第3章2話 挟撃

 数日ぶりの故郷。

 特に変わった様子はなく、ひとまずは安心する。


 驚く父にコルナ殿下との邂逅を掻い摘まんで説明し、リィエの死についても告げた。

 父は名誉の死であると言い、長兄マルタンはただ、そうかと言った。

 次兄のウリエンは自分の玩具を壊された子供のようにただ怒った。


 コルナ殿下が自分の責任であると頭を下げてくれたからいいものの、そうでなければ代わりにノワを寄越せとか、金銭で賠償しろとか言い出しかねない状況だった。

 引き下がるときも、リィエの主として恩賞を期待しているのが丸見えで、浅ましいことこの上ない有様だった。


 父に帰還の報告をしたあとは、どうしようもない眠気に襲われた。

 ミアーナ夜戦の後、潜空艦で、凪曰く時間的な遠回りをしたらしく、それなりに長い仮眠を取ることは出来た。とはいえ、あの環境である。それ程休めたとは言い難い。

 どうしようもない眠気に、父に頼んで僕は仮眠を取らせて貰うことにした。


 客人の扱いであるレナにも客室で仮眠するか声をかけたが、獣人である彼女の体力なら何の問題もないらしく、寝る必要はないとのことだった。

 オランジュに引き続き、コルナ殿下の護衛を頼むと、僕は自分の寝室に向かう。彼女は時空酔いも殆どなかったので、ゆっくり休めていたというのもあるかも知れないと思った。


 小一時間の眠りの中で、僕は夢を見た。

 リィエが僕の寝所を訪ねて来たのだ。彼女は僕のベッドに腰掛けると、優しく僕の頭を撫でてくれた。

 細く白い指は美しく、冷たかった。

「ルヴァ様、もう一度お会い出来て嬉しいです。でも、これで最期です。次は、ためらいなく、私の心の臓を刺して首を刎ねて下さいね」


 彼女は僕の右手を取り、彼女の左胸に当てる。決して豊かではないが、温かく柔らかい胸だった。止まっているはずの彼女の心臓は確かに動き、熱を持っている。

 リィエの顔が近づいたと思うと、その冷たい唇が僕のそれに重ねられる。

「夢で会えて良かった」

 彼女はそう言うと、僕に背を見せて去って行った。


 目を覚ました僕は、まどろみに引きずられないようすぐベッドの脇に腰掛けた。

 右手の感触が妙に生々しかったのを思い出しながら、リィエの葬儀の準備を手伝うべく、気持ちを切り替えて立ち上がった。


 ◆◇◆◇◆


 レヴィアト村の小さな教会に着くと、父と兄が苦い顔をしていた。

 そもそも、剣狼のために葬儀を開いた前例がなく、どのような規模にすれば良いか揉めているとのことだった。


 確かに、これまでは剣狼が亡くなっても、直接の主人や、同じ主人に使える剣狼族や従者だけで埋葬するのがオートン家の流儀だった。それは戦場で華々しく散った場合でも決して変わらないのだと聞いたことがある。

 剣狼はあくまで兵器であり、人として扱う物ではないという考えからだ。


 ウリエン兄さんはと言えば、自分の剣狼の手柄を誇りたいのか、妙に機嫌良く盛大な葬儀にしようと考えているようだった。


 僕は僅かに知っているリィエの慎ましやかな性格を考え、オートン家中や関わりの深かった領民だけでしめやかに行うものを想像していたので、それを父に進言した。

 父も家中の伝統とコルナ殿下の意向のバランスを取ってそれくらいがいいかという答えだった。


 しつこく盛大な葬儀に拘るウリエン兄さんをいなしながら、父、マルタン兄さん、僕、ノワ、凪、レナ、教会の神父様と出入りの子供達で淡々と葬儀の準備をする。コルナ殿下もすぐに一緒に作業しようとするのだが、余りに畏れ多いとその度に指揮監督だけをお願いする。


