第3章3話 哀しい夜
オートン家当主ミリアム率いる仙鬼討伐隊は、闇の奥で枝を折り木を押し倒す荒々しい音を頼りに移動していた。
先頭は剣狼に騎乗したミリアム、それに徒歩でノワとレナが続き、更にマルタンとウリエンが剣狼に乗って続く。その後ろに、その他の腕の立つ家臣達が徒歩で連なる。
ノワはミリアムの身を案じて、自分が先頭を行くと進言したが、容れられなかった。
ミリアムの武人魔導師としての誇りが、それを許さなかったようだ。
森の奥から響く不気味な音は、次第に大きく、強く、身体に響いてくる。
「お館様、会敵したら私が前線に出て相手を掻き回し、脚を斬ります。その支援をしていただき、後ろの家臣達で止めを刺すのは如何でしょう」
「お父様、私も前線で脚を狙いますわ!」
オートン領に着いて以来、レナの話し方がおかしくなっている。隙をついてはミリアムにゴマを摺りお父様と呼んでは、客人とはいえ獣人ですからなぁと婉曲とも言えない強さで拒絶されることを繰り返していた。
「うむ。その策で行こう」
ノワは自分がミリアムに認められていることにホッとする。数多の戦場を駆けた歴戦の将とはいえ、魔導師であるミリアムが最前列に出るのは、リスクが大きすぎる。
やがて、月を隠す大きな頭が見える。人の大きさの三倍から四倍程の大きな影が、七つほど確認出来る。その姿は人が踏み入れない程深い山の、自然そのもののように荒々しく、人間の根源的な恐怖を呼び起こす。
「お館様、行きます!」
「うむ」
ノワとレナがミリアムを超えて前に駆ける。
「レナ殿。目眩ましを」
「了解!」
レナの風刃が一番近くにいた仙鬼の両目を切り裂く。闇夜に妖しく光っていた二つの青い目が血に染まる。続いて、ノワは仙鬼の右脚の裏に素早く回り込み、脚の筋を断つ。
硬い体毛に覆われた鉄より固そうな筋も、ノワの一閃の前にバチンと大きな音を立てて切断される。
仙鬼の大きな叫びが響き、木々の葉がビリビリと震える。
仙鬼は体勢を崩すが、毛で覆われた二本の腕で身体を支えると、左脚と右腕でバランスを取り、左腕を振り回す。レナが素早くそれを躱し、その左手に乗って肩まで駆け上がる。
レナの曲刀が仙鬼の首筋を断ち、返り血を浴びる前に跳ねて反対の肩に乗る。そして、また首の筋を断つ。大きな猿のような醜い顔が、苦しそうに歪む。
その間にノワは左脚の筋を鮮やかな太刀筋で切り裂く。仙鬼の身体が一気に傾き、木々の枝を折りながら倒れていく。
「一丁上がりだね」
そう言って降り立つレナに大きく鋭い爪が襲いかかる。二頭目がすぐ目の前に迫っていた。すんでのところで、ミリアムの土壁の魔法がレナを守る。
「済みません、お父様!」
レナが素早く跳ねて、崩れる土壁から距離を取る。
その隙に二頭目の背後に回り込んだノワは、立て続けに左右の脚の腱を断つ。
二頭目が悲鳴を上げて倒れる様子を確認していると、僅かに月明かりが塞がれ、大きな影が頭上に現れる。
ノワが慌てて飛び退くと、巨大な木が丸々一本投げつけられたようで、数本の枝が既に倒れた仙鬼の身体と、山肌に強く食い込んでいた。
「頭上注意ー!」
マルタンの声が響く。
無数の木々が夜空に影をなして飛んで来るのが見える。
ノワは幹を躱し、太い枝を切り払ってなんとか凌ぐも、暫くして認識したのは家臣達の阿鼻叫喚だった。あちこちで悲鳴や怒声が聞こえる。
後手がやられた。
いや、後手だけではなかった。ミリアムは剣狼の犠牲でなんとか助かり、ウリエンは盾になった剣狼の身体の下から何とか這い出しているところ。マルタンだけは人化した剣狼と共に躱しきった様子で、中列の騎狼の魔導師もほぼ壊滅したことが分かった。
無傷は、ノワと、レナ、マルタンと彼の剣狼だけ。
機を見て猛然と迫り来る仙鬼の数は、確認できるだけで五つ。到底、戦列を維持出来る状況ではない。
「くっ、退却か」
頭から流血している様子のミリアムが無念そうに言う。
「父上。魔導書を使い時間稼ぎを」
「うむ」
マルタンが懐から小さな巻物を取り出し解く。小さな魔法陣が輝いている。
「父上!」
『我等が眷属なる土の精霊よ。我等を敵の魔手から守れ』
ノワの足元から巨大な城壁が現れる。同時に、それにぶつかる巨大な気配が幾つか。立て続けに行われたのだろう仙鬼の体当たりによって、城壁の一部に早くも罅が入り始めている。
