第6話
地下室の奥、物資の保管庫と思われる場所に、壁を背にして並べられた高さ二メートルを超える戸棚が五台並んでいた。
「ええと、多分この戸棚の奥だと思うんですけど、近衛さんたちに動かして貰ってもいいでしょうか?」
ラクリエは奥から二番目の戸棚を指して、控えめにそう命令する。
数人の近衛兵たちが協力して戸棚を動かすと、確かにその奥には、人一人が通れそうな大きさの通路が存在していた。
「明かりが必要ですね」
イハサがそういって壁掛けのランプに手を伸ばすが、
「先頭は私が歩きましょう」
そう言って先にランプを取っていく人物の姿があった。
「ライル……」
「はい。古い通路のようなので何があるか分かりません。イハサ様……いえ、ラクリエ様とイハサ様は私のすぐ後に付いて来てください」
「は、はい」
ライルは近衛兵なのでこの場にいるのは当たり前なのだが、イハサ自身は全く考慮していなかったらしい。戸惑いながらもライルの言葉に従った。
どれくらい歩いただろうか。急ぐのであれば走るべきなのだろうが、何分暗くて足場も悪い。走って転倒でもしようものなら却ってペースが落ちてしまう。それ故にライルは、少し速足程度のペースで歩いてきた。その甲斐あってかここまで何事もなく進んでこれた。そしてようやく一同は、抜け道の外、月明かりの差す出口にたどり着く。
まずは先頭を歩いてきたライルが一歩進み出て、はたと立ち止まる。続けてイハサがその前に出ようとして、ライルの制止を受けて立ち止まった。
「な、何を……」
言いかけてイハサは絶句した。出口を取り囲むようにして並んだ無数の兵たち。その全てがミッドランド軍の鎧を身に纏い、武器を構えていた。
(待ち伏せされていた……!?)
イハサは一瞬で理解した。敵の主体はミッドランド軍かもしれないが、ハーノイン軍の中にも彼らと内通した者がいる。そうでなければこの状況に説明がつかない。
だがそれが分かったところでもはや袋のネズミ。打つ手はなかった。
「ぬ……抜け道に立てこもって時間を……」
「稼いでどうする」
「…………え?」
予想外に強いライルの口調。イハサは思わず言葉を失う。
「抜け道を利用すれば時間は稼げるだろう。だが、所詮は十人にも満たない少勢。助けが来るまで持ち堪えるのは不可能。それどころか、敵の援軍が来る可能性の方が高い」
「…………っ!!」
「見たところ敵の数は八十といったところか。ここは兵の練度を信じ、損害覚悟で打って出た方がまだ可能性がある」
ライルの言う通り、抜け道に立てこもったところで文字通りジリ貧。ラクリエが助かる可能性は皆無。それよりも打って出た方が、まだ助かる可能性は高い。数の上では十分の一だが、ラクリエを守る近衛兵はエリート中のエリート。加えて天才との呼び声高いイハサもいる。このような状況でもなければ採用しない案ではあるものの、決してない話でもなかった。ある一点に目を瞑れば……。
「イハサ様、ラクリエ様は私が守ります。命に代えても指一本触れさせはしません。故、どうか思うままに戦ってください」
「……そうか」
不思議な男だと、イハサは思った。この男はまるでこれから起こることが分かっているかのように早くて的確な判断を下す。晩餐会の時に、自分がライルに惚れているなどとラクリエにからかわれたが、案外真実だったのかもしれない。共にこの状況を生き抜くことができたのなら、前向きに考えてみるのもいいかもしれないと。
「ではまずはわしが戦端を開く。連中がわしに気を取られている隙に、他の者たちも順次戦列に加われ」
その大胆な作戦に一番驚いていたのは、実はイハサ自身だったのかもしれない。
ライルの脇をすり抜けて、獣のように駆け抜ける少女。小柄な体躯と視界の悪さが相まって、本当に獣か何かにしか見えなかったに違いない。
慌てて放たれた弓矢はその全てが空を掠めていく。少女はそのまま敵陣まで走り抜け、閃光のごとき一撃で敵部隊の隊長らしき人物を切り伏せた。
初手で隊長を失った彼らに動揺が走ると同時に、それを好機とみてライルを除いた全ての近衛兵が各自戦列に加わっていく。
乱戦。敵味方が入り乱れて戦う事。その場は正にそのような様相を呈した。
数の上では圧倒的に優位であるはずのミッドランド軍。しかし彼らは初手で隊長を打ち取られ、統制を失った。また数の多さと視界の悪さも彼らに不利に働いた。
敵味方の判別が難しい。矢を扱う者にとっては尚更で、冷静に見極めようとすれば先手を取られ、早めに動けば味方を攻撃してしまう。あるいはその二律背反の恐怖から錯乱してしまうという袋小路。
逆にハーノイン軍は数の上では劣勢とはいえ、その全てが一騎当千の兵。味方を攻撃することなど決してなく、的確に敵だけを切り伏せていく。
その乱戦が収束するまでに五分とかからなかった。イハサは最後の敵兵を切り伏せ、周囲を見回した。
立っている者は、ライルと彼に守られたラクリエのみ。どうやら今倒した敵が最後だったようだ。そう理解した瞬間、すさまじい疲労感がイハサを襲う。
「――――っは」
剣を杖代わりにして、倒れそうになる体を必死に支えた。
「……見事なものだ。この乱戦を無傷で生き延びるとは」
「イハサ、大丈夫だった? ケガしてない?」
