第7章4話 長兄と次兄
僕達は、将門討伐のために、自分たちの世界、時間に帰った。時空のうねりは大きかったが、それでも凪の努力のお陰で、出発してから1週間後というタイミングに到着できた。
潜空艦から降りると、まずは状況報告のため、知り合いの貴族の家で療養中のはずの長兄マルタンの元へ向かう。
朝の日差しが照らし出した正門前で待たされた後、やってきた当主から、長兄が次兄に連れられてオートンの所領へ戻ったとの知らせを受ける。
「ウリエン兄さんが?」
嫌な予感がして、背中に汗をかく。
ウリエン兄さんは、マルタン兄さんがオートン家の当面の後継者を僕に選定したことを知らなかったはずだ。しかし、慌ててマルタン兄さんを隠すように連れ帰ったとなると、何か後継者選定に関わるトラブルがあったのではと不安になる。
僕に言わせてみれば、領民が困らないなら誰が後継でも構わない。むしろ、妾腹の僕が後継者というのも気が引ける。
しかし、ウリエン兄さんの性格を考えると、僕の方がまだマシに思える。だから、マルタン兄さんに子供が出来て成長するまではと引き受けたのだ。
「領国に早く帰った方がよさそうだな」
コルナ殿下が心配をしてくださっている。
「はい。将門の怨霊について、陛下にお知らせしてからオートン領に戻ることにします」
「うん。それが良かろう」
◆◇◆◇◆
陛下への謁見を済ませた夜、俺たちは全員が潜空艦「朝凪」に乗り込んだ。
凪が、今の時空の状況ならば、「朝凪」を使うことでかなり早くオートン領に到着できるとのことだからだ。
今回もコルナ殿下が同道してくださっている。陛下の例の任務、僕の監視が建前とはいえ、なにかと心強い。
通常、帝都クロリヴからオートン領レヴィア村まで、途中で船に乗っても9泊はかかる。それを2日でオートン家の森の中に到着できた。
朝凪に初めて乗船した日に崩れた洞窟の裏手、仙鬼との戦いがあった山の一画に停泊する。
仙鬼たちが木を倒したことで出来た開けた場所があったからだ。
いつも通り夜に浮上し、僕達が降りたあとは凪に任せ、潜望鏡深度で待機させる。
そのまま、オートンの屋敷に急ぐ。
森を抜けて、オートンの屋敷に着く。庭を抜けて玄関をノックする。
反応がない。
何回かノックしていると、中からようやく人の気配がする。
「なんだぁ、こんな遅い時間に」
横柄な声が聞こえる。
扉が開くと、ウリエン兄さんの家臣が不機嫌そうに顔を覗かせる。
「ひっ」
家臣は驚いた顔をすると、扉を閉めて、鍵をかけたようだ。
「し、少々お待ち下さい」
武門の家柄を重視するオートンで、夜だからとだらけた対応をする家臣はいなかった。なぜ、ウリエン兄さんの家臣が扉番をしているのだろう。
しばらくすると、慌てたような足音が二つ近づいてきた。
扉が開くと、ウリエン兄さんが寝間着のまま外に出てくる。
「兄さん、コルナ殿下が同道中ですよ」
「な! き、着替えてくる」
「構わない、ウリエン殿。遅くにぬけぬけと着いてきた私に非がある。そのままで」
「そ、そうですか?」
「うん」
ウリエン兄さんは、もう納得してしまった様子で、寝間着のまま立て膝をする。
「それで、マルタン殿の様子は?」
「はい、そのことですが、非常に悪いのです」
「そんな、マルタン兄さんの怪我は一段落ついて身体を動かす練習の段階だったはずです。何があったんですか」
「何があっただ? ルヴァ、お前、少し手柄を立てたからって生意気な口を聞きやがって。悪いもんは悪いんだよ! だから、お前みたいな奴の穢らわしい血を近づけたくないんだよ。――殿下、殿下にはしかるべきときにお会いいただくつもりです。ですので、大変恐縮ですが、今夜はノワの実家にでもお泊まりいただけるよう手配しますので」
ノワの実家とは、既に引退したノワの祖父が暮らしている村はずれに近いエペー家の屋敷のことだ。
ウリエン兄さんに何度話してもマルタン兄さんには会わせてもらえないと理解して、僕たちはエペーの屋敷に向かう。
ノワは、少し準備があるといって、双月に乗り先行して行った。
「ルヴァ殿」
「はい、殿下」
「嫌な予感がするな」
「はい……まさかとは思うのですが」
「お兄ちゃん、私が確かめてこようか?」
レナが黒マントの裾を揺らしながらこちらを見る。
「このマントつけて、忍び込もうか」
「……そうだな。頼む」
僕はため息をつく。
まさか? いや、充分にあり得る話だ。ウリエン兄さんなら、障害を負った兄を見捨てることが出来てしまう。
レナが踵を返す。
最悪の事態を考えると、背中に脂汗が浮くような気分だ。
ノワの屋敷に着いた僕達は、いつでも非常時に対応できるよう着替えもせずにレナの帰りを待つことにした。
◆◇◆◇◆
レナが一階の窓を外しても、誰ひとりとして気づいた様子がない。
以前、この屋敷に泊まらせてもらったときは、武人らしく隙の無い家臣達が神経質なまでに警戒していたというのに。
屋敷に潜入したレナは、念のために黒マントを深く被る。僅かな魔力で姿を消すことができる代物なので、全身すべて覆ってしまえば、おそらく誰にも何も見えないだろう。
足音に気をつけながら、まずは二階のマルタンの部屋に向かう。当主用の部屋にいる可能性もあるが、効率良く回るにはその方がいいからだ。
階段を昇り、執務室の前を通り過ぎようとして、ふと足を止める。
「ウリエン様、後生です。どうかお許しを」
女の声だ。
「お前の夫は俺の摂政にケチをつけたんだぞ。その場で手打ちにしてやろうと思ったが、お前の忠義に免じて許してやったんだ。お前の身体ひとつで恩に報いることができるんだから、もう大人しくしろ」
……摂政。
その言葉に、レナはウリエンが権力の虜になっているのを感じる。
ルヴァの長兄であるマルタンは、戦はともかくとして、日常の政務をこなすのに何の問題もなかった。
それなのに摂政するというのは、あまりにも不自然だ。
レナは執務室を離れ、マルタンの部屋に向かう。
到着して、扉のノブを回す。鍵がかかっているので、針金を使ってたやすく開けてしまう。
扉を少し開くと、カーテンも閉められて真っ暗な部屋の中に潜り込み、扉を閉め鍵をする。
足音を立てないよう、ベッドに近づく。
カーテンの隙間から漏れいる星明かりが、マルタンの端正な顔立ちを浮かび上がらせている。
……これって……。
呼吸がない。とっさに首筋に触れて脈をとるが、冷たく強張った身体に鼓動は全くなかった。
――どうして?
