第7話

「これでよし……と」



 そう言ってゼアルは、イハサの服の一部だったものでラクリエの肩を縛った。あの後すぐに二人はラクリエに血を飲ませ、止血した上で傷口を縛った。本来ならば十分とは言えない処置だが、眷属であればこれで十分なのだとか。



「よし、それじゃあさっさと移動するぞ」



 ゼアルが未だ意識の無いラクリエを担ぎながら言った。



「待って下さい、一体どこに行くつもりなのですか?」


「このまま北上してミッドランド領内に入り、そこでもう一人の眷属と落ち合う。それから西のナダル地方に行く予定だ」


「ミッドランド領内に入る!? ライル! 我らの敵はミッドランドなのですよ? 分かっているはずです!」


「無論分かっている。だがこの状況、多くの人はまず近くの町を目指すのではないか? だがそれ故に、敵にとってもその行動は予測し易い。逆に我らが進んでミッドランド領内に入ってくるとは思わないだろう。だからこそ行く意味がある」


「そ、それは……」


「それにイハサ、先ほども言ったが、我の名はゼアル、ライルというのはあくまで偽名にすぎん」


「わ、分かっているのです……」


「そうか、それなら先を急ぐぞ」



 そう言ってゼアルは、ラクリエを背負ったままさっさと歩きだしてしまう。


 先程ゼアルは、ラクリエを死なせたりはしないと言った。その後の処置を見る限りそれは真実なのだろう。だが同時に紳士的で好青年だったライルと、強引でデリカシーに欠けるゼアルとのギャップに、イハサは戸惑うのであった。




 それから三日が過ぎた。ゼアルの作戦が功を奏したのか、現状ミッドランドの兵たちに捕捉される事なく逃げ延びている。そんな中、三人はミッドランド南の森でゼアルのもう一人の眷属であるヴァルナと合流を果たす。



「お久しぶりですゼアル様。ゼアル様がご不在の間、とても寂しかったんですよ」


「そうか、済まない。ヴァルナにも面倒をかけたが、再会できて何よりだ。早速だが、頼んでおいた服をこの二人に着せてやってくれ。我の新しい眷属だ」



 そう言ってゼアルが紹介したのは、三日前に眷属になったラクリエと、その部下であるイハサ。



「初めまして、ゼアル様の第一眷属であるヴァルナでず。以後お見知りおきを」



 ヴァルナがそう自己紹介する中、ゼアルはひそかに首を傾げる。



(第一眷属? 我の眷属にそのような概念は無かったはずだが……)



 まあ最初の眷属であるという事を大袈裟に言っているのだろうと、ゼアルは勝手に解釈した。



「ええと、ヴァルナさんが最初なら私は二人目、ってことでいいのかな? ラクリエと申します。そしてこっちが……」


「……イハサです。よろしくお願いします」



 三者三様の挨拶を交わす三人。特にラクリエは、自分のあずかり知らない所で環境が激変してしまったにも関わらず、その言動に悲壮感は微塵も感じられない。


 ラクリエの意識が戻ったのは、あの夜から丸一日ほど経ってからだ。最初こそ自分の置かれた状況を神妙に聞いていた彼女だったが、すべてを理解した時に真っ先にとった行動は、落ち込むでも取り乱すでもなくまずはゼアルとイハサにお礼を言い、そしてイハサを慰めることであった。


 成り行きで彼女を眷属化したものの、彼女自身に価値を見出せずにいたゼアルも、この行動には考えを改めざるを得なかった。



「ところで随分と用意がいいんですね。服の件もそうですが、事前にヴァルナさんをミッドランド領内に潜入させていたなんて。まるでこれから起こることを知っていたとしか……」



 イハサがそんな疑問を口にする。



「ヴァルナは優秀でな。断片的にではあるが、実際知っていたのだよ」


「知っていた?」


「うむ、近々ラクリエの身に危険が迫る事と、そこにミッドランドが絡んでいる事。故に我が近衛としてハーノインに、ヴァルナがミッドランドの町に入って動向を探っていた。後はお互いに使い魔を通じて連絡を取り合っていたという訳だ」


「なるほどそういう事ですか……」


「ヴァルナの話によると、ここからそう遠くない場所に町があるらしい。だがお前たちの服では目立ち過ぎるからな。合流前に服を調達しておくように頼んでおいた」



 言われてラクリエとイハサは、お互いの服装を確認する。袖の無くなった民族衣装と、見るからに高級そうな王女の服。共に血痕付きである。目立たない訳がなかった。



「今着ている服はここで燃やしていく。万に一つでもミッドランドの兵に見つけられたら面倒な事になるからな」



 二人はヴァルナから服を受け取ると、隠れるように茂みの奥へと入っていくのだった。




 夕刻、実に三日ぶりとなるまともな食事。それを終えた一行は、衣服を燃料にして燃える焚火を囲む。丹念に燃やされていくそれらを、持ち主だった二人はどこか複雑そうに眺めていた。