「ノワちゃん、上で時間稼ぎするよ」
レナが城壁の上に飛び上がる。
ノワは刀の鞘を腰紐から抜き取ると、鞘を足場に高く跳ねて、刀を城壁の隙間に突き立てて上に昇る。
目の前に仙鬼達の妖しく光る青い目が幾つもある。
レナの風刃がそれを切り裂いていく。ノワもそれに合わせて、刀が届く範囲の仙鬼の身体に斬りつけて回る。
背後では怪我人の救出が行われている。
即死は少ない。
ある意味、一番戦力を割かれる状況だ。
怪我人を見捨てる軍の士気は、継戦能力を失いかねないまでに下がる。だから、怪我人は助けないといけない。しかし、それによって、無傷や軽症の兵が力を割かれる。
レナとノワの奮戦虚しく、城壁は崩れかけている。
レナの曲刀も、ノワの刀も、仙鬼の針のような体毛と鉄のような筋を斬り、鋼鉄より硬いと言われる骨と何度もぶつかり、ぼろぼろに刃毀れしている。
戦列崩壊は時間の問題だ。
「レナ殿。負傷者の救助に回ろう」
「そうだね」
二人が城壁から飛び降りたとき、その壁の一角が大きく崩れ落ちた。
「おのれ、鬼が!」
ミリアムが投げつけられた木の幹に仁王立ちして、崩れる城壁の向こうから顔を覗かせる仙鬼達を睨みつけた。
「剣狼騎随伴魔導師というものの力を、見せてくれる」
生存している家臣の救助は進みつつある。誰かがもう一踏ん張り時間稼ぎをすれば、一時的に撤退は出来るかも知れない。
ノワは、一人の家臣を木の間から引き出して味方に託すと、飛び跳ねてミリアムの横に立つ。
「ノワ。そなたとレナ殿に手伝って貰いたい。マルタンとウリエンは撤退だ。そして、ここで撤退の目処が付くまで粘ったら、そなた達も撤退してくれ」
「お館様、それは!?」
ミリアムの胸に、大きな木の枝の破片が刺さっていた。
「うむ。儂はよい死に場所を得た。あとは倅共に跡を託して、剣狼騎随伴魔導師の名に恥じぬ最期を迎えるまで」
「承知、しました。マルタン様だけにお伝えしてきます」
「頼む」
良くも悪くも冷徹なマルタン以外にこのことを知られれば、殉死者という更なる被害が出る。その魂は、夢の中で薩摩隼人であったノワにもよく分かったが、オートン家の将来のためにはいいことではない。
宗教のように特殊な家風を持つ島津と違い、オートンは伝統的には名より実を選んできた家だ。助かる見込みの薄い当主の最期の戦場を穢してまで、人を死なせてはいけない。
「儂はミリアム=ドーデ=オートン。鬼共、この名、忘れるでない!」
背後にミリアムの怒声が響いた。
◆◇◆◇◆
ジリ貧だ。
河龍レヴィア様の人化した姿でさえ、黒仮面を圧倒するには至っていなかった。
優勢ではあるものの、しなやかな黒い剣と巧みな身体捌きで猛攻をいなされている。
明らかに、僕の魔力が枯渇するのを待っている。
その黒仮面だけでもタチが悪いのに、よりによって時間差で発生した吸血鬼が僕達の意識の隙をついて数を増やしていた。
黒仮面の対応をレヴィア様とコルナ殿下に任せて、僕は吸血鬼と化した領民や家臣に止めを刺して回っていた。
情を殺し、心を殺して、顔見知りだった人々の姿を纏った吸血鬼を殺していく。
泣くまいと思っていたのに、流石にマランさんのお母さんであるララ婆さんを切ったときは気持ちが溢れてしまった。マランさんも泣いていた。彼の母で、僕にとって祖母のような人だった。
これも全て、恐らくは黒仮面の差し金だろう。
悔しいが、レヴィア様で仕留められないものを、どうすればいいか僕には策がない。
レヴィア様が龍の姿で戦っても状況は変わらないだろうし、他には特に強力な魔法など僕にはない。そもそも、水魔法とは回復や防御を得意とするものなのだ。
凪の状況はどうか。
いや、潜空艦の攻撃は強力すぎて、領民の集団の近くでは使えない。状況的に、相手がそこまで考えているとは思えないが、黒仮面は領民の周囲から離れずに戦いを続けている。
〈提督のお考え通り、その状況で味方の被害なしに戦える手段は朝凪にはありません〉
聞いてたのか。
〈はい、提督。報告します。潜空艦朝凪、低深度潜航完了。スキャンの結果、先程から姿勢を低くして領民達の周囲を徘徊している存在があります。魂紋からして、吸血鬼と断定しました〉
リィエか!?
