第16話

 ベルガナ軍本隊総司令ノゲイラ。彼は苛立っていた。


 ミレトス大橋が突破されたという話は早々に聞いていた。だから挟撃されないように部隊を二つに分け、ナダル南征軍に当たらせた。結果南征軍六候爵の内、二候爵の首を上げるものの、代わりに別動隊は壊滅した。そして今、正面にはハーノイン、背後には南征軍という不安定な状況に陥ったのである。


 不幸中の幸いだったのは、半年以上前からハーノインの士気は低く、積極的に打って出る気配がなかった事。南征軍も兵力差を警戒してか、こちらもあまり積極的ではなかった事だろうか。まがりなりにもベルガナ本隊が軍隊の体を成しているのは、そのような条件もあっての事である。


 しかしそんな状況も、とある知らせにより動きつつあった。ナダル連合の別動隊により旧ナダル連合領が奪還され、旧ナダル連合領を守っていたガイル以下ベルガナの兵たちが、こぞって敵の軍門に降ったというのである。そして彼らが次に目指すのは、ここベルガナ軍本隊以外に考えられなかった。



「全く、ガイルの奴は何をやっているのだ」



 忌々しげに拳を固めるが、その行為に気付くものはいない。そんな折、一人のベルガナ兵が彼の元へ駆け寄った。



「来ました、ナダル東征軍です! 間者の報告によると、奴らはあの丘の上に陣地を築くつもりのようです!」


「陣地だと? 確かにあそこからであれば我が軍全体が見渡せるが、いくらなんでも近すぎる。我らがみすみすそれを許すとでも思っているのか?」



 そしてノゲイラは立ち上がると、前に手をかざして命令を下す。



「よし、手筈通り六千の兵たちに東征軍討伐に当たらせろ! 奴らを粉砕して南征軍の士気を挫くのだ! 全てはこの一戦で決まると思え!!」


「オオッ!!」



 北から東征軍が迫ってきている事は、伝令の報告から分かっていた。だから事前に本隊から六千の兵を選出し、東征軍の接近に備えていた。そして限界まで東征軍が近付いてくるのを待った。


 東征軍が現れたという丘の上、そこは本隊から見て緩やかな上り坂になる。そのためそこからであればベルガナ本隊が見渡せる。当然東征軍もその丘を重要な地点として抑えてくると、そう考えた。……まさかそこに陣地を築こうとするとは思わなかったが。



(しかし何だこの違和感は。我らの目と鼻の先に陣地を築くような、そんな奴にガイルが破れ、更に軍門に降ったというのか……?)



 ガイルは脳筋だが馬鹿ではない。副官のカティアも優れた参謀だ。そんな二人を負かすような相手、それが東征軍の大将なのだ。



(陣地構築……資材……木材…………そして丘。…………まさか!!)



 ノゲイラがそれに気付いた時、そして火急の報が入った時、それはほぼ同じタイミングであった。




「ゼアル様! 駄目です! 敵が迫ってきます! これではとても陣地構築など間に合いません!」



 しかしゼアルは、その報告を別段気にする訳でもなく、



「そうか、ならば作戦変更だ。敵兵を十分に引きつけた後、束ねた資材をそのまま坂から転がせ。残しておく必要はない。徹底的にやれ」


「は、はいっ!」




「大変ですノゲイラ様! 東征軍は束ねた木材を丘から転がして来ました! これによって別動隊は壊滅、加えて側面からは、元ベルガナ兵と思われる一団がこちらに迫ってきています!」



 その報を聞いて、ノゲイラは愕然とする。遅かった。気付くのが遅すぎたのだ。


作戦自体はとてもシンプル。丘の上から物を転がすという、ただそれだけの内容。故、この作戦の何が巧妙だったかと言われれば、それは陣地構築という方便で真の作戦を隠し通した事だろう。加えて間者の存在だ。元々敵だったベルガナ兵を多数配下に加えたのだ。その中に間者が紛れ込んでいる事など、東征軍の大将だって分かっていたのだ。


 もし陣地構築と言う嘘がなければ、もし木材を丸太のまま運んでいたのなら、そしてもし間者の存在がなければ、早々に気付けた筈なのだ。その真の意図に。



「くっ……まだだ! 奇策で別動隊を壊滅させたとはいえ、まだ数はこちらの方が上! 落ち着いて対処すればどうと言う事はない! 全軍、気合いを入れろ!!」




 その頃、ベルガナ本隊から一キロ以上離れた場所にある林の中で、ナダル南征軍の面々がベルガナ本隊と東征軍の戦いを眺めていた。



「ううむ、先日ゼアル殿から〝近々我らがベルガナ本隊を倒す故、黙って見ているように〟という旨の書状が届いたのだが……」



 書状を見た時には、正直できる訳がないと思った。元々の東征軍の兵力は六千程。途中ベルガナの分隊を配下に加えたとはいえ、城の守りも残す必要がある。どう考えても数が足りない。故に荒唐無稽と、そう考えていた。


