第2話
――数ヶ月後――
大陸の南東に位置する田舎町、クトリガル。その酒場。そこに人に擬態した魔族の青年ゼアルの姿があった。
ゼアルは体質上酔うことができない。だがこの数ヵ月でヒト族のノリというものを理解した彼は、周囲の酔っぱらいに混じって時には話を合わせたり、時には軽くいなしたりしながら酒をあおっていた。
理屈の通じない酔っ払いの相手は面倒ではあったが、酒に酔った時が一番口が軽くなるのはヒト族に限った話ではない。情報収集をするにあたって、酒場ほど都合の良い場所はなかった。
ふと、とある人物に狙いを定めたゼアルは、一人でテーブルに座って酒を飲んでいるおじさんの、その正面に座った。
「こんばんは。少し話がしたいのだが、いいだろうか?」
ゼアルがそう声をかけると、おじさんは今気づいたとばかりにジョッキをテーブルに置いた。
「話? 若ぇ女ならそこらへんにいるだろうに、わざわざ俺みたいなおっさんに声をかけるなんざ、物好きな兄ちゃんだな」
「ナンパが目的ならそうしている。だが生憎、我の目的はそうではないのだ。卿よ、卿はこの町に住んで長いのだろうか? 何かこの町で起こった面白い事件などがあれば聞かせて欲しいのだが」
「面白い話ぃ~?」
重度の酔っ払いは自分勝手な事を喋りだして、会話が成立しなくなりがちだ。そんな訳でゼアルはこの酒場でずっと、酔い過ぎず、それでいて程よく口が軽くなっていそうな酔っ払いを探していたのである。
「何だ兄ちゃん、学者か何かなのかい?」
「そんな大層なものではない。趣味でそういったものを集めている普通の旅人だよ」
「そうかい、まあ何でもいいや。じゃあそうだな……塔の魔女の話は聞いたことがあるかい?」
「いや知らないな」
「おうそうか、ならその話でもするかな。今から十年ほど前だったかな。一人の少女が翌年の大凶作を予言した事があったんだよ」
「……予言?」
「そう予言。その時は誰も信じなかった。まあ当然だわな。ガキの戯言を一々真に受けるほど大人は暇じゃねえ。だが結果は……察しの通り、予言は大当たりして、翌年は大凶作となった訳だ」
「ふむ……」
「だがこの話のキモはこっからだ。その凶作に対して何の対策も取っていなかった領主は、当然民衆から厳しく非難される……筈だった。だがあろう事か領主は、凶作を予言した少女こそが凶作の原因だとして、少女に魔女の烙印を押して石造りの小さな塔に閉じ込めちまったのさ。そのおかげで領民の不満の捌け口は全部その少女に向くことになった。中には少女を擁護する声もあったが、いかんせん数と勢いが違い過ぎた」
「それは……酷い話だな」
「全くだ。だが兄ちゃんよ、未だに少女が魔女だと信じている奴は多い。トラブルに巻き込まれたくなかったら、余計なことは言わない方がいいぜ」
「そうか、ご忠告、感謝しよう。……ところで卿よ、その少女は結局どうなったのだ?」
しかしおじさんは逡巡するように目を泳がせる。
「ああ……そういやどうなったのかねぇ。死んだという話は聞かねぇし、もしかしたらまだ生きてるのかもなぁ……」
「そう……なのか?」
「いや、分かんねえけどな」
おじさんは分からないと言ったが、そんな人物が死んだら噂になりそうなものである。
(塔の魔女……か。予言の件が本当なら、物凄い魔力の持ち主である可能性が高いが、そんな人物に無実の罪を着せて閉じ込めておくほど、ヒト族というのは人材が豊富なのか……?)
なんとなくこの話題に興味を惹かれたゼアルだが、一体なぜそう思ったのか、それは本人にも分からなかった。
夜、周囲は闇に包まれ、光源と呼べるものは月と民家から漏れる僅かな明かりのみ。見上げればそこには、領主の城から漏れる無数の明かりと、そこから隔離されるようにして光を放つとある場所があった。
「あれが話にあった塔でいいんだよな」
それから更に情報を集めた結果、どうやら噂の魔女が幽閉されているのはあの場所で間違いないらしい。魔女が今も生きているのかどうかは誰も知らなかったが、誰もいないのであれば明かりなどつかないだろう。幽閉でもされていなければ好き好んであんな場所に住もうとも思わないはずである。今でも魔女がそこにいる可能性は十分あった。
ふいにゼアルが肘を肩の高さまで持ち上げる。するとゼアルの腕から溶け出すようににじみ出た黒い霧、それが次第に鳥を形作っていく。数秒と経たないうちに、本物のカラスと区別がつかないほどの精巧なカラスとなった。そしてゼアルが塔を指さすと、カラスはそこに向かって飛び去って行ったのだった。
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