第二章 武士マニア、はぐれる

第2章1話 潜空艦「朝凪」

 身体が浮き上がりそうで浮き上がらない、中途半端な浮遊感と共に、捉えどころのない焦燥、胸がざわめく感覚。CICと呼ばれた部屋の様々な計器類が、先程までと打って変わって忙しなく動いていることが分かる。


 凪は手摺りに掴まりはしているが、仁王立ちを崩さない。

「通常空間から観測していた以上のうねりです。時間軸上で流されるのを最小限にするため、浮上地点の変更を進言します」

「五時方向の森はやめってこと?」

「はい。その地点に拘ると十年程流される蓋然性が高いです」


 十年? 改めて、潜空艦って、タイムマシーンを兼ねてるってことか。その機能で未来から来たのか。

 いずれにせよ、十年も勝手にいなくなるわけにはいかない。僕が意図的に大型魔導石を持ち逃げしたと思われかねない。


「なるべくタイムスリップが少なくて、出来る限り近い地点で頼む」

「了解しました。潜航開始地点から絶対方位で二時の方向でしたら、辛うじて潜航開始四時間後、ぎりぎりリュミベート皇国領内に浮上出来そうです」

「ぎりぎり皇国領内? 潜空艦って、結構制約があるんだね。でも、四時間でそこへ行けるのはすごいのか……」

「浮上地点の任意性は、時空のうねり次第です。先程の提案でよければ、回頭を始めます」

「頼む」


「朝凪、回頭する。おもぉーかぁじ、いっぱぁい」

 先程から続く、身体は動いていないのに感覚だけ振り回される状況が、更に酷くなる。身体は質素な提督席に座ったままで、感覚だけは右に捩れたように動かされていく。


「提督。バイタルが低下しています。座席の下にエチケット袋が収納されていますので、ご自由にお使い下さい」

 その言葉を聞くと、急に胃の中の物が落ち着かなくなる。僕は慌てて座席の下の把手を引き、ビニール袋を取り出すと、遠慮無く出て来る物を出した。


「時空酔いといいます。霊体はフルアクティブなのに、艦内の物質を無理矢理擬似的な静的空間に固着させているため、霊体と肉体との大きなギャップが生じて感覚障害が起きます。すぐ慣れます。では、これから下げ舵しますので、気合いを入れて下さい」

「は? ちょっと待っ……」

「下げぇかぁじ」


 の、脳と精神を無理矢理剥がされるような……。

「うぉえぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」

「失神しないとは、見所があります。提督。エチケット袋は充分あるはずなので、失神しなければご自身や周囲を汚すことはないかと思われますよ」

「ぐえぇぇぇぇぇぇぇおぉぉぉぉぉうぅぅぅぅ!!!」

 嫌だ、ゲロまみれは……。

 頑張……。

「はぁっがぁっあぁぁぁぁぁぁぁぁぁうぇぇぇぇぇぇ!!!」



 ◆◇◆◇◆



 エチケット袋を何枚使用したか分からない。最後は胃液さえも残っておらず、とにかく胃が裏返るような感覚にひたすら耐えたと思う。

 服も周囲も汚していない。なんというか、それを目標に耐えた。


「あぁげかぁじ。朝凪、浮上準備」

 朦朧とした意識の中で、凪の声が淡々と響いた。

「舵中立。霊体パッシブソナー確認。物理干渉確認。よし。潜望鏡確認。提督、ご自身でもなさいますか?」


「え? あ」

 目の前の潜望鏡を覗いてみる。殆ど真っ暗で、よく分からない。黒に濃淡がある程度。

「暗くてよく分からない」

「慣れないとそんなものかと。浮上しますね」

「お願いします」

「朝凪、浮上する」

 感覚だけぐっと持ち上げられるような瞬間があり、次第に感覚と身体が馴染んでいくような調和を感じる。


「浮上完了。潜航開始から約三時間四十八分後です。地点はリュミベート皇国サーク直轄領内の森林です」

 地獄のように苦しい時間ではあったが、四時間近くも苦しんでいたとは思えない。

「あの、四時間もこの中にいなかったよね?」

「はい。そうですね。疑似的なものですが、乗艦者の時間感覚では一時間位かと。時空のうねりの中を移動するので、空間軸上だけでなく、時間軸上のズレも生じます。提督がさっき仰ったタイムスリップのようなものです」