「ところでゼアル様、新しいお召し物を頂いたのは有り難いのですが、これを買ったお金はどうなされたのですか?」



 ラクリエがふとそんな疑問を口にする。



「家が裕福だったのでな。旅に出るに当たって換金に使えそうな物は持ってきた。だが……」


「だが……?」


「元々一人旅の計画だった故、このまま何もしなければ数年で金は尽きるだろう」


「シビアな問題ですね」


「一度家に帰るのもありかもしれんが、これから向かうナダル地方は小国家の乱立する場所、そろそろ国の一つでも乗っ取ってみるのも面白いかもしれんな」



 国を乗っ取る。ゼアルの言葉に、ラクリエとイハサは僅かに身を強張らせる。



「えっと、その……、乗っ取るっていうのはやっぱり反乱を起こすって事なんでしょうか?」


「それも一つの手ではある。だがそうだな、その後支配する事も考えるなら、スマートなやり方の方が好ましいだろうな」


「スマート……、では圧政を敷いている国を狙うのはどうでしょうか? そこでゼアル様が善政を行えば、国民も喜んでゼアル様に忠誠を誓うのでは……?」


「うむいい案だ、だがそれだけでは弱いな、例えば……」




「っくしっっっ!!」



 そして夜、イハサは自分のくしゃみで目を覚ました。火は既に消えていたが、月明かりのおかげでどこに誰がいるのかくらいは視認できる。



「あ、ごめん寒かった? 一応消しておこうかと思ったんだけど……」



 イハサに気付いて声をかけたのは、イハサと共にゼアルの下に付いたラクリエだった。



「……まだ起きていたのですか?」


「うん、何だか眠れなくて」


「無理もありません。この三日で本当に色んなことがありました。ミッドランド軍に襲われ、ゼアルの眷属になり、王国での立場を失いました。それに加えて今度は国盗りです。わし自身、あまり現実味を感じられていないですから」


「……うん、イハサもそうなんだね」



 何となく、ゼアルたちの方を見た。木に寄りかかって寝るゼアルと、そのゼアルに寄り添うようにして眠るヴァルナ。その光景に、何故だかイハサはむっとする。



「仲良さそうだね」


「……そうですね」


「もしかして、ちょっとだけ妬いてる?」


「や、妬きませんよ! わしが好きだったのはライルの方であって、ゼアルではないのですから」


「えぇ、同じ人なのに……」


「同一人物なだけの別人なのです」



 イハサの言い分に、思わずラクリエは苦笑してしまう。



「私はゼアル様の方が好きだよ? 何ていうか、着飾ってない自然体のゼアル様っていう感じがする」


「ひ、姫様!?」


「前に喋るカラスを見たって言ってたよね? そのカラスがゼアル様の使い魔なのは言うまでもない事だけど、つまりゼアル様が仲間にしたいと思ったのはイハサの方なんだよ。私はただのオマケ」


「そ、それは……」


「ううん、それが不満だとかそういうんじゃないの。ただゼアル様にとって、イハサもヴァルナさんも同じく特別な人で、だからヴァルナさんに対して引け目を感じる必要はないんじゃないかな、って私は思うよ」



 そう、ゼアルとヴァルナは愛し合っているというよりは、ヴァルナのアプローチに対してゼアルは来るもの拒まずのスタンスを取っているように見える。つまりまだどうとでもなるとラクリエは考えているのだ。



「あ、あのですね姫様、何度も言いまずがわしはゼアルの事なんて何とも思ってないのです。姫様の主君なので命令には従いますが、それ以上でも以下でもありません」


「……そうなの?」


「そうです」


「ふうん……」



 しかし何を思ったのか、言ってラクリエはすっくと立ちあがる。その行動に、何となく不穏なものを感じるイハサ。


 するとラクリエは、そのままゼアルの元まで移動して、ヴァルナの真似をするようにゼアルの体を枕にして横になった。



「え、ええっ!?」



 イハサが漏らした声も完全にスルーして、早くも狸寝入りを始めてしまうラクリエ。しかしこうなってくると寂しいのはイハサである。少しの間ぐぬぬと三人を眺めていたイハサだったが、やがて根負けしたように自ら三人の中に混ざりに行くのだった。



「さ、寒いからですからね!」



 なんて言いながら。

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