 しかし実際はどうだろうか。あっという間に別動隊を壊滅させ、正面と側面の双方からベルガナ本隊に襲いかかっている。今や完全に東征軍のペースである。このままでは恐らく一、二時間ほどで本当に東征軍がベルガナ本隊を倒してしまうだろう。



「何という男だ。本当に此度の戦が初陣なのか……?」



 南征軍が一人、ローグ候アランがぼそりと呟いた。



「アラン様! このままでは手柄は全てレシエ候の物になってしまいます! それどころか、我ら南征軍はベルガナ打倒に何ら貢献しなかったと言われかねません! これまでベルガナ本隊と戦ってきたのは我らなのです! アラン様や他のみんながそのような誹りを受けるなど、私は我慢できません! どうかアラン様! 我らにご命令を……!!」


「ううむ、分かった。ゼアル殿には黙って見ているように言われたが、別に従う義理もあるまい。……よし、全軍に告げる! 東征軍と協力してベルガナ軍を打ち破るのだ!」


「「応っっっ!!」」




「ゼアル様、どうしてガイルさんの隊に、まっすぐ側面を突くのではなく放物線を描くような経路で進撃させたのですか?」



 ベルガナ本隊を見下ろす丘の上、ディルク率いるレシエ軍と、ガイル率いる旧ベルガナ軍をも見下ろしながら、ふとヴァルナはそんな疑問を口にした。



「あそこに林があるのは見えるか? 事前に南征軍に書状を送って、我らの勝利を見届けるように伝えておいた。距離と立地から言ってあの場所以外あり得ないだろう。そしてあの位置から戦いを見ていた場合、ガイルが放物線を描くように移動すると、ベルガナ本隊に対してガイルの部隊の方が手前に来る。手前、つまりガイルの部隊の方が大きく、大規模な部隊に見えるのだ」


「なるほど、それによって勝利を確信した南征軍も、負けじと攻撃を開始する、と」


「うむ、念のため発破をかける者も忍ばせておいた。恐らくもうそろそろ……うむ、出て来たようだな」


「そのようです。流石はゼアル様」




 そしてベルガナ本陣。正面のレシエ軍と側面の旧ベルガナ軍。ノゲイラ率いるベルガナ本隊は、見事な采配でこの攻撃を受け止めた。このまま耐えていればやがて数の差で攻守が逆転する事は目に見えていた。だがそこに現れた南征軍の存在によって、ベルガナ本隊に動揺が走る。不安という名の毒が蔓延し始めたのである。


 ノゲイラ以下の将兵たちは必死に兵を鼓舞するものの、一度崩壊し始めた隊を立て直すことはできず、ある者は戦死し、またある者は逃亡し瞬く間にその数を減らしていった。



「ガイル! この裏切り者め! 敵と通じてベルガナを滅ぼすつもりか!」


「お前にだけは言われたくねえよノゲイラ。手前勝手な理由でハーノインにケンカを売ってベルガナを危機に陥れたお前にはな!」


「おのれ! ならば私の手で引導をくれてやるわ!」



 行ってノゲイラは、自身の剣を抜き払うと、ぶつぶつと呪文を唱えた。すると次の瞬間に剣の刃が赤く輝き、彼の周囲に手の平大ほどの火球が無数に出現したのである。


 魔族やその混血の多いベルガナでも極めて珍しい高位魔術師。ノゲイラが今の地位にいるのも、半分はこの才能のお陰だった。



「行け炎よ! 我が敵を焼き尽くせ!」



 ノゲイラが剣をかざすと、無数の火球が一斉にガイルへと襲い掛かる。だが……。



「火球を飛ばして牽制か、やる事がセコいぜノゲイラ!」



 そう、あの男はノゲイラをもしのぐ魔力を有しながら、危険を顧みずに至近距離で必殺の一撃を放った。あの瞬間、確かに自分は敗北したのだ。戦術でも戦略でもない、ゼアルという一人の男に。それに比べて今目の前にいる男は何だろう。火球の一つ一つは、当たれば痛いが致命傷には程遠い。引導をくれてやるなどと言いつつやっている事はただの牽制なのである。


 迫り来る火球にも臆することなく間合いを詰めていくガイル。ようやくノゲイラの前に辿り着いた時には、受けた火球は既に二桁を数えていた。


 全身を炎に包まれながらなおも迫るガイルに、ノゲイラは恐怖するしかなかった。



「な、なぜだ、なぜ耐えられる!」


「俺を殺りたかったらなぁノゲイラ、セコい事やってないで、死ぬ気ででかいのをぶち込んできやがれ!!」



 ガイルが放った横薙ぎの一撃。その攻撃を前に、ノゲイラは防御も回復もできずに切り飛ばされる。きりもみ回転した末に地面に叩き付けられたソレこそが、私欲のために戦線を拡大した男の末路であった。



「ベルガナ軍総司令ノゲイラを打ち取ったぞ! 他の連中はすぐに降服しろ!」



 ガイルがありったけの声量で宣言する。その声に、生き残った兵たちも順次降伏していった。今この瞬間を以って、領土拡大を夢見たベルガナ王国の野望は潰えたのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る