第2章2話 破戒僧との再会

「かなり高い城壁ですね」

「ここはリュミベート皇国の最前線だからね」

 潜空艦を降りた僕と凪は、サーク直轄領の中心都市であるミアーナを訪れることにした。ここにはサーク直轄領の領庁があり、ソユル教の大教会もある。


 ミアーナなら、僕の無事を報せる連絡手段も、大型魔導石に関する情報も、両方期待できる。

 サーク直轄領は、八十年前の戦争で飛龍山脈に本拠を持つ魔族の諸部族から奪い取った土地なので、皇国の最前線にあたる。城壁は高く、その上には対空強弩がずらりと並べられている。


「街に入るのに、制限がありそうですね」

 城門の前に、行列が出来ている。僕達もその列に並び、前の様子を見る。

 住民や定期の行商は専用の符合で通過出来るようだが、そうではない人間は専用の小屋に通されている。入城目的などを聞かれるのかも知れない。


「この時代のリュミベートと飛龍騎諸部族は平和的な交流をしていると聞きましたが、かなり物々しい警備ですね」

「平和的な交流といっても、互いに腹を探りつつ、利鞘の大きい交易品だけ選んで取引するくらいらしいよ。大学時代にアルバイト先で知り合った神官の人が教えてくれたんだ」


「神官とアルバイト先で知り合うことなんてあるんですか」

「ギャンブルの借金を返すために冒険者の手伝いをしてる変わった人だった」

「神官がギャンブルですか」

 そんなことを話しているうちに、僕達も衛兵に審査用の小屋へと案内される。


 簡素な木造の小屋には、カウンター代わりに粗末な長机が置かれていて、その奥には如何にも役人風な男がおり、長机の手前には屈強そうな兵士が二人控えている。

 先に入っていたのは兎の獣人の若い女で、役人風の男と揉めているようだった。


「私、神官様の言葉を信じて、本当に何も持たずに来たんです。それなのに街にも入れないなんて! 傷物にされて、もうお嫁にも行けないのに」

 ピンク色の長くてボリュームのある髪を振り乱して、獣人娘は頭を抱えている。胸の形も露わなタイトなシャツに革のベスト、ショートパンツという出で立ちで、農奴として働く獣人娘にありがちな服装をしている。


「そう言われてもねぇ。金も商品も持たない人間を街に入れる訳にはいかないんだよ」

「お願いします、お役人様。私、スパーダ=ザナルディという神官様に俺の名前を出せば街に入れるって、そう言われて来たんです。本当なんです」


 僕は知っている名前を聞いて、獣人の女と役人とのやり取りに関心を持つ。

「あのねぇ、ザナルディ様といえば、この町の大教会の大司教様だよ。それが、あんたみたいな獣人の田舎娘に手を出すなんてあり得ないんだよ」


 いや、充分あり得るけど。僕は喉から出かかった言葉を飲み込んだ。しかし、あの人が、大司教?

「本当なんです、お役人様! ミアーナに家を買ってやるから傍にいて欲しいって仰って。そりゃあ、神官様の愛人なんて褒められたものじゃないかも知れませんが、私、これでやっと、貧しい村での暮らしを抜け出せるって信じて」

 獣人の女は長机に突っ伏して泣き始める。


 役人は暫く困ったような顔をしていたが、やがて兎風の獣人の手を取り、少し優しい声になる。

「よし、あんたの事情はよく分かった。その話、奥でもう少し詳しく聞かせて貰えるか?」

 顔を上げた獣人娘の身体を眺め回し、役人はいやらしい笑顔を見せる。

「本当ですか!? お役人様!」


「ちょっと待って下さい」

 役人と獣人娘の視線がこちらに向けられる。役人は怪訝そうな表情で、獣人娘は驚いた様子だ。

「スパーダ=ザナルディだったら古い知り合いです。僕なら、恐らく彼女の力になれると思います」

「あんたねぇ、大司教様の古い知り合いだって? 証拠はあるんですか?」

「証拠になるかは分からないけど、これ」


 僕は魔導学士の証である宝石を取り出す。虹龍の爪と呼ばれる希少な宝石で、動物の爪のような形に、虹色の輝きを持っている。魔導学士に認定されると、その宝石をネックレスに加工した物を学長から渡されるのだ。

「スパーダ=ザナルディがクロリヴ教区で治安任務に就いているとき、僕は魔導大学にいて、彼と知り合ったんだ」

 バイト先の冒険者パーティで、とまでは言わなかった。


「ま、魔導学士様ですか……」

 役人は獣人娘に対して、嘗めるような視線を送りながらも、もう一度虹龍の爪を見る。

「魔導学士様でしたら、一言仰って下されば優先してお通ししたものを。隣の方は?」

「従者です」

 凪が平然と答えた。

「そうですか。あの、魔導学士様の手を煩わせずとも、この獣人の件は私で処理しますが……」

 何を処理するのか。自分の性欲? 出かかった言葉を、僕は飲み込む。


「いえ、これも何かの縁です。彼女は必ず私がスパーダ殿に引き合わせて、然るべき処置をとらせます。あなたの迷惑にならない形で。私は、ルヴァ=レヴィアト=オートン。剣狼騎随伴魔導師ミリアム=ドーデ=オートンの三男で、精霊魔導学士です」