徒歩で近づいていくライルと、彼を追い越して駆け寄っていくラクリエ。どうやら近衛は壊滅したが、運よくこの二人は無事だったようだ。
喜びに安堵するイハサだったが、その直後、イハサは風を切る不吉な音を聞いてしまう。その時一体誰が狙われていたのかなど、とっさに判断できるわけはなかった。とにかく伏せなければとの一心から、イハサはラクリエごと地面に倒れこむ。
「あ、わああああぁぁぁぁ……!!」
弓を引いたミッドランドの兵が、間抜けな叫び声をあげながら遠ざかっていく。
「くっ、まだ生き残りがいたか!」
しかしライルは彼を追うことはせずに、近くに倒れていた兵士から弓と矢を取り上げる。
矢をつがえ、弦を引き絞る。遠ざかっていく敵兵に対し、驚くほどの冷静さをもって弓を構え、そして放つ。
矢は機械のごとき精密さをもって、闇に溶けつつあった敵兵の首を貫いた。
「敵は仕留めた。もう大丈夫だ」
ライルの言葉を聞いて、イハサはほっと胸をなでおろす。
「お怪我はありませんか姫様。……姫…………様?」
ラクリエの様子がおかしい。異様にぐったりしている。そして気付いてしまう。ラクリエの肩から生えた木の棒の存在に。そう、当たっていたのだ。先ほどの矢に。
「あ……あ……そんな…………」
棒の根元から溢れてくる赤い液体。先ほどまでイハサは、それらが飛び交う中で戦ってきた。けれどもラクリエのそれだけはダメだ。耐えられない。イハサは今まで彼女のそれを見たくないがために戦ってきたのだから。
「イハサ様……」
敵兵を仕留めたライルがイハサの元に近付く。今にも崩壊してしまいそうなイハサの心が、ライルの存在によって辛うじて踏み止まる。
「ラ、ライル! 姫様が射られた! どうしたらいい!?」
「落ち着いてください。すぐに状態を見ます」
そういってライルは傷の具合を調べるが……。
「辛うじて急所は外れています。すぐに手当てをすれば間に合うでしょうが……」
裏を返せばそれは、すぐに手当てができなければ助からないという事を意味していた。
「そんな……」
手当てができるような用意などここにはない。バロック砦ならあるだろうが、あいにく砦は現在交戦中、いや、既に落ちている可能性もある。そしてそれ以外の場所となると、一体何日歩かなければならないのか。
イハサはこの時、思考が止まるほどの絶望というものを生まれて初めて経験した。
「一つだけ方法がある」
そんなイハサの耳に届いたライルの言葉。この男が頼りになる事は、イハサはこれまでの経験から理解している。そのライルが言うのだ。本当に助けられるかもしれない。
「ほ、本当ですか!? どうすればいいのです!?」
「私の血をラクリエ様に飲ませるのです。そうすれば私とラクリエ様は霊的に繋がることができ、私の生命力を分け与えることができるようになります。また自然治癒力もあがり、止血して二、三日もすれば傷口は完全に塞がるでしょう」
「ラ、ライル……?」
この男は一体何を言っているのか。おかしなことを言っているのは、混乱しているイハサにだって分かる。それではまるで……。
「ゆっくり説明している暇はないんだが……」
そういってライルは、自然な動作で自身のメットを外して見せる。そこにあったもの、本来あるはずのないもの。ライルのこめかみのあたりから伸びた二本の角。魔族の証明たるそれがそこにあった。
「え、な、なんで……。食事会の時には何もなかったはず……」
「我のような高位の魔族ともなれば、角を隠すくらいの芸当は可能だ。そうしなければ兜も被れない。だが今はそんな話をしている時ではあるまい」
「そ、そうだ、ライル、そうしたら本当に姫様を助けられるのか!?」
「ああ、我が血を飲むという事は我が眷属になるという事。そして眷属とは我にとって部下であり家族。おめおめと死なせはしない。だがその前にイハサ、君に一つ確認しておかなければならないことがある」
「確認しておくこと……?」
「そうだ。イハサ、君にラクリエの運命を背負う覚悟はあるか?」
「ど、どういう意味です?」
「我が眷属になるという事は、死ぬまで我には逆らえなくなる事と同義。もしこの事が外部に漏れたら、ラクリエの立場上処刑されてもおかしくはない。君がラクリエを慕っているのはこの数日で嫌というほど理解した。そのラクリエに、眷属という重荷を背負わせてまで生きていて欲しいか? 例えばラクリエ本人から恨まれる事になっても、その決断に後悔はしないか?」
「…………っ!」
外部に漏れたら処刑されてもおかしくはない。それはつまり、もう二度と王都へは戻れないという事を意味する。それでも自分のことであれば、イハサは簡単に決断することができただろう。だが今は違う。決めるのはイハサであり、その決定に従うのはラクリエ。他者の人生を背負う覚悟はあるのかと、ライルはそう言っているのだ。
「……分かった。頼む……いえ、お願いします」
「……そうか」
ライル……いや、ゼアルはそれ以上何も聞かなかった。イハサの震えるほどに固く握り締められた手。それが言葉以上に彼女の覚悟を物語っていたから。
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