだ」


「兄上、そこまで……」

「だから、ルヴァ、大型魔導石の件は、出来るだけ早く済ませて、オートンに帰ってきて欲しい。それまでは俺が一人でなんとか頑張る」

「はい……」


 マルタン兄さんの右足を曲げたり伸ばしたりしながら、痛みのある箇所、感覚がない箇所を聞き、そこに集中的に治癒魔法をかけていく。


 リハビリと治療を合わせて行っている所に、ソムニが現れる。ソムニも治療を始め、手を動かしながら謝意を述べる。


「ボク達、地竜の牙がいたのに力不足で……本当に申し訳ありません」

「いや、乱戦では仕方のないことです。貴方が謝ることではありません。地竜の牙の皆さんがいなければ、被害はもっと広がっていた」

「我々だけが武装を許されていたのに……」


 ソムニの様子を見て、僕は話題を変えようと先程陛下からいただいた魔導銃の開発許可について話すことにした。


「ソムニ。オートンで魔導銃の生産と部隊編成をする許可が出たんだ。可能な範囲で協力して貰えないかな」


「それはもちろん! 今回の件では、マルタン様が陛下を守って下さり、ノワさん、レナさん、魔導大学の先生方の活躍があればこそクルシエルを撃退出来ました。地竜の牙本部はオートン家に特に借りがあると感じているので、きっと充分な支援が得られるかと」


「ありがたい。ところで、ソムニ殿には、許嫁のような方はいらっしゃるのでしょうか」


 マルタン兄さんの突然の話題に、ソムニは顔を赤くしている。マルタン兄さんはひょっとして、ソムニのことを気に入っているのか。


「ボ、ボクには許嫁とか婚約者はいません……」

「実は我が愚弟は、いい年齢になったにも関わらず、許嫁がいないのです。ソムニ殿が良ければ、愚弟に嫁いでやっていただけないでしょうか」


「ひゃんっ!!」


 え? 僕のこと? しかも、何今のソムニの変な声。

 そういえば、マルタン兄さんには大分前から許嫁がいたんだった。


 ソムニは真っ赤になり、微かに震えている。


「こういうことは、本来お父上を通してお願いすべきことですが、まずは本人のお気持ちを伺ってからでもいいかと」


「そそそそそ、その、ル、ルヴァさんの結婚相手が、ボボボボ、ボクということですか?」


「はい。愚弟はこれでも、現時点でオートン家の後継者であり、もし私に子供が出来ればその後ろ盾として家政を引っ張って貰うつもりです。それでは不満でしょうか」


「ととととと、とんでもない! ルヴァさんは、私には勿体ない程素敵な方です。え!? 本当におっしゃってるんですか? ここここ、これ、夢ではなく!!」


 マルタン兄さんが満足げに頷く。


「待って下さい、兄上。それは、いくら何でも性急というものでは……」


「ルヴァ、俺は今回のことで、家を守るということが生半可なことではないと気づいた。まともに従軍も出来ず、現時点で子もいない俺より、まずは後継者となる可能性が高いお前に身を固めて欲しい。何かあってからでは遅い」


「そ、その、時間を下さい! ソムニだって突然のことに動顛してるようだし」


「分かった。ルヴァ。ソムニ殿も前向きに考えていただけますか?」

「も、勿論です!!!」


 マルタン兄さんのリハビリ兼治療を終えて、皆が宿泊することになったクラーラ先生の屋敷に着き、事の次第を報告すると、当然ながら上を下への大騒ぎが待っていたのだった……。

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