〈現在、丁度提督のいる反対側です〉
目の前の領民達を掻き分けて、隊列の反対側に出る。
「リィエ!」
蹲るような姿勢で、静かに素早く移動していた影が足を止める。
軍用の獣人に特化した外套を着た女は、間違いなくリィエだ。
頭の上にある三角耳の先が、特徴的な撥ね方をしている。記憶の中に眠っていて、オランジュの街で冷たくなった死体を見て確かめた、リィエの特徴だ。
「う……、ル、ルヴァ様……」
リィエは静かに振り向くと、悲しそうな表情でこちらを見る。
「リィエ。僕の夢に来てくれたのは、君だね」
「う……、ううぅ……。ルヴァ様ぁ……」
僕がふと気配を感じて振り向くと、すぐ傍に黒仮面が着地し、それをレヴィア様が追っている。
「あいつ……が……、ルヴァ様の……、敵?」
リィエが怒りの形相を黒仮面に向ける。
「ルヴァ様の、敵!」
リィエは突如地を蹴ると、黒仮面目がけて跳躍する。リィエの鋭い爪が黒仮面のシルクハットを飛ばしそうになり、黒仮面が左手でそれを押さえる。
そこにレヴィア様の水流の剣が襲い掛かるが、黒仮面は間一髪でそれを躱す。
「おや、想定外さんのお出ましですか」
黒仮面はよく分からないことをいい、コルナ殿下の斬撃をひらりと躱す。
「潮時、ですかね」
そう言った黒仮面の外套を、背後から掴んだ影がいる。領民の一人だ。
黒仮面は黙って領民の首を撥ねるが、領民は首がないまま、黒仮面にしがみつこうとする。
そこにリィエが右手の爪を剥き出しに襲い掛かる。
ドンッ、という音がして、リィエが仰向けに倒れる。
心臓に矢が刺さっており、それでも苦しそうに起き上がろうとする。
ドンッ、ドンッという音が三つ聞こえるが、リィエには刺さらない。
隊列から出てきていた領民二人が仰向けに倒れる。そして、黒仮面にしがみつこうとしていた首なしの元領民が力なく地に沈む。
「殿下と、そこの面白い魔導士さん。では、また。ご機嫌よう!」
黒仮面が一瞬で闇に紛れる。それだけで、かなりの闇魔法の使い手だと分かる。
僕はリィエの元に駆ける。
「ル、ルヴァ様……、ご……めんなさ……い。首を……」
「リィエ……」
「首を……。愛して……いま……す……」
苦しそうなリィエの表情に、僕は立ち上がる。
「ありがとう、リィエ」
ババルさんの日本刀の切れ味のお陰で、余計に苦しませずに済んだだろうか。
僕は残り二人の領民の首を刎ねる。
〈提督。そちらは状況終了ですね。仙鬼討伐隊は被害甚大で撤退中です。支援の許可を〉
〈火事になるな?〉
〈はい。かなりお疲れのようですが、水魔法で消火の支援はしていただけますか〉
〈なんとかする〉
レヴィア様はいつの間にか姿を消していた。恐らく、僕の魔力の消耗を考えて、自ら姿を消してくれたのだと思われる。
〈ご無理はなさらずに。最悪、浮上して物理的に消火します〉
潜空艦の存在は、出来ればまだ一般に知られたくない。暫くは、凪の魔法ということにしておきたい。
なんとかするさ。
〈攻撃開始します。打ちーかた始めー〉
山の方で白い光の筋が見える。それに伴い、火災が発生する。
〈敵の沈黙を確認。消火支援お願いします〉
僕は残りの魔力を振り絞るようにレヴィア様への祈りを捧げる。
漸く、局地的な大雨を降らせる魔法を成立させたとき、僕は意識を失った。
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