第80話
百年以上も昔にセルベリアの東海岸にやってきた異民族、それがムーア人。彼らはそこで魔導器を始めとした未知の技術を伝え、社会的な地位を得ると共に、アニス教という新興宗教を広めた。それと同時に魔草というツールも用いて大陸に浸透させていく事となる。
十五年前の統一戦争の英雄、現イシュメア帝国の皇帝のリチャードの背後には、アニス教の存在があったと伝わる。
「……とまあ一般的に知られているムーア人とアニス教の基礎知識はこんなものかな」
東ハーノイン南方の森、一行はハルトの案内に従って森の中を進んでいた。
「皇帝となったリチャードの権力を背景に、その後アニス教は急速に勢力を増していったと」
「そう言う事。反帝国を掲げるハーノインの人々ですら、アニス教と魔草が危険なものであるという認識は低かった。でも本当に危険なのは帝国よりもむしろそちらの方」
知識オタクことセネトがムーア人に関する知識を披露する中、唯一セリカのみがこれに合いの手を入れる。
「今ですら帝国とアニス教をひとまとめに考える人は少ない。統一戦争の時は宗教が国を作るなんて発想すらなかったはずだよ」
だが帝国は実質アニス教が作ったと言っても過言ではない。たとえ帝国が滅んでも、アニス教が残っていては何の意味もないのだ。
「……兄」
レンが不意にそう声をかける。その言葉とアイコンタクトだけで察してしまえるのは、長い付き合いのお陰か。
「結界か……」
目に見える訳ではないが、高い魔力を持つセネトや五感の鋭いレンならば分かるのだ。
「兄、早速壊してしまってもいいか?」
「……いや、僕たちはあくまで部外者だ。ノックでもして出迎えを待つのが筋だろう」
「ふむ、そうか……」
セネトは結界があると思しき場所に手をかざすと、そこから微量の魔力を流し込む。つまりはそれがノックの代わりという事なのだろう。
「ふうん、何というか、凄く常識的な人なのね」
探る様にそう言って来たのは、元ヴァイスリッターの少女アンリ。
「え、そうかな」
「そうだよ、結界を普通の民家に見立てるなんて、一周回って普通の発想じゃないよ」
「よく分からないけど、物事を簡略化して考える、或いは身近なものに置き換えて考えるっていうのは意識的にやってるよ。そうやって考えると、物事の本質が見えてくるんだ」
「ふうん……」
聞いていたのかいないのか、アンリは興味なさ気な返事をするもその視線はしっかりセネトを捉えており、本人の態度がアレなだけで案外真面目に聞いていたのかもしれない。
「我らを呼んだのはそなたたちか?」
いつの間にそこにいたのだろう。セネトたち五人に混じって一人、見知らぬ少女がそこにいた。森に住んでいるとは思えない、動き辛そうなローブを見に纏う少女。彼女こそがセネトたちの待っていた人物であると、皆一瞬で理解した。
「リーダーのセネトです。この辺りにムーア人の住む里があると聞いてやってきました。失礼ですがあなたがその里の住人なのでしょうか?」
「いかにも。して、里には何用じゃ?」
「はい、僕たちはこれから外の世界でムーア人と戦っていく計画です。ですが僕たちはムーア人について何も知りません。この里であればムーア人に関する情報が得られると考えて参りました」
何言ってんだこいつ……。アンリとハルトがそんな目でセネトを見た。対してセネトに信頼を寄せる二人の妹は、さして意に介した様子はない。
「ほう、面白い事を言う。ムーア人と戦うためにムーア人の住む里にやって来たと言うのか。我らに同胞を売れと、そう言っておるのじゃな?」
「……そうです。あなたたちは彼らと袂を別ったのでしょう? それが証拠に、彼らがアニス教を立ち上げ帝国の中枢に入り込む一方、あなたたちはこの森で外界と関わることなく生活している」
「ふむ……」
セネトの物言いに対して、少女は怒るでもなくセネトをまじまじと見つめた。
「とても高い魔力を持っておるな、そしてそこの女は破魔の魔導器を持っている。そなたたちであれば結界を破って侵入する事は容易かったはず。何故そうしなかった?」
「僕たちは強盗ではありません。学びに来たのです。ならば礼節を以って事に当たるのは当然の事です」
すると少女は、意味ありげにくすりと笑う。
「ふむ、仕方あるまい。実を言うと妾は里の長老より判断を一任されてきたのだ。そたたたちを里に招き入れるのか、あるいは追い返すべきかの、な」
「それでは……?」
「うむ、そなたたちであれば問題なかろう。付いて参れ」
「はい、ありがとうございます」
そして少女は、セネトたちに背を向け結界の奥に進んでいく。そんな彼女の後を、一行は誰からともなく付いて行くのだった。
そんな中、たまたま最後尾になったハルトが逡巡する。
(馬鹿みたいに慎重かと思えば挑発一歩手前の言葉をさらっと口に出す。俺が戦場で負かされたのも偶然ではないって事か……)
何より今セネトは味方であり、反アニス教を掲げる同志でもある。敵にすると恐ろしいが、味方にするとこれほど頼もしい男もいない。
その時ハルトの口角がわずかに動いたのだが、その事に気付いた者は誰もいなかった。
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