第2章4話 ミアーナの夕暮れ

 長い夜だった。

 レナが生まれる前に見た夢は、僕の想像を遥かに超えて壮大なものだった。そして、夢の中で使いこなしていた日本刀を手に入れ、金狐族最後の戦士として歴史に名を遺す。それが彼女の夢だ。


 凪はいろいろ不服そうだったが、僕はレナの夢を助けるために彼女を鍛冶師ババルさんの元へ連れて行くことを決める。

 その後は、お気に入りのお姉さんを連れて席に戻ったスパーダさんに父への連絡手段について相談し、教会の伝書鳩通信網を使わせて貰えることになった。


 酔い潰れた凪と、時間的におねむになったレナを尻目に、僕とスパーダさんは皇都クロリヴ時代の話をし、最後の方は僕にもお姉さんを付けて貰い、ちょっと大人でエッチな雰囲気の中でスパーダさんとお姉さんからミアーナの近況を聞いて、お開きとなったのだ。

 スパーダさん紹介の宿に二部屋借り、凪とレナを片方に寝かせ、僕はもう一室でゆったりと横になった。

 はずだった。




 カーテンから漏れる光の強さで、もう昼になっていることは予想がついた。それでも二日酔いの頭痛でまだ寝ていたくて、仰向けだった僕は光から逃れるように寝返りを打……、打とうとするが、出来ない。


 自分を拘束している重みの正体を確かめようとすると、僕の左脇に水色の塊、右脇に金色の塊が乗っていることが分かる。決して自由ではない両手で毛布を持ち上げると、僕は両側から白い物体に密着され、挟まれている。


 何故か全裸の凪とレナが、服を着たまま寝た僕の身体に手や足を絡ませ、ぐっすりと眠っている。僕の右肘はたっぷりと柔らかい二つの膨らみに挟まれ、左肘は張りのある一つの膨らみにギュッと押し付けられていた。

「なんなんだ、これは?」

 あまりの惨状に、何も考えられない。というより、良からぬ方向にばかり突っ走って行こうとする思考を押し止めるのに必死で、理性がパンクしかかっている。


 こんなときばかり都合が良すぎるが、オートン領で待ってくれているだろうノワのことを考えてなんとか理性を保とうとする。そして、僕に絡まっている白く細い手足をひとつひとつ外していく。


 ようやく上半身を起こせるまで解放されたところで、レナが目覚めてしまった。

「お兄ちゃん、もう少し寝よ」

 せっかく外した右腕が、またレナの胸の膨らみに押し付けられる。レナの三角耳がピクピク動き、肩がこそばゆい。


「いや、でも、大教会にも用事があるし」

「少しくらい遅くても大丈夫だよ〜。ねぇ〜」

 レナの細い指が僕の身体を這い、敏感な部分を擦る。


「あのさ、僕、君と本当の兄妹のように接したいから、そういうのは止めよう」

「天狐族では兄妹でこういうの普通だよ〜」

「僕は純人族だから。純人族は、兄妹でそういうことしないから」

「でも、レナのお兄ちゃんになってくれるんなら、天狐族の妹らしく尽くしてあげたいんだもん」


「このビッチ女狐!」

 突然目覚めた凪が、レナの手を払いそこに自分の身体を乗せる。自然、僕は押し倒された格好になる。

「何よ、幽霊女!」

「幽霊じゃなくて、身体の質量や周波数が自由なだけですから。ほら、提督、私の身体柔らかくて温かいですよね」

「確かにそれはそうなんだけど、なんで君までこんなことに?」


 凪は少しムッとした顔をする。

「覚えてらっしゃらないんですか? この超クソビッチ女狐が提督を夜這いしようとしたので、私が提督をお守りするために恋人モード発動の許可をいただいたじゃありませんか」