「わ、分かりました。魔導学士様がそこまで仰るなら……」


 役人は惜しそうに獣人娘の身体を眺めつつも、諦めたように衛兵に合図をした。

 魔境が近い前線の街では、魔導師の立場は強い。ミアーナのような前線の都市なら尚更だ。

 衛兵は捧げ剣の敬礼までして、丁重に僕達を通してくれた。


 ◆◇◆◇◆


「ありがとうございます!」

 長い耳をピンと立て、ピンク色の髪を揺らしながら獣人娘は嬉しそうに礼を言った。

 娘の名前はナーシャといい、この近郊の村に慰問に訪れたスパーダに見初められ、その日の内に関係を持ち、彼を追いかけてこのミアーナまでやってきたということだった。


「提督」

 凪が僕をナーシャから遠ざけて耳打ちする。

「彼女は嘘を言っています」

「まぁ、いいんだよ」


 どっちにしても、彼女は役人に色目を使うなりなんなりして街に入っただろう。どうせ同じ結果なら、目の前で役人の餌食にされるのを見るより、それを回避した方が、僕にとって精神衛生上いい。

 この後はスパーダに引き合わせるだけ引き合わせて、責任の所在を彼に移したら、僕の役目は完了する。彼女の言い分がどこまで真実かは分からないが、まぁ、あの人は、それくらい女で面倒な思いをしてもいいと思う。自業自得というやつだ。


 大教会までの大体の道程は、衛兵が教えてくれていた。大通りを真っ直ぐ行き、別の大通りとの十字路まで出れば尖塔が見えるらしい。


 この街は、領土割譲から暫くの間に、何度か戦火に見舞われた歴史がある。決して綺麗な町並みとは言えない。古い火災の痕跡や、細かな傷、欠損のある建物も多い。

 それでも大通り沿いには多くの商店が立ち並び、特産品のサーク芋を使った様々な食材や、近隣の獣や魔獣の革を使った製品、角や骨を使った武器や道具が売られている。

 見かける人々の半分以上は獣人で、前線の街に屯田兵として送り込まれた獣人の子孫が多いという、以前に聞いた話の通りだった。


 街並みに目をやりながら歩く僕を、ナーシャはチラチラと気にしながら歩いている。凪はそのナーシャを観察しながら歩いているようだった。

「あの、オートン魔導学士様は、どうしてミアーナまでいらしたんですか」

「うん。旅の途中、成り行きで遠回りすることになって。そのことを父に報せる手段を探しに来たんだ」

「どんな目的の旅なんですか」


 はて。どう答えるのが無難なんだろうか。魔導石探しとは言わない方が良さそうだ。

「少し、捜し物があって」

「そうですか……」

 ナーシャは気を使ったのか、それ以上その話題には触れなかった。


 代わりに、魔導学士になるのはどれ位大変なのか、とか、いい仕事に就けるのか、とか、そんなことをしきりに聞いてきた。

 僕が魔導学士になれたのは、指導教授がごり押ししてくれたことと、学部長と個人的に親しかったことが大きくて、割とコネで貰った感覚が強い。僕は人付き合いが得意な方ではないが、癖が強い人には妙に気に入られることがあるのだ。


 通常は、論文や実技の厳しい審査を何回も受けて貰えるものらしく、一線級の魔導師として認められた証になるらしい。ちなみに、魔導大学には卒業の制度はないため、ある程度魔導学を修めるとか、魔法を使えるようになるとか、仕官先を見つけるとか、自分なりの目的を果たした学生は、自分のタイミングで大学を去る。

 だから、世界中から集まる学生の中でも、学士号を得る者は数年にひとりくらいらしく、希少性はある。


 とはいえ、それはあくまで箔がつくだけであって、それを仕官に結びつけるには別のコネが重要になる。いわゆる、社交界でのお付き合いだ。

 僕はそっちがからっきし駄目だったので、父を納得させるような仕官先は見つけられなかった。


 もちろん、冒険者なり傭兵なり、在野の仕事をする分には魔導学士の称号だけで困ることもないだろうが、そんなことをすれば父がひっくり返るだろう。


 そんな内容を、当たり障りのない程度に簡略化して話していると、ナーシャは目をパチクリさせながら、別世界の話を聞くように興味深げに頷いていた。

 ナーシャのように辺境の寒村で必死に生きている身からすれば、貴族の息子が過ごす世界の話など、あまりに世間からかけ離れており珍しいのだろう。


「その不思議な形の剣も、魔導大学の物なんですか?」

 ナーシャが僕の腰に下がっている日本刀を珍しそうに見ている。

「ああ、これは、ある地域に伝わる特殊な製法の剣なんだけど、魔法とは関係ないよ」

「へぇ」


 衛兵に教えられていた十字路までくると、確かにサーク大教会の尖塔が見えた。先端には簡略化された金の太陽のモチーフがギラギラと輝いており、太陽神を頂点としたソユル教の権威を示していた。


