第4章5話 嘘

 コルナは皇宮の客室で、女皇への目通りの許可が下りるのを待っていた。皇位継承権第三位を剥奪されるまでは直接近衛隊長に声をかけて、かなり自由に出入りしていた場所だ。


 しかし、今の自分はもはや皇族でも臣民でもない。

 母から嫌悪され、早く消えてなくなればいいと思われているのだから、ある意味では奴隷よりも立場が危うい存在なのかも知れない。


 そのようなことを考えていると、部屋のドアがノックされた。

「殿下、氷狼将軍フロワ=カナーン=グラソンにございます」


 氷狼騎を束ねる大物だ。女皇の諮問機関である円卓会議の議長も兼ねている。リュミベートでは、ラームかグラソンかと言われる程の権勢を誇っている。


 コルナは起立し、重々しいドアの向こうにいる男に声をかける。

「グラソン閣下。どうぞ、お入りください」


 ドアが開き、大柄な老人が堂々とした態度で入ってくる。伴ってきた従者はドアを閉じると跪き、視線を落とす。挙措のひとつひとつが、道を究めた武人らしく無駄がない。


 グラソンの顔中を覆う白い髭が、この男の武人らしさをよく現している。武闘派で知られる大貴族だ。


「お久しぶりです、殿下。ご機嫌麗しゅう」

「わざわざ、ご丁寧にありがとうございます。私などに貴重な時間を割いていただくのは恐縮です」


「殿下、例え皇位継承権を剥奪されたからといって、そのように卑屈なことは仰らないでいただきたい。前の席、よろしいですか」

 そういって、折り目正しい動作でソファに腰掛ける。


 コルナもまた、礼節を意識して腰をかける。

「世が世なら、貴女こそが最も次期女皇に相応しかったというのに」

「お戯れを」

「戯れなどではございません。豪毅果断、諸武術に長け、民を愛する慈悲の心に篤い。正に名君の資質」


「夷狄の子で無ければ、と言ったところですか」

 コルナは自嘲気味になるのを抑えられず、口を歪ませた。自分の存在を認めてくれる人間であっても、二言目にはそれなのだ。


「アセナを夷狄呼ばわりするのは、教会の連中が始めたことです。アセナの連中は奴らなりに騎狼民族としての誇りを持ち、我々とは異なるが、優れた文化を持っておる。

 在野の学者風情は、我々と彼奴らの祖が同じであるとまで言っております。もし学者の言い分が正しいのならば、貴女こそが正に二つに分かれた騎狼の民両方を統べるに相応しいということになりましょう」


「閣下、教会にも色々な輩がおります。お言葉を控えた方がよろしいかと」


 グラソンの言う、騎狼文化同祖説のことはコルナもよく把握している。

 古代ウィレケス帝国の辺境守備隊が、現地の人狼を支配下に置いて騎狼文化を創ったというのが、リュミベート皇国の公式の歴史だ。


 一方で、在野の歴史学者達が提唱しているのが、騎狼文化同祖説だ。その説によると、アセナの地からやって来た騎狼民族が辺境守備隊を制圧・支配し、それをウィレケス帝国が後付けで公認したのが現在の八狼騎の元になっているという。

 その説を採ると、八狼騎はアセナと先祖をおなじくして、ウィレケス帝国の辺境を征服した侵略者の子孫だということになる。


 ソユル教会の建前では、世界を支配すべきソユルの民は純人でなければならず、人種が同じでも、異教徒は魔人ということになる。ソユル教会のお得意先であり、ルクス大陸の三分の一を治めるリュミベート皇国が、その魔人の子孫が治める国であってはならない。


 ソユル教会は、異教徒の国に攻め入る大義名分にコルナを使おうとする一方で、最もコルナを軽蔑している者が多い組織でもある。異民族の宗教を光化神として取り込んでいく柔軟さと、世界の支配者はソユル教そのものを信仰する純人だけであるべきという狭量さの両方を重ね持つ人々なのだ。


「その面倒な連中に半ば匿われるように生きるのも大変でしょうに。我ら氷狼騎は、いや、少なくとも儂は、いつでも殿下を支援するつもりでおります」

「今度は、剣狼騎に聞かれれば看過されないだろうお言葉。閣下、ご自身とリュミベートの平和をもっと慎重に扱っていただきたいです。私はあくまで、母である陛下のお言葉により皇位継承権を放棄したのです」


 老将の目に笑みが宿る。

「畏まりました。さて、今日は魔導銃とやらの威力を見せてくれるという話ですから、早い内に中庭に行っておくとします」

 ゆったり立ち上がったグラソンは、一礼して去っていく。その後ろ姿は歴戦の老将そのもので、威厳に溢れている。


 決めつけてはいけないが、このような男がコルナに刺客を送るとも考えにくい。黒仮面の男が氷魔法を使うからという理由だけで、氷狼騎からの刺客ではと考えるのは早計に過ぎるとコルナは考える。