 粗方、葬儀の準備が整ったときには、既に宵の口に入っていた。

 別れの挨拶が出来るよう、棺の蓋が開けられる。


 リィエがいない。

 その場にいる人々がざわつく。

 僕は、夢を思い出す。

 次は、ためらいなく心の臓を刺して首を刎ねろという言葉を思い出し、青ざめる。

「リィエは、吸血鬼の呪いを受けたかも知れません」

 僕は夢のことを簡単に話す。


「なんだと!? いい加減なことを言うな!」

 ウリエン兄さんが気色ばんで僕の胸倉を掴む。

「死体がないのは事実だ。念のために警戒しながら捜すべきだ」

 マルタン兄さんが冷静にウリエン兄さんを僕から離す。

「ふざけやがって! どこまでも使えない剣狼だ」

 ウリエン兄さんは怒気を放ちながら教会の扉に向かう。


 その時、扉が開き領民の一人がフラフラと礼拝室に入ってくる。足がもつれ、ウリエン兄さんにもたれかかりそうになる。

 その瞬間、風の刃が放たれ、領民の首が跳ぶ。

 レナが、ババルさんから譲って貰ったらしい小太刀を構えている。

 大量の出血と共に、それでも領民はウリエン兄さんに掴みかかろうとする。


 僕が慌てて日本刀を抜いたときには、ノワがウリエン兄さんに体当たりして庇いながら、首のない領民の左胸に鋭い突きを繰り出していた。

「レナ、ノワ、見事だ」

 コルナ殿下が領民の生首を拾い上げ、検分する。


「牙だ。間違いなく、吸血鬼」

「ひいぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」

 今になって恐怖が襲ってきたのか、ウリエン兄さんが情けない叫び声を上げる。

「神父様。吸血鬼が現れたときの対策は?」

 僕は振り向いて村の神父様を見る。吸血鬼に対しては、ソユル教会に発生時の対策と討伐のノウハウがあるはずだった。


「あ、あの、ええと……」

「まずは近隣の全ての領民を集める。同時に、銀の刃物で斬りつけても血が煙を出さない腕に心得のある物が、安全だけを第一に慎重に他の村へ知らせていく」

 コルナ殿下が冷静に指示を出す。


「私には吸血鬼の呪いは効きません。私が近隣の村に知らせます」

 凪が手を挙げる。

「なるほど。それは名案だ」

 コルナ殿下が感心したように言う。


 幽霊のような存在である凪には、確かに吸血鬼の呪いが効かなそうだ。更に言えば、そのまま潜空艦の出動準備が出来る。

「それでは、馬をお借りします。ここから南東方面に向かっていきます」

「あ、それでしたら、他の方面は狼煙で!」

 神父様が漸く冷静さを取り戻して来たらしい。


 オートン領は、南東方面は高い山があり狼煙が伝達されるのに時間がかかることがある。一方で、他の方面は平坦なので、レヴィアト村の狼煙を直接見ることが出来る。

「早速取りかかりましょう!」

 コルナ殿下が父に声を掛けるのと同時に、僕とノワとレナが剣を抜いて領民に報せにかかる。凪は厩舎に向かい、父と神父様で狼煙の準備をする。


 ◆◇◆◇◆


 暫くして、レヴィアト村の殆どの領民が教会前の広場に集められた。

 途中、三人の吸血鬼化した領民が始末されたらしい。

「まずは、全員が集まって、この後やってくる者や、様子のおかしい者を注意深く監視し合う必要がある」

 コルナ殿下が領民を落ち着かせつつも、適切な恐怖心と警戒心を抱かせる。真剣に民の安全を考えていることが伝わるのか、民もその言葉を素直に受け止めている様子だった。


〈提督。凪です〉

〈どうした?〉

〈オートン領南東方面を遮る山岳地帯から、大型二足歩行動物の集団が移動しています。ナノドローンの観測を元に、私も一部視認しました〉


〈大型二足歩行動物?〉

 あの山に住む大型二足歩行動物と言えば、仙鬼だろうか。

〈おそらく。魂紋もそれを示しています。個体数は確認中で、移動コースはゆらゆらしていますが、或いはレヴィアト村に誘導されているのかも知れません〉


 仙鬼は単体でも充分な戦闘能力を誇る魔物だ。しかし、根が臆病で人里に降りることを嫌う。それを追い立てるように人里に誘導出来るならば、かなりの使い手だろう。或いは、コルナ殿下を襲った黒仮面の男か。


〈それも含めて、引き続きナノドローンで精査します〉

〈頼む〉


 僕は急いでコルナ殿下と父に目で合図をして、二人に仙鬼の接近を告げる。

「領民は集団で避難させ、精鋭が仙鬼に撃って出るしかないでしょうか」

 僕が短い時間で判断した作戦を述べる。


 領民と仙鬼を接触させる訳にはいかない。恐らく、乱戦になり、折角吸血鬼対策で集団にしたのに切り離されてしまう。そうなると、仙鬼と吸血鬼の二重の脅威両方に対して無防備な状態になる。

「それしかあるまいな」

 父が険しい表情でそう言い、コルナ殿下も頷く。


 僅かな話し合いの後、僕とコルナ殿下が領民避難の指揮を執ることにした。コルナ殿下には出来る限り戦闘を避けて呪いの進行を避けて貰いたいし、僕の水魔法は、もともと防御や回復に向いている。

 吸血鬼自体の戦闘力は低いので、領民の保護を優先するには僕が適役かも知れない。


 そして、父とマルタン兄さん、ノワ、レナを中心に、他に腕に自信のある者を選抜した二十名程で、仙鬼を迎え撃つことにする。ウリエン兄さんも、僕の指揮の足を引っ張る可能性があるため対仙鬼部隊に選ばれた。