 その手前にも大規模な神殿があり、それは光化神ミアナキスを祀る龍伐神殿のはずだ。

 光化というのは、純人族に支配された民が祀る異教の神が、太陽神ソユルへの永遠の服従と忠誠を誓うことでソユルの眷属として迎えられることだ。

 幾つかの宗教的手続きと服従を示す定期的な上納によって、ソユルの従属下にある神、光化神として、信仰を集め続けることを許されるのである。


 獣神であるミアナキスは、もともと多くの獣人種族に広く信仰されてきた神で、獣人が多いサーク直轄領では最も信者の多い神だという。そして、ミアナキスの加護の元、約八十年前の飛龍戦争で功績を立てた獣人の戦士達が建立したのが龍伐神殿だと聞いている。


 そして、その隣に、それ以上の威容をもって輝くのがサーク大教会なのである。

「ナーシャ、緊張してるの」

 段々とナーシャの表情が強張っていくのを感じて、声をかける。

「はい。もし、まともに取り合って貰えなかったらと思うと」

 確かに、のらりくらりと逃げられることはあり得そうだと思う。とにかく、べらぼうに腕は立つが、金と酒と女にだらしない男だった。あれが大司教とは。


 壮麗な大聖堂の前で、僕は少し思案してから、裏口を探すことにする。

「正面からは入らないんですか?」

 不安そうに尋ねるナーシャに、僕は確信を持って答える。

「取り次ぎの人に頼んだら、まず逃げると思うよ。それより、そろそろ宵の街に繰り出す頃だから、通用口に張っておくのが正解だと思う」

「それ、どんな大司教ですか」

 凪が当然の疑問を述べる。

 どんなって、絵に描いたような破戒僧ですが。


 僕は大聖堂前の広場の片隅から、狭い路地を見つけてそこを進む。案の定、関係者用の出入り口を見つけたので、三人で物陰に潜むことにする。

 ここはオートン領に比べてかなり北にあるため、日暮れが近づくと共に肌寒さが増してくる。腕を組んで寒さに備えていると、ナーシャがぴったりと身体をくっつけてくる。


「慣れないと寒いですよね」

 そう言って腕を絡ませて僕の肩にフワフワの髪の毛を寄せてくる。大きな胸が肘に当たり、柔らかくて温かい。

 しかし、これから遊び人の男を問い詰める女がすることだろうか。


「提督」

 凪の声に、僕は大聖堂の通用口に目をやる。

 茶色いコートのフードを目深にかぶった長身痩躯の男が出て来る。紺色のカールした髪に、薄茶色の瞳。何より、その鋭い眼光。間違いない。

「スパーダさん! 久しぶり」


 男はギョッとした顔でこちらを見たが、すぐにリラックスした表情になった。

「なんだ、水の大魔導士のガキか。驚かすなよ。借金取りかと思うだろうが」

「相変わらず、自由にやってるみたいですね」

「神の御前で人は皆自由なんだ」

「教義っぽく滅茶苦茶言うのも懐かしいです」


「提督」

 僕は凪に目をやる。

「この子は、僕の従者でナギといいます」

「可愛いなぁ。もうヤッたのか?」

「あなたと一緒にしないで下さい」

「提督」

「何?」


「ナーシャがあなたの日本刀を持ってあっちへ走って行きました」

 確かに、先程まで僕に引っ付いていたはずのナーシャの姿と、腰の日本刀がない。

「あれ? いつの間に」

「私はさっきから声をおかけしていました」

 しまった。ナーシャの目的はスパーダさんじゃなかったのか。


「なんだ。にほんとうって」

「領地で待ってる従者がくれた、大切な剣なんです」

 スパーダさんがニヤリと笑う。

「今夜の飲み代持ってくれんなら、手伝うぞ」

「心あたりがあるんですか?」

「もちろん」


 スパーダさんは、ただ酒ただ酒、と繰り返しながら余裕の表情で歩き始める。

 凪が僕にそっと耳打ちする。

「ナノ・ドローンを使って追跡はしていますが……」

「旧交を温める価値がありそうだから、ついて行く」

「了解しました」

 僕と凪は、チンピラのように大股で歩くスパーダさんの後について、ミアーナの裏通りに足を踏み入れた。

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