第69話
イシュメア帝国南部、ダーナ城下町。ハーノイン領にも近いこの町には今、南のガルミユラ王国に対抗するための兵士が集められつつあった。帝国が先手を打ってアルヴヘイム周辺の内海を制圧したため、ガルミキュラがこの海を渡って人員や物資を送る事が困難になったのである。
そのためガルミキュラは南のグリント街道南に兵を集結させた。ダーナに集められた兵士は、これに対抗するための戦力なのである。
「もうすぐ開戦か、いつかはこんな日が来るとは思っていたけど……」
ダーナ城下町の町外れにある野営地。そこで一人の帝国軍兵士が、隣の同僚にそう漏らした。
「この戦いは、本当に皇帝陛下のご判断なのか……?」
「どういう事だ?」
「分かっているだろう。陛下が病に伏されて以降、この国は少しづつおかしくなってきている。グランダラス勤務のダチの話では、既に政務の全ては宰相のアズールが取り仕切っているらしい。今回のアスタルテ侵攻だって恐らくは……」
リチャード皇帝に詳しい人物であれば分かる。彼は戦いの前には念入りな下準備を行い、極力敵より優位に立てるようにしている。だが此度の戦争にはそれがなく、はっきり言って杜撰という他ない。とても彼が主導しているとは思えなかった。
「分かっている、だが今やアズールは宰相であると同時にアニス教のトップでもある。仮に奴が専横を働いていたとしても、俺達にはどうする事も出来ない」
「…………」
二人が兵士になったのは皇帝リチャードに憧れての事である。自分たちが皇帝に仕える事、それが引いては国の繁栄に繋がると、そう信じていた。だが今帝国を主導しているのが皇帝ではないとするなら、自分たちは一体誰の為に、何の為に戦うのだろう。そう考えざるを得なかった。
「おや、あの子は……」
右側の男がふとそんな声を上げる。その視線の先には、帝国軍の野営地に不釣り合いな年若い少女の姿があった。軍服を着ている事からたまたま迷い込んだ民間人ではない事は明らかだ。
「ああ、あの子はヴァイスリッターだ。今ハーノイン領の方で大規模な反乱が起こっているらしくてな。この状況だからまとまった援軍は送れないが、あの子を投入する事で状況の改善を図るつもりなんだと」
「なんだそりゃ、ヴァイスリッター? たった一人の女の子に戦況を一変させる力があるとは思えないが……」
しかし左の兵士は呆れたように肩をすくめる。
「お前は本当に何も知らないんだな。ヴァイスリッターっていうのは国中から集められた魔導器の適性を持った子供、その子らに英才教育を施して組織した特殊精鋭部隊の事だ。当然全員が魔導器を持っていてその強さは一人で一部隊に匹敵するとか」
「え……マジ? じゃああの子強いの?」
「強いだろうな。あの子の腰に下がっているメイス、多分あれが魔導器だろう」
左の兵士の言う通り、少女の腰には確かにメイスらしき形状の棒が下がっていた。
「魔導器の量産はセルベリアの技術とミッドランドの資金力、そして植民地の資源があって初めて成功したと言われている。対するガルミキュラにはそれらがない。だからこの戦争が始まれば間違いなく勝てるだろう。少なくとも十五年前のような事にはならないはずだ」
しかしそれを語る左の兵士の表情は暗く、俯いていた。
(だがそれは本当に正しいのだろうか? 帝国が仕掛けなければアスタルテもガルミキュラも、そして帝国自身も平和なままでいられたのではなかったか……)
左の兵士がふと隣を見る。見知った能天気な顔がそこにあった。彼はおそらくこの戦いそのものに対しては何の疑問も抱いていないだろう。それは軍人としては正しく、そして人としては間違っている。左の兵士は今後の国の行く末を思うと憂鬱な気持ちになるのだった。
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