「父上、お気を付けて」

「うむ。ルヴァ、殿下と領民を頼んだ」

 父率いる対仙鬼部隊がいつかの洞窟の脇から山道に入っていく。


 それを見送った後、僕と殿下の指示で避難の隊列を作る。四列縦隊で、その外に獣化した剣狼族や家臣達が武装して周囲と領民内の異変に対応する陣形だ。

 武門で育った家臣達と違い、領民達は慣れない団体行動に時間がかかる。漸く隊列を組んだときには、山岳部から戦闘の音が聞こえて来ていた。


 全体に西へ向かうよう指示を出し、隊列がぞろぞろと歩き出したとき、家臣から正体不明の人影多数との報告がある。

 隊列をゆっくり進めながら、そちらを確認に向かうと、雷のような轟音と共に、僕の数歩先の地面から火柱が上がった。


「こちら、地龍の牙リュミベート派遣隊である!」

 聞き慣れた声に、僕は僥倖を見出す。

「こちらは、ルヴァだ。ソムニ。来てくれたのか」


「ルヴァさん、レヴィアト村の大半が吸血鬼化したとの報告がありました。その場を動かないで下さい。レヴィアト村は、一定期間閉鎖され、人の出入りが禁止されます」

「大半? 今の所、一体が行方不明、四名の犠牲者が出たに過ぎない。それに、仙鬼の集団が村に接近してきている。乱戦になって散り散りになれば、それこそ吸血鬼の餌食にされる」


「しかし。吸血鬼化までの潜伏期間を考えれば、その人達を村から出すわけには」

 なんてことだ。避難もままならないなんて。

 しかし、夜陰に紛れて全容は分からないとはいえ、数百単位の地龍の牙がこんなに早く到着し、僕達の足止めをするとは。


 僕は、何もかもが計算尽くで、じわじわと追い詰められていく感覚に囚われる。

 何が狙いなのか。

 レヴィアト村を混乱に陥れ、沢山の人を犠牲にして、何を企んでいる?

 大型魔導石一つを奪うだけにしては、手が込みすぎてはいないだろうか。


〈提督。黒い影のようなものを一瞬ですが捉えました。そちらに向かっているようです〉

 黒い影がこちらに?

 僕は圧迫されて悲鳴を上げそうな心臓を深呼吸で抑えつけて、何とか冷静を保とうとする。何のために、ここまで手の込んだことを……。


 ――しまった!

「殿下!」

 僕が声を上げたとき、コルナ殿下は黒い影から伸びる細長い影をロングソードで受け止めているようだった。

 僕は水弾で黒い影を狙うが、まるで闇に溶けるように消えてしまう。


 背後の殺気に気づくと、無意識に展開した水の結界が黒い仮面の男が繰り出した突きを弾いていた。

「なんという精霊の加護! あなたも面白い」

 黒仮面が結界を切り裂くが、僕は刀を抜いてそれを受ける。空き時間を見つけては日本刀の扱いを練習していたからなんとか間に合った。


 黒仮面の男が飛び退く。

 僕は舌打ちをする。

「無詠唱の泥濘の魔法。只者ではない」

 黒仮面の男は嬉しそうに言う。

「ルヴァ、こいつは危険だ」

 コルナ殿下がロングソードを構えて僕の傍に立つ。

 オートンの家臣達が僕達に近づいてくる。


「来るな! 君らじゃ敵わない」

「好きです、そういうの」

 黒仮面の男が消えたと思うと、家臣の一人の首が落ちる。血が噴き出し、周囲の領民が悲鳴を上げる。

 僕は怒りに言葉を失いかけるが、殿下の呪いを思い出す。

「殿下、彼は名誉の戦死です」

「そなたの本音ではあるまい!」

 殿下は怒気を放ち、ロングソードを振りかざして黒仮面に迫る。


「ルヴァさん、何が起きているんですか?」

 ソムニの声に、僕の不安が増す。

「大丈夫だ。そこで待機していてくれ。行軍を続けるつもりはない」

「ルヴァさん、力になれることが……」

「頼む。信じて待っていてくれ」

 黒仮面は殿下の攻撃を軽々といなしながら、気付くと領民の首を刎ねていた。


「貴様ぁ!」

 殿下の叫び声が夜空に響く。

 僕は殿下の怒りが呪いを進めることを恐れ、領民や家臣の死を怖れる。

 咄嗟に思いついた祈りを口にしてみる。

「河龍レヴィアよ、あなたの美しい人の姿を現し給え。あなたの育みし無辜の民をお守り下さい」


 僕は背後に巨大な水の気を感じる。龍だ、という領民の声が聞こえる。

「ルヴァ様、危ない!」

 領民の誰かが叫ぶが、僕は振り向かない。視界に一瞬だけ頭をもたげた水龍の姿が見えたが、それは直ぐに美しい水の姫へと姿を変えた。


「手のかかる子じゃ」

 水の姫の両手に水流の剣が形成される。

「邪悪な影よ。妾が洗い流してくれよう」

 水の姫が飛び立つと、豪雨のような水飛沫が僕と領民達を濡らした。



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