 そうなると、刺客を送ってきたのは剣狼騎か、教会か、コルナの姉妹達かと考えは広がるが、いずれにしても手がかりは少ない。


「自分を軽蔑する者に庇護されている、か」

 確かに、コルナとソユル教会の関係を言い表している。


 そのとき、ドアがノックされ、侍女が中庭に来るよう声をかけてくる。

「分かりました。すぐ参りますとお伝え下さい」

 差し向かって会うのではなく、魔導銃の試し撃ちの場に同席することのみ許すということらしい。


「母上……」

 母が異教徒の血を引く娘を認められないのだと思うと、生まれてきたこと自体が呪わしくもなる。自分が何のために生まれてきたのか、全く分からず、全く先が見えない。


 コルナは立ち上がり、客室を出て中庭に向かう。

 ふと、オートン領で魔導銃の見学をした際、隣で無邪気に騒いでいたルヴァ達のことを思い出す。

 これからも、彼等と旅が出来たらいいのに、と思う。


 しかし、それは彼等に必要以上の危険を降りかからせるだろう。

 そう思うと、胸が苦しくなり、何をそんなに感傷的になっているんだと考えると余計悲しさが溢れてくる。

 コルナは涙が滲み出す直前に思考を閉ざす。


 ◆◇◆◇◆◇


 その場の視線を全て受け止めつつ、凪はひたすら僕だけを見て、涙を流している。

「すみません。提督と二人にしていただけませんか」

 凪が弱々しい声でそう言うと、まずミトレさんがそれに賛同した。

「軍事機密? みたいの? あるかも知れないから、私達がいない方が話しやすいかもね。奥の部屋、使っていいよ」


 ミトレさんはそう言うと、応接間のドアを開けて小さく微笑む。

 ノワとレナはいくらか不満がある様子だが、黙っている。

 クラーラ先生は、そうするのが当然といった納得顔で、顎で僕に部屋に入ることを促している。


 僕は凪を伴って部屋に入り、ドアを閉ざす。

 その動作と同時に風の妖精がざわめき、中の音が外に聞こえなくなる魔法が発動する。ミトレさんが気を効かせてくれたようだった。


 僕はソファに腰掛け、対面のソファを示して凪に座るように促す。しかし、凪は迷いなく僕の隣に腰掛け、身体を寄せてくる。


「提督。突然現れた私を、今まで受け入れて下さって、ありがとうございます。本当に感謝しています。でも、私は私なりに、与えられた任務に忠実でいたいんです。今の貴方はご存知ないのですが、私は貴方の命令で、貴方に会いにきたんです」


 凪は淡々と話し続ける。細かな疑問について聞ける雰囲気でもなく、僕も遮るつもりはない。

「私、未来からではなく、過去から来たんです。そして、半永久的エリクシア燃料を揃えて、貴方を連れて過去に戻る必要があるんです。それが何故かは、今は聞かないで……下さい」


 凪は過去から来ている。かなり意外な話だ。そして、僕を連れて過去に帰る必要がある。


 潜空艦朝凪の性能を見れば、僕が前世で生きていた時代よりだいぶ先の未来の技術だと分かる。

 そうなると、今生きているこの世界は、僕の前世よりも、その先の朝凪が建造された時代よりも、もっと未来だということになる。

 感覚的に地球の近世、西暦1600年から1700年くらいに感じていたこの世界は、朝凪を作れる文明が滅びた後の世界ということなのか。


 そして、凪にこの世界に来るよう命令したのは、過去の僕なのだという。前世のバス事故で死んだはずの僕が、どうやってその時代よりもかなり先に生きる凪に命令出来たのか。


 分からないことが多すぎる。


 しかし、分からないことをひとつひとつ問い詰めるようなことをしたら、凪が心を閉ざしてしまうかも知れない。とにかく今は、ひたすら耳を傾けて待つことが大切なのか。


「ここまでの話は、いろいろ疑問もあるけど、取りあえずそのまま聞いておくよ」

「……ありがとう……ございます」

「ただ、ひとつだけ、凪に改めて欲しいところがある」


 凪が不安そうに肯く。

「君は、大型魔導石について、隠していただけではなく、嘘をついていたことがある。僕は、いま朝凪に納められている大型魔導石の代わりを探すつもりでいたことは知っているよね」

「はい」


「でも、君が必要なのは代替ではなく、追加の大型魔導石だったんだよね? そうなると、大型魔導石の持ち主と交渉する内容が全く違ってくるし、リュミベート皇国全体に関わる話にもなる」


 凪の両眼に、また沢山の涙がたまってくる。

「君は、皆をだまして旅をして、大型魔導石の在処まで辿り着いたら無理やりそれを奪って、僕を攫うように過去に連れて行くつもりだったの?」

「……ごめんなさい」

 また沢山の涙を流しながら、凪が俯く。


「軍事機密とか、今は知っていない方がいいこととか、あるかも知れない。でも、仲間を裏切るような真似は、僕は絶対許せない」

「はい……」

「もう、仲間を裏切らないと誓って欲しい」

「はい」


 僕は隣に座る凪を見る。その水色の瞳は真っ直ぐこちらに向けられている。

 突然、その瞳が僕に近づいてくる。

「あっ……」

「提督、愛しています」

 凪の柔らかい唇が僕のそれに触れる。途端に結界が解かれ、騒々しい声に包まれ、ノワの怒りの叫びと共に、僕の意識は落ちていった……。

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