 そうだっけ? 覚えてない。発動させちゃったか、恋人モード。

「恋人モードを発動した以上、寝所でもお風呂場でも私が提督のいろんなお世話をするんです! 私が提督を超絶エロクソビッチ女狐野郎からお守りします」


「凪、とりあえず、どいて」

 凪がレナの動きを警戒しながら僕の身体の上から離れる。自由になった僕はなんとかベッドから這い出し、身なりを整える。

「ちょっと、トイレ入るわ」

 僕がトイレに入ると、扉の向こうで若い娘が言い争う声が聞こえる。用を済ませて手を洗っていると、ドタバタと派手な音が聞こえてくる。


 トイレから出ると、花も恥じらう年頃の娘二人が全裸で壮絶なキャットファイトを展開している。

 凪、互角だな。

 僕は櫛で髪の毛をときながら、凪の意外に高い戦闘能力に関心する。


 そして、潜空艦の補助人格と張り合っているこの娘は、伝説の戦闘部族天狐てんこ族最後の生き残りにして、前世は源九郎義経。そう、あの源平合戦最強の天才武将にして、悲劇のヒーローだ。


 そう考えると、昨夜の用水路の橋で起きたことは五条大橋の牛若丸と弁慶の伝説にシチュエーションは似ている。

 お兄ちゃんに拘るところなんかも、少しは前世と関係あったりしなくもない。

 けど。

 なんかイメージ違うよなぁ。


 僕は宿で用意してくれてあった水差しからコップに飲み物を移す。この地域でよく飲まれているらしいサーク芋の葉のお茶だった。他の地域でも身体にいいということで出回っているので、飲んだことはある。


 少女二人が流石にくたびれたところを見計らって、彼女達にお茶を飲ませ、服を着るように指示する。

 宿代は、潜空艦から持ち出したリュミベート金貨で払うことにする。

 身なりを整えさせて宿を出る頃には、既に日が傾きつつあった。


 ミアーナの大通りを歩く僕達の姿を、通りすがる人々は眉を顰めてチラ見する。僕の左に凪が、右にレナが密着して歩いているからだ。


 リュミベート皇国では、ある程度の身分や経済力があれば、男も女も複数の配偶者や愛人を持つことは珍しくない。実際、僕の母も領民出身の妾だった。

 とはいえ、それには一定の節度が求められるのであって、両脇に女を侍らせて街を歩くというのは、あまり体裁がよろしくない。


 そういうことを二人には説明して、凪は一旦離れてくれたのだが、レナは天狐族では優秀な男が女を侍らすのは正しいことだとか、また自分の文化を持ち出して言うことを聞かず、そうなると凪も対抗してまた同じことを始めてしまう。


 こういう視線は、本当に女遊びをしているスパーダさんのような人が浴びるべきものであって、僕のように誠実であろうと必死で努力している人間が浴びるのは理に適っていないと思う。

 まぁ、昨夜はちょっと、お店のお姉さんとエッチな雰囲気でお話くらいはしたけどさ。スパーダさんなんて、その場でチューしてお持ち帰りだったんだぞ。


 僕はもしかしたら、この人生での女運を既に使い果たしているのかも知れない。大学四年間の大半は、精神的にも肉体的にもほぼ満たされて過ごすことが出来た。

 その相手との関係を断ち切った時点で、あとはもう、こういう、ちょっと悪縁っぽいやつしか女運が残っていないのではないか。


 これでも、三十歳で魔法使いコースまっしぐらだった前世よりはマシなのか。


 故郷で待っているのは元・人斬り半次郎。右にいるのは元・源九郎義経。左にいるのは未来兵器な潜空艦の補助人格。

 マシなのかな。

 分かんないや。


 大教会に着いたとき、日は赤みを帯び始めていて、尖塔のモチーフもオレンジ色の輝きになりつつあった。流石に神前で両腕に女を侍らせたくないので、文化が違うレナのことは諦めて、凪を説得して折れて貰う。借りは後で払っていただきますと、怖いことを言う。