「なるほどね。ところで……」


 洞窟を脱出することばかり優先していたため、ひとつ大切なことを聞くのを忘れていた。

「君がうちの倉庫から盗み出した大型魔導石だけど、今の潜航とかで、減っちゃったりするのかな」

「いいえ。あちらで確保した物は超高純度の半永久エリクシア鉱石ですので、本艦で使用しても質量が減少したり、質が劣化したりするものではありません」

「それを聞いて安心したよ。一目、確認しておいていいかな」


「長時間の被爆は人体に有害ですが、短時間なら問題ないかと」

「ひ、被爆!? 核燃料みたいなもの?」

「放射線とは全く異なります。霊体を超高周波で揺らす性質があり、長時間その影響下にあると、例えば人間なら感覚障害や、慢性霊体剥離などが起きる蓋然性が高いため、放射線の害になぞらえて被爆と表現されています」


 またよく分からない言葉が沢山出てきた。要は、放射線じゃないけど、放射線のように人体に有害な性質があって、取り扱いには注意が必要ということか。

 果たして、うちの父や家宰は、そういう危険性などをどれだけ理解して預かっていたのだろうか。何故、たかが剣狼騎随伴魔導師に過ぎない父に預けたのか。


 疑問を持ち始めればキリがない。

 しかし、悩んで答えが出る問題でもなさそうなので、まずは大型魔導石の確認を行うことにする。ぱっと見て終われば問題ないだろう。日本での、レントゲン検査みたいなものだ。


 凪に連れられ、艦尾方面にある機関部に向かう。艦内は本当にどこも狭く、油断すれば何かのボックスや、構造部の張り出しに頭や肩をぶつけそうになる。

 父や兄の高身長を羨ましく思ったこともあったが、ここでは僕の平凡な身長の方が過ごしやすいようだ。


「では、この部屋が機関室です。予めお断りしておきますが、エリクシア時空推進機関の原理や構造については提督の権限種類ではご説明致しかねますので、ご了承下さい」

「了解。聞いても多分、意味が分からないだろうし」

 凪が扉を開き、僕はガラスケースに入れられたサッカーボール位の大きさの七色に輝く石を見て、意識を失った。


 目を開けたとき、僕は狭苦しいベッドに横たわっていた。天井には配管や配線。恐らく、潜空艦のどこかしらの部屋なのだろう。

 身体を起こし、ベッドに腰掛ける姿勢をとる。


 頭が痛い。

 悪夢を見たあと、何を見たのかは忘れ、嫌な気分だけが残ったような感覚。

 真っ暗な中に、小さな白い点滅だけがひたすらチカチカ明滅を繰り返しているイメージだけは、辛うじて覚えている。

 それが何故、自分をここまで不快にしているのか、全く想像もつかない。


「提督は、霊的高周波が苦手な体質のようですね。かなり冷や汗をかいていらしたので、シャワーをお使いになられますか」

 扉の外から凪の声がする。凪が、ここまで連れてきてくれたのだろう。

 それにしても、シャワーか。日本にはそういうものがあった。ありがたい。

「そうする」


 凪に案内され、機関室に近いシャワー室に入る。脱衣所には簡単な棚があるだけで、シャワー室自体もとてもシンプルなものだ。脱衣所に隣接する小部屋に、洗濯機があるのが分かる。しかし、川での水浴びか、薪で湯を沸かす風呂かしかないこの世界では、簡単に身体をさっぱりさせられるだけでも実にありがたい。

 服を脱いでいると、扉の外から凪が声をかけてくる。


「提督。局地単独任務になった提督の精神衛生確保のため、特別に恋愛モードを選択できる条件が揃っています」

 なんだ、それ。如何にもろくでもなさそうな。

「選択しない」


「お待ち下さい、提督。恋愛モードを選択すると、シャワーで洗いっこしたり、ギュッとしたり、チューしたりすることも出来ますが、私みたいな有能で可愛い美少女とそういうことしたいとは思わないのですか」