レナの夜目で部屋の様子を見ても、争った形跡などはない。ついでに、後で必要になりそうな物を探す。いくつかを手に取り、扉の前まで戻る。
気配を探るうち、廊下の物音に気づく。
先ほどの女のものと思われる泣き声と、ウリエンの激しい息遣いのようだ。
――廊下で!?
ウリエンの元では、家臣があのような無体な行為を諫めることもできないのか。
呆れたレナは、マルタンの部屋の窓を開ける。
庭にも警備の人影はなさそうなので、そこから飛び降りる。
結局、エペー家の屋敷に戻るまで誰とも会わずに移動できた。
迎えてくれたルヴァを、思い切り抱きしめる。レナの報告にまた胸を痛めるに違いないからだ。
そして、そのような主だからこそ、レナは今後自分の兄と戦うことになってももう迷ったり戸惑ったりしないと、決意した。
◆◇◆◇◆
レナからの報告を受けた夜、僕は眠れなくてベッド脇に腰掛けて頭を抱えていた。
冷徹な人だと思っていたマルタン兄さんは、その裏で誰よりもオートン家のことを思っていて、その一念ゆえの冷たさだったのだ。
しかし、ウリエン兄さんは、自分勝手で権力に憧ればかり持ち、それを手に入れれば増長して我を失なう、そういう人のままだ。
マルタン兄さんが殺害されたかどうかは、よく分からない。本当に、たまたま運悪く感染症で亡くなったということだってありうる。
問題は、それをいち早く領内と陛下に伝えることをせず、マルタン兄さんの死を隠していることだ。
ウリエン兄さんは、僕がマルタン兄さんの後継者になっていることを知らないはずだ。しかし、もしどこかからそのことを知ったのだとしたら、マルタン兄さんの死を隠すことに意味が生まれてくる。
もし、そうだとしたら――
都の貴族に、内通者がいる。
その内通者次第では、他家を巻き込んだ跡目争いになりかねない。
このところ、苦しい状況に追いやられているオートンの領民達を巻き込むことになってしまう。
全ては、まだ調べ始めたばかりのことだ。確定されたことは、マルタン兄さんが既に亡くなっていること。そして、現時点ではその死が隠されているということ。
ドアがノックされる。
「ルヴァ殿、起きているか」
「はい、殿下」
「ならば、話しておきたいことがある」
僕は入ってくださいと答える。殿下は入ってくると扉を閉める。
「殿下、ご迷惑をかけてはいけないので、扉はお開けください。私達は未婚の男女ですから」
「かなり内密の話なのだ……、それに、ルヴァ殿となら、そういう噂も構わない……いや、今のは聞き流して欲しい」
そういって、殿下はソファに腰掛ける。
僕も立ち上がり、殿下の正面に座る。
「恐らく、ウリエン殿はオートン家の後継がルヴァ殿であることを知っている。私の知り合いの貴族が、ウリエン殿を自陣営に引き込もうとする動きをつかんでいるようだ」
「どの、勢力でしょうか。私達剣狼騎派閥と対立しているといえば、氷狼騎でしょうか」
「剣狼騎なのだよ、それが」
「そんな。オートンは昔から剣狼騎の随伴魔導師なのに」
「だが、ミリアム殿は昔気質で御しづらく、マルタン殿も独自のやり方を模索していた。その点、剣狼騎にとって扱いやすいメンバーではなかったわけだよ」
「なるほど。その点、家督や権力だけに興味があるウリエン兄さんは扱いやすい、ですね……」
「うん。後継の件をうまくサポートできれば、オートンは派閥にドップリ浸かるわけだ」
「危うく、剣狼騎筆頭のラーム公爵家に仲裁を頼ってしまうところだった……」
「それではラームの思う壺だな」
僕は頭を抱える。味方に足を引っ張られる状況に辟易とする。
「ルヴァ殿、宮廷の鼻つまみ者である私にも、何人か信用できる相手はいる。出来る限りルヴァ殿の力になろうと思っている。頼って欲しい」
「ありがとうございます、殿下」
そう言い終わったとき、ふととめどもなく涙が溢れ始める。
「あれ、なんでだ……」
「泣いていい、いいんだ、ルヴァ殿。そなたの言ったことだ」
殿下はそう言うと、僕を抱き寄せる。温かな膨らみに包まれる。
「泣いていい」
「殿下……」
その夜、止まらない涙が枯れるまで、殿下は僕を抱きしめていてくれた。
そして、朝、僕は強い心で起き上がった。オートンの正式な後継者として。欲に溺れた愚兄と戦うために。
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