 案内の神官に通された執務室で待っていると、今身なりを整えてきたと言わんばかりの眠そうなスパーダさんが後から入ってくる。

「兄妹仲が良いようで何よりだ」

 正直、勘弁して下さい。冗談になっておりません。


「で、鳩だったよな。この紙にこのインクで書けば悪天候でも消えないから。オートン領に一番近い宿場町の教会まで鳩で運んで、あとは早馬で数時間ってところで領主の居館がある村の教会に着くそうだ。鳩が出るのは明日の朝だから、昼ぐらいに連絡がつくだろう」

「ありがとうございます」


「で、大型の魔導石については、お前も知ってた魔導大学学長室の奥くらいしか俺も思いつかない。相当な力を秘めた物らしいから、そんなにおいそれと情報は流れて無さそうだな」

「そうですか。ありがとうございました。この恩は、必ず」


「いいんだ。昨日はツレが迷惑かけたし、金髪狐の金で遊ばせて貰ったしな」

「あっ!?」

 僕の腕に絡みついていたレナがスパーダさんに食いかかる。

「私の金! 返せ」

「昨日飲んじまったよ。始めに素直に返さなかったお前が悪い」

「し、司教のくせに泥棒なんて」


 僕はレナの手を取ってなだめる。当面、僕と旅をするなら、大きな金は要らない。

 お兄ちゃんがそういうなら、とスパーダさんを睨みながらも納得する。

 専用の紙とインクを使わせて貰い、用件のみの簡単な文章をしたため、スパーダさんに託す。

「じゃあ、担当に渡してくるから、のんびりしててくれ」


 僕が応接用のソファに腰掛けると、レナだけでなく、凪も僕に密着してくる。この部屋では構わないと思ったようだ。

 なんとなく両脇から僕を通過して行き交う不穏な空気を感じつつ、潜空艦で時空のうねりとやらの影響なしに行動できないものかと考えてみる。


 例えば、夜間に人口密度の低い地域を通常飛行で移動するとかは出来ないのだろうか。僕の知る限り、潜空艦の飛行音はとても静かだし、レーダーはない世界なのだから、夜陰に紛れて飛べばそれほど人目につきそうではない。