 そういうの、自分で言うな。

「だから、選択しない」


「あの、前提督は娘にしか見えないからやめておくと仰ったのですが、ルヴァ提督はそういうことしたい盛りの若い男性なはずなので、遠慮なく……」

 僕はそれ以上返事をするのも馬鹿馬鹿しいのでシャワー室に入り、蛇口を捻る。数秒でお湯になり、頭からそれを浴びる。懐かしい感覚。頭から湯を浴びていると、ある意味で瞑想に近い心地になる。


「それで、あんなところやこんなところを洗いっこしたいとは思いませんか?」

「なに覗いてんだよ」

「いえ、若い男性の裸体を光学的に見るのは初めてなので、関心があって」

「それを覗きといいます。犯罪です」

「その、私、こう見えても周波数を揃えれば、ちゃんと柔らかかったり、張りがあったり、なかなかの触り心地かと思うのですが、恋愛モー……」

「選択しません」

「はい……」


 サッシが閉まる音がして、静かになる。英語でボディシャンプーと書かれたボトルに手を伸ばし、身体を洗う。この世界に石鹸はあるが、子爵家程度で使う物に香りはついていない。


 久々の芳香と爽快感に包まれながら、身体と髪の毛を洗い終える。頭髪用のシャンプーはコンディショナーと一緒になっているタイプで、髪にこの世界にはなかった艶が加わっている。


 水気を払いながら振り向くと、脱衣所のガラスに貼り付いてこちらを凝視する凪と目が合う。

 その、なんというか、潜空艦の戦術補助人格というのは、痴女のようだ。



 ◆◇◆◇◆



 凪を司令室(先程寝ていた部屋)に呼び出し、十七歳の女の子(本人曰く、そうらしい)が男性の裸を覗き見るのは非常にはしたなく、人間としてマナーに反すること、今後はしてはならないことを切々と説く。四十分も話したところでようやく理解したらしく、わかりましたという返事を聞くことが出来た。


「ところで、提督。ベッドの上であんなことやこんなことも恋愛モードなら……」

「選択しません。いくらA・Iとはいえ、人格を持った女の子を、立場を利用してどうこうというのは好みじゃないから」

「提督。私は人工知能ではありません。固定的肉体こそ持っていませんが、作られたものではなく、生きた女の子です」

「そ、そうなんだ」


 幽霊的なもの? でも、生きてる? 勝手に人工知能の画像イメージ的なものだと思っていたけど、違うらしい。疑問は深まるが、今は深く突っ込まずに置こう。

「そうなんです、生きた女の子なんです! 恋愛モード選択したくなりましたか?」

「余計に選択しません!」

 全く、恋愛モードを選択しませんかといいつつ、選択して欲しくて仕方ないんじゃないか。どういう境遇だったか知らないけど、とにかく恋愛とかなんとかかんとかに、興味津々なんですね。


 ん?

 凪が興味津々で恋愛モードを選択して欲しいということは、別に、僕が立場を利用して無理強いすることにはならない。

 凪は、水色の瞳をキラキラ輝かせてこちらを見ている。サラサラの長い髪、しっかりボリュームのある胸。真っ白な肌に、スラリと細い手足。触れば柔らかいって言ってたよな……。

 いかん。

 いかん、いかん!

 興味本位ですることではないはずだ。

 一度流されてしまえば、ズルズルと、それこそ盛りのついたお猿さんのように……。

 その過ちはもう、犯してはいけない。


「じゃあ、今後の方針なんだけど!」

 僕は意識して自分が今するべき事に集中する。

 まずは、僕と大型魔導石の無事を父に報せること。次に、代わりになる大型魔導石の情報を収集すること。そして、オートン領に無事に帰ること。


 凪と今後の方針を話し合い、僕達はその日の昼頃、サーク直轄領の中心都市であり、獣人の街とも言われるミアーナに向けて出発した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る