第77話

「姉さん、手、見せて」


「……え?」



 そう言ってレンのアクションを待たずに手を取るセリカ。



「ああ、やっぱり……」



 ラインクルズとの戦いで酷使したレンの両拳は全体的に赤く腫れ上がり、随所から出血していた。骨だって折れているかも知れない。それもそうか、ラインクルズの体は魔導器の力を借りる事で岩のように硬くなっていた。彼を素手で殴る行為は、岩を素手で殴るようなモノなのだ。



「どうして魔導器を使わなかったの!? 使えばあんなやつ一撃で倒せたでしょう?」


「あいつ如きに魔導器を使うなんて勿体ないと思ったんだよ。使えば相手の強さを認める事になる」


「だからって手をこんなにして前戦ってどうするの? 姉さんは確かに強いけど、れっきとした女なんだよ?」


「それは……済まない」



 レンは何か言いたげではあったが、瞳に涙をためて訴えるセリカを見て反論を諦めたようだ。



「セネト、何故セリカ嬢はあの子を姉と呼んでいるんだ?」


「……僕の時と同じです。セリカもレンも同じ町に育った幼馴染なので」


「……そうか」



 言葉に反してホームズは訝しげな視線を向けるが、深く追及してくる事はしなかった。




 ラインクルズが倒され、中部ハーノインが独立したという情報は、瞬く間に大陸中を駆け巡った。


中部ハーノインは元から反乱の多い地域だった。セネトたちのレジスタンスもそんな数ある反乱の一つ、そう考えられていたのである。奇しくも現在はイシュメア帝国とガルミキュラ王国、アスタルテ王国ら同盟軍と戦争中。中部ハーノインの独立がこの戦争に少なくない影響を与えるであろう事は誰の目にも明らかだった。



「もう行っちゃうの?」



 セリカが名残惜しそうに声をかけた。その先にいるのはアイシャとミーシャの二人。共にセネトたちの監視役として派遣されたワルキューレである。



「あたしたちは元から陛下の部下だからね、お役目が終わればすぐに次の任務に当たるだけよ」


「でも私達に帰還命令は出てないよ? 私達の監視が終わったとは言えないんじゃ……?」


「中部ハーノインが解放されて監視はもう必要ないと判断されたみたいね。それよりもあたしたちを密偵として使いたいんだと思う。帝国との戦争にあなたたちを組み込まない理由は分からないけど」


「……工作員として内側から帝国を攻撃しろって事なのかな?」



 セリカが何気なく発した言葉だが、これには十分説得力があった。今の帝国は前線に兵を集めすぎて内地がスカスカの状態なのだ。そこにセネトたち三人を送り込んだ結果何が起こったか、今更言うまでもないだろう。



「それはそうとセリカ様はどうするの? 曲がりなりにも反乱軍の盟主なんでしょ? このまま中部ハーノインの女王にでもなるつもり?」



 その問いにセリカは苦笑して応える。



「当分はホームズさんに代理で治めて貰おうと思ってる。東部はまだ帝国の支配下だし、それに……」


「それに……?」


「ううん何でもない」


「……そう?」



 セリカの心中にあったのは、メルラ湖周辺で働いていた子供たち。あの時は何もできなかったが、中部ハーノインが解放された今であればどうにか出来るかも知れない。そう考えた。反乱軍の盟主になる事を受け入れたのも元はといえばそのためである。



「ねえアイシャ、一つ気になったんだけど、アイシャが憧れていた人ってもしかして……」



 恐る恐る尋ねてみると……、



「もちろん国王陛下のことよ」



 見バレした今となってはもはや隠す意味もないのだろう。アイシャはあっさりと答えてしまう。



「ああ、やっぱりそうなのね……」


「子供の時から憧れてたの。外国の事、ガルミキュラが出来る前の事。知れば知るほどガルミキュラの事が、そんな国を作った陛下の事が大好きになっていったわ。ワルキューレの採用試験を受ければ陛下に会えると知ったのはそんな時。必死で勉強して面接まで漕ぎ付けて、出会えた喜びを直接陛下に伝えた後、いくつか質問に答えたりしてたら……なんか受かってた。


「何か受かってたって……」



 ワルキューレに憧れて面接まで行って落ちたセリカにしてみれば、あまり面白い話ではない。そんなセリカを見てアイシャは……、



「あくまであたしの印象だけどね、ワルキューレに憧れている内は採用されないような気がする」


「えっ? それってどういう……」



 しかしアイシャは口元に指を立て、詳細を語る事はしなかった。



(言われてみると姉さんもそうだ。当時から強かったのは事実だけど……)



 ミーシャとは接点が少なくワルキューレになった経緯は分からないが、案外的を得ているのかも知れない。



「憧れ……」



 ワルキューレは勲章ではない。常に危険と隣り合わせで、そんな危険にたった一人で向き合わなければならない大変な仕事なのだ。そんな仕事に、幼い頃から大好きだったレンがあっさりとなってしまった。だから同じように憧れた。確か、そんな経緯だった気がする。



(私はこれからどうしたらいいんだろう……)



 それは、長年の胸のつかえが解消すると共に、自分が進むべき道を見失ってしまったかのような不思議な感覚だった。

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