 敢えて言えば、現代世界にあったステルス戦闘攻撃機よりはかなり大きい艦体が問題だろうか。それも、対空レーダーがないのだから高高度を飛べばいいのではないか。


 そんなことを考えているうち、スパーダさんが執務室に戻ってくる。そして、両脇に凪とレナを侍らせた僕を見て、ニヤニヤする。

「ほう。そっちの姉ちゃんもか。お前もやるようになったな」

「これには、深い事情が。決してスパーダさんが想像するような関係ではありません」

「両側から乳押し付けられて、説得力皆無だけどな」


 正にぐうの音も出ない。しかし、この人にそんな評価を受けるなんて、なんか侮辱だ。

 執務机に寄りかかったスパーダさんは、真剣な表情になり、僕を見据えた。

「ちょっとサシで話しておきたいことがあるんだが」

 この人は、真剣なときは真面目そのものなので、何か重大な話があるのだろう。


「凪とレナは、他の部屋で待っててくれないか」

「男二人で女遊びの計画ですか?」

 凪がスパーダさんを疑いの目で見る。

「そうだ。レディーはあっちの応接間で待っててくれ」

「分かりました」

 意外に素直に従った凪に対して、レナは露骨に不満そうだ。

「お兄ちゃん……」

「女遊びの計画じゃなくて、大切な話しだと思う。頼む」

 レナの手を取って席を立たせ、部屋から送り出すと、さっさと先に行く凪に渋々着いていく。


「それで、どんな話でしょうか」

 スパーダさんが今まで僕達が座っていたソファを手で示すので、そこに腰掛ける。斜めの位置にある椅子に、スパーダさんも座る。

「実は、ある人から、オートン子爵殿に大型の魔導石が預けられている話は聞いている」

「えっ」


「つい先日、飛龍諸部族とお忍びでの外交交渉を終えてここに滞在していた第三皇女・コルナ殿下からだ」

「コルナ殿下……忌み名の姫君……」

 リュミベート皇国は、代々女性の皇王、女皇が治める伝統になっている。第三皇女となると、通常は皇位継承権第三位ということになる。

 しかし、忌み名の姫君、コルナ殿下は皇位継承権を辞退させられている。何故なら、彼女の父が、今となってはリュミベート皇国最大の仇敵となったアセナ朝スティフ帝国の皇子だからだ。


 アセナ朝は、異教の大国ひしめく海西かいざいの魔境の中でも現在最も勢いのある新興勢力で、かつては共通の敵を持つことからリュミベートの同盟国だったものが、今や仇敵となってしまった。


 その外交的変化の犠牲になったのがコルナ殿下とその父君で、父君は幼いコルナ殿下を残して国に返され、コルナ殿下は宮廷で微妙な立場に立たされており、皇位継承権は辞退させられている。


 忌み名の姫というのは、ある意味陰口に近いもので、彼女の正式名称となるコルナ=アセナ=エシェーの縁姓・アセナが宮廷内で禁句になっていることに由来している。


「お前も聞いたことはあると思うが、コルナ殿下はある意味、使い捨ての皇室関係者として、危険な外交任務や汚れ仕事をやらされている。その殿下が、お前の父上のところに大型魔導石を取りに行く予定だと言っていたんだ」

「コルナ殿下が、父の所へ……」


 想像もしなかった展開だが、聞いてみて余計に嫌な印象しか抱けない。言い方は悪いが、宮廷の捨て駒であるコルナ殿下が、大事を任せるには余りに抜けている父の元に傾国の宝を取りに行く。

 最悪の想像をするなら、一緒に口封じで始末されてもおかしくないような組み合わせだ。


 しかし、それならコルナ殿下が到着する前に、黄妖鬼の大群がオートン領の大型魔導石を狙ったのはどういうことなのか。

 考えても混乱するばかりだ。


「実は、ソユル教会でコルナ殿下暗殺の動きを捉えて、この街での滞在を繰り上げ、数日前に出立していただいている。そして、刺客の目をくらます為に少し遠回りの旅程を提案した。明日頃にはオートン領に辿り着くかどうか、といったところだ。いつも通り、護衛の一人も付けずに一人で旅をしているはずだ」

 コルナ殿下の暗殺。そんな物騒な話まで。


「いろいろ教えていただき、ありがとうございました」

「ああ。かなりきな臭い雰囲気だな。俺に出来ることは少ねぇけど、まぁ、お前とは縁がある。何か力になれることがあったら言ってくれ」

 僕は改めてスパーダさんに頭を下げる。


 凪と相談して、最速の手段でオートン領まで帰りたい。

 僕は応接間で凪とレナに声をかけ、大聖堂を出る。空はすっかり暗くなり、二つの月と、この世界での宵の明星が輝いている。


「凪、出来るだけ早くオートン領まで戻りたい」

 凪が僕の要望に顔を向けたとき、不穏な警鐘が街のどこかから響き、それが連鎖し始める。

 急いで馬に乗る光騎士姿の僧兵に声をかけて、何が起きたのか聞く。


「この鐘は、妖鬼の大群が現れたことを示すものです。私は斥候の役目があるので、これで」

 僧兵は巧みな綱捌きで馬を走らせる。

「凪は、状況分かる?」

 彼女は目を瞑り、何かと情報のやり取りをしている。それなりの数のナノドローンとやらを展開しているらしいので、それを操作しているのかも知れない。


「これは、凄い数ですね。絶対方位七時の方向から、数万の黄妖鬼が接近して来ています」

「数万!?」

 僕は少し考えて、まずはスパーダさんの所へ戻ることにした。

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